文藝学校
朝霧義水
水沫流人
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水沫流人の水散歩(4) 河童のクゥと夏休み その1
変に生々しい。
自分の歩いた風景がそのままアニメとして再現されるのは、不思議な感じだった。
同じ景色でありながら、物語の文脈のなかで様々にデフォルメされたり、近景になったり遠景になったり。
それだけでドキドキする。
特にこの映画では、川をめぐる風景が大きな役割をはたしている。
少年康一とクゥとの出会い、河童の仲間探しの旅、ようやくたどりついた安住の地。こうした重要な場面で、必ず川が舞台となる。作品世界を支える陰の主役と言ってもよいくらいだ。
ただ、一つ疑問があった。
康一の住む東久留米には、前回紹介した落合川と平行して黒目川が流れている。こちらも遊歩道が整備された美しい小川である。そして、彼が最初にクゥを見つけるのがここなのだ。
しかし黒目川沿いには延々とフェンスがとりつけられており、どちらかといえばごくありふれた郊外の川という印象だった。河童が登場する場所としては、こちらよりもむしろ、護岸とフェンスをとりはらった落合川の「いこいの水辺」のほうがふさわしく思える。
実際にそこを歩いた者の感覚で言えば、なぜわざわざ黒目川を選んだのかという気がしてくる。
あくまで勝手な想像だが、少年は柵を乗りこえる必要があったのかもしれない。
フェンスを隔てることで、暗黙のうちに「水は危険」というシグナルが発せられている。そこをあえて越えてゆくとき、なにが見えてくるのか。優しげな表情の落合川とはちがい、より明瞭なメッセージが感じとれるはずだ。「”他者”との出会い」という。
もちろん康一は初めから河童を探していたわけではなく、川原へ降りていったあと化石化しているクゥに偶然けつまずき、それとは知らぬまま家へ持ち帰るのだけれど。
作品ぜんたいが日常感覚をベースにさりげなく描かれており、最初に川原へ降りてゆくシーンも直截的に描写されているわけではない。そのため見すごしてしまいがちだが、「フェンス」は『千と千尋の神隠し』冒頭における奇妙な門や、『ナルニア国物語』の衣装ダンスに匹敵する。異界への扉を開くシンボリックな装置なのだ。
その「第一歩」をきっかけとして、康一は河童と友だちになり、人間たちのエゴから彼を守り、クゥの喜び悲しみによりそって生きることを余儀なくされる。
一見なんの変哲もないフェンス。
水の事故がおきたときの言い訳のために、行政がおこなったアリバイ仕事?
ところがどっこい、チャチなしろものなどと甘く見てはイケナイらしい。(この項つづく)
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