「チェコ音楽祭2004」 (2月15日)
日本経済新聞(2月7日朝刊)を読んで
スメタナ(生誕180年、没後120年)、ドヴォルザーク(没後100年)、ヤナーチェック(生誕
150年)と今年はチェコを代表する大作曲家をしのぶ節目になり、チェコは勿論、欧米諸国や
日本でも大規模な音楽祭が開かれます。共産主義政権崩壊から15年経ち、チェコ共和国は
今年5月にEUに加盟します。その記念も兼ねて「チェコ音楽の年」と名付けられました。
日本でも1999年以来5年ぶりの「チェコ音楽祭2004」が開かれます。
チェコ・フィルが今秋来演し、プラハ・フィルハーモニー合唱団を同行してヤナーチェック
「グラゴル・ミサ」、ドヴォルザーク「スターバト・マーテル」と宗教音楽の大作に挑みます。
読売日本交響楽団が10〜11月に日本初演を5曲含む8曲を紹介します。
そして私が出演する二期会のオペラ「イエヌーファ」も12月に上演されるという訳です。
チェコ大使館の参事官は「ヤナーチェックの紹介と、日本の演奏家が積極参加するのが今回の
音楽祭の特徴」と言い、民族色を国家主義的に称賛する姿勢は影を潜めて、民族の情感を見直
し、一層わかりやすく、そしてナショナリズムを超えた次元でとらえ直そうという姿勢で際
立っています。
ゲルト・アルブレヒト(読響の常任指揮者)は「ヤナーチェックは世界に広まるべき才能を
もちながら、なかなか認知されない」と。
スメタナというと、「モルダウ」を、ドヴォルザークといえば、「新世界」、
「母の教え給いし歌」(「ジプシーの歌」より)のメロディーが頭に浮かびますが、
ヤナーチェック(1854〜1928)といわれてすぐ何か浮かびますか?
ベートーヴェン、モーツアルト、プッチーニ、ヴェルディをご存じない方はいらっしゃらない
と思いますが、彼の名前すら知らない方もいらっしゃるほどなのです。
ちなみに2002年9月に小澤征爾がアジア人で初めてウイーン国立歌劇場音楽監督に就任
した最初の演目は、このヤナーチェックの「イェヌーファ」だったのです。
さあ、私と一緒に、彼を、彼の音楽を勉強しましょう。
「河川を語り、奏でる夕べ」(2月22日)
仙道作三作詞作曲、交響詩「利根川322」
利根川風景ハイビジョン映像と音楽によるコラボレーション
主催:国土交通省関東地方整備局 利根川上流河川事務所
後援:埼玉県
協力:埼玉「土木の日」実行委員会
会場:彩の国
さいたま芸術劇場大ホール
日時:2004年2月25日(水)
開場:17:00 開演17:30
第1部(17:30〜18:30)
河川のトークショー
お話:福田正博(元浦和レッズ)
聞き手:上
野晃(スポーツアナウンサー)
第2部(18:45〜20:00)
交響詩「利根川322」
昨年10月、仙道先生より、埼玉での公演のコーラスの手伝いをお願いできないだろうか?
とのお電話をいただきました。
どのような曲であるかという事と、どのような主旨でこの演奏会が開かれるのか、
という事をお尋ねしました。
その結果、声楽家になって初めてコーラスを歌う事になりました。
この歳になって、今更何故?と言われる方もいらっしゃると思いますが、
第一に、CDを聞かせていただき、楽譜を見せていただき、心に心地よい音楽だったこと。
第二に、仙道先生のお人柄に惹かれたこと。
そして第三に、今あちこちで自然が失われていて、破壊していっている人間への警告の音楽
のようにも思えたので、私は自分と音楽とかかわっている理由、ポリシーが一致したので、
ソロで歌うのではないけれどお引き受けいたしました。
合唱といっても各パート3人ずつという少人数ですから、もちろんひとり一人の役割がとても
重要になってきます。
練習2回、G.P.(ゲネプロ)そして本番です。
久しぶりに、若い方たちと一緒に楽しくやっています。
ソプラノ出身の私は、メッツォ・ソプラノのパートを歌うのが少々慣れていないのですが、
音がとれるようになると、間にはさまれた音を歌う快感も味わっています。
ゲネプロ、本番とでハイビジョン映像とのコラボレーションを初めて見られるので、
私たち演奏者にとっても、楽しみです。
私たちにとって河川はなくてはならないものです。
河川への願い、自然を考えるよい機会になればと思います。
藤原歌劇団のプリマとして活躍なさっている、ソロ(水の精)の斉田正子さんも、素敵ですよ!
サッカー好きの方は第一部で福田選手のお話も聞けます。
入場無料ですので、ぜひ、お出かけくださいませ。
ひな祭り(2月29日)
もうすぐひな祭りですね。お雛様を飾られましたか?
古くから伝わる生活行事は、忙しい現代ではとかく見過ごされがちですが、
1年に1度の女の子のおまつりとして古い歴史を持つ「ひなまつり」を
紐解いてみました。
『春に健康と厄除けを願う行事』
3月3日のひなまつりは、もともとは「上巳(じょうし)の節句」といわれていました。
「上巳」とは旧暦3月の最初の「巳の日」のこと。
古代中国では、この日に身の安泰を願い、川辺で青い草を踏み(踏青)、
川で禊(みそぎ)を行い、酒を酌み交わして穢れを祓(はら)う習慣が
ありました。
日本では、古来より形代(人形)で罪や穢れを祓うという風習がありました。
これは、紙や藁などで作った人形で体をなで、自分の罪や穢れ、災いを人形に写し、
水に流すというものです。これが、いつしか上巳の節句と一緒になり、
旧暦3月に人形で体をなで、川や海に流す日本独特の祓えの行事になったのです。
この風習は今でも「流し雛」の行事として残されています。
上巳の節句が3月3日に固定されたのは、中国の三国時代の頃で、奇数が重なる
ことで神様の力が得られると考えられていました。
日本では室町時代のころからといわれています。
『幼児の災厄を肩代わりするお守り人形』
ひなまつりの「ひな」とは、本来は「ひひな」「ひいな」と読み、
小さい事を意味します。
平安時代には、紙で作った小さな人形、小さな御殿や身の回りの道具で遊ぶ
ことを「ひひな遊び」といい、紫式部の『源氏物語』の中にも「ひひな遊び」が
描かれています。
また、平安時代には、生まれたばかりの子どもの枕元に「天児(あまかつ)」
「這子(はうこ)」という人形をおいて、幼児の災厄を祓い、無事な成長を祈りました。
これらの人形がいつしか美しい衣裳を着せられ、ひな人形の原形になったともいわれています。
『江戸時代に女の子の健康と幸せを願う行事に』
祓えの行事の形式とひひな遊びが一つになり、公家や上流武家の間でひな人形が
形作られていきました。
江戸時代の初期のひな人形は、形代の面影を残す紙製の立ち姿のものでしたが、
やがて人形技術が進歩すると、貴人の服装を着けた座りびなへと変わっていきました。
江戸時代の中期、上巳の節句は「ひなまつり」という言葉とともに、
女の子や女性たちが人形を飾り、ご馳走を楽しむ生活行事として定着。
また、女の子が誕生すると初節句にひな人形を贈る風習も生まれ、
ひなまつりはますます盛んになりました。
現在のようなひな人形の形は、江戸の後期にほぼ完成したといわれ、
経済力を増した庶民が競って豪華なひな飾りを作るようになりました。
七段飾りの登場もこのころです。
古今びなは、幕末の頃、江戸生まれのおひな様。宮廷の風俗と江戸の好みをおりまぜた
華麗さで大店などの町人に好まれました。
束帯すがたの男雛と唐衣・渉裳に天冠をつけた女雛の華やかさは、現在の内裏雛の原形と
なっています。
顔を下にむけているのは、七段飾りを見上げた時にカオが合うようにと、よく考えられております。
江戸初期の簡素なひな人形は、江戸時代の間に華やかなものへと変遷し、美しい伝統が現在に
伝えられています。
(メトロ新聞「ひなまつり」より)
春の一日の、ほのぼのとした生活行事は、いつまでも残したいですね。
★横浜人形の家★
第17回館蔵雛人形展
★中野区歴史民族資料館★
おひなさま展
★真多呂人形★
変わりびな
★遠山記念館★
雛の世界」展
★明治神宮★
神宮の森のひなまつり子どり大会
★墨田公園★
江戸流し雛
★靖国神社★
ひなまつり親子の集い
★東京大神宮★
雛まつり
あちらこちらで、色々なイヴェントがありますので、お時間のある方はちょっと
覗いてみてはいかがかしら?
私の家のお雛様は、暗い箱の中で『今年は飾ってもらえないのかしら』と嘆いて
いることでしょう。
お雛様、ごめんなさい。
2月25日
交響詩『利根川322』のコンサートが無事終わりました。
時間をかけて、映像、音声、演奏者が力を合わせて出来上がったのですが、
お客様の少ない事が本当に残念でした。
入場無料でしたから、主催者側がもっと宣伝してくれて、
満席の中で歌えたらもっとやりがいを感じる事が出来たのにと
思いました。
2004年5月、Jessye Normanのシェーンベルクの「期待」、
プーランクの「声」が10数年ぶりにやっと聞けるのです。
昔、リート・リサイタルとこの演目を予定されて来日しましたが、体調不良と
いうことで途中帰国してしまい、チケットの払い戻しをした記憶があります。
とても残念で悔しい思いをしました。
今回は、「『パリ・シャトレ座、プロジェクトI』が2002年10月、
パリで公演、絶賛された歴史的名演を、いよいよ東京で再現!」という
キャッチフレーズで持ってくるのです。
三谷礼二先生もお墓の下で、「やっと実現するの?僕も見たかったなぁ!」と、
おっしゃっていると思います。
先生は本当に楽しみになさっていましたもの。
先生は「自宅にジェシー・ノーマンが来て、ここに座って話をしたんだよ・・・。」
彼女からプレゼントされた見事な蘭(ラン)「ジェシー・ノーマン」(彼女の名前が
ついていました。)を見ながら嬉しそうにその様子をお話してくださったことを覚えて
います。
彼女の演奏会に行ったことがある方はご存知でしょうが、体格がよく、楽器としては、
うらやましい限りの身体、しかし、日常生活の中であの身体を維持していくのは大変そうです。
「歌う」ということは、スポーツ選手と同じくらい身体を使って、全身全霊で美しい声を
創り出しているのですから・・・。
彼女のすばらしいところは、人気、実力とも世界最高の歌い手にも拘らず、常に努力を
おしまないで勉強している姿です。コンサートで世界中を駆け回っているけれど、
新しい曲をたくさん勉強していて、自分の分野を常に広げています。
そういう彼女の姿には頭が下がる思いです。
まさに、歌に生き、歌に生き・・・聴衆を愛し・・という生活を貫いていると思います。
人により声の好き嫌いはあるかもしれませんが、私は彼女の生き様そのものの声が大好きです。
年々加齢とともに声の衰えがないと言えば嘘になるかもしれませんが、彼女の生き様を見せて
いただいて、私自身の勉強の足りなさ、無知さをまざまざと見せつけられる思いです。
彼女はおよそ2年おきに日本を訪れています。私は東京公演には毎回聴きに行っております。
遠慮してお声は掛けませんが、わが師の瀬山詠子先生も、毎回会場でお目にかかっています。
ノーマンは天性の才能に恵まれていると思いますが、それよりも何よりも、彼女の努力と熱心さ
には脱帽です。
どんな言葉でも、うつくしく歌い、楽しませてくれます。
当たり前のことですが、音に対してとても神経質です。歌うために、自分の身体にとても注意
深く気を使っています。会場では、いつもエアーコンディションを止めます。
音がするという事と、冬なら乾燥するし、夏なら身体が冷えるし、それを極端に嫌います。
開演時間になっても、ピアノの調律をまだやっていたり(時間が押しているということは、
彼女のリハーサルが念入りだったからだと推察しますが・・・。)、ピアノの位置を微妙に動かし、
そのホールでの声の響きを調整しているのでしよう。
聴かせて頂く私たちも、より良い演奏をするために、それほど神経をとがらせている彼女を心から愛し、
期待もしているのです。
そういうわけでどんなに待つことになっても、会場が暑くても、寒くても、我慢できますし、
それくらいしか我々に協力できることはないのですから・・・・。
まだチケットを販売しているので、どうぞこの機会をお見逃しなく、彼女の芸術のすばらしさに
触れてみてください。
長野県鹿教湯温泉・斎藤ホテルでのロビーコンサートを終えて(3月14日)
大宮から上田まで新幹線に乗り、そこから車で40分、14時に斎藤ホテルに着きました。
四方八方、山に囲まれて空気が美味しく澄んでいて、山大好き人間の私は感激!
斎藤ホテルの前で
部屋の窓からの景色
「来てよかったわ」と思いました。
ちょっとお部屋で休んでから、ピアノの位置を決めたり、響きの良い歌の立ち位置
を探したりしました。
本番前に声を使いすぎてはいけないし、反対にピアニストの斎藤さんは指をある程度
動かしていないと弾きにくいようですし、それぞれ本番前の調整は大変です。
そんな中、後援会からのすてきな「花かご」が届き、皆様に支えられているのだという
声援が聞こえてくるようで嬉しかったです。
20時からのコンサートまで,まだ4、5時間あります。温泉に入れるでもなし、
胃に食べ物を入れると歌いにくくなるので夕食もおあずけですし、ベッドに横になって
身体を休めながら、楽譜を見たり、MDを聞いたりと落ち着かない時間を過ごしました。
開演1時間前くらいになりますと、ドレスを着て(お守りを忍ばせ)、メイクをして、
丹田(たんでん)を意識して呼吸し、ケアのツボを1点、2点、3点と押し、祈り、
気合をいれ、いざ鎌倉!
緊張を隠して、ほほえみを。
ロビーコンサート風景
前奏が始まるともう何が起ころうとも、前進あるのみです。何度本番を経験しても
こんなに緊張するなんていやですね。
でも一曲終わるごとにお客様の温かい拍手とやさしい笑顔。
嬉しいではありませんか。お客様と心が通い合うとずいぶん気持ちが楽になります。
皆様と一緒に「故郷」を歌った時は会場がうつくしい響きに包まれてすてきでした。
みんなで「故郷」を歌う
斎藤さんのピアノソロもすてきに弾いてくださいました。
演奏後、サインを求められたり、感激して握手を求められたり、こんなに喜んで
いただけて私も心から感謝いたしました。
無事すべて終わり、温泉に入り、さあゆったりと、っと、ととと・・・。
しかし、お客様たちも、コンサート後、寝る前にもう一風呂浴びるため温泉へ・!・?・。
「先程はよかったですわ!」なんて話しかけられたりして、はだかでご挨拶・・・
仕方ないですよね。ここは鹿教湯(かけゆ)温泉ですもの。
部屋に戻りビールで乾杯!
コンサートが終わったあとのビールはなんておいしいーんでしょう!
冷たくなってしまったお料理をいただき、反省や音楽談義をして、
午前零時過ぎ解散しました。
NHKのBSでちょうど先ほど歌ったばかりの作曲家レハールの喜歌劇「ジュディッタ」の
一部を彼自身ピアノを弾いているシーンが映し出されていました。
ちょうど最後のシーンで、そのあとどこかの野外劇場で今度は喜歌劇「ジュディッタ」
全曲が放映され、そのオペレッタを聞きながら眠りにつきました。
長い長い1日がやっと終わりました。