考古学のおやつ

2000年11月下旬〜12月の発言

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tak(29 Dec 2000 16:58:22)
koyugun さんのおっしゃる通り、会津の研究会では学会としての
共通認識が出来たと言う状況では無かったですね。
ただ、いろいろな論点が提示された点では非常に有意義だったと思います。

ひょうたん穴の石器などは自身がその報道に関わらなかった事もあって、
初めて実物の石を見て、石灰付着の話も聞きましたが、非常に変な話ですね。
それこそ、出てきたときにきちんと調べるべき事柄だったと思います。

いろいろな論点と書きましたが、中には院生、学生の
研究テーマとして適したものもありそうです。
ただ、最近の学生さんは行政発掘で高い賃金をもらって研究するのに慣れていて、
そうした地味な研究は不人気なのだとか・・・

tak(29 Dec 2000 15:45:54)
koyugun さんのおっしゃる通り、会津の研究会では学会としての
共通認識が出来たと言う状況では無かったですね。
ただ、いろいろな論点が提示された点では非常に有意義だったと思います。

ひょうたん穴の石器などは自身がその報道に関わらなかった事もあって、
初めて実物の石を見て、石灰付着の話も聞きましたが、非常に変な話ですね。
それこそ、出てきたときにきちんと調べるべき事柄だったと思います。

いろいろな論点と書きましたが、中には院生、学生の
研究テーマとして適したものもありそうです。
ただ、最近の学生さんは行政発掘で高い賃金をもらって研究するのに慣れていて、
そうした地味な研究は不人気なのだとか・・・

koyugun(26 Dec 2000 22:40:11)
私は会津に行っていませんが、takさんの書き込みでちょっと気になったところを・・・

「押圧剥離でなくともあの剥離はできる」とのことですが、それは、「現生人類の手では」
という条件がつくのではないでしょうか? 存在していたと仮定して、当時の原人の手の
構造が分かりませんので、これは、ちょっと議論が成り立たないのではないかと思います。

「なんで前期旧石器に押圧が無かったなんて言い切れるの?」とのことですが、これも、
「なかったという証明ができない限り、あったという可能性はある。」ということですから、
主張の域を出ないものでしょう。

研究者の皆さんは、それぞれ自らの知識や経験というバック・グラウンドをフル稼働して
考察しているはずですが、日本の旧石器の場合の殆どは、石器しか残っていない訳ですから
「氷山の一角で全体を推し量る」のに近い状態のはずです。そして皆さんフィールドが違う
わけですから、下手をすると百家争鳴状態になるかも知れません。

最終的には、既調査地のすぐ隣地で新たな発掘を行う以外、確実な検証というのはあり得な
いと思います。

ただ、報道を見る限り、瓢箪穴遺跡の石灰付着の問題や石器埋納遺構中の石器の傷については、
意見に説得力があり、妥当な判断だと思っています。

tak(25 Dec 2000 12:35:08)
会津若松で行われたの「東北日本の旧石器文化を語る会」に言ってきました。
会場での発言で、印象に残った事をいくつか

春成氏の発言。
「藤村氏が前期、中期の旧石器を見つければ、それはもったいないから、
遺跡として登録しようとするはず。
つまり、ねつ造に使ったのは基本的に縄文時代の表面採集品の可能性は非常に高い。
そうすると、縄文石器の編年を徹底的に見直す事で、おかしいものを抽出できるのではないか」

縄文石器の編年はどの程度まで精密だったのかなー・・・と。

また、シンポジウムで石器に押圧剥離があると主張する竹岡氏に国士舘の大沼氏が、
「押圧でなくてもあの剥離は出来る。あんた、実験した上で言ってるのか・・・」

そもそも押圧かどうかでそんなに学者同士の認定に違いがあるのかー・・・と。

さらに、柳田氏との話で「なんで前期旧石器に押圧が無かったなんて言い切れるの?」と素朴に問われて、

それもそうだなーっと

いずれにしても、結構基本的な部分でおかしいと言う指摘がけっこう出来るのに、
なぜ、以前から「不信」を持っていたと言う考古学者はきちんと「発見」に
抗弁しなかったのか。
批判論文を書いたと言う人たちにしても、書いてそれで終わりと言う事はなかったのか。
例えば、あれはおかしいと、それなりの根拠を持って、地元の記者クラブなり、
在京のマスコミなりに連絡をいただければ、11月の毎日よりも早く、
きちんと検証しようとした人たちが現れたのではないでしょうか?
あるいはマスコミなどにたよらずとも、
学会で少数ながら常に批判的な質問がでるなど、正面から論争になっておれば、
藤村氏も少なくとも、
二箇所のねつ造は警戒して思いとどまったかもしれない・・・
などと、帰り道、終わったことを考えておりました。

ムシーハ(25 Dec 2000 00:03:15)
みなさん暦についてどう思われます?今、興味があるのが太陰暦だ。明治維新の前まで、日本は太陰暦を使っていた。つまりごく最近まで、日本人は月をみて暦を感じていた。昔の詩や、文学作品において月のでてくる確率は非常に高い。日本文化をしるうえで、月は切っても切り離せない関係にある。桃の節句とは、桃が咲いてる季節の三日月の日である旧暦の3月3日にやる行事なので、桃の節句を新暦の3月3日にやっても意味が無いと思う。本能寺の変の日は部分日食だったらしい、誰かが計算したのだろう。西行法師は満月の夜に死にたいと詩を残し、それを実行した。藤原氏がそれに対して口惜しい詩を残してるので本当と思う。イザヨイ、タチマチ、イマチ、ネマチ。日本人の月の夜の読み方をとってみても、微妙なニュアンスが感じられる。自分の中に眠る、日本人の微妙な感性を取り戻すためにも、太陰暦で生活するのは無理にしても、せめて月を見て、季節を感じたい。

藤村氏どこだえ?(19 Dec 2000 22:43:55)
11/5,6に頭を下げて隠れた藤村氏であります。表舞台からひょっこり隠れ、まるで行方不明。
後始末は学会に任せて今どこで何をしているのやら。謝罪したのはいいのですが、記事の様子
を見るに、自分のコレクション等も事件の真意を明らかにするため公表が必要と思うのですが
見事に隠れました。法律上は犯罪者ではありませんから再び表舞台に勇気を持って立つことが
必要なのでは。しょせん日本ではどこかで表舞台に立たないと暮らしていけませんから。
恥ずかしながら、この事件の報道を契機に再び歴史に興味を持った者です。
隠れるにしては、藤村氏は日本史の重大な発見にかかわりすぎており、気の毒ながら、事後整
理にも必要で「おわび行脚」は本来氏自身が行うべきものと思います。さらに遺跡を管理する
地方自治体や各研究機関も何が本物で何が捏造品かわけが分からず現在大混乱に陥っています。
検証予算に限界があるともいわれ、それでも信用回復のため、必死の努力が続けられているのが
今の状態。その真疑で日本史の文章が変わります。嘘を書くわけにはいかないんで。現在明らか
になっている事実のうえで形作られるのが歴史の文書。僕らも自分が何者か記すのがそれなんで、このままでは納得いきません。困ったもんだ、僕ら人間の存在はもともと何なのかまた分かんなくなってしまった。歴史とは僕らの存在価値を示すものでもあるんですがね。

アマチュア考古学者〜〜Link(10 Dec 2000 18:31:45)
近畿の発掘調査報告書のオークションを見つけました。自分もいくつか入札いたしましたが。一般ではなかなか手に入らないものがあったりして嬉しいですね。考古学・報告書など検索するとたくさん出てきます。アマチュア考古学者でも自分の視点で評価できるのがありがたいです。他にもご存知の方があればお教えくださいませ。

ちょう( 1 Dec 2000 17:50:29)
糸島半島のホームページですが 改善のために 少し閉鎖します。
ご意見 ありがとうございました。

ちょう(26 Nov 2000 19:35:36)
いえいえ九州大学の趙先生では ありませんよ。
なぜ、知っているのか聞きたいくらいです。
ごのハンドルネーム 誤解されるみたいで、ちょっとまずいですね。
他の人からも 趙研究室ですかという 質問がありました。

Web GISに関しては 一度にアクセスできる回数を いまのところ
すごく少なく設定してるのと パソコンの調子があまりよくないことで
画像が表示されなかったり つながらなかったりしてしまいます。
今までは そんなことなかったのですが・・・
明日にでも 改善しようと思います。
ご迷惑をおかけしますが 今後もこりずに みてくださいね。

岡安光彦〜〜Link(26 Nov 2000 13:19:59)
もしやちょうさんとは
九大の 趙先生!
大変失礼いたしました。

岡安光彦〜〜Link(25 Nov 2000 22:59:19)
ちょうさんのページ、拝見しました。
凄い!
あんた、ホントに素人か?!
何者かは存じ上げませんが、もしよろしければ、我が社に入社、ご考慮いただけませんでしょうか。

koyugun(25 Nov 2000 12:05:17)
ちょうさんへ

図面見させていただきました。面白いと思いましたが、滅茶苦茶チェックを入れて表示
させようとしたら、固まってしまいました。
一度にどのくらいの表示なら大丈夫なのでしょうか?

ちょう(23 Nov 2000 05:51:05)
書き忘れました。
ご意見、御感想はこちらまで。
(この掲示板でも 議論してもらえるとうれしいです)
Eメール:tabii_y@hotmail.com
よろしくお願いします。

ちょう(23 Nov 2000 05:35:37)
はじめまして。
九州・福岡県の糸島半島を対象に遺跡情報に関するホームページを作ってみました。
http://media.arch.kyushu-u.ac.jp/scripts/esrimap.dll?name=Itoshima&cmd=Map
遺跡立地の分析、遺跡情報の取得などにご利用してほしいと思っています。
どちらかというといまのところ、各自で分析したり議論したりということを
してもらうようなページとなっております。
まだまだ実験段階ですが、ぜひご覧ください。
ご意見、ご感想を待っています。

法律・考古とも半可通(23 Nov 2000 00:30:19)
著作物の引用について

ここは法律論をたたかわす場ではないのですが、論文や報告書を書く上で知っておいてもよい、
著作権法(日本)の規定を抜き出してみました。

第二十条 著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。

第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。

第四十八条 次の各号に掲げる場合には、当該各号に規定する著作物の出所を、その複製又は利用の態様に応じ合理的と認められる方法及び程度により、明示しなければならない。
 一 第三十二条、第三十三条第一項(同条第四項において準用する場合を含む。)、第三十七条、第四十二条又は第四十七条の規定により著作物を複製する場合
 二 (省略)
 三 第三十二条の規定により著作物を複製以外の方法により利用する場合又は第三十五条、第三十六条第一項、第三十八条第一項、第四十一条若しくは第四十六条の規定により著作物を利用する場合において、その出所を明示する慣行があるとき。

2 前項の出所の明示に当たつては、これに伴い著作者名が明らかになる場合及び当該著作物が無名のものである場合を除き、当該著作物につき表示されている著作者名を示さなければならない。

[私注]
どうも第20条→引用するなら原文のまま→引用するなら全文と誤解されかねない発言がありましたので老婆心ながら。
第20条と第32条の関係ですが、32条で引用範囲が限定され、その上で20条により原文の表現(に化体された著作者の人格的利益)の尊重が引用者に課せられることになります。
第20条により直ちに原文の全文の引用が要求されるわけではなく、原著作物が極端に短い場合を除き、第32条で全文の引用が許容されるケースは少ないと私は考えています。
原著作の論旨を歪曲するものでない限り、引用は必要にして十分な範囲に留めるべきというのが立法趣旨にも合致するでしょう。

企業の知的財産部で糊口をしのぐアマチュア考古学徒の脱線発言でした。

koyugun(22 Nov 2000 23:51:29)
文化の流入≠人間の移動ですから、難しそうですね。
文化の流入は、環境の変化などによる生活様式の変化であったり、
宗教観念の伝播であったりしますし、こっちもなかなか難しそうですね。

真面目にいっているんですが、バドワイザー飲んでても、クリスマスを祝っても日本人です。
不燃物ゴミにバドの缶が沢山入ってても、「このうちにはアメリカ人が住んでいる」とは誰も思いませんし、
トヨタやホンダの車に乗って寿司を食ってても、欧米人は欧米人ですから。

文化がごっそり短期間で移動した痕跡が認められるのなら、人類の移動ということも考えられる
のでしょうが、比較的緩やかな伝播は、捉え方が難しいと思います。

白井(22 Nov 2000 20:41:54)
参 考さん,ありがとうございます。

閲覧者の皆さん,日本新聞協会のサイトには下からどうぞ。
日本新聞協会
なお,同協会の見解は,ほかの新聞社のサイトにも掲載されています。

参 考(22 Nov 2000 18:35:27)
◎報道記事引用の件
 社団法人・日本新聞協会のガイドラインを参考あれ

 日本新聞協会HP-「著作権」(検索)-『(4) 見解 1997.11』
  (Pressnet)

tak(22 Nov 2000 07:52:31)
少し気分を変えて、今考えていることを・・・

例えば、三内丸山と吉野ヶ里の2つの遺跡の話をきっかけに列島の古代史を考える、
みたいなテレビ番組を作るとして、
今、新しい切り口としてどんなことが可能でしょうかねえ。

日本列島への文化や人間の流入ルートの南周りと、北周りみたいな事で
やったら面白いかななどと考えているのですが、
(人種とか、鉄とか、作物とか・・・)

「人種」については総進不動坂の事があってちょっと怪しげになっちゃいましたけど。

masami(22 Nov 2000 01:19:52)
訂正
×……引用文が主、批判文が従かを〜
〇……批判文が主、引用文が従かを〜

以上訂正します。

masami(22 Nov 2000 01:14:50)
著作権法について、知ったかぶりで発言すると恥をかきますよ。
引用文は可能な限り引用個所の原文のまま引用すると、著作権法で定められています。
また、著作権法には引用文の長さその物の規定はありません。
内容で引用文が主、批判文が従かを判断します。

私の場合は記事の紹介、考古学の批判のためで、
記事その物の批判が目的ではありません。
なお、紹介のための引用は社会通念上の慣行で認められています。
さらに「著作権に引っかかります」?
著作権とは、著作物作成と同時に発生する自然発生権のことです。
ハンガーじゃないので壁にも引っ掛かりません。
正しくは「著作権法に引っかかります」でしょう。
法律と権利を混同しては話になりません。

夢 鳥(21 Nov 2000 23:55:38)
 どういう情報であれ、「信じる」「信じない」は個人の自由だし責任でもあります。しかし、感情を持った言葉としてネットへ流したとたんに日本中(世界中)を駆けめぐります。「売り言葉に買い言葉..」も仕方ないのですが、国会のドタバタで水を撒いた議員のように恥をかくことになります(たとえ匿名でも..)。過去のログ(ねつ造問題以前)に遡って読んでから発言するのが、最低限のマナーではないでしょうか?
 あとですね、新聞記事そのままの引用や、引用が本文より著しく長い場合は著作権に引っかかります(個人的には厳しいなと感じますが..)。気をつけないといけないですね。

 かくいう自分も、あやふやな記憶を書いてしまいました。一般向けの遺跡ガイドに書かれていたのは中峰C遺跡ではなく、北海道の総進不動坂遺跡と上高森遺跡でした(全国訪ねてみたい古代遺跡100 岡村道雄・監修 鎌田俊昭・執筆 成美堂出版 2000.1)。訂正します。m(_ _)m

 今日の朝日新聞・都内版では多摩NT471B遺跡の再検証の様子が詳しく書かれています。「こちらは間違いないと思うが、再検証は行う」と断言したばかりですが、検証したくても遺跡は跡形もなくなくなっているし、報告書もまだ刊行されていないので戸惑いの様子も伝わってきます。10年以上前の調査現場の証言をとっても、各人の思いこみや主観が入るので難しいようですね。

岡安光彦〜〜Link(21 Nov 2000 22:27:51)
経営という視点から見ると、考古学の「経営」にとって、前期旧石器は完全にサンクコストとなってしまいました。例えば、役にたつと思って購入した機材が、実は使い物にならなくて、無理に使おうとすれば、かえってそのマイナスが大きくて、経営に対して負の働きを為す。それがサンクコストです。まさに藤村氏の関った調査は、日本考古学のサンクコスト以外のなにものでもありません。経営という視点から見れば、即、全面的に切るのが常道なのですが、問題は、考古学は経済活動とは根本的に違うということです。もうけなんかどうでもいいから真実を知りたい、それが考古学ですから。

tak(21 Nov 2000 21:03:17)
藤村氏がいた現場で彼が石器を見つけたかどうかは、
ねつ造があったかどうかの直接の証拠にはならないんですね。
上高森では彼以外の人が発掘したものもねつ造品があり、
藤村氏の言を信用するならば、
彼が掘り出したものの一部は本物だったわけですから。

要するに、ねつ造かどうかの手がかりとなるのは、
発掘したとき、石器の上の土に埋めたような痕はなかったか?
と言う事に尽きると思うのですが、
そうしたことは調査日誌の書き方からして、
きちんと記録されているものはないのではないでしょうか。
あるいは、掘る前に一枚一枚土層の写真でもとていればよいのでしょうけど、
そんなことはないでしょう。

で、結局再発掘しか手がなくなってしまうのだけれど、
見つかった石器がほとんどないところ、
あるいは中島山のように、一個の石器が接合したと言うのが成果だと言う場合、
これは再発掘がやぶへびになる可能性がある。

再検証は非常に難しいと思われます。

結局は前期旧石器時代の新しい遺跡の発掘で
発掘史を塗り替えて行くしかないのかな。

早傘(21 Nov 2000 20:15:52)
 河合信和「最古の日本人を求めて」(1987,新人物往来社。前半部は、藤村氏を主役にした宮城旧石器遺跡発見物語)にも共同の配信記事と同内容の、中峯C遺跡における藤村氏の活躍の様子が記されています。
 また、これは伝聞ですが、中峯遺跡の報告書の"調査日誌"自体に、同様の発見の経緯が書かれているらしいです。

tak(21 Nov 2000 18:44:28)
「真相の解明」って簡単に言うけれど、
出来るんだろうかと言う事に付いては、
これまでいろいろ議論されてきた通りでしょう。

考古学関係者が、信用できないとも、
マスコミが信用できないとも思いませんが、
今回の事件で、毎日に完敗したマスコミは何とか続報をと非常にあせっている状況だし、
考古学者は協会も含めて、こうした不祥事に対処した経験は薄く、
組織的に事にあたる力も弱いと言うことでしょう。

「見苦しい」とか言う感情的な言葉を投げかける段階はすでに終わっています。
では、具体的にどうすればよいのかを論じてゆかなければなりません。

masami(21 Nov 2000 17:04:35)
藤村氏を除名する前に真相を解明するべきでしたね。
先に処分したので事実解明もさらに困難、
考古学の関係者達が「うやむやに終らせたかった」のでは?

「取材を受けたという宮城県の友人」なんて伝聞では信用できません。
マスコミ以上にあなた達考古学関係者は信用できません。
それに事実と違うなら、その友人本人が東京新聞に抗議すれば良いことです。
「毎日新聞のスクープも怪しい」と言いたいのですか?
見苦しいですよ。

もこりん(21 Nov 2000 12:51:52)
べおさんの情報だと、新聞記事とは180度くらい違うじゃないですか!
こんどは新聞やさんの捏造ですか?
事実と異なる報道をされたのなら、きちんと対応を取るべきです。
考古学のためにも、報道のためにもね。
それにしても、何が正しいのか、もう、現状では判断つきません。
結論を急ぐべきではないのでしょう。
そう簡単に結果は出ないでしょうな。
今、自分たちは、ぽろぽろ出てくる情報に惑わされることなく、応分の役割を果たすことに粛々と努力するのみです。

べお(21 Nov 2000 09:41:44)
東京新聞・産経新聞の記事は、共同通信による配信のものです。
それも、同社の記者の「予見」によるところが非常に高い・・・。
取材を受けたという宮城県の友人によれば、このことについて次のように言っていました。
「中峰の石器は90%以上が職員もしくは調査作業員が掘り出したものです。発掘は県による
管理の下で行われており、藤村氏が現場に自由に入れる状態ではなかったと言っています。
また、記者からの取材は電話のみで、しかも自分の予見の証拠を固めるだけの言葉じりをつかむ
ようなやり取りだったそうです。」
彼は、充分な証拠も得ずスキャンダル化しようとしている新聞報道を嘆いていました。
中峰が調査されていた頃、大分県で「オオツノジカ」の壁画発見というニュースがあったように
思いますが、(あれも共同通信でしたね。)今回の記事も2匹目のオオツノジカにならないといいのですが。

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