やっぱり読まない



1998北海道ノート

1.序
 僕にとって、北海道はあこがれの地だった。旅行好きのくせに、初めての北海道は4年前、大学生になってからだった。しかも、わずか3泊4日。そして2度めの、つまり今回の旅行計画をたてるまでに、3年もかかってしまった。
 これは、僕の心の中の北海道が神聖な地であるからに他ならない。そんな土地にしょっちゅう行くことは許されないからだ。だが、そうは言っても行きたいものは行きたい。理屈抜きにして行きたい。こうして、いろいろな気持ちが混乱していたのが、5月ころだっただろうか。
 無性に行きたくなったのはいつだったか覚えていないが、ともかく会いたい友人が北海道には2人いる。その友人たちを訪ねてみたかったし、3年前に満喫できなかった北海道に、じっくりと触れてみたかった。お盆が終わると同時に出発すれば、友人2人にも会える。好都合だ。しかも、心強い相棒であるT君が、仕事の都合をつけてくれた。彼の都合で、最初の計画では青森(木古内)で合流する予定だったが、うまく東京から一緒に出発できることとなった。さらに、まったく鉄道旅行と縁のなさそうなS君も、札幌で合流することになった。準備は整ったぞ。
 ずっしりと重いバッグとリュックを肩にかけ、いざ出発である。


まだ序・出発準備
 出発前に用意するのは、超人気快速列車である『ムーンライトえちご』と『ミッドナイト』の指定券。青春18きっぷ。友人たちへのおみやげ。あとは常識的な旅行用具。ただし、いつもはJTB大判時刻表を持っていくだけなのだが、今回は弘済出版の『道内時刻表』も購入。今、当時の興奮状態をふりかえると、笑えてくる。



2.旅行記

第0日(1998年8月16日・日曜日)
2215鶯谷発(山手線内回り)
 指定券があるのだから、出発時間1分前にさえつけばいいのに、おそろしく早く家を出た。新宿まではわずか23分、快速『ムーンライトえちご』はまだ入線していなかったが、すでにホームは大混雑。人気の高さが伺える。とりあえず、酒を購入、待つ程なく相棒Tも現われる。出発までの一時は、旅行好きであればあるほど、楽しい。


第1日(8月17日・月曜日
新宿(2309)―村上(605) 3763M 快速ムーンライトえちご 新宿→村上
 『ムーンライトえちご』に乗るのも前回の北海道旅行以来だから、2回目だ。あいかわらず乗車率はいい。ただし『ムーンライトながら』と決定的な違いは、乗客が静かなこと。『ながら』のガラが悪いのか?『えちご』の乗客は上品なのか?ともかく、低音でボソボソしゃべってただけなのに、うるさいと怒られた。マナーは悪くないと自分では思ってたので、よけいにビックリ。
 高崎で例によって途中下車、駅前のコンビニで夜食を仕入れる。
 僕は寝ていて気付かなかったが、相棒Tが「長岡で『能登』を抜いた」という。急行『能登』は高崎で『えちご』を抜いて、先行したままのはずだ。長岡でこちらが抜きかえすとなると、どう計算しても1時間以上遅れている。北陸地方で長雨が続いているのは知っていたが、その影響だろうか?・・・この予想は当っていたのだが、それを確信するまでに、もう4時間ほどかかることとなった。

村上(608)―酒田(832) 821D 村上→酒田
 『えちご』の乗客の多くがこの列車に乗り換える。もちろん、村上駅は大混雑。乗り換える列車は4両編成だから、座れないことはない。が、乗り換えで出遅れた私たちは、4両目から先頭車まで、順に移動するハメに。クロスシートだ!安心して寝不足が解消できる・・・と思ったら、先頭車だけロングシート。この失望感は大きかった。まあ、座れただけでもよしとしようか。
 けだるい車内なのに、車掌は懇切丁寧に放送する。桑川〜今川間では『海岸線がきれい』とアナウンス。しかし天気がいまいちだったせいか、感動がまるでない。その一方で沿線の米の姿勢はよく、長雨の影響はないようだ。
 あつみ温泉を過ぎると、立客が増えてきた。しかし、どう見ても長距離旅行者が場所をとりすぎている。鉄のマナーの悪さは、こんなところにも表われている。
 羽前水沢で、特急『日本海3号』を退避するという。なんだと?『日本海3号』は、この鈍行のずっと先を行っているはずだぞ?どうやら1時間以上の遅れだ。北陸地方の大雨がシャレにならないことを実感。どうりで『能登』が遅れているはずだ。この影響 
で、僕たちの乗った列車も、結局10分遅れて酒田に到着した。

酒田(943)―秋田(1136) 539M 酒田→秋田
 前回の北海道旅行と同じく、酒田駅前の立ち食いそばで朝食。寝不足の旅行者が店を占拠しているためか、妙に空気が重い。
 列車は701系3連、立客多し。ただし、座っているのはほとんど『えちご』からの乗り継ぎ客だ。ともかく、この辺りはすでに浮世離れしたダイヤとなっているのだから、混雑も当然かもしれない。この列車の次は、12時すぎまでないのだから・・・

秋田(1205)―弘前(1426) 3651M(大館から633M) 快速しらゆき3 秋田→青森
 繰り返すことになるが、もう完全に浮世離れしたダイヤである。それなのに、わずか2連。当然のことながら、秋田ですでに混雑。私の隣に座ったのは、鷹ノ巣まで行く小学生で、親戚(?)が車掌に道中の案内を頼んでいる。この子供は車掌の助けを得ることなく鷹ノ巣で降りたが、親戚(?)に買ってもらった弁当は唐揚げを手づかみで食べ、7割を残して捨てた。迎えに来た家族(?)は、持ち帰ることを考えなかったのか!
 東能代で大混雑となったこの列車で終点の青森まで行ってもいいが、弘前で後続の特急に乗り換えると、青森での乗り換えのロス(最初の予定では2時間半の待ち)が省ける上、江差まで往復できることに気付いた。OK!弘前で降りることにしよう。

弘前(1442)―青森(1513) 2001M 特急いなほ1 新潟→青森
 特急に乗るのだから、マトモに切符を購入。2時間半のロスをなくすためとはいえ、たかだか30分の乗車に1280円は高いか、安いか?
 やってきた『いなほ』は、私たちが5:13に出た新潟を3時間弱後に出発した列車だ。追い付かれるのも、その列車に乗り換えるのもアホみたいだ。しかも、塗装は国鉄塗装・雷鳥塗装・常磐塗装をいっぺんに連結した混成列車。わずか6両なのに、なんとまあ・・・これでは相棒TがJR東日本を嫌うのも、無理はないかもしれない。

青森(1517)―木古内(1721) 3131 快速海峡11 青森→函館
 出発の雰囲気を味わうヒマもなく、あわただしく乗り換える。タッチの差で乗れないとあきらめていた列車だ。夏休みだからか、9両という長大な編成で、ドラえもんのスペシャル塗装。ところが、大混雑!まるで座れる気配がない。すぐに降りそうな感じの人のそばで、無言のプレッシャーをかける。作戦成功、これで青函トンネルは座っていける。車窓に目をやると、奥内ではトンボが乱舞している。もう、東北は秋の気配だ。
 青函トンネルをぬけると、どんよりとした空ではあった。しかし、ともかくはまた北の大地に足を踏み入れたのだ。うれしいというよりは、「来た!」という一言くらいか。それでだけで十分な感動である。
 しかし、のんきに余韻に浸っているわけにはいかない。車窓からさっそく、鉄学者としての行動を開始し、旧松前線道床を発見すべく目をこらす。畑の中央をナナメに走る、こぎれいな舗装道路が怪しい。築堤まである。これだ!満足。

木古内(1725)―江差(1830) 124D 函館→江差
 それにしても見事な接続で、江差線の客となった。
 真夏とはいえ、18時を回れば日が暮れてきた。乗客は少なく、沿線は山か畑。喪失感とでも表現しようか、この情景。海の向こうの空の色が、妙に悲しかった。

江差(1839)―木古内(1943) 4179D 江差→函館
 とにかく江差は寂しい町だ。じっくり駅前を散策したい気はするが、たった今、江差まで乗ってきた列車ですぐ折り返さないといけない。記念に入場券を購入すべく(今まで書かなかったが、私は写真を撮らないかわりに、入場券を徹底的に集めるのだ)あわてて窓口に行ったところ、もう閉まっていた。おい!まだ18:30だぜ!17時に閉めるってどういうことだよ。だが、これは東京人のエゴというもの。なにせ、僕たちが江差から乗ったこの列車が、江差発の最終列車なのだから。

木古内(1950)―函館(2034) 3133 快速海峡13 青森→函館
 江差からの鈍行で函館まで乗ってもよかったのだが、函館で食事と入浴をしたかったため、快速『海峡』に乗り換える。特急『いなほ』を利用していなければ、青森からこの列車に乗るハメになり、江差往復ができなかった。さて、この列車には本州を北上していたときの見知った顔がいくつも・・・列車は変わっても、顔ぶれは変わらない。
 函館到着!まずは銭湯に落ち着く。疲れた体に湯がしみわたるようだ。サウナにも入ったのだが、妙にぬるかった。そしてラーメン屋で北海道初の晩餐。


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