1.きっかけ(1998年12月)
大きな旅行は、小さなきっかけから始まった。
98年の年末、僕は大学の先生・学生がいりまじった忘年会に参加していた。大分時間もたち、かなり僕は酔っぱらっていた。そんな状況で、前期しか習っていないH先生(僕の父と知り合いである)が、僕を呼んだ。なんスかと行ってみると、パスポートは持っているか?と言う。はあ、と答えたところ、じゃあ決定、とか言って何やら紙に書き込んでいる。なんだろう?どっか行くんですか?と聞いたところ、
「行くだろ?ネパール」
「・・・ダライ・ラマでも探しに行くんですか?」
ハッキリ言ってどーしょーもないボケしかできなかった。先生は山を見に行くとおっしゃるが、いきなりネパールなんて・・・構わないですけど金ないっスよ、と言うと、親父さんに頼んで研修費で落としてもらえ、と言う。いくらなんでもむちゃくちゃだ。
とはいっても、海外旅行はもう10年も行っていない。行ってみたい。酔っぱらって家に帰ると、さっそく父にかくかくしかじかと話した。あっさりとOKが出た。こうして、僕のネパール旅行計画はスタートした。
2.いろいろ準備(1999年1月)
それから、話はまったく進まなかった。H先生から連絡がないまま年がかわり、1月も中旬になり、僕はレポートにおわれていた。そんなある日、大学の休み時間に家から電話があった。たった今、H先生から電話があったという。ネパールの件だろうか?先生はこれから出校されるというので、時間を見計らって研究室を訪ねた。先生は別棟にいらっしゃるようで不在だったが、ある先生が内線で連絡をつけてくださった。
「決心ついた?」
二つ返事で即答したのである。
さて、僕はネパールについて何も知らない。知っていることといえば、
1.ヒマラヤがある
2.首都はカトマンドゥ
3.インドと中国に挟まれた国
こんなところだ。なんせネパールに関して持っている資料(?)ときたら『少年アシベ』というマンガ(アシベ君の友達・スガオ君とイエティが遊んでいるのだから、後は推して知るべしである)しかない。いくらなんでも知らなすぎだ。そんなわけで、とりあえず『地球の歩き方28 ネパール』を購入、予習に励んだ。ネパール語は、僕が大学で1年間泣かされ続けたサンスクリット語と同じ、デーヴァナーガリー文字である。なんとか発音はできるが、1つとして意味は分からない。とりあえず、「こんにちは=ナマステー」と「ありがとう=ダンニャバード」ぐらいは覚えておこう。
その一方で、申し込みは旅行会社(ちなみに、「ネパールの休日 ポカラコース8日間」というツアーである)から郵送だから、簡単そのものである。1番困ったことは、いったいいくら金を持っていったらよいのだろう?とりあえず1日1万円と考え(どーせ余るが、腐るものではないからいいや)、8万円を米ドルT/C(670ドルになった)で組んだ。あとは米ドル現金もあるといいらしいので、100ドル(12100円)両替えした。ここまでの準備はけっこう速かった。
3.準備は続く(1999年2月)
今度はスーツケースだ。たかだか8日間だし、できればスポーツバックで行きたいくらいである。でも、それはいくら何でも危険だ。しかし、我が家にあるスーツケースでは大きすぎる。こんな事情から、友人から小型のスーツケースを借りた(それでも2/5は余った)。
服の選択には困った。『地球の歩き方』によれば、ネパールは基本的に暑い国である。なんせ2月の平均最低気温が4度、最高気温は20度らしい。しかし、寒かったらどうしよう・・・旅行会社のパンフレットでは、もう少し寒そうだし・・・さんざん悩んで、去年の北海道の気候を(勝手に)想定し、「基本的に2枚着作戦」ということにした。トレーナーも2着ほど。薄手のウィンドブレーカーはほとんど保険で。この作戦はほぼ的中することとなった。現地では、Tシャツの上にウィンドブレーカー、といった格好をしていたのがほとんどだったのだから。
そして、直前になってからH先生から電話があった。オプショナルツアーで、ヒマラヤ遊覧飛行ができるんだけど、行くかい?と言う。うーん、たぶんセスナみたいなので飛ぶのだろう。墜ちないだろうか・・・奇しくも、1月末の新聞の片隅に「ネパールで国内線墜落・乗客乗員全員(注・10人くらいだったと思う)死亡」という記事が載っていた。すこし悩んだが、そんなにポンポン墜ちられたら、たまったものではない。きっと大丈夫だということを祈り、行きますと答えた(注・結局、僕達の一行7人は全員が遊覧飛行に参加したのである=第3日目と第6日目参照)。
一方、予防注射は「必要ありません」という旅行会社からの連絡に従った。登山をするわけではないのだから、そんな危険な怪我(破傷風が恐いらしい)にはあわないだろう、という予測をたてたのだ。
準備は整ったが、行ったことのない国・10年ぶりの海外旅行、不安は尽きない。心配したってどうにもならないが、いったい無事で帰ってこれるのだろうか?
4.旅行の日程
ここで、旅行会社から送られてきた日程表を、簡単に紹介したい。面白いのはタイのバンコク経由といったところだろうか。日本からカトマンドゥへの直行便は、ロイヤルネパール航空が週に2便運行されているものの、関空からしか発着しないのだ(おまけに上海を経由する)。だから、バンコクなりシンガポールなり、東南アジアのどこかを経由した方が、便利がいいのである。
第1日目(2月24日)
16:20成田空港第1ターミナル集合
18:20ノースウエスト機でタイのバンコクへ
23:25バンコク着。(バンコク泊)
第2日目
9:45ロイヤルネパール機でカトマンドゥへ
11:50カトマンドゥ着。(カトマンドゥ泊)
第3日目
午前:ヒマラヤ遊覧飛行後、ポカラへ移動。着後、市内観光。 (ポカラ泊)
第4日目
午前:チャンドラコットまで、ミニトレッキング
午後:自由行動
夜:ネパールの民族舞踊見学。 (ポカラ泊)
第5日目
午前:カトマンドゥへ移動。着後、市内観光。 (カトマンドゥ泊)
第6日目
午前:古都パタン(カトマンドゥ近郊)観光
午後:自由行動 (カトマンドゥ泊)
第7日目
9:05ロイヤルネパール機でバンコクへ
13:25バンコク着。 (バンコク泊)
第8日目(3月3日)
6:05ノースウエスト機で成田へ
13:35成田着・解散
ポカラという街は、日本でいうところの軽井沢みたいな扱いの土地だ。カトマンドゥよりものんびりした、落ち着いたところらしい。「ネパールの休日」というツアー名を如実にあらわした土地と思われる。しかも、カトマンドゥの標高が1300m、ポカラは800mだから、カトマンドゥよりも少しは暖かい。ともかく、“インドを旅行した人がポカラに来ると、インド疲れが全部とれる”(『地球の歩き方』より)らしい。どんなところだろう?楽しみだ。