PC遍歴 8bitな時代(ひ〜とびと〜のHITBIT♪)

update01/11/30

以下、わからない人にはさっぱりわからないネタが含まれます。
推奨年齢25歳以上。間違いは笑って済ませるor訂正メールよこせ下さい

だらだらと追記して行くにしたがって流れがごっちゃになってきてます。ゴメンなさい。

長そうだし、めんどくさそうなので戻る


NEC PC-6601 1983年発売
記念すべき(?)我が愛機第1号
小学校時代はまさにファミコンが一世風靡セピア中。ボクも友達の家に入り浸りしたもんです・・
私は買ってもらえなかった口でしたので<ゲームはイカンと言うことで。
で、なにやら勉強に使えるんだぞということでパソコン(当時はマイコンか?)を
親を騙して買ってもらったわけです。
1万ナンボのファミコンより15万もするパソコン買ってもらえるなんて??な状態でしょうが、
まあいいでしょう(笑)
当然自分の目的はゲームも出来ると言うことだったのですが、この点に関しては後で
衝撃を受けることとなります。

こいつの特徴は、FDがついているということ!たしか1DDだったと思います(143kb)
知っている人は知っているでしょうが、その時代の外部記憶装置には、
ハードディスクなんてものはなく、フロッピーすらメジャーではなかったのです。
何かっていうと、テープ(笑) ええ、あのオーディオのテープと基本は一緒です。
ゲームやるのに5分以上「ぴーぎゃらぎゃら」を聞いて、しまいにゃリードエラーじゃ泣けるよ・・
といった多くの(?)P6&P6mk2ユーザーの友人の言葉を聞き流しながら優越感に浸っていました。
ただ、メディアは高いです。たしか1枚1000円位したと思います。その辺に売ってないので
NECに直接頼んだ覚えがあります。メーカー純正だから高かったのかも・・
あと素晴らしい特徴、P6601は歌います。相当オンチですが(爆)
PC-6001mk2から音声合成機能がついてたので喋るのは前からなんですが、
音階をつけられるようになりました。それで何するの?といわれればそれまでです、はい。^^;

スペックを羅列すると今のパソコンとケタ(単位)が違うのがよくわかります・・
CPUはZ80Aコンパチ4MHz・・ゼッパチッス
メモリは64kb←mbではない BASICとマシン語(当たり前か?)が走ります。
16色表示で、CRTはテレビが使える(RF出力あり)お得な仕様。
あと、サウンド機能としてPSG3和音が使えました。
添付ソフトとしてワープロと小松左京監修のSFアドベンチャーゲーム「コロニーオデッセイ」とか
ユーティリティーとか、デモ集みたいなFDがついてました。
「コロニーオデッセイ」は前編・後編に分かれていて、おまけについてくるのは前編のみ、
後編は買って下さいというある意味卑怯なおまけです^^;
逆抱き合わせ販売です。オタ心をくすぐっています。ビジネスモデル特許を申請したいくらいです。
でも、だれか後編買った人いるのかな・・・
サークル文とかライン文を駆使して(笑)描画していたんで、絵書くの見ながら楽しめます。
2〜30秒は当たり前、移動するだけで時間が経つ・・う〜ん、リアルなゲームですね(笑)
打ちこむコマンドが全部英語なので小学生のボクにはハードルが高すぎました。
・・嘘。一応コマンド表がついてました。でもかなり難しい<というかコマンド総当たりの
昔なつかしADVゲームです。
ワープロは、漢字が使えるという画期的(またか)なもので、文字の大きさも倍角が選べたりと
それはもう凄いものでしたよ、ええ。
1年後にプリンター買って(サーマル(熱転写)プリンタ)ワープロを使いこなそうと見せているとしている
けなげな少年は、今こんなに立派になりました(爆)
愛読書はべーマガ。当然っしょ? i/oとかマイコンとかアスキーもあったけどついてけないです。
投稿作品のゲームを訳も分からず(笑)入力してました。BASICなら何とかなるんだけど、
マシン語を入力するのは非常に集中力(?)を必要としました。エラー出すと即停止。人に厳しいです。
走らす前にsaveするのが大事というのを教わりました。(でもFDだったからあまり苦痛では無かったですけどね)
GM(クルマメーカーではなく、ゲームミュージック)も入力しましたね〜キンキラPSG音源は結構好きでした。
今じゃ携帯電話にすらFM音源&PCM乗る時代ですね・・

武田哲也!!

ええっと、Beepも買ってましたよ(自白)。GMのソノシートがついてたりしてましたね。たいにゃんのプログラムも
Beepに乗ってたんじゃ無かったっけかな?

当時の雑誌はすべて捨ててしまったと思いますが、実家の倉庫に一部残っているかもしれません。
P66も眠っています。でも10年ぐらい前に再起動したら見事にキーの一部とFDDが死んでいました。
でも捨てきれずにまだ取ってあります。<勝手に捨てられてなければ。

上でPC-6601にはFDD内蔵と書きましたが、内蔵していたのは3.5インチ一基です。
当時はFDDといえば高級装備でした。
3.5インチはマイクロフロッピーとも呼ばれ、その他に5.25インチミニフロッピー、8インチフロッピーがありました。
ちょっと機構が違うのですが、クイックディスク(ファミコンのディスクシステムもこれだという話です。)
というのもシャープMZ-1500に搭載されていました。
3.5インチは今でも使われてますのでご存じでしょうが(容量はだいぶ違いますが)
5インチ、8インチは円盤を紙ケースで保護してある(う〜む表現がむずいな)だけなのでペラペラです。

当時の笑い話に、知らない人に、「エンベロープ取って機械に入れて」といったら全部剥いて茶色の円盤一生懸命
ドライブに挿入しようとしてたよ^^; なんて話もありました。

80年代前半は8bitのマイコン時代です。各社で様々な規格のパソコンが発売されていました。
国産で有名なのはP6&P8のNEC、MZやX1のシャープ、FMシリーズの富士通、ベーシックマスターの日立等でしょうか・・
カシオ(FPシリーズ)やソニー(SMC)、東芝(パソピア)も出していました。

そして統一規格MSXの出現です・・・これについては詳しく説明しているWEB等もあるでしょうから
ここでは説明を省きます。とりあえずマイクロソフトとアスキーって事で
MSX・MSX2・MSX2+ときてturboRで最終型でしたね。今でも現役な人はいるかもしれない。
見事にPC-8801mk2SRに駆逐されてましたが。

P6用ゲームについて。
P66を買ってもらったひとつの目的はゲームをやることでした。しかし、MSXならまだしも、
P66用のフロッピーなゲームはあまり出ていなかったのでした。(汗
其処に救いの手を差し伸べていたのがかの電波新聞社。ナムコと組んでアーケードのゲームを
ガンガン(でもないけど^^;)移植してくれました。タイニーゼビウスとか最高ッスよ。弾見えないし(爆)
あ、スペハリも凄い出来だったなぁ・・<いや、誉めてます 絵より動き重視でした。
グロブダー2P対戦は非常に燃えました!!

日本テ○ネットのアメリカントラックとか、アルバトロスというゴルフゲーム買ったっけ・・
ク○ゲー会社と罵られてましたな。その後スタッフが移ったソフト会社も同じ道を・・因果応報か(違

ハドソンも出してましたね、ADVとか。サラトマとかデゼニランドですね。

この辺は、P8やX1やFM7等にも移植(逆か^^;)されていたのでやったことがあるという人も多いかと思います。

トリトーンも面白かったですよ。後はハイドライドとかかなぁ・・
そして光栄の「信長の野望」 当時はこればっかやってましたね。初代信長の野望は全17カ国で
信長か信玄を選んで統一を目指すゲームでした。
P6の解像度&テレビRF出力では字が見にくく、結局訓練はなんていってるのかわかりませんでした。
「へいしくられん、ととちととち」としか読めなかった^^;

少ない小遣いをヤリクリして近所のラオックスに買いに行ったもんです。

ところで「コロニーオデッセイ徹底攻略ページ」発見しました(汗
残念ながら前編のみですが当時の気分を味わえます。

P6エミュいっぱいあるんだね〜さすがに今やろうとは思わないけど・・

「コ・チ・ラ・ハ・ミ・ラ・イ・ト・シ・エ・ス・ペ・ラ・ン・ス」

P66を買ってパソオタに目覚めたかに思えた時代の最先端をかいま見た私でしたが
プログラムを勉強(つうかBASICですが^^;)するに従い、文系な自分を再認識していくこととなりました。

その後中学、高校と体育系部活動に勤しんでいたので、自分のPCからは遠ざかっていましたが、
オタな悪友友人がPC-8801mk2SRを買ったりしたので、
パソコンに触れる機会は失われてはいませんでした。
そう、ビジネス的なマシンだったP8シリーズがこのSR以降、ゲームマシンとして
8bitパソコン界に君臨したのです。

私が友人の家に行くきっかけはやはり(?)光栄の「三國志」でした。1&2はかなり対戦したものです。
そしてP88SR時代を語る上で外せないのが日本ファルコムの台頭。今でこそ○○ですが、<何?
その頃はまさに飛ぶ鳥を落とす勢い。ドラスレは忘れるとして^^; ザナドゥ・Ys・ソーサリアンといった
伝説のソフトを生み出していくのでした。
エニックス、T&E、ゲームアーツ等も佳作を生み出し、
あの頃は国産パソコンゲーム面白かったのになぁ・・・
なんて昔を懐かしむオヤジが多数いると思われます。
え?○レネット?忘れてください。(爆)

外国産といえばウイザードリィ・ウルティマの2大巨頭が思い出されますが、私は通しでプレイしたことが
無いのでコメント出来ません^^;
さすがにこれやるために友人の家通えないっしょ<何日かかる事やら・・
ローグ系もありますが、こっちはUNIXなのでさらにノーコメンツ。きっと詳しい御仁からつっこみがあるでしょう

昔のゲームといえば、難解で無理矢理なゲームが多かったですが、今よりよっぽどはまりましたね。
年を取ったのか、それとも・・・(遠い目)

「は〜りぃふぉっくす」と「ちゃっくんぽっぷ」は平仮名表記

オタ系友人よりつっこみが入り、P88SR語るなら
ボースティックとマイクロキャビン
も忘れるなと
いわれたので追記します^^; 後なんだっけ?

昔のテープが「ぴ〜ぎゃらぎゃら」と五月蠅かった(まぁボリューム絞ればいいんですが)
のは以前書きましたが、当時の5インチFDもアクセス音は結構大きかったですね。
がちゃこん、ががが、がちゃこっこっこ」って感じで。

慣れるとウイザードリィのロスト(紛失)を音で聞き分けることも出来たそうです^^;

さて、PC-8801mk2SRが出た当時私はめちゃめちゃこのゲームマシンパソコンが欲しかったのですが
あんたパソコン持ってるでしょの一言で終わりました。まぁ20万以上したので当然でしょうが。
その後廉価版の機種も出まして、P88SRは安定期を迎えました。

グラフィックも512色中8色、FM音源3音+SSG3音と当時としては素晴らしいスペック(ウットリ)
(個別な性能はFM77-AVとかX1turboZとかのほうが上だったりしましたけど。)

特にFM音源搭載は私には羨ましく、(音声合成なんか要らないやい!)
ゲームアーツのシルフィードやYsの曲をテープにとってもらってそれだけ聞いたりもしておりました。
ホント、ファルコム黄金期ここにありって感じです<じゃぁ今は・・語るまい。
・・でも昔のリソース切り売りするのは止めようよ。

しかし時代はとどまらない・・何時しかP88SRも
X68000やFM-townsそしてPC-9801シリーズにゲームマシンとしての
王座を追われることとなるのでした。
(というかスーパーファミコンなどの登場ということもありますけど)


・・・・8bitの時代は終わりを告げたのです・・・・


その後、大学入学時にPC-9801を買うまで一時PC業界からは
足を洗うこととなるのでした・・・
当時を知らない人へのまめ知識
X68000(1987年発売)今でもディープなマニアが現存するパーソナルワークステーション。
マンハッタンシェイプと呼ばれるツインタワー型筐体がめちゃめちゃ格好良く、
グラディウスがおまけについてきて、その完成度に度肝を抜かれました。
通称ぺけろく、ろっぱー

FM-towns(1989年発売)はパソコンにCD-ROMを搭載して、
マルチメディアというのを初めて打ち出してきたパソコン。通称うんず
マーフィーという亜流がありましたよね?

トリトーン好きで悪かったな!どうせエンディングで茫然自失したよ!<シンプルすぎて

なんとなく、T&E、ファルコムゲー紹介のサイトはいっぱいあったので、ちょっとだけトリトーンネタ。
ザインソフトってP6用ゲームはこれだけしかだしてなかったと思います。
MSXとかFM-7シリーズには結構ソフト出してたんですね。<でもトリトーンが「唯一の」名作らしい(笑)

横視点のアクションロールプレイング、剣も振るよ!、とくるとYs3を思い出しますが
当然のようにこちらの方が古いです。
元ネタはアーケードのドラゴンバスターかと。
ハイドライドの系譜も受け継いでるかな、時間でHP回復とかアイテムとか。最初の方の敵はスライムだし
あとさぁ、スターラスターみたいなゲームあったんですけど、名前失念。面白かったけど、テープ版しか無かった。
光栄の出してた野球ゲームももっていたけど、名前失念。<あんまり面白くなかった。
マリオブラザーズ「パンチボール」は良く弟と対戦したっけ。
グロブダーの方が対戦は燃えたけど。<何てったってそのためにアスキースティック買ったしね(爆)
対戦専用の誘導レーザー(ミサイル?)が最高。上手く誘導かかって破壊したときの快感と言ったら・・っくっくっく・・。
アメリカントラックは良く壁に突っ込んでた。曲がりきれずに。
後のPCエンジンでF1サーカスやってたときにも突っ込んでリタイヤしたなぁ。
CD版(F1サーカススペシャルだっけ?)は名作だと思うんですけどねぇ、誰も記憶に無いですかね。
ミカハッキネンとジョニーハーバード好きな人はオープニング必見だと思うんですけど(違 後チャップマン

この頃のゲームはエンディングに力入ってなくて(容量無いから当然ですけど)、
終わったときに一枚絵だけ、すらなくてテキストのみ(それも英語)で終了とかが多く
非常に脱力した覚えがあります。つうか読めねぇからよ、小学生には・・
ま、内容が良ければそれでもいいけどね。
長すぎるのも閉口するし。
そういえばPCエンジン版スナッチャーの最終章はほとんど寝てました(爆)
ACT3ってほとんどエンディング。選択肢ほとんど(全く?)無いし。徹夜でクリアするんじゃなかった・・
だけど、ランダム・ハジルの「世話の焼ける奴だ」の時だけ震えましたよ。<塩沢兼人マンセー
実はパイロット版も持ってるんですけど(自爆)。 とりあえずここで懐かしんでください
ポリスノーツもやりましたけど、映画的すぎ&レッドウッドが嫌な奴なので(笑)、
儂的小島作品最高作はスナッチャーなの。

あれ?なんでスナッチャーネタになってるんだろ(笑)

やっぱデフォは黒画面のど真ん中に、「GAME OVER」ですかね。

「こんにちはマイコン」上巻だけもってました(爆)

えーと、P66についていたユーティリティFD(?)には
前述の「コロニーオデッセイ」「ワープロ」の他に、
デモFDとも呼べるモノがついていました。
その中の音楽がイイ!
PSG3和音を駆使した、その煌びやかな音色よ、嗚呼!

ちなみに曲名は「えんたあ・ていなあ」と「ちごいねる・わいぜん」です。

後何がついてたんだっけなぁ>ユーティリティFD
またしても続くかも^^; 8bitヨ永遠ナレ

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