PC遍歴 その3 32bitな時代 98編その1
update01/06/12
めんどくさそうなので戻る
NEC PC-9801DA5 1991年発売
我が愛機第2号
PCから長く離れていた私にもPC-98シリーズの御名は届いており
(というかやっぱりゲームマシンとしてだけど^^;)
次買うならX68とかより親騙しやすい勉強に使える(嘘)98だね♪とか思っていたのですが、
大学進学時に親騙してまんまと手に入れました。一緒に買ったソフトは
MS-DOS3.3cと一太郎ver4.3でした。
ええ、間違っても美少女ソフトを同時購入なんぞして無いったらぁ。<誰だよ
で、DAって言うのはその頃の98シリーズの最上機であったのですが(DS,DXってのが有った)
名機と誉の高いRシリーズの後に出た機種で、386DXの20MHzを乗っけていること、
そしてサウンド機能純正装備(86ボードと同機能だと思います)
というかなりナイスな仕様。値段もかなりナイスであったが・・・50万超^^;
個人的に9801の完成版だと思ってます。Fシリーズからは凋落の一途でしたからねぇ・・黒船来襲で。
そして特筆すべきは私のDA5にはHDDが内蔵されていたのであった!
その頃はFDD全盛時代。何百・何千枚というFDをお持ちの剛の者もいらっしゃったでしょう。
そんな友人を横目で見ながら・・・ってどっかで書いたなこのセリフ。
とにかく憑いてたんです!SASIの40MBが。
ぷぷぷ、SCSIだろ?と思った貴方!SASIってのも有ったんですよ・・40MBがMAXでしたけどね^^;
SCSI100MBのDA7というのも有りましたが高くて買えませんでしたよ。
さて、BASICというものが忘却の彼方に追いやられ、<ROMには入ってたけど^^;
新しくMS-DOSというオペレーションシステムになりました。メモリ管理とかで未だにwindowsにも
(悪)影響を与えているMS-DOSです。真っ黒い画面に、
C:\>
ってだけ出てるアレですね。
最初、How Many Files?って聞いてくれないんで焦りました(違
一太郎のFEP(今はIMEとか呼びますね)はご存じATOKですが、この時使い始めたATOKの
操作方法が手になじんでしまったので未だにIMEはATOKにしてます
(あるいは変換方式をATOK形式にかえて)
ver4は色々とバグがあったそうで、幾多のバージョンアップを重ねver.4.3となりました。
あとver3に比べて遅いのが難点でしたが、HDD装備ということで(HDDに辞書を入れておけるから)
それほど気になりませんでした。語彙も増えてることですしね。
昔のIME用辞書はFD一枚に入ってたんですねぇ・・
まぁ誤変換は色々とありました・・一番笑えたのは「女医スティック」^^;
特に口語が苦手でしたね。他にもありましたけど覚えてないなぁ・・
・・というか当時のFEP学習効果がばれるんで止めときます(爆)
DAはあまり拡張もしなかったし、純粋にゲームマシンレポート作りやタイピングを
覚えたマシンでした。たしか後でメル湖のODP載せた気がしますが・・?
あと、パソコン通信デビューもこいつでした。9600bpsのオムロン製だったかな・・
ニフティサーブに入会したけど、9600のアクセスポイントは課金が高いので
2400のところに繋いでいたっけ。
ただ、このころのネットは字だけですんでそれほど困ることは無かったです。
後は地元の草の根ネットとかちょこちょこお邪魔してました。ほとんどROM専でしたが^^;
1日で未読が100件とか言う異常なとこもあって、其処はさすがに9600で繋いでました。
未読ログがだ〜〜〜〜〜〜〜〜っと画面を流れていたのを懐かしく思い出します
あとはネットで拾ったダウンロードしてきたフリーソフトを試して遊んでましたね。
その後巷にはメイト・フェローなる98新シリーズ(9821Aシリーズ・9801Bシリーズ)が出てきて
486マシーンの誘惑が物欲モードを発動。98As2を買うこととなり、
DAは友人に三国志&A列車専用ゲームマシンとして売られていきました。
このDシリーズの後、Fシリーズで古き良き(?)9801の時代は終わりを告げます。
FAなんぞは初めての486搭載だったくせに遅くて、動かないソフトがあるとかいう
噂も出てあんまりよろしくなかったですね。
上で書いた黒船来襲(DOS/V機の上陸)で、世界にはもっと早くて、もっと安いパソコンが
あるということを皆が理解し始め、9801の黄金期は終焉に向かいます。
とどめはwindows3.1とwindows95の発売でしょうか。後はインターネット。RS232C遅かったですからね・・
まぁこの辺はその2のAs2編で一寸書くことにしましょうか・・
DOS編はこっちで書くべきだろうかな・・?
拡張子やら、ディレクトリ(フォルダ)やメモリ管理などで窓にもその影響を多々与えている
MS-DOSでしたが、NEC製はver4って無かったですよね?
なんでなかったのか知っている人いますか?教えてください。素朴な疑問。
さて、DOSベースのソフトは軽く、フリーなソフトも多かったのでよく利用しましたね。
まず黒のテキスト画面でコマンド直打ちでははやれること限られてるので
(まぁそれはそれでいいけど)
まず手に入れたのがファイラーと、エディタですね。
ファイラーは超定番「FD」。いろんなファイラーに浮気(HFとかFMとか)しましたけどやっぱり
残ってるのはこれですね。
最終的にはHF使ってましたけど(ディレクトリごとコピーできるし、拡張子関連づけが強力)
FDはカーソルキーとショートカットキーでDOSの操作はほとんどできるので重宝しました。
これ使って、日々美しいディレクトリ構造を作り上げてたもんです<大馬鹿^^;
エディタも定番「Vzエディタ」。これはフリーじゃなくてパッケージソフトです。
フリーなエディタはあんまり無かったですね。「MIFE○」は高かったので買えませんでした^^;
これもマクロ等が強力。ファイラー機能もあったけど、FDがあったのであまり使いませんでした。
多分100分の1も使いこなしてなかっただろう奥の深いソフト・・
こいつでconfigやらautoexec書き換えて
メモリ空けたり、メモリ空けたり、メモリ<大馬鹿^^;
600kbはあくんですけど、結局そんなにすると不安定に・・(爆)
まぁこういうconfigセットをHSBで切り替えながら使ってました<ゲーム用・ワープロ用とかで^^;
当然プログラミングには使用してません(爆)
まぁレポート原稿はこれで書きましたが。印刷するときだけワープロソフトへ流して・・
この2本とLHA.EXEは未だに今のPCの中にも入れてあります。何かあったときのために。
後よく使ってたソフトは、メニューソフトの「ψメニュー」とか
通信ソフト「Wtarm」とかですね。後何あったっけかな・・PCの中覗いてみないと解んないや^^;
フリーソフトの作者に、感謝。
いまのVBトカでお手軽に作ってあるソフトがシェアウエアだったりするとなんだかなぁとか思ってしまふ。
そのくせ操作性悪かったりやバグなどほったらかし^^;(まぁ作れない自分が言うことではないが。)
PDSって呼び名もあったけど、著作権放棄しないよ〜って事でフリーソフトって名前になったと記憶してます。
でも、基本的にただで使える素晴らしいソフトが沢山ありました。
太っ腹というか、そういう文化だったのでしょうね。ええ時代やったのう・・
あ、またオヤジの昔話みたいになっちった。
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