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コラム「水沫流人の水散歩」(6) 野川 その1



 JR中央線、国分寺駅をおり殿ヶ谷戸庭園へむかう。
 三菱財閥・岩崎彦弥太の別邸を1974年に東京都が買い取った。国分寺崖線(ハケ)の地形を巧みに生かした庭園で、パンフレットによれば「武蔵野台地と崖線の自然植生が良好な状態で保存されている」という。
 こちらのねらいとしては、ここで自然に近いかたちの「ハケ」を見たうえで、庭園の外にある現在の野川の源流を歩いてみようという段取りだ。
 南東側に面した崖下から清冽な湧水があふれだし、「次郎弁天池」を満たしている。上の茶室をめざし、高低差十数mほどの石組みの急階段を登る。茶室の名が「紅葉亭」というくらいで、紅葉時ともなればそれはそれはみごとな眺めと聞く。
 平日で他に客はおらず、森閑としたなかあずま屋で休んでいると、すぐ横で「ボゴン」という音。驚いた。見れば隣に「鹿おどし」がある。
 自分は鹿でも猪でもないが、これほど脅かされるにはきっと深いわけがあるにちがいない。大資産家が所有した「回遊式林泉庭園」の厳(おごそ)かさとは相いれない存在なのだと悟り、早々に庭をあとにする。

 駅方向に少しもどり、車道の坂を五分ほど南側へ下る。国分寺街道との交差点に「一里塚橋」があり、野川が流れている。
 川の上流は北にむかってゆるやかにカーブを描き、中央線のほうから来ていた。つまり国分寺駅の周辺と西国分寺駅の周辺がそれぞれに小高くなっており、両者にはさまれた小さな谷間を川が南流している。
 周囲は閑静な住宅街、見あげれば駅近くの高台にマンションなどが立ち並ぶ。そのせいで傾斜のきつさがいっそう強調されている。
 やがて川は道から遠ざかり、家々の裏手を流れだす。恐らくこれは、川沿いの景観が重視される以前に宅地開発が行われたせいではないか? 建物にじゃまされ、道路を見失いそうになる。
 かくなるうえは周囲の地形を観察しつつ勘に頼って歩くしかない。どこが谷の真中なのか? 傾斜はどの程度でどちらにむかっているのか? おおげさにいえば、五感を総動員して流れの位置をつかむという高度な作業にとりかかった。
 精神を集中させるうち、ふだん街なかで働かせることのない感覚がしだいに研ぎすまされ、脈動してくる。不思議な高揚感が呼びさまされる。
 さきほど目にした「殿ヶ谷戸庭園」の木々や野草、巨石などのありさまがふいに眼前に浮かびあがり、現実の風景と二重写しになった。そこらじゅうの暗渠から水がほとばしり、巨木が空をおおい、ビルの壁面が剥きだしの岩肌と化した。それは恐怖を催させるが、同時にとても魅力的な光景なのだった。

 じじつ、このあたりが”野ばなし”の自然状態と化したことがある。
 1991年の集中豪雨のさい、近くにあるJR武蔵野線・新小平駅に地下水が噴きだした。
 この区間はずっとトンネルがつづき、新小平駅の箇所だけトンネルがとぎれ、半地下式になっている。その壁の継ぎ目から水がどっとあふれだしたのだ。
 地下を流れる水脈がトンネルによって断ちきられたため、逃げ場をなくした雨水が駅の部分に集中した。人為的な「ハケ」のようなものだ。復旧は困難をきわめ、駅は数ヵ月にわたって水没したままだった。
 まさに「人災」といえよう。自然の側からすればそこに「出口」があるから水の通り道になったにすぎず、それこそ「元」の形にもどっただけの話なのだが。

 そこいらじゅう水だらけになるという僕の想像も、あながち的はずれではなさそうだ。
 しかし、そんな胡乱(うろん)な考えにとらわれている輩(やから)はどこか後ろ暗いところがあるらしい。だから子どもだましの「鹿おどし」にも周章狼狽して逃げだすハメになるのだ。(この項つづく)

※新小平駅の冠水については塩見鮮一郎『江戸の城と川』(批評社)の記述を参考にしました。
※新作の執筆のためしばらく更新できず、すみませんでした。『マリオのUFO』というタイトルで6月25日にメディアファクトリーより刊行の予定です。


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水沫流人(みなわ・りゅうと)
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