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第10日目(8月31日・木曜日)

 午前3:15、同室の人の「荷物、荷物!」という言葉で飛び起きた。仮眠しようと部屋に戻ったはいいが、熟睡してしまったのである。モーニング・コールに気づかず、荷物のピック・アップが来てしまったのだ。しかも、こんなときに前々から鍵の調子が悪かったスーツケース、すんなり鍵が閉ってくれない。悪戦苦闘して荷物を渡す。

 早朝にも関わらず、ホテルでヴァイキングの朝食も出たのだが、さすがに紅茶1杯飲むのがやっとである。まだ酒が大いに残っているからだ。パンや玉子を食べている人もいるが、よく食べられるものだと感心する。まあ、ここで食べられなくても空港内にケンタッキーがあるのは知っている。まずは酒を抜くことに専念したいものだ。

 空港に着いたのが4:05、ここから紆余曲折が始まった。1時間半の遅延のはずが、機材故障で8時間の遅延となり、最終的に16時間の遅延となったのだ。こんなにスゴい遅延は人生初体験だが、まあ事故にあうよりはマシだ。それよりも、直らなかったら寒い。直っても、中途半端だったらもっと寒い。完璧に直ることを期待して、ドンムアン空港を後にする。向かうは、さっきまで宿泊していたラマ・ガーデン・ホテルだ。

 添乗員さんが、ホテルのお姉さんにおかえりと言われて笑っている(ひきつってもいる)。ま、覚えててくれたほうもスゴいけど。とにかく、手荷物以外はすべて空港に預けっぱなし・預けられっぱなしなので、ホントに身の回りのものなんてない。眠いので、部屋で蟄居するしかないのだ。なんぼなんでも、この時間を利用して観光に出るのは無謀である。パスポートもないし、一番ないのはもちろん体力。こういうときは寝るに限る。

 一眠りして昼食。そして午後、おみやげ用のドライ・ジンに手をつける。ホントならもう東京で、家で寝っころがっていられたのにとは思うが、ここはバンコク、恨みがましいことを言うにも日本は遠すぎる。だが、現金なもので飲みはじめたらそんなことはどうでもよくなった。こうして、夕食前まで飲み続ける。

 夕食が済み、身支度を整える。僕の胸には「ノースウェストに乗る客です」というシールが貼りっぱなしになっている。今朝からずっとこのシール胸に、僕はノースウェスト難民なのだ。いい加減にシールを剥がしたいが、勝手に剥がして問題になるとイヤなので、貼りっぱなしにすることにした。ちょっとだけ剥がしてみると、服にシールのベタベタがくっついてしまっていた。

 パスポートを返してくれたのは、出国審査場だった。その片隅にノースウェスト難民専用窓口が開設され、パスポートを返してくれている。受け取った後は、もう通常どおりのドンムアン空港内である。ボーディング・ブリッジ直前の待合室に入ると、すぐそこにノースウェスト機が駐機しているのが見える。もう、ホントに帰れるんだ。ただ、多くの乗客の表情からは、安堵よりも疲労の色がにじみ出ている。

 22:07、NW002便は離陸した。完全な夜間飛行、成田到着は午前6時過ぎとのこと。実は、僕は夜間飛行がキライなのだ。なんてったって、よく眠れない。しかも、睡眠時間は最大で見積もっても5時間半ほどなのだ。朦朧としながら帰るのはニガテなのだが・・・僕の事情なんか関係なく、機内食が配られた。へんなムースとサンドイッチが入っているが、サンドイッチの具がなんだかわからない。タマゴのような黄色い物体はカマボコ?無味無臭のナゾの物体が入ったサンドイッチ、真相はまったくわからない。もちろん味の評価は落第点だ。へんなもの食わせるな、と言ってもよかったかもしれない。

 日が変わったあたりで、さすがに眠くなってきた。毛布をひっかぶって寝ようとするが、エアコンが効きすぎて寒くてたまらない。長袖のものはすべてスーツケースの中に入れてしまっている。一晩寒さに絶えなくてはならないのか・・・

 

第11日目(9月1日・金曜日)

 目が覚めたのは、寒さではなく暑さのためだった。時計を見るとタイ時間3:18だが、外は白みはじめている。日本時間はタイ時間にプラス2時間だから、日本時間だともう5:18なのだ。白みはじめてもおかしくはないのだ。つまり、あと1時間ほどで着陸ということになる。そういったタイミングで、周りでは朝食を食べているのが分かる。僕は寝ていたので配膳されなかったらしいが、バターたっぷりのオムレツや脂っこいソーセージが出てくるのかと思うと、まるで食欲がわかない。配膳されても食べる気がしないので、片づけが終わるまで寝たフリをする。ついに僕も食傷になったのか?とにかくご飯と味噌汁で朝食を済ませたい。納豆もつけろなんてゼイタクは言わないから・・・

 (以下日本時間)5:30にもなると、外はすっかり明るくなった。窓の外には雲海やひつじ雲が朝日に輝いている。雲って本当に輝くんだな、というのが印象か。見とれていると、窓際の席に座っていたヴェトナム人のおばさんが、入国カードの書き方が分からないと話しかけてきた。ウムム、僕のカードは日本人用の「帰国」というカード、あなたの入国カードは別なんですが・・・

 成田空港に着陸したのは、6:21のことだった。16時間という豪快な遅延となったが、着陸してしまえばこっちのものだ。降りようとすると、他のお客さんも全員が降りるようである。あれ?アメリカ本土まで行く人は?長い長い通路を歩き出すと、カウンターに人だかりができている。そっちに行く人は予定が大狂いだろうから、ここで交渉ということなのか。大変だなあ、結局16時間じゃ済まないんだから。なんだかちょっと悪いような気がした。

 僕たちが乗ったNW002便は、この日第1ターミナルに到着した最初の便だったようである。この日最初の出発便まではまだ時間があるからか、空港内はガラガラだ。検疫を通過し、入国審査へ。疲れ気味の僕たちを迎えてくれたのは、信じられないほど愛想がない審査官で、いきなり日本のお役所に通されたような気がしてならない。帰国してコレかよ、やっぱ日本って、といった思いがどうしてもしてしまう。イヤな気分を抱えたままターン・テーブルへ。アッサリと荷物を受け取って到着ロビーに出たときに、長い旅行が終わった気がした。

 電車で帰るみなさんに挨拶し、車で帰る先生の運転手をつとめて空港を後にした。最初は高速を快調に飛ばしたが、朝の通勤ラッシュだろうか、京葉道路上で渋滞にひっかかってしまい、危うく寝そうになる。僕は運転中に眠くならない性格なのだが、さすがにダメなようだ。途中で運転する自信がなくなったので、失礼して電車で帰ることにした。電車は通勤ラッシュが終わりかけた時間で混んでいた。スーツケースなぞを引きずった僕は、周囲にとても迷惑がられた。

 

おわりに

 まさか帰れなくなるというオチが待っているとは思わなかった旅行から、すでに3ヶ月が経った。暑かった夏もとっくに終わり、すでに冬が本格化しようとしている。いまごろ、ブータンも冷え込んでいるのではないだろうかと思うと、すでに遠い過去のように思えてしまうのが不思議だ。

 今回の旅行は、我ながら並々ならぬ気合いで出発した。なんせ、普段は写真を撮らない僕が、知人からカメラを譲り受け、フィルムを12本(ちなみに現像代は16000円だった)も買い込み、そしてこの旅行記のためにスキャナまで買った(ホントは人のスキャナを借りるつもりだった)のである。なんでここまでとは思うのだが、ブータンは冗談抜きに、掛け値なしにいい国だったと言えるし、なかなか行ける国ではないが、行く価値は大いにある国だと思った。しかも、大多数の人がどこにあるかさえ知らない国。僕の拙い文章で、少しでもブータンの風を感じていただけたら、筆者として幸せである。

 さて、今回の旅行も大変多くの方々にお世話になった。できることなら旅行参加者全員のお名前を列挙したいのだが、ここでは今回の旅行の団長である、はまだ先生に代表していただくこととする。感謝しています。

2000/11/15

 

2000ブータンノート・完


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