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第4日目(8月20日・日曜日)

 さすがに爆睡、7:30に起きたときにはスッキリとしていた。まず朝飯とばかりにホテルのレストランでの和食ヴァイキングで、しこたま食べる。やっぱ日本人の朝飯はご飯に味噌汁。納豆に玉子にひじきに海苔!その他幸せなほどのおかずが並んでいるが、モリモリ食べた納豆の賞味期限が切れていた。

 この日は1日移動日、新千歳空港で夕食をみんなで食べて解散、という段取りだ。「帯広の六花亭本店でバターサンドを買いたい」という私利私欲に走った意見が採用され、全員でバターサンドの買い付けをする予定である。1人は釧路から帰京してしまう(釧路空港17:30発ANA746便羽田到着19:10)ので駅前で別れ、レンタ車を返してTs車に5人乗って出発した。釧路から帯広まで2時間ほど、その途中の浦幌付近で、Ts車の積算距離が123456kmを記録し、ちょっと感動する。

 お昼に帯広に着いた。目指す六花亭本店はすぐにわかり、さっそく入ってみる。すると、お土産用にいろいろな商品が並び、しかもコーヒーがフリードリンクとして置いてあって、買ったそばでムシャムシャ食べられるようになっている。店内をしばし物色し、とりあえず2階の喫茶室へ。やたらと混んでいてだいぶ待ったが、お昼時なのになぜかみんな甘いものを頼み、モリモリ食べる。その後でバターサンドなどを買ったのだが、僕はどの店鋪でも手に入るというわけではないという“醍醐”というお菓子を、その場で1コだけ買って食べた。要冷蔵かつ賞味期間が短いので、東京に持って帰るのが面倒に思ってしまったのだ。レアチーズケーキの風味豊かな“醍醐”・・・まあ、帯広に行く機会があったら食べてみてくださいな。

 帯広を出て15分後、どういういきさつだか御影という無人駅に向かい、列車の撮影会となった。たまたま、もうすぐ鈍行の気動車(キハ40単行)がやってくるから撮影しようぜ、くらいのノリだったような気がしてならない。難なく撮影が終わると間もなくこの駅を「スーパーおおぞら」が通過することになっている。電車組が2日目に乗った特急、JRでも屈指の快速を誇っている。時速130kmで通過するはずなのでガンバって狙ってねと、カメラ持参の人々をけしかける。駅の向こうの踏み切りが鳴りだした。遠くの方から、列車の接近音が近づいてくる。姿を現した「スーパーおおぞら」は全力疾走、目前を轟音を上げて通り過ぎてゆく。みんなが口々に言えたことは・・・「速っ!」。

時速130kmで疾走する「スーパーおおぞら8号」(撮影・Oさん)

御影駅前のメインストリート。(撮影・Sさん)

 

 2日目と同じく、日勝峠を越える。運転は峠大好きの僕だが、この日は5人乗車かつ荷物満載なので、ちょっと勝手が違う。Ts車のエンジンはいまにも爆発しそうだ。エンジン回転がすべてタイヤの方にいってしまっているようで、エアコンがまるで効かない。かと言って、冷房設定を最強にすると寒い。では窓を開ければよいではないかと言われそうだが、すると目の前に大型トラック、排気ガスがとても臭い。つまり、暑い・寒い・臭いの3重苦だったのだ!

 車内がサウナのような車で無事に日勝峠を越え、「道の駅 樹海ロード日高」で休憩する。去年も休憩した道の駅なのだが、この道を走ると他に休憩場所の選択肢がないので、どうしても寄らざるを得ない。でも、峠越えには1時間くらいかかっているので、やはり休憩は重要だ。 北海道ではついつい長距離ドライヴをしてしまうが、僕たちは職業ドライヴァーではなく、運転はどこまでいっても素人なのだ。

樹海ロード日高(この日も写真が少ないためムリしてます。撮影・Sさん)

 

 日もそろそろ傾きはじめたころ、Tsの運転で車は夕張に向かっていた。ここでも、どういういきさつだか忘れたが、ちょうどこの時間に夕張から千歳方面への鈍行列車があることがわかった。そろそろ車にも飽きてきたので、僕は列車に乗るよと宣言、新夕張駅ではタッチの差で間に合わなそうなので、次の十三里駅に先回りすることにした。車は2駅先で待っててもらうてはずにして。

 ホームはそこそこきれいで、跨線橋はけっこう汚れた十三里駅。国道のすぐ隣である。車がビュンビュン行き交ってはいるが、人の気配というものはない。その途端、いきなり人の声が誰もいない方向から聞こえてきた。ゾっとしてふりかえると、列車が3分遅れていることを知らせるご案内である。バカみたいだが、無人駅でピンポンパンポンもなくいきなり放送が始まったら、誰だってビックリするよ。

鈍行の前に通過していった貨物列車。ソフトフォーカスで撮影したため、ちょっとメルヘン。

 

 17:35、夕張発千歳行き2638D(キハ40単行)がやってきた。車内はもちろんガラガラ、しかも乗客はあきらかに鉄だらけである。そんな列車に、絶対に乗降客がいないような無人駅から手ぶらで乗った僕、さぞ奇異の目で見られたことだろう。そんなことはお構いなしに、1両のキハ40は石勝線を快走する。

これまたソフトフォーカスで撮影したキハ40。十三里駅にて。

 

 みんながカメラを構えているのが見え、列車は川端駅に滑り込んだ。列車の旅はわずか9分、料金は260円。運転士は僕みたいな手合いはいくらでも見てきたのか、十三里から川端までという無気味な区間を乗車した僕から、ごく普通に料金を受け取った。降りて行くと、みんながニヤニヤしている。こっちだってニヤニヤするしかない。

 ここからの運転は、Sさんに白羽の矢がたった。今回の旅行で初めてハンドルを握るSさん自身、ペーパードライバー以下の“チリ紙ドライバー”を自負し、しかも眼鏡を忘れている始末。それだからか、運転は安全そのもの。北海道は初心者に優しかった(なんのこっちゃ?)。

 19時ちょっと前に新千歳空港に到着した。みんなで揃ってする最後の夕食、僕は今回の旅行で食べそびれていた豚丼にした。それよりも、やっぱりビール!僕は2日後にブータン旅行に出発するのだが、それでも“一区切り”として飲んでしまった。食事が終わると解散だ。Tsは札幌市内の自宅へ車で、相棒Tは夜行列車「はまなす」で陸路帰途に。本当に、今回の旅行は“現地集合・流れ解散”なのだ・・・

 残ったのは3人。しかも、これも2人がJASで1人がANAとに別れるのだ。出発時刻と目的地は一緒なので、時間まで交互におみやげ屋を冷やかす。僕は牛乳と飲むヨーグルトとじゃがいもを宅配便で自宅に送った。今回の旅行で、僕はここまで何もおみやげらしきものを買っていなかったから、これで本当に東京に帰るんだ、という気がした。

 僕たちが乗ったJAS122便(機材はA330)は定刻に離陸した。窓から、僕たちの便のすぐ前に離陸したANA機が見えたので、きっとANA組(1人だけど)はあれに乗っているはずだ。幹事として、離陸の確認が取れただけでうれしい。もっとも、乗り遅れてたって知らないけど・・・

 去年のような落雷もなければ、気流の悪いところもなかった。飛行機は順調に飛び、羽田に着いたのは予定より5分早く、22:50のことだった。めでたしと飛行機を降り、ANA組と一緒に帰るべく合流すると・・・ANA利用は1人のはずなのに、こっちに2人でやってくるぞ?・・・!!なんと!!今朝に釧路駅前で別れて、釧路空港から羽田に戻ったはずの人がいるではないか!なんと、冗談で言った「羽田で待っててね」という言葉を律儀に(?)守り、19:10から延々と待っていたのである。なんて男らしい!こうして、今年はノーマルに終わるはずだった北海道旅行は、1人の活躍により一風変わったアブ・ノーマルで終わった。

 


あとがき


 今年は、ちょっと「北海道ノート」に変化を加えてみた。さすがに3年連続3回目ともなると、多少手を加えたくなるのは人情というもの。題材として扱っているのが北海道という、行こうと思えば気楽に行ける場所であることも手を加えた理由の1つかもしれない。北海道は未開の、誰も知らないような場所ではない。ひょっとしたら、誰もが知っていることを長々と書いているのではないか?ということを思ったりもした。そこで、今回は参加者の面々が撮影した写真をメインに、文章を減らそうと思ったのである。

 ところが、そう簡単に話は進まなかった。写真班の面々に気に入った写真がないと言われたのはカワイイほうで、肝心の写真を撮ったはずの人と連絡が取れなくなり、原稿の完成が大いに遅れた。写真を見てから原稿を書こうと思っていたからである。まあ、年内に書けただけよしとすることもできるのだが・・・

 妙な話が長くなってしまったが、とにかく例年のごとく楽しい旅行になったのは間違いない。例によって、はぢめ君とまさき先生に謝意を表して、代表していただくことにする。感謝している。

2000/11/16

 

2000北海道ノート・完

 

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