第二日目(平成18年2月16日・木曜日)


 今日も朝から雨模様である。日頃の行いが悪いのは自覚しているけれど、ホテルのレストランからよく見えるはずの西湖は、煙ってしまってほとんど見えない。そういうときは目に見えるモノで楽しむ方がよい。ホテルの目の前の信号のない交差点で繰り広げられている、車と自転車との通勤バトルが絶品なのだ。ものすごい量の自転車が働きアリみたいで、かなりの量の車がどろどろ血みたいである。よく事故が起こらないねぇ。

 雨がぽつぽつ落ちる程度のときに出発し、まずは杭州から南東に66kmほどの地点にある「蘭亭(ランティン)」に向かう。書道をやる人なら必修の地名、一度は行ってみたいところであろう。「永和九年(353年)、歳は癸丑に在り。暮春の初め、会稽山陰の蘭亭に会す。禊事を脩むる也……」で始まる「蘭亭序」は、要するに蘭亭という庭園で「曲水の宴(ごくすいのえん)」という宴会をやって、参加者で漢詩を読んだ。その序文が「蘭亭序」、作者が王羲之(おうぎし)である。行書のお手本としてとにかく有名であり、書道経験者ならきっと書いたことがあるだろう。

 妙にテンションが高い現地ガイドが市街地で乗り込み、書道史を長々と説明する。なぜか同じことを数回言うのがクセのようで、早口の傷レコード攻撃に辟易となる。そのうちに成り行きで、僕が「書道の先生」にまつりあげられた。話の種になるだろうと、とりあえず否定しないでおこうっと。結局杭州から2時間かかって蘭亭に着いた。

 さすがに観光地、蘭亭はきれいに整備された公園になっていた。遊歩道の両側には竹が植えられている。筆の原料ということの演出だろうか?それとも清談を好んだ「竹林の七賢」の誰か(失念)が、王羲之とともに曲水の宴に参加していたから?いろんな石碑を眺めながらぶらぶら歩くと、曲水があった。この小川に酒を入れた盃を浮かべ、漢詩を読みっこしたのである。明らかに整備されているけれど、たまたま観光客がとぎれた瞬間だったので、聞こえるのは僕たちの現地ガイドが説明してくれている声だけだ。こんなに声高に漢詩は読まないだろうけど、文人がいい気分でいた姿を想像する。ところで、会稽山はどこにあるのだろう?聞いてみると周囲の山が全部会稽山で、一つの山がぽこっとあるわけじゃない、とのこと。つまり山に囲まれているわけだから、なるほど確かに山陰だ。

このせせらぎに酒杯を流して漢詩を読むんですよ。



 「蘭亭序」の巨大な石碑を眺め、敷地内?にあるお土産コーナーに案内される。そこには日本の博物館でも展覧会をやったとかいう中国人の書道の先生がいて、書道道具一式が置いてあった。僕が日本からやって来た書道の先生のフリをして握手し、まさか一筆書いてくれと言われたらどうしよう(=ホントは書道の先生じゃなくて生徒だし)と戦々恐々としていると、中国人の書道の先生は好きな字を言ってくれれば、大きな紙か白い扇子に有料で書いてあげよう、という。要するにお土産の販売員なのだ。興醒めである。販売目的で芸術を切り売りするってどういうことだろうか。特定のパトロンでない、不特定多数の客のニーズに合わせた芸術家なんて……

屋根付き巨大な石碑。「蘭亭序」全文が刻まれています。



 蘭亭の隣町、くらいの地理的位置にある「紹興(シャオシン)」の街に入った。“臥薪嘗胆”の故事に登場する「越」の国(勾践が王で、嘗胆したほう)の都があった街である。歴史マニアには垂涎だろうけど、それより有名なのは「紹興酒」の存在であろう。要するに「紹興」という街で作られているお酒だから「紹興酒」という。ただし、さんざん飲んでいる割には原料がモチ米というのさえよくわかっていないのが申し訳ないところだ。

紹興の市街地。工場は郊外にあります。


ホンモノの軍服屋の店頭。マネキンが縛り首みたい。



 紹興酒工場に着いたのはお昼過ぎである。酒造所で製造過程を見るのは好きなので楽しみにしていたら、最初に案内されたのが、できあがった紹興酒を寝かせておく倉庫だった。並んだ甕なんか見たっておもしろくないったらありゃしない。香りはいいんだけど、作ってるところのほうがおもしろいぞ!と思ったら、紹興酒作りはシーズンものなので、年中見られるものではないのだとか。それに、倉庫内で寝かされた紹興酒は10年以上モノだらけだったとか。急にありがたみを感じる現金な僕。

紹興酒工場は郊外にあります。



 お土産用紹興酒の甕に絵付けをしているところを見学し、お土産用紹興酒を味見だけして、チャッチャと町に引き返して昼飯である。レストランでは決められたモノが大皿でどんと出され、追加はその場で注文する。メニューに並んだ文字を見てもよくわからないけれど、レストランには「見本」が何十種類も並べられていて、自分の目で「できあがり」を確認してから注文する、というシステムは魅力だ。野菜が食べたい、豆腐が食べたい、というのも見ればわかる……けれど、味と匂いまではわからない。しまった、普通の豆腐を食べたかったのに、名物「臭豆腐」だった!

紹興酒の甕への絵付け風景。100元(1500円)以上はしたと思う。



 紹興から、この旅行のメインである天台山に向かう。高速道路を利用して3時間ほど、食事のときに紹興酒を飲んだので、昼寝しているうちに着いてしまうだろう。風景は中国の田園風景で、雨は辛うじて止んでいる。たまに山があっても大した高さではなく、あまり見るべきものがないのである。つまり昼寝の条件は整っているのだが、唯一最大の問題がある。暑いのだ。僕たちを乗せたマイクロバスの車内暖房のヒーターが僕の足下にあり、とんでもない高熱を発している。低温火傷じゃなくて、ホントに火傷しそうである。他の人の座席の下にも温風、もとい熱風の送風口がついているはずなのに、よくみんな涼しい顔をしているもんだと思う。

 ウトウトしているうちに暑さで脱水症状直前になり、席を移動して水分補給する。こっちの席はそんなに暑くないぞ?と思っていたら「新昌」(紹興から2時間ほど)というインターで高速を下り、市街地を少し走ったところでお寺に着いた。おっと、今日の見学地を一つ忘れていた。紹興と天台山を結ぶ高速の途中にある「大仏寺」である。昔は「石城寺」というお寺で、我らが天台宗を開かれた智(注・みなさん覚えていますか?中国天台宗を開かれた方ですよ。ちなみに敬称は「天台大師」)が、亡くなられた場所である。

えらく重厚なお寺の入口。この部分は新築だそうです。



 大仏寺はきれいにしている最中で、とりあえずバスを降りてからしばらく歩く。電気自動車が乗ってけ(有料)と盛んに声をかけてくるけれど、整備された道でほとんど真っ平らだから、散歩気分でぶらぶら歩けてしまう。建築中の磨崖佛を横目にぶらぶら、お線香(1束1元=15円)を買ってからぶらぶら、池のほとりにある天台大師が祀られた仏塔におまいりする。その場にいるのは僕たちだけだ。公園のようなお寺の片隅で、木々の中に僕たちの読経が吸い込まれてゆく。

天台大師ご臨終の地。お墓は別の場所にあって、翌日おまいりします。



 大仏寺はかなり奥行きのある広大なお寺で、駐車場から歩いて15分ほどのところに天台大師の仏塔が、さらに奥に本堂がある。こちらは新築で、巨大な弥勒菩薩がなかにいらっしゃった。ガケをくりぬいたようなお堂のため、大仏の光背は壁面に直接書いてある。それにしても綺麗だと思ったら、テレビや映画の撮影用に整備されている、とのこと。なんか不思議なお寺である。さらに進むと、敷地の一番奥には素っ頓狂な「華蔵世界」があった。因陀羅網が重重無尽なのを表現したいのだろう、お堂の中は全面ガラス張りで、ダメなお化け屋敷にある迷路みたいだ。あまりの珍寺っぷりに、みんなでゲラゲラ笑う。

ここはまだマジメな場所である「放生池」。漁師さんとお坊さんが魚に感謝する池です。



 お堂を笑い飛ばすなんていう罰当たりなことをしたからだろうか、雨が降ってきた。ついていないことに、もう雨はあがったと傘をバスに置いてきてしまっている上、華蔵世界は敷地の一番奥である。雨宿りすることしばし、どうにも止みそうにないのでずぶ濡れ覚悟で戻ろうとすると、2分ほど戻ったところにトンネルがあった。聞くとお寺の裏口に通じていて、一旦そっちに抜けてから正面までタクシーに乗ればいいんじゃない?と言われる。渡りに船、雨にトンネルである。

 裏口付近は多くの車が行き交っていたが、ちっともタクシーが走っていなかった。そこで、路地を抜けてもう一本向こうの道に向かう。実は、僕はこういったハプニングが大好きである。なんせ今いるのは、予定された観光地ではないまったくの生活道路なのだ!距離にしてわずか200mくらいだったと思うけれど、八百屋に食堂に雑貨屋といった、まったく一般的な生活が目の前にあるのだ。僕たちは観光客で、しかもふだんは文献に頼って勉強している。そのため、生きた世界を見ないでなんとなくわかったようなフリをしているのである。そのためか、旅に出たときはとにかく目線を地元の人と同じ高さにしないと、本当のものが見えないとの思いが一層強く感じられるのである。土産物屋よりも、普通の店を見学した方がよっぽど「現代中国事情」の勉強になる。

 路地を抜けたところは、新昌県の行政府の前だった。ここならタクシーが通りそうである……という予想は的中したのだが、急な雨だったのだろう、通りかかるタクシーや自転車タクシーはすべて満車である。待つことしばし、添乗員さんは決断を下した。「路線バスで行こう。停留所4つだって」。

 日本でも普通にお目にかかるようなバス停で待っていると、やってきたのはマイクロバスサイズ、料金は均一料金で1.50元(23円)である。初めて中国の市バスに乗ったわけだから、これまた普通の人と同じ生活をしているみたいで楽しくて仕方がない。ツアーであることを忘れてしまいそうだ。ただしわずかに4停留所だから、実質5分ちょっとの乗車である。「降りる方はボタンを押してください」と書いてあるのに誰も押さず、停留場を各駅停車するという不思議なバス、大混雑のために車内の装備を取材する余裕もなく大仏寺の正面に着いてしまった。

 市バスから我らの熱風バスに乗り換え、再び「新昌」インターから高速に乗る。ちょうど夕暮れで、どんどんと闇が深くなってゆく。といっても、今日はこのまま天台山のホテルに泊まるだけだから、別にどうってことはない。新昌から50kmで、そのものズバリ「天台」インターを降りて市街地を走る。日本の延○寺がそうなので、天台山もとんでもない田舎にあるのだろうと思っていたのだが、周囲の看板の雰囲気からすると、僕たちのようなお寺目的だけを対象としたわけではない、風光明媚な観光地のようだ。いかにいい加減な予習をしてきたのかと反省してしまう。

 我らが熱風バスがスーパーの前で停まった。そうだ!紹興酒を買わなければ!紹興ではお土産用の紹興酒を高値で売っていたけれど、狙うのは「一般の人が買うような紹興酒」である。お土産じゃなくて、僕たちが飲むのだからそれで十分だ。カートを押してお酒のコーナーに行くと、5年ものの紹興酒ボトル1本(500ml)のお値段は驚異の6元(90円)!!つまみとともに4ケースも買い込んだ。

 真っ暗な中、熱風バスで再び走り出す。1時間くらい乗るのかと思っていたら、10分ちょっとで着いてしまった。結局インターから15分くらいの距離が、天台山観光のベースキャンプである。なぜかホテルの目と鼻の先にある「国清寺(クオチンスー)」を見落としてバカにされるが、どうせ明日行くんだからまあいいや。いよいよ、中国天台宗の本拠地にやってきたのだ!最澄も勉強した場所だ!僕が中国で一番見学したかった場所だ!この嬉しさが、前夜祭で爆発してしまった。宴会途中からの記憶がない。




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