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最終日(3月3日・水曜日)

 今日も、起きたらドアの外にポーターがいた。モーニングコールがなかったのか、二度寝したのかいまいち判然としないが、ともかく時間は3:30、荷物の回収は定刻である。出発まであと15分しかない。ほとんど寝ていないので頭は全く働かないが、なんとか顔を洗って、ロビーに降りた。全員眠そうだ。でも、今日は帰国するだけの日である。機内でゆっくり眠ればいいのだ。ロビーには、僕達以外にもちらほらと泊まり客の姿がある。早朝にバンコクを出発する飛行機に乗るには、誰もがこんな時間に起きなくてはならないのだ。そう言えば、僕達を案内してくれている旅行会社のねーちゃんも、寝ていないって言ってたな・・・

 ホテルを出ると、けっこう涼しい。それでも25度くらいはあると思われるが、昨日の夜の暑さにくらべれば、雲泥の差だ。と言っても、昨日の夜からまだ9時間も経っていないのだが・・・ともかく、バンで出発。いくらバンコク名物が渋滞といっても、さすがにこんな時間には渋滞していない。でも、車はそこそこ走っていて、どんな用事で走ってるのかを聞いてみたいくらいだ。夜の東京のようにタクシーだらけなんてことはなく、いろんな車が走っている。

 どこをどう通ったかさっぱり分からないが、20分ほどで空港に着いた。ノースウエスト航空のチェック・イン・カウンター付近は大混雑。NWだけでなく、早朝のこんな時間が出発便のラッシュであるらしい。ここでもねーちゃんがチェック・インを手伝ってくれるのだが、終えて確認してみると、なぜか全員席がバラバラだった。改めて、ラビンさんの敏腕ぶりを再認識する。

 今回は出国審査も素早く終わり、あとは出発ロビーでひたすら待つ。朝食は機内食ということだが、空腹である。とりあえずコーヒーでも飲みましょうと、ロビー内のケンタッキーに入った。コーヒー1杯15B(53円)。あとはフラフラとあちこちの店を冷やかすが、特に買いたいものはない。Dさんが何か買ったところ、おまけに腕時計が2個ついてきたので、1個をもらった。

 僕達が乗る、NW002便成田経由ロサンゼルス行き搭乗案内がやっとあったのでサテライトに行くと、そこのベンチはほとんど埋まっていた。B747ジャンボに乗るのだから、今までの飛行機とは乗客数が格段に違う。しかも、このアメリカ人の多さはなんだ?行きのNWにはそんなに乗っていなかったと思ったが・・・ともかく、NW002便は超満員の状態で、まだ日が昇っていないバンコク国際空港を離陸した。さっそく腕時計をいじることにした。タイとの時差は2時間だから、現在日本時間で午前8時過ぎ。あと6時間もしないうちに日本か!

 さっそく出てきた機内食はやはり鳥がうまかったのだが、他に何を食べたのか覚えていない。パンがパサパサだったような気がする。食べ終わってしまえば、もう手持ち無沙汰だ。行きはDさんとくっちゃべったりしたのだが、今回の僕の席は窓側の3列シートの中央、しかも窓側がタイ人の兄ちゃんで、通路側がアメリカ人のおばさんである。当然ながら、誰も喋らずにしーんとしたままだ。窓の外を眺めたいところだが、タイ人の兄ちゃんはブラインドを閉め、食べたらひたすら寝ている。どーにもならない。僕も寝たいのだが、見事に目が冴えてしまっている。通路に出てうろちょろするのも・・・とにかく音楽を聞いていたように思える。あとは、検疫のアンケートが配られたことくらいだろうか。なんだかよく分からないが、きちんと申告すると面倒なことになりそうだ。僕の場合は食い過ぎたのであり、水があわなかったわけではない。ここは「異常なし」でいいや。他には、あまり印象も記憶もないNW002便の機内(起きていたのに)・・・

 もう10年も前になるが、僕がオーストラリアから帰国した時、日本上空で富士山が見えた。東京よりも東のシドニーからまっすぐに北上しているのに、なんで富士山が見えたのか謎だが、ともかくそんな風景が印象に残っている。窓側のタイ人の兄ちゃんが早く起きることを祈り、前の窓から外を見ると、まだ海の上だ。するとタイ人の兄ちゃんが目を覚ますなりブラインドを半分だけ上げた。下に島が見える。伊豆七島のどれかだろうが、さすがにわからない。大島と八丈島でないことは分かるのだが・・・と言うことは、もう富士山を過ぎてしまったか。まあしかたない。気づくと、通路側のアメリカ人のおばさんも外を眺めていた。

 陸地が近づいてきた。海岸線が弓なりにひたすら伸びている。どうやら、九十九里のようだ。海岸線から10分くらい飛ぶと、高度がグンと下がってきた。左旋回した際に、向こうに成田空港が見えた。滑走路が1本しかないせいもあるだろうが、とても小さく見えた。


帰国(3月3日・13:37)

 ほぼ定刻にNW機は着陸した。シアトルまでの航空券を持った通路側のおばさんと挨拶をかわし、ターミナルに入る。歩いていくと、「検疫カードはこちらへ」という箱があり、検疫カードに1つでもチェックをすると、もれなく白衣の人に診察してもらえる。そうか、「タイ帰りの主婦、赤痢に感染」とかいう新聞記事は、こういうところで発見されるのか。でも、僕は自称「異常なし」。あの体調不良はどう考えたって食い過ぎだったのだから、ヤバいことにはならないだろう。あっさり検疫所を通過した。

 入国審査も、パスポートから「日本人用帰国証」を切り取って、スタンプをポン、これで終わりだ。審査が終わって階段を降りると、もうスーツケースがぐるぐる回っていた。さすが日本、仕事が速い。スーツケースが回ってくるのをまっていると、空港職員が犬を連れてやってきた。これが麻薬犬だろう。見ていたら、僕の足元をぐるぐる回っている。クスリなんか持ってないよ!Dさんが「正直に言え」とか言っている。やめてってば!

 税関で申告するものもない。そこを抜ければもう到着ロビー、そこで解散である。先生方はJRで、Kさんはエアポートバスで、他のみなさんはIさんの車で帰るとのこと。京成で帰るのは僕だけだ。忘れないうちにT/Cを両替えし、Kさんに借りていたお金(曼陀羅代)を返した。これですべてが終わった。

 京成のホームに降りる前に、売店で雑誌と缶コーヒーを買った。行きもスカイライナーの車内で、同じ雑誌(もちろん先週号)を読んだな・・・それが、ずいぶん昔のように思えた。

 東京は曇っていた。雨こそ降っていなかったものの、見なれた風景がずいぶん沈んでいるようだった。


6.あとがき
 『地球の歩き方』と、旅行会社作成の日程表と、旅行中に取っていたメモが1日につき1ページか2ページ。それが、この原稿を書くにあたって使用した資料のすべてである。それだけでどのくらい書けるか不安だったが、書きはじめるとあとからあとから旅行中の出来事を思い出し、これまた長いものになってしまった。

 わずか8日間とはいえ、数多くの経験をすることができた。テレヴィでは分からない本当が、少しだけ見えた気がする。もちろん、本当の本当は、僕が感じたものではあるまい。だが、その土地で感じたことは、たとえ正確でないとしても、その土地でしか感じられないことであるのだ(本文に書き尽くしてしまったのか、まったく具体例が上がらないけれど)。そうだ、メモを見ながら本文を書いていたら、突然カトマンドゥの匂いを思い出した。野菜の青臭さとガス臭さの入り交じった、ほこりっぽいあの匂いだ。臭くてたまらなかったものが、いまでは懐かしいこの不思議。

 もう一度行きたいか?と問われれば、もちろん、と答える。腹はこわしたけれど、次は大丈夫だろう。食い過ぎる心配はあるが、様子は分かってるし、何よりもノドカな雰囲気がいい。1人で出向くことはあるだろうか・・・パスポートのスタンプを見る度に、自問自答を繰り返している。

 最後に、例によってお世話になった方にお礼を述べることにするが、今回の旅行では、誰にも本当にお世話になりっぱなしだったような気がする。自分の行動を思い出すと、赤面しそうなものもあったが、ともかくはまだ先生他みなさんには大変にお世話になった。思い出深い旅行ができたのはみなさんのお陰と、感謝しています。

1999/4/21



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