第3日(2月24日・火曜日)


大分(614)―日田(837) 1832D 大分→日田

 なぜか5時半などという時間に起きてしまった。朝イチ列車にするか、8時過ぎの特急にするか決めかねていたのだが、こんな時間なら朝イチで決定だ。人影がほとんどない大分駅を出発した久大本線の鈍行は、数名の乗客でコトコトと走り出した。ディーゼル音がとても身軽に聞こえて心地よい。逆に豊後国分すれ違った大分行き朝イチ列車は、通学の高校生で満員である。エンジン音が苦しそうだ。

 2両のキハ125は、夜明けとともに順調に西進する。すっかり明るくなった南由布付近では霜が目立ち、川から湯気が上がっているのが見える。標高が上がるに連れて気温が下がってきたようだ。列車は間もなく由布院に到着した。途中下車して温泉なんてのも乙だなぁ。由布岳が見えたときはちょっと心が動かされたが、火山フェチの僕としては活火山でないとダメなのである。由布院駅のホームにある足湯にも心が動かされたが、僕はどっぷりと湯船につかれないとダメなのである。まごまごしているうちに列車の出発時間になってしまい、運転士に乗車を促されてしまった。

由布院駅前から由布岳を望む


由布院駅1番ホームのはじっこにある「足湯」


 豊後森では、線路際に扇形車庫と転車台の廃墟が見られる。要するに、今は使われなくなってほったらかしにされているわけなのだが、あまりにも崩れそうで危なっかしい。まさかファンが入り込むとは思えないのだが、最近のファンはムチャクチャなことを平気でやりやがるからな……などと考えていたところで、まだ車内に高校生がいることに気がついた。そろそろ遅刻じゃないですか?

 日田はものすごく寒かった。ホームの寒暖計を見ると、見事に「1度」である。オイオイ、ここは3日前に気温25度の夏日になり、2月の観測史上最高気温を更新したばかりじゃないか。ふるえながら、やっと買い込んだ朝飯のサンドイッチを食べる。ふるえているのは寒さばかりでなく、間違って買ってしまった冷たい缶コーヒーのせいだろうか。



日田(923)―久留米(1030) 1836D 日田→鳥栖
 2両のキハ125は、まずまずの乗車率だった。相変わらず高校生がけっこう乗っている。部活の試合か?こんな時期に?……わかった!受験生だ。明日は国公立の前期試験、早めに受験会場となる場所に移動するのだろう。僕の側に座った女子高生軍団が、受かったらどうしようか、一人暮らしって心配だよね、その前に卒業式だねぇ、とお喋りに余念がないのでハッキリしたのだが、誰も参考書を開いていないので心配である。これだけの人が東京まで行くのだろうと僕は勝手に思っていたのだが、これがみんな熊本大受験生か鹿児島大受験生だったら?次に乗る西鹿児島行き特急が思いやられる。

 列車は田園風景の中を久留米に向かって西進する。時期が時期だから、作物はあまり植わっていないように見える。もっとも、何か植わっているところで僕にはそれがなんだかわからない。先達こそあらまほしけれ。



久留米(1032)―西鹿児島(1352) 7M 特急つばめ7 博多→西鹿児島
 久留米駅で乗り換えダッシュをしたのもまったく無意味なくらい、特急「つばめ」は混んでいた。盆か正月ではないのに、とにかく人・人・人!乗車してもデッキまでしか入れず、大牟田でやっと車内の通路へ進入するも、もちろん座れない。西鹿児島まであと3時間弱、そんなに立つのは勘弁だ。熊本で誰が降りるだろう?受験生だらけだが、よく見ると参考書を熱心に読んでいるのとそうでないのとがいる。む!きっと参考書を読んでいるのが熊本大受験生だろう。こういう一生懸命なヤツが、旧制五高の流れを組む名門を受験するに違いない。僕の読みはピタリと的中、参考書を読んでいた連中が熊本で全員降り、読んでいない連中は全員残った。僕も見事に座席を確保する。

 座ったまではよかったのだが、列車はいまだに混んでいるので、まったく立ち歩く気にはなれない。そんなところで問題が2つ起こった。一つは車内販売が来ないのだ。混みすぎて検札もできない状況だから、車内販売ができる状況ではない。こちらから買いに行けばいいのだが、こんな人混みをガサガサかき分けて買い物に行く気なんて起きないし、喉もお腹もなんとかガマンできそうだ。それよりも、もう一つの問題は深刻である。座席で身動きが取れないのだ。剣道の大会帰りと思われる隣の高校生が大荷物をそこらへんに置いていて、足を組むどころかピクリと動かすスペースも与えてくれていないのである。邪魔だから網棚に上げてほしいのだが、これだけデカイと上げようがない。かといって通路は人が立っているのでそっちには置けず、結局僕の足下を浸食しているのである。列車の中でエコノミー症候群直前だ。

 イライラしているうちに列車は八代にさしかかった。真新しい新幹線の橋脚が見え、在来線から新幹線にアプローチする取り付けも完成している。九州新幹線開業まで20日ほどだから、あとは開業を待つばかりなのだろう。好きが高じて鉄道技術者になってしまい、九州新幹線を作ってきましたと画像を送りつけてきたある後輩のことを思い出す。

 水俣の先しばらくと、阿久根からしばらくの間は東シナ海に沿って南下する。遠くに見えるあの島はいったいなんという島なのだろう?九州は島だらけなのでまったくわからないし、地図をよくよく読んでもまったく覚えられそうにない。それでも、車内から海を眺めるのは楽しいものだ。暖かな日差しに、背の高い椰子の木が映える。やはりここは南国なのだ。

東シナ海と椰子の木を、車内から手抜き撮影。


 伊集院を発車し、西鹿児島までのラストスパートである。あと10分ほどで到着ですというアナウンスがあった直後、ふいに列車がスーッと停車した。止まったときは気にもとめなかったものの、信号停車にしてはなんだか動き出しそうな気配がない。すると車掌から、パンタグラフにビニール袋がひっかかりました、その撤去中ですというアナウンスがあった。確かにさっきから天井上でどたんばたんと音がする。車内には失笑が漏れる。

 停車して10分以上経った。作業は難航しているようで、パンタグラフを下げる音がしたり、車内灯やエアコンが切られたりしている。ビニールぐらい早く取れよ!と周囲の乗客がブツブツ言い出したところで、結局取れませんでしたというどうしようもないアナウンスがあった。なんとその対策として、ビニールが引っかかったパンタグラフを下ろして使用せず、残りのパンタグラフだけで列車を動かすという。そういうことは可能なのだが、パンタグラフ1つぶんの電気が不足するわけだから、車内の電気システムへの負荷が変わってしまうことになる。そのために回路を変更して車内灯を減灯し、さらにエアコンを切って節電したまま走るとのことだ。JR九州が誇る看板特急「つばめ」はだいぶ惨めな姿となったのだが、それでも走り出したら見事な速度である。こんな速度を出せるならエアコンくらいつけられるんじゃねぇの?という疑問を大いに抱いたところで、列車は20分遅れで西鹿児島駅に着いた。受験生を案内するスタッフの叫び声が響いているホームでパンタグラフを見てみたら、うかつに取ろうとすると感電しそうなくらい巻き付いていた。

西鹿児島駅で並んだ特急「つばめ」。



西鹿児島(1420)―隼人(1451) 6010M 特急きりしま10 西鹿児島→宮崎
 見慣れた485系3連に落ち着くやいなや、ふいにカメラのレンズキャップがないことに気づいた。どうやら「つばめ」の中に置いてきたようだ。ところが、取りに戻ろうにもすでに回送された後なのでどうにもならない。レンズキャップなぞ、買い直したところで安い(300円くらい)ものだから痛くはないが、ボストンバッグ事件はつい昨日のこと、くだらないミスが多いような気がする。

 鹿児島を出てわずか数分、クヨクヨしているところで視界が開けた。列車はいつの間にか錦江湾に沿っていて、対岸には国内で最も活発といってよい火山である桜島がそびえていた。海からどーんとそびえ立つ桜島の標高は1100mちょっとなのだが、遮るものがないためにもっと高く見える。鹿児島のシンボルは煙をモコモコと上げていて、特に活発な状態ではなさそうだが、それでも迫力満点だ。いくら僕が活火山フェチとはいえ、近所にこんな火山がなくてよかったと思う。噴火されたらたまらない。それに比べればレンズキャップなんて小さいこと!

言わずとしれた桜島でごわす。竜ヶ水付近の車内から撮影。



隼人(1454)―吉松(1554) 4232D 隼人→吉松
 隼人から肥薩線に乗り換える。熊本市電と同じく「Y」の字をした路線を、今日と最終日に分けて全部乗るつもりだ。まずは隼人からYの字の合流点である吉松までの往復である。

 列車はキハ40だった。この気動車はさんざん北海道でお世話になった形式なので、懐かしさがこみ上げてくるはずだったのだが、それよりも僕はあっけにとられる方が先だった。ボックスを1つ占領して、死んだように横たわって寝ている女子高生を発見したのである。今までに寝ている高校生はいくらでも見たことがあるが、これほどピクリとも動かずにグッタリと横たわった子は見たことがない。発作で倒れたんじゃないかと心配になるほどである。今日中に起きるのかしら。

 列車は山の中に分け入ってゆく。すぐ近くには鹿児島空港もあるのだが、それを感じさせないほど鄙びたローカル線だ。吉松までは基本的に山登りなので、山の中にディーゼルのエンジン音だけが響いている。民家はそれほど多くないものの、駅ごとに乗客はポツリポツリと降りてゆき、多少あった雑談の声もだんだんとなくなってきた。周囲にはお墓が目につく。

 列車は霧島温泉駅に着いた。数年前に「霧島西口」から駅名改称をした駅だが、なんにもないところである。確かに温泉行きのバスはここから出ているが、温泉まではだいぶ距離がある上に、バスの本数だって多いわけではない。ぶらっと立ち寄ったところで、どうにもならないところなのだ。“西口”とは言い得て妙な命名だったと思うのだが、営業努力という大義名分(推定)から、なんだか個性を奪ったのではないかと思う。ちょっとした憤りを抱きつつ、隼人からちょうど1時間。ほぼ登り続けたディーゼルカーは、やっと吉松についた。爆睡娘も見事に生き返った。よかった!

吉松駅近くに展示されていたSL.。以前はこんな汽車が走っていたのです。



吉松(1626)―隼人(1718) 4237D 吉松→隼人
 吉松からの戻りの列車の乗客は、僕1人だった。しかしここは北海道ではないのだ。駅に止まればそれなりに乗客はあるので、寂しさにかられることはない。それでもお墓が並ぶ沿線はどうだろう、と思う。

 ここでお墓の話をしておこう。この日、すでに熊本付近から気になっていたのだが、九州のお墓はいったいどうなっているのだろう。もちろん見た目は見慣れたあのお墓なのだが、墓石の表面に書いてある文字は金色のものが非常に多い。それが畑の端やら街道沿いやら、普通そこにお墓はないだろ、という場所にある。しかもプレハブの屋根がついているものが多く、駐輪場にお墓が並んでいるようにも見える。そのために妙にお墓が目につくのである。九州はここ数年で開発されたわけではないから、きっとお墓はずいぶん前からその場所にあったはずだ。お墓の周囲が開発(開墾?)されたために、かえってお墓の位置が不自然に見えるのだろうと勝手に解釈したのだが、墓石に刻まれた文字が金色である理由はまったく想像がつかない。行く先々で考えたのだが、結局分からずじまいである。

 隼人ではちょっとだけ時間があったので駅前に出てみると、ヒマそうなヤンキーがたむろっていた。西鹿児島にカリカリした受験生が集結しているのとは対照的である。

隼人駅の駅舎は竹で覆われて涼しげです。



隼人(1740)―鹿児島(1817) 6965M 都城→西鹿児島
 電車の鈍行に乗るのは今日初めてである。さすがに交通の動脈である日豊本線だから乗客は多く、首都圏で列車に揺られているのと気分は変わらない。それでも窓外には桜島が迫っているのがよい。阿蘇山と同じ感想で申し訳ないのだが、これまた桜島を眺めているだけで10日間は暮らせそうな気がする。あの噴気が出ているのが、地球の出口なのだ。

 列車は竜ヶ水に停車した。鹿児島駅の隣、鈍行列車でさえ大半は通過してしまうこの小さな駅は、1993年8月6日に大規模な土石流に襲われたことで知られている。それは日豊本線を44日間も不通にするもので、立ち往生した列車からの脱出劇はNHKの「プロ○ェクトX」でも放送されたほどである。確かに駅付近は海と崖に挟まれ、土地の余裕というものがまったくない。ひとたび雨が降ったら、雨水は山の斜面をそのまま落下するような地形だ。しかも崖は桜島の火山灰を含んだシラスだから脆い。駅の両端にある川(干上がっている)には、かなり大規模な砂防ダムが並んでいるのだが、崖に砂防ダムを造ったようなものだから、どれだけ効果があるのかわからない。駅の側に見える慰霊碑が痛恨である。

竜ヶ水駅ホームにある災害復旧記念碑。実際に流れてきた石が使用されています。



鹿児島駅前―谷山 鹿児島市電1系統
 鹿児島駅で降り、今日も市電(チンチン電車)に乗る僕である。九州三大チンチン電車(3つしかないけど)の乗り比べ気分とともに乗車すると、さすがに通勤時間帯なので車内はとても混んでいた。そのせいだろうか、運転がすごく丁寧である印象だ。路盤もしっかりしているのか、妙な横揺れはほとんどしない。車両自体も比較的新しいため快適だ。また、料金はどこまで乗っても160円均一というのがわかりやすくてよい。市電はしばらく車と一緒に走り、南鹿児島駅前電停から専用軌道に入った。やはり乗り心地はよい。


谷山―郡元―西鹿児島駅前 鹿児島市電1系統→2系統
 谷山から郡元電停まで戻り、2系統に乗り換える。料金先払い+乗り換えきっぷを発行してもらえるというのが、わかりやすくてよい。熊本みたいな失敗はしないぞ……

 郡元でなんだか10分近く待たされ、やっと乗ったのは古い車両であった。長崎市電のようなオンボロ車両だが、それでも乗り心地はいいし、運転は丁寧である。所変われば市電の性格も違うものだが、一番荒っぽいイメージが勝手にあった鹿児島が一番丁寧というのが意外でよい。



鹿児島にて
 西鹿児島駅前の小汚いビジネスホテルに荷物を置き、さっそく外出。繁華街の天文館まではせっかくだから市電に乗ろうと思ったのだが、20時を過ぎると本数が激減してしまうのがネックである。待つのが嫌だったのでぶらぶら歩くこと15分、市電に追い抜かれることなく天文館通に着いてしまった。

 さて、せっかく鹿児島にやってきたのだから鹿児島名物を食べたい。そこで黒豚や焼酎と比較検討の上、「鹿児島ラーメン」の本場なる店に行ってみることにしたが、ガイドブックに載っている割には普通のラーメン屋だ。ありきたりの餃子にありきたりのビールを飲み、そのうちにラーメンが運ばれてきたものの、何が鹿児島らしいんだかよくわからない。具の細もやしは九州名産らしいので、それを食べられたことを収穫としよう。

 まだ遅い時間ではないので、天文館通で鹿児島名物“白熊”を冷やかしたり、桜島行きフェリーを見物したりして、しばらく市内をぶらぶらする。帰りは意地で市電を利用し、鹿児島市電も見事に完乗できた。ただ、鹿児島市電唯一の問題は「ク○ネコヤ○ト」塗装の車両が走っていること。自分が宅配されているみたいだが、その絵がおかしくて仕方がない。

実物よりだいぶ巨大化した「白熊」がお客様を威圧お出迎え。


 ホテルに戻り、明日の予定を再検討する。実はまだ予定を決め兼ねているのだ。手元には5通りの計画があり、その中には、僕が愛する千葉ロッテの鹿児島キャンプ視察なんてのも含まれている。どれも捨てがたくて大いに悩んだのだが、温泉に行くことに決めた。明日は温泉だ!




第4日目に続く

「九州ノート」トップに戻る