考古学のおやつ

2000年2月の発言

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白井〜〜Link(29 Feb 2000 01:26:56)
某氏からの連絡で,田中先生の件がすでに昨年4月に新聞報道されていることを知りました(気づかなかった……(^^;)。
私が下に列挙した1.2.については,その通りでいいようです。
3.については,「後進に道を譲るため」という理由が報道されているそうです。
10か月経ってますけど,takさん,後追い報道します(^^?

tak(27 Feb 2000 17:49:30)
なるほどね。
大家であってもいつまでも発言を続けていれば、後進の道を塞いでしまうと言うのはひとつあるのかな?と思っていたのですが・・・
文化財行政に失望して考古学を封印したというのが本当であればご自分の研究官・行政官としての長い人生にはどう踏ん切りをつけられるのでしょうか。
まあ、いきなり電話でコメントを求めるのはかなり失礼だと言うことはこちらも重々承知していますから、気が向かなければ拒否されるのは当然なのですがね。

白井〜〜Link(27 Feb 2000 00:09:33)
昨年春以来いくつかの筋で聞いた話(いずれもウラは取ってません)では
  1. 奈文研退官とともに,本当に考古学をやめたらしい。
  2. 大学教授などにもならず,蔵書は某大学に寄贈するらしい。
  3. 理由は埋文行政の将来に失望したためともいわれている。
と言うことです。
takさんが直接「私、考古学やめましたんや。」という言葉をお聞きになったのなら,その言葉通りの意味なのではないでしょうか。

さかいひろこ〜〜Link(26 Feb 2000 00:59:28)
takさま
田中琢先生がそんな発言をされているのですか。
(なんとなく、きいたような気もしているのだけど、
全然確かではなくて、コメントできるような情報も持ってません)
その発言は最近のものですか??

tak(25 Feb 2000 19:35:45)
ある発掘のコメントを求めて、田中琢先生に電話をかけたら、
一瞬考えられた後で「私、考古学やめましたんや。そやさかいコメントはようしません」と
電話を切ってしまわれました。それはそれで結構なのですが、その後、

・「考古学をやめた」とはどういうことか?
・奈文研を引退した時点で考古学も引退と言う事か?
・後進のため、今後の発言を封じると言う事なのか?
・愛好家としての考古学も放棄すると言う事ではないと思うけど?
・単に知らない記者の電話に答えるのがめんどくさかったのかなあ?
・それとも、もっと個人的な深い理由があるのかしらん?

など、いろいろ考えてしまいました。
どなたか、思い当たるふしがある方、背景についてご教示下されば幸いです。

koyugun〜〜Link(23 Feb 2000 17:43:45)
小鹿坂の住居については、証拠はないのですけれども、おそらくは柱の上部先端はひとまとまりになっていたのでは?と思っています。貫や桁のような材料の使い方をすると、上部構造が複雑になってしまい、仮設のものでは少し難しいのではないかと・・・
それにしても、テレビや新聞で見る限りでは、かなり精巧な作りの石器もあるようですから、原人の器用さを侮れないですね。最低でも木材をどこかでくくっていたはずですから。くくるという行為はかなり難しいと思いますが、どうでしょう?
それにしても、小さいのが興味を引きますね。本当に寒さ凌ぎのためのものだったのか?バードウォッチングの時などに使う身を隠すための施設だったのか?

周辺に笹類のプラントオパールでも集積していたら、その類を壁らしきものの材料にしていたといえるかも知れませんが、古過ぎるため、なんともいえませんですね

tak(22 Feb 2000 23:46:44)
小鹿坂の住居。

石器が柱穴のサークルの中で一面に散っているのが不思議ですね。サークルの外に飛び出していないと言う事は、何らかの壁があったと言うことの証拠になるのか。
ただ、直径1メートルちょっとの底面で円錐形のテントだったら中はとても狭くて身動きが取れないでしょうね。
どんな上部構造だったのでしょうか。
雨だれの跡などは見つかっていないのでしょうか?

さかいひろこ〜〜Link(22 Feb 2000 20:37:02)
たぬぼりポストにまちがって同じ情報を2回クリックしてしまいました。
ゴメンナサイ。
小鹿坂の住居??って、パンスヴァンみたいなのかな〜とか、
今日埋文で話してました。
26日の現説、混むかしらん。

koyugun〜〜Link(21 Feb 2000 23:38:47)
>担当者の人たちが新聞の切抜きを囲んで歓談・・・・・

こりゃひどいですね。自分たちがいかに特殊な世界の人間か、わかっていないようですね。
自分たちの標準(当たり前)が世間の標準だと勘違いしてます。
ごく普通の方々にとっては、文化財の用語なんて「呪文」にしか聞こえませんよね。
新聞記者の方でも、一回聞いただけで理解できる方はそんなにおられないはずですよね。

指宿市の水迫遺跡の報道発表資料は、一度現場を見ておけば、それなりの文章が書けると思われるくらい丁寧につくられていました。ご参考まで。

>考古学者もヘンなひとが多いから

そのとおりですね。経済成長に殆ど寄与しない、ひどい言われ方をするときは「ゴクツブシ(=私、言われました(T_T))」と陰口をたたかれるような世界にあえて入ってくる方は、ちょっと変わった方が多いのは事実ですね。

>藤村さんはどこで何を出すかわからない

Q州にもお越しいただきたいものです。

さかいひろこ〜〜Link(21 Feb 2000 19:41:27)
そうですね。
去年は週刊朝日で60万年前〜70万年前の原人の絵を描くのに苦労したのですが…。
(結局、お友達や佐原先生のアイデアで北京原人を参考にしてみましたが)
小鹿坂みたいなのがでちゃうと、どんな絵を描けばいいのやら??

tak(21 Feb 2000 19:26:19)
50万年前のキャンプサイト。大騒ぎになっていますね。
それにしても藤村さんはどこで何を出すかわからないから恐ろしい・・・

tak(20 Feb 2000 18:52:34)
率直な書き込みをいただき多謝。
ちょっと大人気なかったかな。

私としては自分で一生懸命取材した人がスクープすることは尊重しなければと思っています。
ただ、そうした時、他の社はどうしてもすぐに真偽を確かめて、基本的には後追いの報道をしなければならない。そうした時に、今回のようにある程度まとまったストーリーが出来ているのなら行政側でもきちんと腹をくくって欲しいと言うのが一つ。

また、ああした発表をすれば、当然取材の問い合わせをしなければならないのだから、きちんと対応して欲しい、と言うのも一つ。
こちらは素人ではありますが、背景まできちんと押さえた倫理的な記事を書きたいと思っています。また、我々がそう言う記事を書けなければ、読む人に正確な事実を伝えることも出来ない。考古学は科学なのですから、担当者も役人ではなく「科学者」として対応していただきたいと願っています。

さかいひろこ〜〜Link(20 Feb 2000 11:26:11)
takさんの文を拝読。
…短い時間と制限のなかで奮闘されている様子がよくわかり、
怒りもごもっとも…と思うなあ。

私も白井さんのいう「スクープ潰し」だと思うけど、
そもそも記者発表用の資料がモトなんだから、
発表の表面的な内容しか読まずに云々って言われたら
ムカつきますよねえ。

なれあいもいけないかもしれないけど、
考古学者もヘンなひとが多いから、
まめな人間関係が必要なのかしらん。と思いました。

白井〜〜Link(20 Feb 2000 00:19:50)
takさん
感想は二つ+おまけ
いかにもスクープ潰し。多分ここの県は以前に変なスクープで迷惑したか,あるいはある社のスクープに対し別の社から「どうして●●社にだけ話したんだ」といやらしく絡まれたか,どちらか(あるいは両方)の経験があったんでしょうねぇ。
そうだとしても,報道発表はクイズの出題ではないはず。やや県側の意識に問題あり?
でも,記者さんも電話したときつかまらないから,これはおたがいさま(^^。

tak(19 Feb 2000 00:50:56)
最近腹が立ったこと。

 「午後3時にいきなり、発掘成果の記者発表のペーパーが投げ込まれた。発掘の意義やどの程度ニュース性があるものかわからないので来て欲しい」と言う後輩からの電話を受けて県庁の記者クラブに行く。
 ペーパーを読んで、とりあえず取材したところ、取材奈良時代の遺跡からの出土品(何かはあえて書きませんが)で、続日本紀の記述を裏付ける全国的に重要な発見だと判明。これはまず、出土品そのものの写真撮影が必要と判断。県教委に撮影を申し込むがペーパーについてきた変てこな写真以外の撮影は明日の10時にならないと出来ないと言われる。
 発表は解禁なしで行われているので、記事の出稿・報道は今日行う以外にない。どうしても今日中に撮影が必要と頼むが受け入れられない。実は明日3時解禁で明日レクを行う予定が突然解禁なしの今日発表になったので、物は保存処理中で見せられないとの事。
そもそも、発掘担当者や統括班長を含め、埋文担当者のほとんどが会議だ何だで出てこない。結局、情報わずかなペーパーと再びあちこち聞いて回った取材の成果と、くだんの変てこな写真で記事出稿。写真が取れなかったためか、各紙の多くは比較的小さな扱い。
 翌日、指定の時間に物を撮影に出向いたところ、担当者の人たちが新聞の切抜きを囲んで歓談。いわく「これは言った事しか書いてない。程度低い」「こっちは多少はコメント取材もしているが、意義がわかっていない」「発表の表面的な内容しか読まずに記事を書いてはだめだ。歴史的にもっと深い視野に立って報道を」「この発見は、・・先生も注目してる大変なニュースなんだよ。いいかげんに書き飛ばすなよ」

 何で午後3時に突然発表したんだろうか。きっと特ダネで記事を書こうとした社があったので、発表して潰したんだよね。数時間の中でこっちも結構がんばって取材したんだけど、まあ、マスコミのやる事は浅はかに見えるんだろうなあ。

 文化財担当者よ
かくのごとき、増上慢の人はまた佳しとすべきや?

さかいひろこ〜〜Link(17 Feb 2000 22:27:47)
三内丸山雪まつりの記事をホームページにアップしました。

本郷やよい(16 Feb 2000 13:15:43)
 宮崎県県埋蔵文化財センター新館が、佐土原町下那珂の県総合農業試験場果樹特産部分場の
跡地に完成し、15日に落成式が行われました。
 先日、新聞記事になった日本最古とみられる赤く彩色された縄文式土器も29日まで、
同センターで一般公開されています。
 旧館は分館として存続し、発掘品の展示や収蔵、講座などに使われるそうです。

  問い合わせ先:宮崎県県埋蔵文化財センター
         (0985)36−1171

さかいひろこ〜〜Link(15 Feb 2000 00:26:28)
チャコさんがのぞいてくれたのですこしページを更新しました。
この間から「おやつ」とリンクを張らせていただきました。
といっても私のページはぜんぜん宣伝してないので、
自分の便宜上みたいなものですが。
それではまた。

さかいひろこ〜〜Link(14 Feb 2000 23:04:54)
そうですね。
今日びの新幹線はコンクリートがふってくるんでした。

でも、新大阪から関空まで2時間(予備の時間をかけて)って、けっこうもったいないと思ったのでした。ちなみに線路が凍るような寒い日は、飛行機は飛ぶけどヒトは関空に
たどりつけないと聞いています。

白井〜〜Link(13 Feb 2000 20:52:50)
大阪−福岡間はけっこう新幹線も速いんですが,コンクリートがねぇ……。

メールで情報をくださるみなさまへ
添付ファイルの付いたメールを予告なく送らないでください。事前の連絡をして,互いの通信環境や使用ソフトを確認してからでも遅くありません。
また,そうした準備がなく送られたメールで,せっかくの内容が読めないという場合も多々あります。これではせっかくの志がムダになってしまいます。
また,私がメールの送受信をできない場合もあります(特に,現在は冬眠中なのでなおさらです)。メールよりも,要約された内容を掲示板に書きこんでいただく方が,より早く,より多くの人に情報を提示できます。
その点,ご理解くださいますようお願い申し上げます。

さかいひろこ〜〜Link(13 Feb 2000 12:24:12)
2/6の白井さんの関空のコラムを読んで。
私ははじめて福岡に行くときに利用したのだけど、余裕をみて
「はるか」が1時間遅れだったからまあよかったけど
大阪からだと新幹線でダイレクトにいったほうが
どうもはやかったようで…、でした。

koyugun〜〜Link( 8 Feb 2000 00:51:56)
2000年2月4日
長岡京「北苑内離宮」保存協力のお願い

長岡京北苑保存会

 この度長岡京左京北一条二・三坊で発見された離宮跡は、過去の都城発掘史上例を見ない壮大な規模と構造を持つもので、日本の古代史研究においても極めて意義深いものだと考えられます。そこでこの貴重な歴史遺産を後世に残すために、多方面の方々のご支援、ご協力を得たく、ここにその意義と具体的な保存策を示すものであります。
 先ず遺跡の持つ重要性を確認しておきます。
 第一に離宮が6町(10万平方メートル)という広大な地域を占有している点が注目されます。これまでの発掘調査に例がなく、文献史料でも、平安京の苑地である神泉苑や上皇が住まいした後院である朱雀院が8町として知られるだけです。なおかつ特異なのは、単に広大なだけでなく、東二坊大路という都の中のメインストリートを埋め立てて造営していることです。神泉苑や朱雀院ですら大路を塞ぐことはありませんでした。
 第二に、建物の配置が、長岡京やこれを元に造った平安宮の内裏の後宮部分の配置と多くの共通点を持つ点です。但し、決定的に違うのは、今回の施設群が、日本古来の掘立柱建物と中国風の礎石建ち瓦葺きの建物を混用するという特異な構成をとっていることです。実に風変わりな建物群だと言えます。この様な例はやはり知られていません。
 第三に、離宮の発見場所が、都の北端近くという点です。最近相次いで行われた長岡京北端周辺の調査の結果、長岡京の北京極の位置は、現推定地ではないのでは、と言う疑いが濃くなってきました。特に、宮城の直ぐ北で実施された調査では、碁盤の目のような道路網と、築地塀で囲われた宅地に、池や畑などが配された遺構が発見されています。これが「北苑」と呼ばれているのです。つまり、これまでは、宮城の北にのみ苑地が置かれると考えていましたが、京全体の北に広大な苑地が広がると推定できたのです。
 ではこの様な壮大な離宮はかって何と呼ばれ、どのように利用されていたのでしょうか。
 文献史料などによれば、長岡京には6例の離宮が知られます。しかし今回の資料ではそのいずれとも決める手がかりはありません。ただ、建物の配置と構造から、これが公的な宴会や儀式に用いられたことは明確です。ところで、中国唐の都長安には、北側に皇帝専用の広大な禁苑がおかれていました。自然地形を活かした野が広がり、宴遊や鷹狩り、散策や四季折々の植物の観賞が楽しめるようになっています。特に則天武后の頃には宮城の北東部の禁苑の一画に大明宮という広大な宮城が設けられ、内部には大規模な宴会・儀式場である麟徳殿が設けられました。日本からの遣唐使もここで皇帝と接見しました。今回の中心施設は麟徳殿の構造を日本風に模した可能性が十分にあります。
 ご承知の通り桓武天皇は渡来系氏族を母に持つため、中国の文物に深い憧れの念を抱いていました。政治、経済、文化、宗教などあらゆる分野で天皇は中国の最新の情報を取り入れようとしました。これまでの都とは異なり、大規模な「北苑」を設けたのもその一つで、「北苑」は平安京では北野として継承されたと思われます。
 発掘調査はまだ続いており、ひょっとすると新しく文字史料が発見され、こうした推論に決定的な証拠が出るかも知れません。大いに期待したいものです。しかし、調査には時間がかかり、発見を待っている間に約束の期限がどんどん近づいてきます。私たちはかって苦い経験を持っています。平城京の「長屋王邸」の調査に際し、あれだけの立派な邸宅を発見しながら、それが誰のものか具体的に解らないと言うだけで保存の声を十分に挙げることができず、最後の最後に木簡が発見され、それが長屋王邸であることが判ったときには既に工事が始まっていたという経験です。今回の離宮を「○○院」と確定しなくとも、過去のどんな施設よりもこの離宮が立派であるという事実に変わりはありません。向日市では既に東院跡を様々な困難を乗り越えて保存してきました。それを凌ぐ今回の施設を残さなかったら、私たちは後世、何と言い訳すればいいのでしょうか。子孫に堂々と胸が張れる答を残したいのです。
 この地には世界的企業である日本電産(株)の本社ビルが建設されると聞いています。であるなら尚のこと、世界企業として、これだけの文化遺産を「未来の子供達のために残した」とおっしゃれば、益々世界中から注目される企業になるのではないでしょうか。21世紀は環境の時代、その先駆けとして、この超一級の文化遺産の保護のために一肌脱いで頂けませんでしょうか。
 財政状況が厳しい京都市・向日市ではありますが、「文化財には目をつむってでも、遺跡を破壊してでも建設を進めよう」こんなお考えはないでしょう。歴史的遺産に恵まれた豊かな町だからこそ、沢山の人々が集まって来るのではないでしょうか。すばらしい財産を壊してしまえば、確かに税金は沢山はいるかも知れません。しかし気がついてみたらそのお金を使う相手がいなかったと言うことになりはしないでしょうか。昨年の報道によれば京都市と向日市にまたがる大ビール工場が閉鎖されたと言うことです。まだ跡地利用が決まっていないのでしたら、両市が率先してこの土地を斡旋すべきではないでしょうか。工場跡地には遺跡はありません。当地を国の史跡として保存し、緑と憩いの文化ゾーンとして活用する一方、企業の誘致も果たす。一挙両得ではありませんか。市長さん!社長さん!決断して下さい。そして市民の皆さん、一人一人が保存を粘り強く訴えましょう!

 下記の住所に葉書(年賀葉書の残りでもいいですよ)にて、保存を訴えてください。
 また、メール友達を誘って、下記のメールへ保存を要望して下さい。お願いします。

 保存の訴え先
 ・京都市中京区寺町通御池上ル  京都市長   桝本 頼兼 様
 ・向日市寺戸町中野20     向日市長   崗崎 誠之 様
 ・向日市寺戸町中野20     向日市教育長 奥村 将治 様

 ・〒615-0854 京都市右京区西京極堤外町10 日本電産(株)
    取締役社長 永守 重信 様
       E-mail : koho@nidec.co.jp

 訴えの文章

 ・残して下さい!離宮跡!
 ・世界の企業は文化も一流!
 ・歴史都市には未来が一杯!
 ・史跡指定を一刻も早く!
 ・文化財は市民の宝!

koyugun〜〜Link( 8 Feb 2000 00:49:13)
最近うちは、山中さんちのQ州の窓口になっています(?)
実は、山中さんちは超多忙なため、9月以来更新ができていないそうです。
私んちへのリンクがとりあえず一番手っ取り早いかと・・・
一応テキスト版もありますので貼り付けてみます。よろしくm(__)m

白井〜〜Link( 8 Feb 2000 00:33:34)
ついでなので,koyugun さんとこに公開された文書にリンクしておきましょう。
長岡京「北苑内離宮」保存協力のお願い(2000年2月4日 長岡京北苑保存会)

白井〜〜Link( 8 Feb 2000 00:17:06)
koyugunさん
ここに書き込んで頂いてけっこうです。チャコさんやさかいさんや相馬さんやこまこさんがどう思われるかわかりませんが(^^;ゞ。そんな長文なんですか?
ところで,ひょっとして Word や 一太郎の文書でしょうか。印刷物を得ることを目的として作られたファイルをこの掲示板にコピーすると,レイアウトが崩れます。また特殊な文字(半角カナや外字,ローマ数字,○内数字など)や機能を使っている場合,掲示板に障害が起きます。これらの事前のチェックをよろしくお願いします。障害が起きて救済不可能の場合,削除します。
勝手ながら,それ以上の手間をかける余裕がないのです。

余談ですが,koyugunさんが山中先生の代理で方々に書き込んでるんですか(ビラまきみたい(^^;)?山中先生のサイトに文書を置いて,そこにみんながリンクする方が手軽で広がりもあって効果的かも。

koyugun〜〜Link( 7 Feb 2000 15:59:54)
白井さんへ。長岡京跡の離宮の保存に関して、三重大の山中さん(ご本人が「〜さん」でないと困ると言い張りますので・・・)から、保存に関するお願いの文書が届いているのですが、掲示板等に書き込んでいいでしょうか?それともメールで送ったほうがいいですか?
といいますのも、かなり長大なものですので。

チャコ( 5 Feb 2000 22:24:20)
質問モード、またありましたね。日本語のルートって、考古学なんでしょうか。国語学じゃないのかなあ。大野晋さんなんかの世界の気がするんですけど。おやつメイトは何回も覗いてたけどここを覗くかどうか。

さかいひろこ〜〜Link( 4 Feb 2000 15:40:58)
千葉日報に載ってました。
2/4付け:東金・鉢ケ谷遺跡 完全な土偶、土器出土 (地域NEWS)
おさわがせしました。

さかいひろこ〜〜Link( 3 Feb 2000 23:16:25)
私が電話でおしゃべりしているあいだに
テレビで千葉県の遺跡で完形の土偶がでたという
ニュースが流れたそうで…。
どこの遺跡かあしたにはわかるかしら…。

もしわかったら教えていただけると嬉しいです。

白井〜〜Link( 3 Feb 2000 00:49:03)
展覧会編年表の誤りを,とりあえずたぬぼりPOSTに入れておきました。

相馬さん
書きこみありがとうございます。光栄です。
専門家が一般向けにものを言おうとすると,意味が欠落したり,ある程度の意味の変質に目をつぶるようなことが起きがちです(確信犯であえてウソの域に迫る人もいるかもしれませんが)。しかし,青森遺跡探訪の遺跡情報記事を拝見しますと,「平易に語る」とはこういうことかと,教えられる気がします。
今後も覗かせていただきます。よろしくお願い申し上げます。

相馬〜〜Link( 2 Feb 2000 22:04:43)
いつも「青森遺跡探訪」の動向をニュースにしていただきまして、ありがとうございます。これからも、宜しくお願いいたします。

こまこ( 1 Feb 2000 06:58:17)
まもなく終了する
「発掘された日本列島'99 新発見考古速報展」
(松戸市立博物館で2月6日まで開催)
のチケットが3枚あります。
どなたか行きたい方がいらっしゃいましたら、
至急メールいただけませんか?
なお、チケット代はいりませんが、
郵送料(たぶん速達になるので)だけ
ご負担いただければありがたいです。

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