第八日目(平成17年10月6日・木曜日)
起きると、外は大雨だった。つい前日までは太陽と紫外線がお友達だったのとはえらい違いである。とにかく寒いし、暗い。
今日の見学地は一つだけ。「陝西省歴史博物館」である。しかも、常設展示ではなくて地下倉庫に置かれた唐代の皇帝陵にあった壁画を見に行くのだ。僕たちが乗ったバスは、博物館の正門ではなく裏門から入っていった。
壁画は、すべて副葬品と言おうか、古墳の壁に飾られたものである。仏画ではないし、古墳そのものが盗掘にあっているかどうかはわからないが、とにかく規模が大きいものばかりなので、簡単に盗めるものではなかったのだろう。幅2m、高さ1.5mくらいのものがほとんどなので、保存しやすいようにうまく調整したようである。でも、場合によっては高さ3mはあろうかという巨大な壁画もどーんと保存してあるのだ。礼賓を迎えたもの、馬球(ポロ)を楽しむ貴族、狩りに出発するところなど、王宮の“日常”が垣間見られる。死後の世界の暗さといったものよりも、現実世界そのものを絵にして、お墓の中に入れちゃうというスケールがすごい。要するに、その皇帝の時代をそっくりそのままお墓の中で再現しようとしているのだ。もちろん国宝級のものばかりである。
また、保存方法がダイナミックである。保存に問題があるから壁画を剥がしてそっくりそのまま持ってくるだけでなく、博物館の地下倉庫まるごとで温度と湿度を管理できるようにしているのだそうだ。日本でも高松塚古墳の保存でもめているが、さすが中国である。でも、この壁画を見られるのは常設展ではなく、研究者などに限られた許可制で、かつ1人300元なのだそうである。つまり、国宝を自国民はほとんど見ることができない。
博物館の裏側です。
常設展をまったく見ず、それどころか正面入口がどこなのかもわからないまま、博物館を後にする。これですべての予定が終った。あとは本当に帰るだけになってしまった。相変わらず雨は止まないため、スッキリと西安の車窓を楽しめない。まあ、仕方ないだろう。そこらへんに広がる田んぼを見たって面白くないし……田んぼ?そう言えば、水田は水がないと維持できないわけだが、果たして新疆で水田を見ただろうか。
雨の西安市内。
西安空港から北京までは、中国国際航空CA1210便(B737-300)に乗る。相変わらずせっかちなお客様だらけで、案の定定刻より11分も早く動き出した。そしてせっかちに機内食(魚のつみれライスか炒め鳥だった。魚と鳥、どちらにしますかと聞かれた)が配られる。もう「ライス?うどん?」とは聞かれないのかなあ。食べて免税品の販売を横目にしているうちに、もう着陸するという。雨の西安から、1時間ちょっとで濃霧?黄砂?で真っ白な北京・首都国際空港に到着した。14:16だった。
あんまり写真を撮らなかったので……
北京ですることはトランジットだけである。今日は遠いターミナルではないので、乗り換えもスムーズなものだ。出国審査もスムーズで、僕の「ニーハオ」もスムーズだったのだろう、係官がにやっと笑いながら、お前ホントに日本人か?と聞いてきた。何が聞きたいのかわからなかったので、うん、としか返事できなかった。発音を褒められたと調子に乗ればよかったのである。こういうときだけスムーズではない。
そして、もうひとつスムーズになったのが僕のお腹だった。サテライトに荷物を置くやいなやトイレにダッシュし、盛大に開通式を祝う。これで一安心し、スターバックスでコーヒー15元(210円)を買う。そうだ、家に電話をしておくか。クレジット・カードでかけられる公衆電話で自宅に電話したら、帰ってくるの明日だろ?というとんちんかんなことを言われた。ちなみに3分程度の通話だったのに、後日の請求は4500円を超えていた。円安のバカ!
帰国便の搭乗券。ハンコ押しすぎ。
帰国便は中国国際航空CA421便(B757-200)、成都発北京経由の成田行きである。北京到着が若干遅れたため、北京出発も定刻より15分遅れの17:05になってしまった。困ったことである。というのも、この便はもともとこの日に成田に到着する最後便なのだ。定刻で最終スカイライナーor最終成田エクスプレスにギリギリ、というタイミングなのである。15分も遅れてしまうと、鈍行列車でチンタラ帰らなければならないのだ。なんとか遅れを取り戻してくれないかと、祈るばかりである。
真っ白な北京空港から飛び立つと、すぐに雲の中に入ってしまい、やはり真っ白になってしまった。ほとんど揺れないのが救いである。雲を抜けると、上空はまだ日が残っていた。夕日に照らされた雲が若干の赤みを帯び、どこまでも続いている。日に当たらないところはもちろん陰になり、赤と白と空の青さと陰とのコントラストとなっていた。日が傾くに連れて赤がどんどん薄まり、暗さがだんだんと増してくる。機上から地上を見るのも楽しいけれど、雲を見ているのも飽きないものである。フィルムがちょうどなくなってしまったのが残念だ。
北京空港離陸直前。
機内食は肉か魚かと聞かれた。どちらもご飯モノである。やはりうどんは遠くなってしまったと思いながら、ぱくぱく食べる。お腹の心配もなくなったので、ビールをグイグイ飲み、ワインをがぶがぶ飲む。正しい機内での過ごし方だと思う。ところで、肉or魚ということは、ベジタリアンはどうしたらいいんだろう?ヒマをもてあますと、余計なことばかり考える僕である。
いつの間にか雲が切れ、地上が見えるようになってきた。陸地がシルエットになり、町の灯りがちらばっている。どうやら淡路島上空のようだ。僕は進行方向左側(北側)の窓際なので、神戸付近の明りだと思われる。しかし、予想到着時刻から逆算した時間距離だと、まだ福岡上空程度のはずだ。すると、ここはまだ韓国上空だろうか。そのうちに紀伊半島?上空を通過し、海に浮かぶ人工島に作られた飛行場と橋が見えてきた。何度見ても中部国際空港セントレアだ。遅れの取り戻し方が尋常ではない勢いである。ホントにここは日本の領空なのだろうか?でも、どう見ても下は浜名湖なんだよなあ……というタイミングで、陸地から徐々に遠ざかる。国内線でも見慣れたルートである。ならば、そろそろシートベルト着用サインだ。
帰国するのは夜に限る、と思う。ゴルフ場だらけの美しくない光景を見ないで済むからだ。クネクネした道を走る車のヘッドライトとテールライトが行き交うのも面白い。家々に点る明りも、一日の終わりを演出するのにいいと思う。とりとめのないことばかりだけれど、普段なら絶対に考えないようなことが次から次へと浮かんでくるものだ。だから僕は旅が好きなのかもしれない。成田空港の、例の問題の滑走路に到着したのは21:02、定刻より28分の早着だった。せっかち過ぎである。しかし、税関やスーツケースのピックアップがスムーズに行くと「さすが日本、見事な手際だ」という評価をしてしまう僕。
税関を抜けると、日本に無事に帰ってきたという安堵と、公共交通機関で帰る人が全員最終に間に合ったことに安堵する。ここまでくれば、何はともあれ一安心である。
1週間ぶりにケータイの電源を入れてメールチェックすると、友人から第一子が生れたよというメールが届いていた。ああそうか、もうすぐ産まれるって言ってたっけ。まだもうちょっとシルクロードの余韻に浸りたいところだったが、こんなうれしい知らせと共に日常に戻るのも悪くないな、と思った。