アンチ『雲南ノート困惑記』

 

 どうやら雲南にはホントに行けないことになったらしい。旅行会社から連絡はないまま数日が過ぎ、別の先生にも残念だったねなどと言われ、僕の初中国はお預けになったのである。わずか5泊6日の日程とはいえ、ポッカリと空いてしまったカレンダーを見るのは忍びないし、手帳の書き込みを消すのも寂しい作業だ。さらに、さっそく購入してしまった『地球の歩き方』を見るのも張り合いがない。なにをしても未練がましいったらありゃしないのだ。また機会があれば行けるだろうけれど、やっと巡ってきた機会を逃した(逃された?)のはどうしても無念。そんなこともあり、僕は3月上旬に予定している“北海道・流氷観光半分ひとり旅”の手配をあれこれとしていた。

 ところが、つい数日前のことである。駄々はこねてみるものだ。

 僕を雲南旅行に誘って下さった先生に誘われて、夕食を御一緒した。ちょっと遅れてお店に参上すると、そこには見なれない大柄な男性がいらっしゃった。年は30台半ばだろうから、きっと大学の研究員さんだろう。日本語の発音がアヤしいので外国籍の研究員さんじゃないか(中国の方だった)?初対面だったのだが、お酒の席である。元来の慣れ慣れしさも手伝って、あれこれしゃべってみた。すると・・・

 「取締役社長」――いただいた名刺に書かれた肩書きである。大学の研究員さんだったのは昔の話で、現在はお仕事をなさっているのか?などという余計な詮索はしなかった。いや、できなかった。名刺をいただいた瞬間は、そんなことに考えを巡らす余裕なんてなかったのだ。その名刺に書かれた会社名、すなわちその方が社長をお勤めの会社というのが、なんと雲南旅行を申し込んだ旅行社だったのだ。え?あれ???不思議な気持ちになりながら話をしてみると「ちゅうこく、いけなくてこめんなさいねー。きっぷ、ないのよー」とのこと。ホントに社長さんなんだ!

 そこで、中国行きたいようという話になった。どうせ雲南は流れたのだから、旅行プランの細かいことを注文するわけではなく、好き勝手にあそこ行きたいここ行きたい、ということを言ってみたのである。知っている中国の地名を羅列したようなモノだったのだが、5月と11月には僕が言ってみたところに行くから、そのときにいらっしゃいね、ということになった。イヤ、11月は修論書きますよ、などと言うと「しゅうろんなんて6かつくらいからよういするのよー」とのこと。さらに、「わたしのりょこう、たのしいよー」とも。ということは、懸案は詳細な日程だけ(ただし先の話ね)となったのである。うまい具合の話だぞ。「てつつきしといてあけるから、あしたぱすぽとをこぴしておくてね」・・・イヤ、それは気が早いですよ・・・

 大いに呑んだその日の翌々日のこと。突然、その旅行会社から電話がかかってきた。もう一度手配したらチケットがとれたけど、どうします?と。空いた日程に予定を入れなくてよかった!もちろん行きますと即答。大丈夫、これでホントに雲南に行けるんだ!

 でも、この間のどんでん返しがあったので、そのときはどうしても半信半疑でしかない。しかし、さらに翌日には再び電話があって、すでにビザを申請したとのこと。もう間違いなかろう。諦めが先行していたので、カンペキに抜けてしまった気合いを取り戻すのはラクではないのだが、これで出国が決まったも同然だ。雲南がどんなところか、あれこれ見てきてやろう。

 ただ、唯一の懸案がある。本来は日の目を見ることがなかった『雲南ノート』本編の書き出しを救済しようと、先に『困惑記』を書いてしまった。そのまま本編に流用するのも芸がないのだが、いざ行くとなったらそのまま使えるし・・・

 などと“うれしい困惑”をしているフリをしながら、エッセイのネタが1つできたので、実はラッキーなのでした。

 

2002/02/01

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