プチ北海道ノート


 

 人生最大の愚挙である。今年も例によって北海道に行くことにしたのだが、水曜の最終便で出発し、翌日の最終便で帰ってくる、という愚かさ。北海道内滞在時間はもちろん24時間以下なのに、コスト・パフォーマンスに至っては何の考慮もされていない。たかだか1泊2日で、4万円近い旅行費をねん出しなければならないのである。いくら旅行に出たいからって、それはないだろうという気がとってもする。もちろん、最初からこんな暴挙に出るつもりはさらさらなかった。「引っ越しを手伝ってくれたお礼をしたいから自腹で来い」という網走のTsの希望に応え、接待をしてもらいに(笑)数日は滞在するつもりだった。ところが、書くと長くなるので豪快に端折る事態が起こってしまったがために、ほぼ日帰りの1泊旅行を余儀無くされてしまった。ならば“毒食らわば皿まで”と思ってしまったのが失敗のはじまり、“金に糸目をつけない”ような旅となってしまったのである。

 さて、今回の訪問地は“道東”、特に知床半島がお目当てである。どうしても鉄道を中心に旅行してしまったため、鉄道がない場所は後回しにしてきた。それに対する自省の念、ってほどでもないが、せっかくTsが網走にいるのだから、その近くにある自然の宝庫(と言われる)知床に行ってみたかった。見たい場所はまさにピンポイント。それだけのために(そういうハメになってしまったのだが)、北海道に渡ることにした。

2001年7月18日(水) 快晴

JAS123 羽田(2005)→新千歳(2133) A300-600R

 とっても暑かったこの日、僕はハードな一日を送っていた。午前中は期末試験とレポート提出、午後は自宅で掃除をこなし、夕方から書道の展覧会提出用作品の選別をした。その書道教室から羽田に直行したのである。そんな一日だったので、空港のレストランで開放感にひたりながらビールをあおるのは当然の所行だ。機内ではさすがに水を飲んで、(一応)水分補給をする。外はちょっと雲が多いが、その合間から南に向かう飛行機の光が見える。もちろんかなり遠い位置なので、ニアミスなんてことはないけれど。
 ところで、日本地理に明るい方(もしくは北海道方面にお住まいの方)は、あれ?と思われただろう。1泊で道東に行くのだから、釧路なり、女満別なり、根室中標津なりの空港へ飛ぶ、というのが常識であろう。ところが、夕方以降に羽田を出発するとなると、まったく安い航空券がない。安く行きたくても設定自体がないなら、3万5千円以上のビックリ定価を支払わなければ、道東に直行できないのだ。そこで、はたと考えた。どうせそれだけの料金を払うなら・・・ということで行き先が新千歳空港、しかも割引の航空券で。それから夜行列車で道東に向かうのだが、その電車賃を含めても、直行する航空運賃とでは料金的にトントンとなるのである。1回やってみたかったプランではあるのだが、コストパフォーマンスには優れない。

新千歳空港(2153)―札幌(2233) 3977M 快速エアポート215 新千歳空港→札幌
 この後に乗る釧路行き夜行が札幌始発なので、せっかくだからと札幌まで移動してみた。南千歳で乗る予定の夜行を待ってもいいのだが、待ち時間がとても長くなってしまうという事情もあった。そんな車内では、東京からやってきたらしい娘が携帯でピーピー喋っている。
 「光が少ない〜!暗い〜!建物が低い〜!北海道って〜、ホントに人なんか住んでんのかなぁ〜?」
 あんた、この車内に何人の北海道民がいると思ってんだい?

札幌(2300)→釧路(550) 4013D 特急まりも 札幌→釧路
 札幌駅でしばし写真撮影ののち、特急「まりも」に乗り込む。つい6月末までは、釧路行き夜行特急は「おおぞら9号」という名前だったのだが、ダイヤ改正を機に以前の列車名が復活したのである。もっとも、僕は別に列車名に愛着はないのだが。

札幌駅で出発を待つ特急「まりも」

 

 それよりも楽しみなのは“寝台車”である。この列車には寝台車が2両ほど連結されていて、まさに“乗ってみたかったから”という理由で寝台券を購入しておいた。寝台車そのものには、スキー専用列車「シュプール」でお世話になったことがあるのだが、あのときはとてもせまっ苦しい3段ベッドだった。それが、今回はゆったり2段ベッドである。上段のベッドで上半身がキチンと起せるのがうれしい(注・3段式ではムリ)。さっそく備え付けの浴衣に着替え、しばし通路に座ってビールを飲む。真っ暗な車外を見ていると、定刻の24時ちょうどに追分駅に着いた。誰も乗らない。誰も降り・・・た。たった1人降りた。なんと、車掌さんである。車掌さんは駅の正面のドアを閉め、ホームと駅舎の境のドアを閉めた。戸締まりのための停車・・・?
 追分駅の先は、本当に真っ暗となる。窓の外を眺めていても仕方ないし、明日は6時前にこの列車を追い出されてしまうのだから、そろそろ寝なくては。こうしてベッドに向かったのだが、あれ?身長175cmの僕が寝台に横になると、足がつかえてしまう?。まくらの位置を調整し、足を伸ばす方向をかえ、なんとかつかえないようにはできたが、これが身長180cm強の人だったら、どうにもならないはずだ。製造されてからずいぶん経った客車寝台車、乗り心地自体は悪くないが、足がつかえるなんてことは、最近になって製造された寝台車では経験はできないのかもしれない・・・あんまり経験したくないが。
 ところで、網走に行くのだから、網走行き夜行「オホーツク9号」をなんで利用しないのかという当然のツッコミがあるだろうが、これは札幌発22:04という時間のため、時間的に間に合わないのである。もっとも、間に合っても利用しなかっただろう。なるべく遠回りがしたいから、という救いようのない個人的事情もあるのである。

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7月19日(木) 霧→晴れ→曇り→晴れ

 寝たり起きたりをちょこちょこ繰り返したような気がしたが、とにかく5:27にぱくっと目覚めた。そのまま顔を洗いにいったら、外は真っ白、霧の中である。どこかの駅を通過しているのだが、メガネを寝台に置きっぱなしにしていたので、どこだかまるで見えない(どうやら庶路駅通過中だったらしい)。釧路に近づくにつれてだんだん霧は晴れてきたが、視界良好にはやや遠い。そんな中、釧路には定刻に到着した。さすが釧路、けっこう涼しかった。


釧路(559)→北浜(901) 4726D 釧路→網走
 5両編成だった特急から、わずか1両の鈍行に乗り換える。支線がすべてなくなってしまい、特急も急行も走らない釧網「本」線。しかし、知床斜里からはオホーツク海のすぐ脇に線路が敷かれているので、イヤというほど海が見られるはずだ。それを楽しみにしての乗車である。ところが、釧路では空いていた車内だが、すぐに通学する高校生が乗ってきた。それが、どいつもこいつもしょーもないヤツらである。ケータイでずーっと喋っていたり、MDからシャカシャカ音をまき散らしていたり。日本国内のどこにでも、このテの輩は繁殖しているようである。

 列車は標茶に着いた。対向列車との交換のため少々停車する、とのこと。ホームに降りてみると、向かいのホームには釧路行きの列車を待つ人の列があるのだが、その向こうには・・・“標津線起点”という案内板がある。標津線が廃止されたのが1989年だから、もう12年も前のことになるのだが、時の流れのせいだろうか、なんだか墓標のように思えた。

標茶駅にて。右側の看板は「標津線の歴史」というもの。



 曇っていた空から薄日が差しこみ、そのうちに真っ青な空が広がってきた。摩周駅を過ぎたあたりからだ。いくら“霧の摩周湖”だからといって、摩周駅を過ぎた途端に、これ見よがしに晴れてこなくてもねと思うが、このあたりが釧路と網走との分水嶺となっているので、天候が一変するのも当然の話。そのうちにピーカンとなり、緑に囲まれた森の中を、列車は順調に走ってゆく。

 間もなく知床斜里というときに、旧根北線の跡が見られないか注視してみたのだが、どうもよくわからなくなっている。3年前には“なんとなく”だがクサいポイントを発見できたのだが、今回はまるでわからない。キョロキョロしているうちに、知床斜里駅に着いてしまった。

 この先は、モロにオホーツク海に沿って線路が敷かれている。潮風にやられて線路が錆びたりはしないのかな?というよけいな心配もしているのだが、もちろん何の問題もなく列車は進んでいる。天気晴朗、海はおだやかそのもの。これが、4ヶ月前に氷がぷかぷか浮いていた海とは思えない。進行方向から振り返る形となるのだが、これから行ってみる予定の知床半島が見える。列車は知床からはだんだん遠ざかっていっているのだが、いきなり最寄り駅から乗り込むのではなく、その全貌(オホーツク海側の半貌が正確か?)をまず見ておきたかったので、わざとTsとの合流地点を、ちょっと離れた無人駅の北浜駅に設定しておいた。もうひとつ、なんでそんな駅を指定したかというと、この駅は“もっともオホーツク海に近い駅”だからである。だって、駅の向こうはもう砂浜なのだから。いよいよ知床だぁ、というお子さま的盛り上がりを大いにしたところで、北浜駅に到着した。降りたのは僕1人だけだった。

北浜駅ホームにて、僕が乗ってきた列車を撮影。右はもうオホーツク海。

北浜駅舎。奥がオホーツク海。

 

北浜駅前―知床大橋
 Tsの愛車で、北浜駅前を出発する。知床まではほとんど1本道、1時間ちょっとで着く計算である。海は穏やか、天気良好で暑いくらいという絶好のドライブ日和。あれこれと話がはずむうちに、ウトロの手前にあるオシンコシンの滝に到着する。国道のすぐ脇に、かなりの水量がダイナミックに落ちているのである。「これから知床ですよ」という表札代わりのような気がしたのだが、これはあまりにも考えが飛躍しすぎだろうか。観光客も多く、撮影に苦労する。

すぐ国道脇にある。案内板・駐車場・売店もあり。
撮影はTs君(僕カメラ故障のため、彼が一緒に撮ったものを使用)

 

 ウトロの街を通過し、いよいよ“濃い”知床へ、となるのだが、ここで僕がなんでまた知床知床と言うのかを簡単に説明したい。知床半島が北海道のどこにあるのか、それはみなさんで把握していただきたいのだが、地図を見てみれば、その不思議な地形が一発でわかる。すなわち、細っこい半島なのに、1500m級の山々が連なっていてやたらと急峻であるということ。さらに、半島の半分から先には、どうやっても行けないことが理由である。どうして行けないかって?その答えは
 1 熊だらけ。
 2 自然保護を日本で一番推し進めている(と新聞に出ていた)。
 3 そもそも道がない。
という3点なのだ。つまり、知床をディープに知りたいなら、ナミの探検家以上の装備をしないと、知床に受け入れてもらえないのだ。知床とは、アイヌ語で「地の果て」という意味なのだそうだが、そんな知床に一般観光客の僕などは、立ち入りできる限界まで行ったとしても、しれとこの“し”の字しか知ることはできないだろう。だから、よけいに“し”の字に何があるのかを見てみたいのである。

 車は知床自然センター前から、知床五湖方面にすすむ。この道は、7月下旬から8月中旬までの観光シーズンには一般車両通行止めとなってしまい、バスを利用せざるをえなくなってしまう道である。奥に行っても広い駐車場があるわけではないので、ちょっとしたことで車だらけになってしまうからだろう。自然保護の観点からの入山規制だが、かなり徹底している。しかし、それくらいやらなければ、日本国内で自然を守ることなんてできないのかもしれない。とにかく、規制は7月28日から(8月19日まで)なので、僕たちは遠慮なく車を進められるのである。

 知床五湖直前から知床大橋に向けて進路を変えると、道が未舗装になった。でこぼこあなぼこだらけの道を走ること20分、カムイワッカ湯の滝入口に到着。いったん通り過ぎて、そのまま知床大橋へ。すると、未舗装の道の先に、沢からかなりの高さ(案内板によると60m)に立派な橋がかかっている。知床大橋、一般人が立ち入れる限界の場所である。車から降りて歩いていくと、立派な橋だからヘンな心配をすることはないのだが、なかなかの高さだ。深山幽谷を分け入った奥にある立派な橋、これが環境保護?という気がしないでもないが、道と橋はこれしかないのだ。で、橋の先にも道が続いているものの、頑丈なゲートががっちりと閉じられていて、冗談でも入れない。そこに警告板がある。「この先、熊の高密度生息地域につき、入山を禁止します」!人里を完全に離れてしまっているので、熊よけの鈴をつけていても熊が逃げないのだそうだ。通常、人間は自然を征服しようとしている点がまま見受けられるが、ここでは人間が自然に対して最初から勝負せず、そっとしておこうよ、という姿勢を見ることができないだろうか。普通に考えれば、どんなにがんばっても自然には勝てないのだけど。と、突然背後の茂みからガサガサっという・・・ウソです。熊には出会わなかった。

 カムイワッカ湯の滝入口まで数分戻る。“湯”、すなわち、温泉が滝になっているのだそうな。だそうな、というのは入口から30分ほど川の中をじゃぶじゃぶ歩かなければ、滝に着けないということ。滝つぼが露天風呂になっているそうだが、硫黄で赤くなった川底を30分も歩くのは厳しい。川歩き用に貸しわらじなんてのも出ていたが、そこまでするのもなんだということで行かなかったが、惹かれる部分ではある。ヘンな遊歩道が整備されてないのはうれしくもあり残念でもあり。
知床五湖
 再び未舗装の道を戻り、今度は知床五湖へ。こちらは、未舗装の道から鋪装されている道に復帰してすぐに駐車場やレストハウスがあって、そこから歩いていくことになる。全部まわると80分だそうだが、一湖と二湖(ちなみにこの湖は、それぞれが一湖・二湖・・・五湖という便宜的につけられた名称である)だけを廻るお手軽コースは40分だという。それくらいなら散歩がてらに行ってみようぜということになったが、入ろうとすると「三湖から五湖までを周遊される方は、熊よけの鈴をお持ち下さい」という案内板を発見。さらに「三湖から五湖は熊出没中につき、立ち入り禁止」と、遊歩道入口にロープが貼られている。よく北海道土産に見かける「熊出没注意」というステッカーが、ここではホントに通用する世界なのである。
 一湖まで20分という案内だったが、ほんの10分弱で着いてしまったような気がする。しーんと静まりかえった山の中、聞こえるのは風が木を揺らす音だけである。きれいなのだが、こういう風景を言葉で描写できないのが残念だ。美しくないものを表現するには、いくらでもけなす言葉がある。ところが、静まりかえった森の中の湖の情景を表現するには・・・?少なくとも、よけいな考えが何も浮かばなくなる情景である。

静か〜な一湖(撮影はTs君)

 

 二湖はそこから歩くことやはり10分弱、こっちは木が多くて撮影しづらい環境だったのだが、やはりしーんとしていた。なお、ここに行かれる方は「普通の運動靴」くらいは履いていってください。ヒールのあるサンダルを履いていて転び、かなり血まみれになっているおばさんを見かけたから。

木の間から見える二湖(撮影はTs君)

 

知床峠―羅臼⇔相泊
 国道に復帰し、知床峠を超える。ウトロから距離にして10kmほどだと思うが、標高700mほどまで一気に上り、頂上から一気に下ることになる。外気温もどんどん下がって16度ほどになった。とはいっても、天気が良いので暑いくらいだ。そのままいったんオホーツク海とお別れして、根室海峡方面に移る。すると、眼下は雲に覆われていた。一つ山を越えただけであからさまに違う気候、日本もスゲエなってことが、目の前で体験できるのである。余談だが、この道は大雪で冬期閉鎖されてしまう。それも、11月から5月の黄金連休まで!
 山道を下り、雲海の中に突っ込む(かなり言い過ぎ)。北海道の峠の割には、なかなかえげつない道である。一気に駆け降りて海にぶつかったところが、昆布で有名な羅臼の街だ。まずは国道沿いにある道の駅で昼食休憩をすることになった。窓際の席に案内されたので海の方を見ると、すぐそこ、という位置に国後島が見えた。距離にすれば20km以上あるはずなのだが、大きな島なので、船でちょっと行ったら着いてしまうように感じる。そう、すぐそこはロシアなのだ。こっちは注文したメシ(ちなみにトドの鉄板焼定食を頼んだ)がすぐに出てきて、酒もタバコも買おうと思えばすぐに買える。車だって、そこらへんをぶんぶん走り回っている。ところが、国後では・・・?これほど日本国内で“外国”を感じられる場所は、ないのではなかろうか。肝心のトド定食だが、もとはかなり臭みのある肉なのだろう。それを味噌ベースでしっかりと焼いているので、臭くはないけれどちょっと味気ないかな、という気がした。

 食後、今度は根室海峡側の知床のどん詰まりである、相泊に向かった。時間にして20分ほどだが、右手にはずっと国後が見える。国後はけっこう大きな島で、けっこう高い山もあるため、択捉はまったく見えない。そんな道をひたすら走る。ガソリンスタンドがないのに、ホクレンのタンクローリーが走っている。どうやら、船への給油のようだ。
 どんどん人気がなくなってきた。民家のようなものはあるのだが、どれも漁師さんの作業小屋のようで、民家ではないようだ。そのまま走ってゆくと、根室海峡側の知床のどんづまり・相泊の集落(?)に着いた。集落に“?”をつけたのは、ここに住んでいる人がいないようだからである。工場が1件、漁師さんの作業小屋が数軒で、道路は行き止まり、その先はホントにばったりと道がなくなっている。海の向こうには、変わらず国後がどーんと見えている。それだけなのである。知床大橋のように「熊出没注意」ってことはないが、味気ないほどの終点、これはこれでさいはて感のつのる場所だ。
 どんづまりから1分程戻ったところには、なんと温泉がある。入湯料無料の相泊温泉だ。波打ち際から10mほどのホントに海岸に温泉が沸き出しているのだが、湯舟は辛うじて周りと上をトタンで覆ってある程度である。男女別だし脱衣場もあるのだが、海に向かう側が豪快に開け放たれている(トビラがない)ので、入浴には少々勇気が必要だ。案の定、女性の湯舟には誰も入っていなかった(男性用は数名が入浴中だった)。

 時間は午後3時を回ってしまった。次の目的地は、根北線廃線跡を訪ねて越川まで行くのだが、ちょっと距離がある。羅臼からいったん標津町方面に向かい、国道244号線で根北峠を越えるというルート、Tsは2時間かかっちゃうかも?と言う。そこで僕がちょっくら急いで運転する。まあ、通行量はめっぽう少ないので、いくらでも時間は稼げるのだが・・・こうして運転すること80分、あっさりと根北峠を通過して、越川方面に車を進めた。
越川付近
 目の前に、国道をまたぐれんが造りの高架橋が見えてきた。Tsが着いたよ、という。これが根北線の廃線跡・・・?ではない。実は、「廃線にすらなってない橋」という微妙な遺構である。というのも、根北線について簡単に説明しなければならない。根北線は斜里(現・知床斜里)駅から越川まで、12.8kmほどのローカル線だったのだが、さらに根北峠を越えて根室支庁に入り、根室標津までの路線として計画された路線であり、越川までは先行開業した部分なのである。その先、越川から根室標津までの区間も一部は工事が着工されたのだが、結局完成せぬまま根北線自体が廃止されてしまった、という経緯をもっている。このように「工事はしたけど完成しないまま」という路線は全国で散見され、国鉄→JRでは工事が完成せず、民鉄が工事路線を引き継いだ上で路線を完成させて開業した例はいくつも(北越急行・六日町→犀潟、智頭急行・上郡→智頭などが有名。どちらもJRの特急が乗り入れる)ある。国鉄の路線計画がずさんだったんじゃねえの?という批判はともかく、1970年に廃止された根北線の場合、実際に列車が走っていた旧道床は、畑などに整地されて見つけづらいのだが、列車が走らなかった高架橋が現在も残っているというのは、運命のいたづらというべきだろうか。けっこう有名な鉄道遺構なので、きちんとした案内板も立てられているほどである。ただ、山あいの国道を堂々とまたぐ高架橋なのに、その橋を目の高さで見られる位置に移動してみると、いったいどういう線路の敷きかたをしようとしていたのか、理解できない。というのも、周囲は広大な畑になってしまっていて、整地しなおした可能性が大いにあるため、線路をどう敷こうとしていたのかがわからないのだ。大きな弧を描いた堂々たる橋なのだが・・・
(撮影するもカメラ故障のため画像なし。後編にて念願の画像をアップしました)

 走ること数分、越川の集落に入った。広大な農地が広がり、「北海道!」といった風景が広がっている(今、みなさんが頭の中に描いたイメージであってます)。しかし、旧越川駅跡がわからない。国道沿い?それとも?道床跡も探すが、まるで見当たらない。以久科(いくしな)付近で「それっぽい」あぜ道だとか、打ち捨てられたまくら木を発見したので、ここが道床跡だろうという見当がついた場所もあったのだが、まさにピンポイントでしか判別できない。駅の遺構など皆目見当がつかないのである。ただ、それも仕方ないのだろう。僕達が産まれるはるか前、もうすぐ三十三回忌を迎えようという廃線跡を探しているのだから。

 そうこうしているうちに、日が傾いてきた。時間は午後5時をまわり、そろそろ撤収時である。それでは網走市内のTsの家に・・・行かない。このまま女満別空港に直行し、東京に戻るのだ。実は、翌20日から高校時代の同窓会風仲間内旅行があり、僕もTsもその面子なのである。つまり、僕は網走までTsを“迎えに”行ったわけだ。そんなわけで、2人揃っての帰京となるのである。越川から女満別空港までは40分ほどで、まったく余裕を持った時間に空港に到着。お土産屋を冷やかし、レストランでビール!昼食が遅かったので、料理はちゃんちゃん焼き(単品)とたまねぎスライスだけにしたのだが、なぜかビールが進む。中ジョッキをあっさりと飲み干し、オホーツク地ビールに手を染めたところで、なんと18時半がラスト・オーダーだって!そりゃあ、僕たちが乗る19:15発の便が“最終便”だけどもさ・・・レストランを出ると、すでにお土産屋のシャッターは閉まり、電気も消えていた。
 サテライトに進むと、僕たちが乗るはずの折り返し羽田行きとなる便が遅れていて、出発が20分遅れます、とのこと。このスキに売店でサッポロ・クラシックを買い、さらに飲む。出発前から完全に出来上がりの、酔っぱらいコンビである。Tsはビールでお腹がガボガボになってしまった。

JAS188 女満別(1935)→羽田(2128) A300
 離陸すると、もう間もなく夜の8時だというのに、日が残っていた。雲が多いのだが、夕焼けがけっこう見える。自分は北の大地にいるんだな、という気がいっそうしたが、これでまたしばらくお別れだ。
 なんて感傷(というほどでもないが)にひたっていると、機内サーヴィスが始まった。すると、てっきりないと思っていたアルコール類の販売があるではないか!Tsはお腹ガボガボだと言っていたし、もう覚ましに入っているからコーヒーでもと思ったら、Tsは復活していた。結局、2人でワインを酌み交わす。すると、客室乗務員のおねーさんがTsのところにカードを持ってやってきた。バースデー・カードだ。それは、僕たちがJASの今年度の目玉サーヴィス「バースデー特割」を利用していたからである。お誕生日付近の2週間は、本人と同行者1名に限って1人全便1万円ポッキリという豪快な割り引きで、女満別から羽田まで、本来なら2人で7万円が必要となるのだが、タイミングよくTsの誕生日付近ということで、2人で2万円での飛行機利用をしていたのである。そんな格安旅行なのに、客室乗務員さんは直筆のバースデーカードを持参してくれたのだ。何度もそれを見てニヤけるTs。
 羽田に着くと、またしてもバスゲートである。女満別なんていうシブい空港から飛んできたせいだろうか?バスでチンタラ移動し、そのまま京浜急行へ。どうせTsとは翌日から再び旅に出るので、お疲れ会もなにもせず、あっさりと別れた。

 こうして、僕の今年の北海道ノートは、わずか1泊2日の“プチ”旅行であっさりと終わ・・・らない。7月18日から19日までの旅はそれで終わるし、翌日からの同窓会風旅行は、あまりに内輪の会なのでここには書くつもりがないのだが・・・
 実は、ちと魔が差してしまって、9月にも北海道旅行を予定している。やっぱり1泊2日で・・・!そんなわけで、これまでで「プチ北海道ノート・前編」が終了したわけである。後編では、再びマニアックな旅を予定しているので、お楽しみに。



2001/08/20

後編につづく

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