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第9日目(8月30日・水曜日)

 睡眠時間5時間、さすがに眠い。自分たちで希望したオプショナル・ツアーだというのに、早朝5時半に起きるというのは骨である。体を引きずるようにして朝食を食べに行くが、チキンライスみたいなチャーハンと、魚の煮つけ以外は食べる気がしない。まあ、あとで何か食べられるだろうし・・・

 この日の予定は、終日アユタヤ観光である。バンコク市内から御朱印船貿易の船と同じルートでチャオプラヤ川をさかのぼり、午後からアユタヤ遺跡をめぐるというツアーだ。船は8時ちょうどの出発なのだが、市内にある船着き場までの渋滞を考慮すると、こんな時間の起床になってしまうのである。ホテルを出発したのが6時半。すぐに寝てしまい、どこうをどう走ったのか分からないまま、起きると通勤ラッシュの雑踏の中にある船着き場についた。しかも、渋滞もなくスムーズに。

 しばらくそこらのホテルのロビー(日本人だらけのシェラトン・ホテル)でダラダラし、船着き場へ。隣は通勤客で混みあう船着き場がある。水上交通が発達したバンコクでは、橋をかけるくらいなら船でピストン輸送したほうがいいという方針なのだろうか?信じられないほどの人を乗せた船が、川面を右往左往している。それらの船の大きさを幕下サイズとしたら、僕たちの船は横綱サイズだ。でっかく、ゆったりのんびりした船旅が楽しめる。問題は、お客が僕たち一行の他に2人(日本人)だけ、ひょっとするとクルーの方が多いのでは?と思う。

いろんな船が行き交う、朝のチャオプラヤ川。

 

 船は、まったく透明度がないチャオプラヤ川をひたすら遡る。落語なら「船もいいが、こうしていると退屈で・・・退屈で・・・フワァ〜(あくび)・・・ならねえや」と古典の名作『あくび指南』にある一節そのものだ(わかった人だけ笑ってください)。船内はエアコンが効いているので寒いほどだが、デッキに出ると酷暑。曇っているのにじっとりとした暑さが体にまとわりつくのである。そんな船旅は距離にして40kmほど、時間にして4時間。その間はお茶を飲み、水を飲み、ビールを飲み(笑)、写真を撮り、ちょっと仮眠しと、贅沢な時間の使い方をする。そして昼食。またしてもタイ料理で、トム・ヤム・クンは昨日よりも辛い。でも、昨日の宮廷料理とやらよりも全体的においしかった気がする。

船にゆられている最中の風景。ビルだらけの上の画像と比べてください。

 

 12時を少しまわったところで下船。そこがもうアユタヤ遺跡なのかと思ったら、またバスで移動だという。じゃあバスへと歩き出すと、そばにきれいな尖塔をもつ小さなお堂があった。お寺かと思って写真を撮ろうとすると、なんと火葬場だと!なんで火葬場の裏に船着き場があるんじゃい!

 40分ほどバスで走り、着いたのはアユタヤ・・・ではなく、チュラロンコーン王(ラーマ5世・在位1868〜1910)の宮殿を見学。ミュージカル『王様と私』の王様の旧宅だ。いまだに国民に崇拝されている王の邸宅は、庭から建物に至るまで、キチンと整備されていて、タイ国民の憩いの場となって・・・いない。観光客は日本人だらけだ。

チュラロンコーン王のとてもハデなお住まい。

宮殿の中庭で発見!

 

 Tシャツ7枚1000円という乱暴な商売をしている店のそばをすり抜け、バスに戻る。次に向かうのは、シャム王朝に重用された山田長政(?〜1630)が始めたという日本人町だ。御朱印船貿易とともに開けていって日本人町だが、結局は幕府の鎖国政策によってすたれてしまったという。だが、当時の面影を偲べるかと期待してバスから降りてみた。すると、その入口に象がいる。観光客を乗せて歩いてくれるというヤツだが、乗っている人はいなかった。ガイドさんはのんきに「象さんはいっぱい食べるから、自分の食い扶持は自分で稼がないとね」なんて言っている(申し遅れたが、タイではリュウコさんというおばさんがガイドしてくれている)。肝心の町は、現在は当時の面影はまったくなくなり、ただの広場になっていた。「日本人町跡」というどうでもいいような石碑を眺め、公園の傍らにある建物へ。中では「ドリアンまんじゅう」なんてのを売っていた。

 そして、ついに遺跡っぽいところに着いた。日本人町跡からほど近い、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンである。東南アジアの仏教特有の、尖塔のあるお堂。頭頂部がとんがった仏像。そして寝釈迦。テレヴィや本なんかで見たことがある場所にいるという感動を、なんと表現したらいいのか?並んでいる仏像群の顔が一つ一つ違うことに驚き、糞掃衣で覆われた仏像に南方仏教の味を見る。日本の寺院とはまったく違う雰囲気なのだが、それでも何も余計なことは考えられなくなる。仏像の不可思議神変加持力なのだろうか?ただし、ここは“遺跡(廃虚といったほうが正確か)”。本当の仏教は、今から300年以上も前(1767年)にビルマ軍によって徹底的に破壊されているのである。

こちらが寝釈迦。釈尊の涅槃をあらわす。

その近くにたくさん並んでいた仏像。

 

 そして、ワット・プラ・シー・サンペットへ。アユタヤ遺跡といったらコレ、“世界遺産です”みたいな堂宇が3つ連なっている。その周辺には、ビルマとの戦争のときに破壊された仏像(顔がなくなっている)や建造物が、無惨な姿をさらしている。3つの大きな堂宇も、長い年月の風雨にさらされて古ぼけてはいるが、その姿に圧倒されそうになったことは確かだ。中には入れないようだが、その外観からも往時を偲ぶことができる。これだけの建築物を作ることができた、その勢力・・・

破壊された壁と、奥に石造りの尖塔。

破壊されてボロボロなのがお分かりいただけますか?

 

 その隣の本堂も、これまた圧巻だった。金色に輝く釈尊像は、高さが16mもあるという。御尊顔を拝するには、はるかに見上げなくてはならない。その傍らで金箔や花などを売っていて、金箔を仏像の台座の部分に張りつけることができる。端から見ると、張られた金箔がガビガビになっているようにも見えるが、こうして仏教徒は功徳を積むことができるのだろう。

 なぜか左回りに仏像を一周してから外に出た。外では、多くの屋台が並んでいて、いろんなものを売っている。ジュースやTシャツ、バーベキューに麺料理などだ。あまりの暑さに喉が乾いていたので、ペプシを買った。さすがに味は世界共通のようだ。誰かがココナツを買ってきた。ちょっとつまんでみたが、あんまり味がハッキリしないのでイマイチだったが、“ココナツ=甘い”というのは、安直すぎる思い込みだったか。そんな市場をぶらぶらするうちに、ある方がドリアンを食べたい、とおっしゃった。森のバターと言われ、そして信じられないほどの悪臭(生ゴミのにおい)がするというドリアン。ネタ作りにみんな食べたがったが、ここでは売っていないという。ドリアンを食べるために、バスで市街地まで移動だ。

 街角の露天の果物屋でドリアンは売られていた。バスの運ちゃんから「バスの中には持ち込まないで」と言われた匂いは・・・身を割ってからしばらくすると悪臭が出てしまうそうだが、すぐに食べれば問題はないらしい。肝心のドリアンは、茶色くてバレーボールサイズ。どこを食べるのかというと、まず割って、実の中心部のソフトボールくらいの大きさのところを食べるのである。市場のおばさんに切ってもらってその1片をもらうと、果肉のやわらかさは本当にバターのようだ。味はやや甘いくらいなのだが、バターと同じやわらかさと相まって、とてもこってりした甘さに感じる。匂いは気にならないが、それでも強烈な匂いの片鱗が伺え、げっぷなどもってのほかだろう。とにかく、そんなに多く食べたわけではないが、気分はまさにバター一気食い。ちょっと気持ち悪い。

 帰り道。バスは順調に国道を走る。どこまでも平らなタイの平野、山なんてどこにも見えない。それもそのはず、バンコクは海抜1.3m、80kmほど北にあるアユタヤでさえ海抜4.8mなのだ。そんな平野を、有事は軍事道路になるというまっすぐな国道が貫いている。当然退屈、いつしか寝てしまった。

 この日の夕食はホテルのヴァイキングである。タイ料理を食べられるのもこの日が最後だと思い、タイ料理よさようなら、という勢いで食べる。タイ米のチャーハンは、米と油があうのだろうか、とてもおいしく感じる。他にもいろいろな料理があったのだが、何を食べてもすべておいしいと思った。このホテルの料理はイマイチと書いてあるガイドブックもあるのだが、そんなことはないぞ。

 夜。すでに成田で買ってきたお酒は底をついていた。そこで、僕ともう1人が買い出し係に任命され、買い出しに出るハメとなった。散歩がてら食休み&夕涼みと気楽にホテルから足を踏み出したのだが、すでに夜の8時だというのに、外はまだとんでもなく暑い(気温32度は堅い)。しかも、どこにお店があるのか分からない!カンで歩き回り、迷子になったらタクシーで戻ればいいやと覚悟して歩き出したら、2ブロックでショボい路地があり、そこで個人商店を発見し、首尾よくウィスキーを入手できた。いかくんのようなつまみも買ったのだが、どれがいいものかわからず、“一番売れてるもの”という無難な買い物をする。買い物は無事に成功したのだが、暑かったせいで、わずか30分の外出で汗ビッショリになってしまった。エアコンってありがたい。

 みなさんが集まって、最後の宴会である。明日は3:00起床だというが、寝なきゃいいやと乱暴なことをみなさんおっしゃる。この夜、フイルムの残りをムダ使いしたり、ルームサービスを取ってみたり(チップを渡し忘れたら、エラい不機嫌そうに帰っていった。悪いことしちゃったなあ)、残った体力を存分に使った。もっとも、明日はもう日本なのだ・・・

 

最終日につづく

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