第4日(2月25日・水曜日)





 この日は時間に余裕があるので、ホテルを出たのは8時過ぎだった。余裕があるウチにお土産なんかを買っておきたいのだが、それでもこんな時間には何が買えるのだろうか。しかも九州でしか売ってない柑橘類を買ってこい、という不思議な指令を受けているものの、そんなもんどーやって探せばいいのだろうか。西鹿児島駅へ向かってぶらぶら歩いていると、駅前にあった果物屋でそれを見つけた。「晩白柚(ばんぺいゆ)」だ。なんじゃこりゃ!と思いながらも、一応“九州でしか売っていない柑橘類”という条件は十分に満たしている。なんの先入観もなく画像を見てほしい。さっそく購入・宅配をお願いして歩き出そうとしたら、オマケにものすごく小振りなみかんである「桜島みかん」5コとバナナ2本をいただいた。

これが「ばんぺいゆ」。隣の250ml入り缶ジュースと比べてみてください。



西鹿児島(908)―指宿(1014) 3331D 快速なのはな 西鹿児島→山川
 みかんとバナナを入れた袋をぶら下げて指宿枕崎線のホームへ行くと、思ったより混んでいた。山川までは比較的本数が多いのは、やはり需要があるからなのだろう。通勤時間が終わったタイミングなのに、なかなかの盛況だ。乗客みんながみんな指宿観光かと勝手に想像していたら、坂之上でほとんどの乗客が降りてしまった。この辺までが鹿児島の市街地だということがわかる。

 列車は桜島を眺めながら、錦江湾沿を南下する。窓の外には椰子の木なんかが目立ち、民家も平屋で塀や屋根を低くした重厚な造りが増えてきた。菜の花も咲き、南国ムード満点である。青い海に黄色の菜の花、その風景の中を走る真っ赤なキハ200とくると絵になりそうなのだが、なんとロングシートなのである。そこで桜島みかんを食べる僕は、とても観光客の醸し出す雰囲気ではなく、家にいられない事情がある無職の男(28)みたいだ。なお、桜島みかんは小さくて剥く手間がかかる割には一口で食べられるという達成感のないものである割に、とても甘くておいしかった。

指宿駅にて発車を待つキハ200。



指宿温泉巡り
 指宿では3時間ほどの待ち時間を確保した。本来ならもっと接続のよい列車があるのだが、この時間を利用してお楽しみの温泉探訪である。駅にはレンタサイクルもあった。温泉までは歩いて行けるはずだが、2時間で300円というレンタル料なら妥当なところだろう。ガイドブックを手に、チャリンコで走る。

 指宿といったら砂蒸し温泉で有名だ。砂が熱くなってて、そこに埋めてもらってじんわり温まる、というものである。でも、僕は普通の湯船にどっぷり浸かるほうがよいので、砂蒸し温泉のすぐ近くの「元湯」へ。時間が時間だからか、めでたく貸し切りである。ちょっとぬるめのお湯で顔をジャブジャブ洗っていたら、すごく顔がしょっぱい。そんなに汚れているか?と思ったら、海水を沸かしているのかと思うほど温泉の湯がしょっぱかった。効能表が貼ってあるので間違いなく温泉なのだが、飲用にはまったく適さない温泉である。

「元湯」の外観はこんな感じ。


 元湯からチャリンコで5分ほど走り、菜の花畑に囲まれた橋牟礼川遺跡へ。ここはなんと「縄文時代は弥生時代よりも古い時代だった」ということが、初めて立証された遺跡なのだそうな。日本の歴史を作った大切な遺跡なのだが、復元された竪穴式住居が公園にぽこぽこっと置かれただけの寂しい公園だった。すぐ近くにある博物館も休館日とくれば、つぶれたテーマパークみたいである。

橋牟礼川遺跡にて。


菜の花とキハ200。橋牟礼川遺跡付近にて。


 気を取り直して国道を北上すること15分、二月田駅から1kmくらいのところにある「殿様湯」へと向かう。島津の殿様が湯治をした温泉だとかいうのが魅力である。短時間で二つも温泉を巡れるとは幸せなことだ。そんなに迷うことなく敷地に入ると、すぐ隣に「湯権現」という小さなお社があった。ふむ、せっかく温泉に入るんだから、温泉の神様にお参りというのも悪くない。

左が「湯権現」、右が「八幡宮」。古いお社なので外装工事中です。


 お参りを済ませて、お社のすぐ脇にある指宿市教育委員会建立の縁起を読む。後ろの二行に注目。

立派な縁起書き。

 後ろ2行を拡大してみましょう。


おぉ〜〜。

 


取り外されてるぅ〜〜。


 さんざん笑ってから入浴。風呂場は狭く、湯船だってせいぜい4人までしか同時に入れないくらいである。それでも、真っ昼間なのにご近所の方が3名も入浴していた。温泉が地域に密着しているのだから羨ましい限りである。飲用もできるので飲んでみたら、ややしょっぱさを感じるものの、飲めないような塩辛さではなかった。指宿の隣のような場所であるのに、泉質はだいぶ違うようである。

殿様湯の正面。湯権現は右手奥です。



指宿(1318)―枕崎(1427) 1339D 西鹿児島→枕崎
 ぽかぽか陽気の中で温泉なんかに入ったものだから、駅に戻る道中は汗だくになる。やっと汗が引いたところでやってきた枕崎行きの列車は2両編成のキハ40で、すでに高校生だらけだった。試験期間中だからだろうか、高校生も帰りが早い。ただし、山川から枕崎までのは、なんと7時間ぶりの列車であるである。そもそも真っ昼間にこの区間を利用する人はほとんどおらず、朝と夕方以降に列車が集中しているダイヤだから、高校生もうっかり帰れない。ある意味、絶妙のタイミングだ。

 さて、この区間は「日本で最も南にある駅」を見逃せない。小さな無人駅である西大山駅が、JRでは最南端の駅だ。開聞岳が間近に迫り、遠くには硫黄島の噴気も若干見ることができるところに駅はあった。ホームには車で来た若者グループが陣取り、「日本最南端の駅」という案内板と列車とで記念撮影をしようとしている。それをウザそうに眺める車内の高校生とのギャップがよい。とかいって、僕も高校生のだるそうな視線を受けながら、車内でパチパチと写真を撮っている。

見づらいですが「JR日本最南端の駅」。


 枕崎の手前、薩摩板敷付近は完全に崖の中といったような風情である。ディーゼルエンジンはワンワンいっているし、本当に間もなく枕崎に着くのか心配になる。まあ、地方のショボい町なんだろうとタカをくくっていたところ、急に視界が開けて多くの家々が見えてきた。さすがは枕崎“市”だった。あまりにも予想外なので完全に圧倒されているうちに、列車は枕崎に着いた。往時を偲ばせるだだっ広い敷地の中に、ホームが置き忘れられたような駅だった。

枕崎駅にて。



枕崎駅(1455)―伊集院駅(1634) 鹿児島交通バス
 枕崎駅は鹿児島交通のバス営業所がメインである。列車は1日わずかに7本だが、バスは数知れずだ。うっかりすると駅員さんに見えるバス会社の人から伊集院までのきっぷを買い、バスに乗った。このバスは20年ほど前、集中豪雨で線路がズタズタに寸断されてしまってそのまま廃止という、あんまりな末路をたどった鹿児島交通というローカル私鉄が転換した路線である。かわいそうな気持ちが強いので、いつもの廃線跡巡り高揚感は不思議と感じない。

枕崎駅の敷地の端から、廃線跡を望む。


 わずか4人の乗客を乗せていきなり廃線跡と離れ、バスはほぼまっすぐに国道225号線に出たが、そのうちに国道と合流してきた廃線跡は十分にわかる。どこの廃線跡でもだいたいそうだが、長っぽそい廃線跡というのはあまり利用の価値がないため、ゆるい曲線を描きながら続く草地と化していることが多く、わかりやすいものなのだ。国道270号線(南薩摩路)に寄り添う区間でもわかりやすかったが、草地を見て喜んでいる人というのは世間的にどうなのだろうか、と思う。

加世田バスターミナルは鹿児島交通記念館も兼ねています。


 加世田を過ぎると、廃線跡はサイクリングロードになっていた。これまた廃線跡利用の常套手段であるものの、本当にサイクリングしている人を見たためしがない。きっと僕が見ていない隙に走り回っているのだろう、自転車乗りはシャイなのだ。そういう拡大解釈を続けているうちに、バスは山地にかかった。さすがに廃線跡からは離れてしまったようで、キョロキョロしているうちにちょっとした峠を越え、バスは唐突に伊集院駅に到着した。乗客は延べ10名、最後まで乗ったのは5名だった。



伊集院(1641)―西鹿児島(1654) 13M 特急つばめ13 博多→西鹿児島
 バスがちょっとでも遅れたら厳しい乗り換えになっていたのだが、定刻通り走ってくれたので安心である。余裕でホームに向かうと、ちょうど西鹿児島発の上り特急「つばめ」がやってきた。車内はまたしても受験生でどうしようもない混雑だが、試験が終わったんだから当然か。僕が乗った下り「つばめ」は常識的な乗車率なので、あまりにも対照的である。昨日の一件以降「つばめ」に対する印象が悪いのだが、3月のダイヤ改正で「つばめ」は九州新幹線に名跡を譲り、この区間を走らなくなる。それを考えると、直前のいい思い出なのかなと思う。列車はビニール袋事件の現場を超高速で通過した。西鹿児島駅のホームはまだ大混雑で、受験生ご一行様は長蛇の列を成していた。これで次の列車が座れなかったら悲劇の繰り返しなのだが、幸いに日豊本線方面の遠方まで帰る受験生はもういなくなったようで、行列のほとんどが鹿児島本線方面だった。

 安心したので、僕は駅内にある薩摩揚げ屋さんで薩摩揚げを買い、ビールも買ってホームで飲んでいた。旅行前から胃の調子がよくなかったのに、ガマンというものを知らないダメ人間である。



西鹿児島(1758)―都城(1915) 6014M 特急きりしま14 西鹿児島→宮崎
 僕はもう“西鹿児島”駅に降り立つことはない。九州新幹線の開業に合わせて、西鹿児島駅は「鹿児島中央」駅に駅名を改称するためだ。西鹿児島駅の見納めということになるが、僕は車窓に見えてきた桜島に気を取られていた。桜島観光を端折ったのだから、鹿児島に来る機会はまたあるさ……桜島は当分そこにあるだろう。西鹿児島駅はもうない。

九州新幹線開業に向けて工事が進む西鹿児島駅。


 国分で旧大隅線の跡をなんとなく発見してしばし、だんだん暗くなってきたところで霧島神宮駅に着いた。お参りには遅い時間だから、参拝客と思われる人は乗降ともにまったくいない。そういえば、今回の旅では神社仏閣にほとんどお参りしていない。天主堂こそ2つ巡ったものの、お寺なんか全然行ってないし、神社にお参りといったら“湯権現”だけだった……太宰府とか阿蘇神社とか臼杵石仏とか有名どころは多々あるのに、悉くカットである。



都城
 都城では駅前のビジネスホテルに宿泊し、ホテルのすぐ近くの小料理屋で食事をした。最後の夜だから、気が大きくなってしまうのは当然だろう。思いのままに刺身と焼酎をガッツリ飲み食いしたものの、どういう計算なんだか、ずいぶん安く済んでしまった。東京とは大違いである。






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