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第2日(8月18日・火曜日)

函館(2330)―札幌(630) 3981D 快速ミッドナイト 函館→札幌
 『ミッドナイト』も夏休み期間だからか、6両編成になっていた。先頭車はキハ400というお座敷列車で、ポットや電子レンジ、冷蔵庫までついている。自転車も積んである。サイクリングサークルで貸切かな?僕たちは例によって「ドリームカー」に乗車。このリクライニングの度合がなんともいえない。出発して間もなく、東京の友人から麻雀のお誘いの電話があった。北海道にいるといっても、信じてもらえない。
 前回の北海道ツアーの時は、森での長時間停車を利用して駆けずり回ってた記憶があるが、今回は疲れていたのか、熟睡してしまった。新札幌まで起きなかったのだから、大したものだ。

札幌(702)―石狩当別(753) 535D 札幌→石狩当別
 さて、今日は様似で泊まる予定になっている。会いたい友人の一人、O君の実家に(ちゃっかり)泊めていただく約束になっているのだ。そのために、14:20苫小牧発の鈍行に乗るまで、どう時間をつぶそうか?相棒Tも、何も考えていなかったらしい。そこで、前回の旅行でも行ったところだが、札沼線で新十津川まで行き、滝川から岩見沢へ行こうと提案する。
 札沼線はだいぶ高架化されていた。3年前は、やっと工事に取りかかった雰囲気だった。それが、今では複線高架にすべく工事がなされている。沿線がベッドタウンとして開発されている証拠だろう。ただ、札幌に通勤する乗客を迎えに行くような時間帯だから、6両もつなげてた割には(当然)乗客は少なかった。当然ながら、行き違う列車の混雑してること!

石狩当別(756)―浦臼(904) 5423D 石狩当別→新十津川
 そんな札沼線だが、全線を通して走る列車は1本もない。しかも、石狩当別から新十津川までは、急に浮世離れしたダイヤとなり、特に浦臼から新十津川までは1日3往復のみだ。無性に、もう1度乗りたくなった。
 3分の待ち合わせの間に入場券を買って列車に飛び乗ると、わずか1両の車内は大混雑だった。信じられない。札沼線も捨てたものではないと思っていたら、次の北海道医療大学駅で乗客の大半が降りてしまった。

浦臼(912)―花月市街(926) JRバス石狩線 浦臼→滝川駅前
 浦臼で降りたのは、ここからバスでとりあえず滝川に向かおうと思ったからである。もう1度新十津川に向かうのも悪くはないが、前回とまったく同じルートを進み続けるのはおもしろくない、との意見で一致した。たまにはバスもいいだろう。
 その乗ったバスの車内放送で、「砂川行きへお乗り換えの方は〜」とアナウンス。北海道のバスは乗り換えもできるのか?いきあたりばったりもおもしろそうなので急遽予定変更、砂川に向かうことにした。

花月市街(936)―砂川駅(948) JRバス石狩線 花月市街→砂川駅
 昔、砂川から「歌志内線」と「(通称)上砂川線」という2本の炭鉱線が出ていた。どちらも砂川から大して離れた距離ではない。以前から廃止路線に心を引かれていたためか、廃止路線の転換バスに乗りたくなった。しかし、どう計算しても時間があわないので断念。相棒Tはよほど残念だったらしい。後日、彼は初志貫徹したのである。

砂川(1017)―岩見沢(1052) 3178M 快速いしかりライナー 滝川→小樽
 道内に入って初の電車利用である。しかし、車内は空いていた。美唄で、「専修大学北海道短期大学」を発見!我が母校・専修大学の系列だ。愛校心というものは、卒業後に不思議と旺盛になるものなのか、妙にうれしい。
 岩見沢では2時間弱の待ち時間を利用して昼食。市内を散歩中、自動販売機にメッコールを発見。これまた懐かしさのあまり買ってしまったが、あいかわらずまずい。

岩見沢(1249)―苫小牧(1415) 1468D 岩見沢→苫小牧
 この路線は、楽しみな路線の一つだった。理由は簡単、「追分駅」を通るからである。追分に行きたい理由も簡単、そこが石勝線との交差駅で、以前石勝線に乗っていたときに、同時に発車した室蘭本線(私たちが今乗っている線)が遠くに別れていくシーンが、印象的だったのである。今でも忘れられないあの駅を、もう1度見たかった。
 ところが、岩見沢でさんざん歩いて疲れたのか、それとも車内が快適すぎたのか。30分の昼寝のつもりがなんと1時間!目が覚めたら沼ノ端駅を出発した直後だった。追分どころの騒ぎではない。あと5分で終点じゃないか!さらに、熟睡から覚めた直後のためにまったく頭が働かない。おかげで苫小牧ではどうやって乗り換えたのか、まったく覚えていない。無事に乗り換えられたのは、完全に相棒Tのおかげだった。

苫小牧(1420)―様似(1758) 2235D 苫小牧→様似
 車両はこぎれいなキハ130、乗り慣れたキハ40とはしばしの別れだ。この線はモロに海沿いを走るから、車両の傷みが激しいという。実際、海岸線に沿ったところが多く、台風がやってきたときなどはどうなってしまうのか、心配になってしまう。その一方、僕は馬を見つけては狂喜していた。ぱからんぱからん(以下略)。
 静内で31分も停車するため、とりあえず列車からホームに降りた。なんと、ホームは中学生(高校生?)だらけ!この日、北海道の公立中学校は、2学期が始まったのである。東京ではまだ夏休みが2週間近く残っているのに・・・
 そしてついに様似到着!友人Oがまだ出先から戻れないというので、御両親が迎えに来て下さった。そのままドライブ、漁火が見えた。沖では今まさに漁が行われているのだ。初めて見る、黒い空と明るい水平線のコントラスト。

様似
 ここで、様似に滞在したことを書いておきたい。僕は、たしかに友人O君に泊めてくれと頼んだ。それは、フラっと遊びに行って、そのまま一晩過ごしてしまったという、近所に遊びに行く感覚で頼んだのだった。そういった僕の(勝手な)予想に反し、O君も御両親も、想像を絶する歓迎をして下さった。
 軽くドライブして、様似の町を紹介して下さったお父様(博学で、何を聞いても答えて下さる)、恐縮するほどの料理を腕によりをかけて作って下さったお母様、そしてドライブがてらフロに入りに保養所(あそこはどーゆー施設なんだろう?)へ連れて行ってくれたO君。人と人とが出会うのは、まさに「縁」がとりもつのだが、小さかったはずの「縁」がここまで大きくなったのは、本当にありがたい。




第3日(8月19日・水曜日)


様似(―襟裳岬)―広尾 自家用車
 本当はバス移動(JRバスの路線がある)の予定だったが、O君の「ここまで来て襟裳岬に行かないでどーする。いや、むしろ行くべし」との一言により、早朝襟裳岬観光をする。天気はあまりよくなく、おそろしく風は強い(後に、襟裳岬は年間平均風速が日本一であることを知った)。遠くの岩場にゼニガタアザラシがいるらしいが、さっぱりわからない。あまりの強風に、木さえ育たない襟裳岬の気候。日本は広いことを実感することとなる。お茶の間の情報で雰囲気をつかんだと思っているのは、大きな誤りだ。実際にその土地を尋ねてみないと、真実はわからない。
 「黄金道路」(海の影響で修理費がばかにならないらしい)を通って広尾へ。道は広く、十勝港も近いが、寂しい町だ。旧広尾駅舎はバスの待合室になり、「広尾線資料館」も中にある。資料は興味深いものがあるが、残っているホームのほうに出てみれば、ホームの向こうは駐車場。道床は芝生が植えられ、あまり面影は残っていない。

広尾(911)―帯広駅前(1110) 十勝バス 広尾→帯広駅前
 バスに乗ると間もなく、雨が降ってきた。旧道床は道路沿いを走っているのだが、木立があってあまり見えない。いつのまにか寝てしまった。相棒Tは旧幸福駅舎を見つけたらしい。
 この区間は、停留所があっても「24条」とか「18条」とか数字ばかりのバス停だ。地名のなさにも驚いたが、それでも不便はないのだろう。人家がないのだから。

帯広(1141)―新得(1225) 9526D 快速ホリデーあさひかわ 帯広→旭川
 この日初めての列車だ。快速狩勝の返しだが、わずかに1両のキハ130。しかも空席だらけだった。沿線はとうもろこし畑が多く、水田は見当たらない。さすがに北海道は広大で、栽培されている作物もバラエティに富んでいる。
 この区間は乗りつぶしのための乗車だから、廃線跡探しは戻ってくるときにやろう。

新得(1240)―釧路(1717) 2429D 滝川→釧路・北見
 もし僕の手持ちの資料が正しいなら、1998年8月現在の運転区間最長鈍行列車は、こ の列車のはずである。これから5時間弱にわたってお世話になるのは2連のキハ40、しかも僕たちが乗った車両は車体番号が777だった。
 まず今日の出発地点・帯広で旧士幌線跡と旧広尾線跡を探す。高架からなので、簡単に発見。どちらも道路になっていたが、わかりやすかった。
 帯広では銀河線直通のCR70系を増結、池田まで3連となって進む。その池田を過ぎると、牧場や荒れ地が目立つ。天気はあいかわらず悪く、気持ちまで暗く落ち込みそうな雰囲気だ。ところで、この根室線の駅は「2面3線」または「1面2線と留置線」という駅がやたらとある。もちろん、本線以外は錆と草に覆われてしまっているのだが、昔の賑わいの名残だろうか。天気と相まって、さらに寂しい。
 白糠で、旧白糠線跡を探すが、さっぱりわからない。もう廃止されて15年も経つのだから、仕方ないのだろうか・・・
 そろそろこの列車にも飽きたころ、釧路に到着。さて、どうしよう?このまますぐに乗り換えて根室に向かってもよい。しかし僕は、旅行前半のヤマは釧路で寿司を食べることだと(勝手に)考えていた。僕が寿司を食べようと主張すると、相棒Tはすぐには ノってこなかった。しかしスモーカーの僕がこのためにここ3時間休煙したことを告げると納得(タバコを吸うと匂いがわからなくなる)、さあ、寿司だ!
 寿司がうまかったことを僕の文章力で表現することはできない。ただ、「魚の卵系」が嫌いなTと、ウニがどうしてもうまいと思えなかった僕の食わず嫌いが、あっさりと直ってしまったことを報告しておく。こうして僕が寿司の誘惑に負けたことをTに感謝され、不思議な気分で根室に向かった。

釧路(1913)―根室(2125) 5643D 釧路→根室
 うまい寿司を食べ、うまい酒(銘柄を聞かなかったのは不覚!)を飲み、いい気持ちで列車に乗った。当然外は真っ暗、何も見えない。ぐっすり寝て体力でも回復しようとの計画だったが、なぜか相棒Tの仕事の話で盛り上がってしまった。東根室もよく見えなかったので、明日の帰りに期待。それにしても、根室滞在は9時間もないのか・・・


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