第5日・最終日(2月26日・木曜日)




都城(639)―吉松(822) 2923D 都城→吉松

 ガラガラの吉都線は、ほぼ真っ暗の中を出発した。太陽が見えたのはやっと7時をまわってからだ。西日本の日の出の遅さを、この旅では何回実感したことだろう。日本は広い。

 列車は都城からしばらく上り、小林駅に着いた。薄曇りなのか、ずいぶん明るいのに日は見えない。それでも通学時間は佳境のようで、ホームは列車から降りた高校生であふれかえっている。停車時間があるのでちょっと駅構内を歩いてみると、駅の案内板に韓国(からくに)岳の文字が見えた。その方角は霧島連峰なのだが、どれがその韓国岳なのかがわからない。霧島連峰の最高峰、韓の国まで見渡せるから韓国岳という名になったそうで、後で調べてみたら『古事記』が元ネタなのだそうな。でも『古事記』の時代の朝鮮半島に“韓国”という国はなかった。すると、国名ではない地方名として、すでに“韓”が通用していたのかなと想像するが、ハッキリ言って自信はない。『古事記』のことだからあの先生に聞こうなどと悩む。

小林駅にて、吉都線キハ28(+58の2連)。


 高校生をすべて降ろし、身軽になった列車はえびの高原をつっきる。もう上りもないので、よけいにエンジン音は軽快だ。そのうちに吉松に着いた。一日半前に肥薩線でやってきた駅なのでなんの感慨もないのだが、一昨日にはなかった『旅のノート』が待合室に置いてある。さっそく開いてみると、まったくの新品であった。



吉松(914)―人吉(1010) 1230D 吉松→人吉
 吉松からは肥薩線に乗りかえる。ここは楽しみな路線である。1日に5本の列車しか走らない区間だから、JR九州で最も廃止に近いと思われるのだが、スイッチバックにループ線、それにえびの高原を一望できる絶景など、見所が盛りだくさんなのだ。吉松で発車を待つ列車はたった1両のキハ31であるものの、車内は一部がお座敷+ざぶとんのボックスに改造されている。観光列車なのに通常料金で乗れる鈍行「いさぶろう」「しんぺい」に使用される車両だ。お座敷はちょっと気になるけれど、さすがに1人で座るのは気が引けたので、普通の椅子席に陣取った。

「いさぶろう」「しんぺい」仕様キハ31。吉松駅にて。


 列車は吉松からひたすら登る。大昔、鹿児島本線が開通するまでは、この肥薩線が九州北部と南部とを結ぶ大動脈だったわけだが、とても厳しい動脈だ。矢岳峠を越えるルートだから、吉松・人吉どちらから出発しても、ひたすら上ってひたすら下ることになる。列車はエンジン音を響かせながらゆったりと上る。そしてスイッチバック駅の真幸駅に到着する。降りて散策してみたい!と思うが、僕の列車は通常運用だ。もちろん乗降客などなく、列車はすぐに発車した。観光用に停車時間をたっぷり取ってくれる「いさぶろう」「しんぺい」がちょっとうらやましい。

 真幸を出発してしばし、列車が徐行を始めた。その途端に進行方向右手の視界が一気に開けた。これがウワサの“日本三大車窓”のひとつなのだろう、えびの高原が一望にできるのだ。直線距離だと大したことはないのだろうが、さっきは吉都線であの高原の中を走ってきたのだ。韓国岳方面(いまだにどれが韓国岳だか分からない)まで見渡せ、徐行は運転士さんのサービスなのだろう。普段は手元ばかり見つめる生活をしているため、たまに遠くの風景を見てしまうと、自分がちっぽけに思えて仕方がない。ただし見事なまでの逆光なので、ドラキュラでなくても溶けそうだ
※ものすごい逆光のため写真どころではありませんでした。


 矢岳駅でなぜか2名もの乗客を乗せ、列車は下りに入った。エンジン音もしなくなり、列車は行者のような勢いで駆け下りる。そして今度の見所は、ループ線とスイッチバックの合わせ技だ。ループ線についてちょっと記しておくと、直線では短距離なのに高度が全く違う箇所に鉄道を敷くにはどうしたらよいか、という問題である。鉄道にとって天敵は急坂で、どんなに列車の性能があがろうとも上れない角度の坂道というのが存在する。車や人間なら多少の無理はきくけれど、鉄道の場合はそうはいかない。そこで、ループ線は山肌をぐるっと回り込むことでわざと距離を伸ばし、その間に高度を稼ぐのである。ただし、こういった区間は実際に乗るよりも上空から見たほうが面白いのは言うまでもないことで、乗っている分には列車がずーっとカーブしているようにしか感じられない。それでもループを抜ければスイッチバックの大畑(おこば)駅があって、貴重な鉄道文化財を通過したわけだからそれなりに感慨がある。もっとも、周囲の一般旅行客にはどうだっていい話なのだ。線路を間違えたのか?などという身も蓋もない声が聞こえてきた。



人吉(1019)―熊本(1142) 1106D 急行くまがわ6 人吉→熊本
 人吉からは急行「くまがわ」に乗る。わずか2両で全車自由席、しかも喫煙車と禁煙車1両ずつという公平な列車だ。この急行は3月のダイヤ改正で“九州横断特急”に昇格し、消える運命にある。急行という列車種別自体が最近では珍しくなってきているところで、また一つの急行が姿を消すのである。その晩年に乗れるのだから、これも幸せなことだ。

人吉駅で出発を待つ急行「くまがわ」仕様キハ58(+65)。


 人吉駅でもらった『肥薩線(元祖鹿児島本線) くま川鉄道の旅』というパンフレットを片手に、車窓を眺める。列車は日本三大急流の一つである球磨川に沿って西に進んでいるので、パンフレットの詳細な記述が大変に便利なのだが、僕は川と反対の南側に座ってしまったため、ロクに川が見えなくて面白くない。鎌瀬駅の手前で川を渡り、やっとこさ列車の南側に川がやってきたものの、すでに急流である面影はなくなっていた。さらに浚渫工事をしているためか川が濁っている上、九州新幹線や九州自動車道の橋脚がどーんと立っていて幻滅である。この路線は八代から人吉に向かう方が、精神衛生上よいような気がする。



熊本(1152)―新水前寺(1158) 1009M 特急有明9 博多→水前寺
水前寺駅通―田崎橋 熊本市電2号線

 事前に作ったプランでは、筑豊の炭坑線を巡る予定にしていた。しかし2日目の失態で乗り残した熊本付近が、どうしても目障りで仕方がない。宿題を忘れたようで気持ちが悪いので、優先して乗ることにしたてみた。乗ればそれなりに完乗の達成感が湧いてくると思っていたのだ。しかしJR・市電ともに未乗区間が短い上、あれこれと苦い思いがこみ上げてくるので面白くない。雑用でも片づけたような気分だ。

 こうして長崎・熊本・鹿児島の市電に全て乗ったので、簡単だが3市電の車窓について記しておく。どの市電も最大乗車時間が40分ほどで、距離も大して変わらないのに、熊本はいつまでも市街地が続く印象で、長崎と鹿児島はそうでもない。この差はいったいどこから出てきたのだろうか。考えてみると、長崎市電は山と川に挟まれた長細い土地に、鹿児島市電も海と山に挟まれた比較的長細い土地に、路線をもっていた。電停からちょっと歩ければ海・川・山だったりするわけだから、あのへんが市街地の限界なのかな、という雰囲気が車窓で判断できたのである。ところが熊本は違う。熊本平野を奥に進む熊本市電の場合は、山や川までの距離がだいぶあるために、どこまでが市街地なのかがわからない。走れども走れども終点の雰囲気がしないまま、唐突に線路が死んでしまうのが熊本なのである。



熊本(1306)―三角(1354) 535D 熊本→三角
 熊本駅に戻った途端にまたしても無謀ないたずら心、三角線で終点の三角まで行き、そこから思い切ってフェリーで島原へ渡ろうという作戦を決行することにした。この日だけで陸海空すべて利用なんて、愉快ではないか。作戦開始だ。参謀長がいたら間違いなく止められていただろうが。

 列車は熊本からしばらく鹿児島本線上を走り、宇土から三角線に入ってゆく。比較的海に沿って走るので、遠くに雲仙の山が見えて気分がよい。そんな三角線はたった一両のキハ31で運用されているが、車内は高校生がだいぶ多くて座れない。そのうちに降りるだろうと思ったのだが、あに図らんや、まったく降りる気配がない。三角までは50分弱だから、熊本まで通学したってどうってことはないのだろう。船がほとんど見あたらない海に沿って列車は走り、僕は立ちっぱなしのまま三角駅に着いてしまった。


三角港(1415)―島原外港(1515) 三角島原フェリー 三角港→島原外港
 三角港は駅の目の前にあり、迷子になる心配なはい。港には銀色の大きなピラミッドがあり、なんの施設だかすぐにはわからなかったのだが、なんとそこが三角島原フェリーの待合室兼きっぷ売り場だった。料金は片道600円である。当初、このフェリーは2日目に利用することをもくろんでいた。ところがちょうどドック入りの時期と重なってしまい、運休だったのである。昨日から1週間ぶりに運行されるようになったので利用が可能となったわけだが、再開を待ちかねた人や車がこぞって集まるのかと思ったら、閑散としたものだった。

 定刻通りにフェリーは出航し、晴れた島原湾を横断する。定員250名で450tという船としては小ぶりなフェリーだが、デッキに出てみるとけっこう風が強いものの、波は穏やかで快適な航海である。島原湾はあまり船が行き交っていない印象だが、湾と言ってもだいぶ広いので、狭っ苦しい東京湾と比較しては反則だろう。

三角島原フェリー「みすみ」。三角港にて。


 探検するほどでもない船内を歩いてみると、カモメにあげるえさなんかも売っている。しかしえさをねだるカモメは2羽くらいしかいないので、えさを買っても面白くなさそうだ。第一、乗客が10人くらいしかいないので、売店の兄ちゃんはさっきからマンガを読んでいて勤労意欲が感じられない。そうだ、船旅のお約束「あくび指南」を忘れていた。でも海を渡っているから「船徳」のほうが適当か?

 目の前に普賢岳が迫ってきた。黒い山肌に、火砕流の大惨事をまだ明確に覚えていることから、けっこう怖い。あの火砕流の爪痕は道の駅などに保存されているから、今日のところは海上から眺めるだけだが、そのうちに興味本位ではなく行ってみようと思う。というのも、列車の時間が迫っているからだ。時間の余裕はわずか8分しかないのである。しかも港と駅は離れているので、タクシー利用せねばならない。列車をもう1本遅らせてもいいのだが、ここは勝負を賭けてみようと思う。緊張することしばし、船は1分遅れで入港した。ターミナル内を全力で走り、タクシー乗り場を目指す。今回は自分のミスで走るハメになったわけではないから、なんだか楽しくて仕方がない。

言わずとしれた雲仙普賢岳。島原港入港前に撮影。



南島原(1523)―諫早(1644) 島原鉄道 南島原→諫早
 奇跡的なタイミングで南島原駅に駆け込んだ割には、きっぷ売り場のおじいちゃんの動きは緩慢だった。早くきっぷを受け取って車内に急ぎたい僕、対照的にゆっくり着実にひとつひとつ落ち着いて鈍重に老練な仕事をするおじいちゃん。しかし、ホームにいた駅員も「なんでそんな急ぐの?」といった表情だ。だって出発時間過ぎてるのに……僕がお釣りを受け取ったタイミングで、おじいちゃんは運転士と車掌を呼ぶよう、駅員に言った。実は島原鉄道の偉い人だったのかもしれない。

 乗った車両はものすごく旧式の気動車キハ20である。国鉄から払い下げられたことが容易に想像でき、車両のど真ん中にゴミ箱が設置されているのがよくわからないし、ワンマン運転なんか絶対できない車内設備なのだが、車内に年季と味が感じられてよい。島原鉄道は普賢岳の災害で線路が寸断され、その後に新鋭の車両を導入したのだが、新しい車両はどこにでも走っていそうな雰囲気である。それは当然だから仕方ないが、僕は運良く旧式の気動車だ。いい巡り会わせだなと思う。

上が僕の乗ったキハ20、下が途中ですれ違った新型気動車。


 列車は島原半島の海沿いをぐるっとまわってゆくので、有明海を満喫できる。海にはられた筏はノリ用だろうか。背後には雲仙が控える中、列車は国見町を通過する。国見高校もすぐそばだ。まったく喧噪から離れているから、こんなところでサッカーをやれば強くなることだろう。そして諫早湾の愚かな水門を見て(以下略)。



諫早(1648)―博多(1817) 2034M 特急かもめ34 長崎→博多
 絶妙の接続時間で、今度は特急「(白い)かもめ」に乗車する。初日に木目調革張りシートの鈍行列車がどうのこうのと記述したが、こちらが木目調革張りシートの集大成である特急車両だ。2日目に乗ったかもめは従来の車両なので平凡なのだが、内装やシートに徹底的にこだわったこちらは、見た目から豪華だし実際の座り心地も快適そのものである。座席には荷物を引っかけるフック(大量のお土産を抱えていても安心)や、きっぷを入れるポケット(寝ていても検札で起こされる心配がない!)なんかもついている。イチから設計にこだわったことが想像されてよい。特急でも新幹線でも、大量輸送にばかり目を向けている某JR東ナントカという会社にも、少し見習ってほしいと思う。諫早から鳥栖まではすでに乗ったわけだし、肥前山口から佐賀までは3回目にもなるため、車窓はいい加減に飽きている。車内探検が楽しい。

まんまるで真っ白な特急「かもめ」。諫早駅にて。


 鳥栖から、再び未乗区間に入る。といっても、鹿児島本線という交通の大動脈を走っているので、あまりおもしろみがない。周辺には太宰府天満宮とか筑紫観世音寺とか、見ておきたい場所はいくらでもある。しかしもう時間だ。さんざん欲張ったのだから、そろそろいいんじゃないかな、と思った。車窓の住宅地が市街地に変わり、そして大都会になったころ、間もなく博多ですというアナウンスが流れた。



博多(1828)―福岡空港(1833) 福岡市営地下鉄
 いよいよ旅も終わりに近づいた。あっという間に福岡空港に到着し、空港グルメに舌鼓を打つことにする。旅の最後の晩餐だから、気を大きくして散在したいところだ。やっぱ最後は玄界灘の味を寿司で!などと思うだけ思って、なぜかとんこつラーメンを食べてしまった。

 まだ時間があるので、しばらく展望デッキで飛行機を眺める。九州の表玄関である福岡空港だが、滑走路がたった1本しかなかった。それをうまくやりくりしているので、そこらへんにいる子どもたちは大喜びである。なんかうれしくなって、もうちょっと飲みたくなった。レストラン街に戻り、瀟洒なカウンターバーに座ると、メニューには「焼酎」と書かれていた。

福岡空港展望デッキにて、バルブ15秒撮影。



福岡空港(2135)―羽田空港(2300) JAL894便 B6
 最終便の機内は比較的空いていた。僕は窓際に座って、ずっと外を眺めていた。雲の上を飛んでいたので地上が見えず、九州の5日間を反芻するのにはちょうどよかったのだ。そのうちに雲が切れると、飛行機は淡路島の上空にさしかかったところだった。旅の反芻が済んだところで、さあ帰ろうよという思いにしてくれる夜景だった。結局、静岡上空まで地上の風景がよく見えた。

 間もなく東京だ。そろそろ旅行モードを完全にリセットせねばならぬ。そのためには、この飛行機はちょうどいいのだ。便名は“JAL894”便、白紙に戻そう遣唐使(894年遣唐使廃止)である。

 白紙に戻そう九州ノート。旅は終わりだ。






あとがきに進む

「九州ノート」トップに戻る