文藝学校
朝霧義水
水沫流人
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コラム「水沫流人の水散歩」(11) 石神井公園
訪れるたびに池の水嵩(かさ)が増している。そのうち一挙にあふれてしまいそうだ。
実際は、入口付近の水門から石神井川に向けて常に水が流れだしているため、そんな人騒がせな事態には至らない。しかし、こちらがあらぬ錯覚にとらわれるほど、その水は原初の輝きに満ちて生き生きと躍動している。
ボート乗り場から石神井池にかけてのアプローチも好きだが、西側の三宝寺池へ一歩踏みこむと、とたん、数百年前の武蔵野に遡行した気分を味わう。
岸辺にコンクリートの護岸などは見あたらない。旺盛な生命力で繁茂する水生植物や、これでもかとばかり水上に張り出した木々。そのため水と陸との境界が不分明になり、空間意識が攪(かく)乱され、時間軸まで歪んでしまうのか。
都心近くにありながら、これほどに自然のパワーが感じられるのは希有(けう)なことである。
それゆえなのか。この地は新旧さまざまな伝説にみちている。
池の南側にあった石神井城は、14世紀、太田道灌の手によって攻め滅ぼされる。落城のさい、城主の豊島泰経は白馬にまたがり三宝寺池に入水、娘の照姫も身を投げたという。そのとき馬につけていた黄金の鞍が、今も池の底に眠っているそうだ。付近には豊島氏が大宮から勧請した氷川神社をはじめ、太田道灌が下石神井村から移転させた三宝寺など、古刹・名刹も多い。
そして明治時代になると、池の大蛇が女に化けるという話が広まり、20年ほど前には大きなワニが出没する騒ぎまであった(当時筆者は、雑誌の取材で地元の人から話を聞いたこともある)。
「都市伝説」などと嗤(わら)うなかれ。
過去からの歴史の積み重ねがあるからこそ、何らかの「地霊」のそそのかしによって、現代に新たな伝説が加えられるのだ。
さらに付け加えれば、あだち充や弘兼憲史の作品などに、しばしば背景として登場するのもこの公園だ。その場合、単なるストーリーの引きたて役に終わらず、むしろ背景の導きによって作品世界が成立するケースもありうるだろう。
だとすれば、それらもまた「地霊」のささやきによって紡ぎだされる、新たなかたちの物語なのかもしれない。
前々回に書いた石神井川を含め、豊島氏が中世に支配したこの一帯は、江戸の歴史において大きな位置を占めていたようだ。だが豊島氏の存在は、徳川氏や太田道灌の陰にかくれて不当に取りあつかわれ、次第に忘れ去られていった。
ようやく今の時代になって、武蔵野の風景を介してよみがえり、「言い伝え」や「都市伝説」などのイレギュラーなかたちをとりつつ、地下からの伏流水のように「記憶」があふれだしているのかもしれない。
※7月3日発行の『幽』11号に「厠(かわや)の怪談」をテーマとした「隠処(こもりく)」を書いています。執筆時「トイレ」はまさに「怪談のふるさと」だという実感が湧き、けっこう乗って書けました。
※6月25日発売のダ・ヴィンチ文庫『怪談実話系2』・『隣之怪』・『なまなりさん』・『十七歳の湯夫人』の巻末にショート・ストーリーが載っています。「水沫流人の音綺談」と題する連作です。ぜひご覧下さい。
※また、アニメDVD『魍魎の匣』(VAP)のブックレットに作品解説を書いています。こちらも気合いを入れました。
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