「雲南ノート」困惑記

 

 中国に行くことになった。

 自慢するわけではないが、僕は中国に行ったことがない。中国仏教を専攻する僕にとって、いや、僕が所属する大学院で、中国に行ったことがない人というのは希有な例だ。フィールドワークをやらなくても済む専攻ではあるのだが、やはり現場を見てみないと、歴史ロマンを体験することはできないし、想像の世界も狭くなってしまう。見聞を広めないで学問なんてできない、とも言われるほどだ。それは重々承知しているので、かねてから行きたいとは思っていたのだが、たまたま機会がなかった。

 ・・・いや、機会がなかったというのは正確ではない。中国旅行の機会は、ウチの研究室にはやたらとある。しかし、はじめの一歩をどうしようか躊躇しているうちに、ずいぶんと時間が経ってしまった。これではいかん、そろそろ踏ん切ろうかと思っていたときに、中国旅行のお誘いがきた。目的地は華中(洞庭湖周辺)である。悩むこと数日、行くことに決めた。第一歩がどこであろうと、それは僕が踏み出した第一歩であるのだから。

 ところが、その矢先のこと。申し込むには研究室に顔を出せばいいのだが、用事があったり休講だったりで、たまたま1週間ほど大学に行かなかった。では今週こそと気合いを入れていたところで、別の先生から中国に行こうと誘っていただいた。あれ?先生とも御一緒できるんですかと聞いてみると、そうではないようだ。目的地は華中ではない。なんと雲南!華中よりも行きにくそうな雰囲気であるのが、大変に魅力である。いつでも行けそうなところよりも、これを逃すと一生行けそうにないところのほうがよい。華中と雲南を比べてみると、どっちがマニアックか・・・(雲南の人ゴメンナサイ)?こうして、アッサリと雲南旅行に変更することにした。たまたま申し込みを逃した華中旅行は、きっと縁がなかったのだろう。まったく、いきあたりばったりもいいところなのだが、ともかく目指すは華中でなく、雲南と決まった。ホントに。もう変更ないよ。ないったら。信じてよ。

 では、まず雲南という地方に絞って説明してみよう。雲南省は、中国ではだいぶ南に位置する省である。ビルマ・ラオス・ベトナムと国境を接し、省都は昆明(人口370万人)で、そこへは関空からの直行便もある。他には大理石の産地として有名な大理(人口42万人)も、雲南省の町だ。まずは例によって『地球の歩き方』を購入したのだが、「雲南・四川・貴州と少数民族」という巻が独立して発行されているほどに、独自の文化が発達している。それは、中国の中でもいろいろな少数民族が特に住む地域で、いろいろな少数民族の文化に触れることができるからだ。いわゆる“中国”という文化(天安門広場や万里の長城がかもし出すような雰囲気?)とは一風変わっていると考えてよいのではないだろうか。そんなことを思いつつ、中国固有の文化と、少数民族の文化との比較を、さっそく頭の中で考えてみたりする。ガイドブックを読むだけの学問だから、現実に触れればその違いに驚くことになることは間違いないのだが、どうしてもガイドブック上で満足してしまうのが不思議である。本と現実とのギャップというものに驚いたことは、何度もあるのに。

 さて、中国についてもちょっと書いておきたいことがある。本来ならこの旅行記(もどき)は、前例に倣えば『中国ノート』と銘打つべきでは?という指摘もあろう。しかし、中国はとんでもなく広い国であり、“中国”と一口にすることができないのではなかろうか、と思った(もちろん“中華人民共和国ノート”と正式国名を利用してもダメである)。とりあえず、お手元の世界地図をご覧いただきたい。中国ってのは、日本のすぐそばにあるだけではない。ずーっと左のほうまで見ていただければ分かると思うが、中国はインドやパキスタンなんかとも国境を接しているほど、東西に広い。南北もなかなかであるのもすぐにわかるだろう。ということは、いろいろな気候帯が存在している。10億という人口を擁する国でもあるわけだから、“中国”とひとことで片付けてしまうのは危険なのではなかろうか。どうしても“中国”とひとくくりにしてしまうと、僕がこれから書く雲南こそが中国そのもののように思われてしまわないだろうか。そうなったら僕の文章作成能力の問題なのだが・・・とにかくそんなことを思い、雲南省だけ(十分広いけど)しか回らない日程なので好都合なこともあり、今回はあえてタイトルを『雲南ノート』とすることにした。“雲南省で感じたこと”を書けば、それで十分に『中国ノート』としなかった役割を果たせるわけだから。

 さて、旅行に出るときに一番の問題となるのは、服装についてだ。スーツケースの大半を占めるのは着替えなのだから、どうしてもキチンと検討したいところだ。ガイドブックによると、どうやら雲南省は「常春の楽園」らしい。冬はそんなに冷え込まず、夏もあまり暑くならず。緯度が南(沖縄本島よりちょっと南)であるため、標高が高い(2000m弱)ところなのに寒くないというのは魅力。すると、5泊6日という日程だから、スーツケースを用意する必要もあるまい。それよりも問題なのは、旅費が妙に高いことだ。日程が中国の旧正月に当たるとかで、中国国内も帰省ラッシュだとか。すると、国内線の料金もイッキに上がってしまうとか。6日間でこの料金はないよなぁ、と思っていた。

 ところが・・・

 旅行社に参加申し込みファックスを流した翌々日のこと。ちょっとした用があって、この旅行に誘って下さった先生に電話した。すると、雲南旅行は中止だ、ということを先生が気弱におっしゃる。???どういうことでしょう???

 なんと、料金をハネ上げる原因の旧正月がネックとなってしまい、国内線の予約が取れないのだそうな。日本でも正月前後には“帰省ラッシュ”があるように、中国も帰省ラッシュで大変なんだと!こちらには旅行社からの連絡がないのだが、団長たる先生からの御一報ということは、ホントにダメってことなのか?すると、ここまで書いてきたのは一体・・・?

 そんなわけで、「雲南ノート」はこのような序文を書いてきた時点で、暗礁に乗り上げてしまった。旅行出発前にこの部分をアップしてみようと画策していたのに、見事に肩を透かされてしまったのである。旅行記の序文だったはずが、困惑記に早変わりとは。

 こういった事情で、僕は現在大変に困惑しているのである。あーあ。

 

2002/01/21

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