水沫流人,幽,怪談文学賞,長編部門優秀賞,小説,七面坂心中,ダ・ヴィンチ,ダヴィンチ,ダ・ビンチ,ダビンチ,みなわりゅうと,審査員,岩井志麻子,木原浩勝,京極夏彦,高橋葉介,東雅夫


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コラム「水沫流人の水散歩」(7) 野川その2



 川は私有地の急傾斜を流れ落ち、上流がJR中央線、西武国分寺線の下を潜っていた。
 少し国分寺駅側へもどり、半地下式になった線路を越えて北側へ回りこむ。
 そちらは日立製作所中央研究所の敷地で、野川はフェンスのむこうへ消えていた。木がうっそうと生い茂り、水音が高くひびき、鳥のさえずりも聞こえてくる。地図で見ると、中は池になっているらしい。
 ただしそこが源流というわけではなく、700〜800mほど西側の「姿見の池」から流れこんでいる。
 線路ぞいの公園に説明板があり、'91年の水害の有様や、その対策として実施された野川の導水事業について記されている。それによれば「姿見の池」は洪水対策のために昔の「クボ」が復元されたとのこと。
「クボ」は川の氾濫を避けるための凹地で、洪水に悩まされてきた人々が遊水地として大昔から手つかずのまま残しておいたものだ。いわば古来よりの経験に裏うちされた「生活の知恵」である。
 しかし昭和30年代以降の急激な宅地化により「クボ」は潰された。治水技術への過信もあったのだろう。すると自然からのしっぺ返しはてきめんで'91年の集中豪雨のとき、このあたりでも床下浸水などにみまわれた。こうした反省に立って「クボ」を再現させたらしい。

 JR西国分寺駅にほど近い「姿見の池」一帯も、昔から「恋ヶ窪」という地名で呼ばれてきた。池畔に立つと思いのほか小ぢんまりとしており、木々のたたずまいなども優雅な印象すら受ける。ひょっとすると「恋ヶ窪」の語感に合わせるため、意図的に公園が設計されたのかもしれない。
 ここで腰をおろし、例によってデイパックからパンをとりだす。しかし何となく食べにくい雰囲気がある。意外と人通りが多く、ジロジロと見られるせいばかりではない。
 800年以上前、旧鎌倉街道ぞいのこの地には宿場があり、たいへんにぎわっていた。遊女夙妻(あさずま)は源氏の武将畠山重忠に惚れたが、重忠が源平合戦のさなか戦死したという誤報を信じ、悲しみのあまり池に身を投げたと伝えられる。
「恋ヶ窪」のいわれともなったそんな悲話のせいか、ひと息入れるには憚(はばか)られる感じだ。箱庭ふうの人工の池とはいえ、妙な緊張感がある。
 あるいは「クボ」の機能を復活させたことで池じしんが太古の記憶をよみがえらせ、かつての凄味をとりもどそうとしてるのだろうか。降雨のたびに広くなったり深くなったり、日々表情を変えつつ、人間に飼い慣らされない「人取る沼」としての野生の「水」に、再びゆっくりと回帰しようとしているのかもしれない。


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水沫流人(みなわ・りゅうと)
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