考古学のおやつ

2000年11月中旬の発言

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[2000年11月上旬|2000年11月下旬〜12月|最新|編年表]
白井〜〜Link(20 Nov 2000 23:12:38)
多忙に尽き,コメントは先延ばししておりますが,1点だけ。
なお,慌てて書きますので,一部事実関係の確認があやふやなことをお断りしておきます。
東京新聞の記事は,ほぼ同文を前日に産経新聞が配信しています。
東京新聞・中日新聞(同系列)と同時に,西日本新聞にも載ったようです。
全国のブロック紙(北海道新聞・河北新報・東京新聞・中国新聞・西日本新聞など……だったと思う)は相互に記事を交換し合うことで全国紙に対抗しているようです。
以前,島根県邇摩郡温泉津町のモーニング娘。騒動の時も,まず中国新聞が記事にした後,東京新聞(確実)や河北新報(記憶曖昧)も同文の記事を載せましたので,同じ方法によって記事になったものと思われます。
今回の件も,そう言った経緯で掲載された記事と思われます。
#なお,「モーニング娘。騒動」といっても,彼女たちに罪はありません。

夢 鳥(20 Nov 2000 21:24:26)
 今回の件で教育界への影響と言ったとき、「教科書の書き換え」だけでは済みません。元来、教科書の内容だけを教える歴史の教員なんてプロとは言えず、たとえ小学校レベルでもそれは同じです。教材研究の中で時代イメージをつくり、大勢が認める成果を資料として提示します。
 その意味で、専門家の「このあたりまでは遡れば確かだろう」というニュアンスに大きな開きがあるように感じられるのです。ある方は(藤村氏が関与しない調査もある)10万年程度と言うし、ある方は4〜5万年あたりと言う。また疑問が座散乱木の成果まで遡るのであるから、3万年より古いものは一から考え直した方がよい、と言う方もいますよね。(あくまでも断定ではなくニュアンスですが..)授業で、中期旧石器まで「?」にしてしまうことには、まだ抵抗を感じます。「列島に人が住むようになったのはいつ頃か?」という基本的な問いかけが大切な学習のきっかけだと考えるからです。
 こういった状況ですから、旧石器の専門でない人が確証もなく主張することをはばかるのは当然だと思うのですが、たとえ専門でなくても歴史学、考古学に関わっている方々から御自身の確信やそれを裏付ける資料を発言していただけると素人でもイメージがつかみやすいと思います。また、ネットだからこそ可能なことではないでしょうか。
 次に教育への影響といったとき、博物館の役割が大変重要なのではないかと思います。具体物を通して知識以外でも様々な学習が成立するのが博物館の教育的役割と考えると、展示を撤去する(現状の緊急処置としては仕方がないですが)ことや疑惑のパネルは削除する..ということで済ましてしまったら、予算や運営の都合で10年以上も展示を更新していないのと結果として同じことになるのではないか、とも感じてしまいます。
 素人なりに研究史を調べて、既に芹沢長介氏の大分・早水台の頃から「自然剥離か人為的加工か」という議論があったことを知りました。今回の再検証も含めて、同じ議論が再燃するだろう、と考えると具体物を提示する博物館による新たな提起の仕方も考えられないでしょうか?

 中峰C調査の様子について‥既に一般向けの遺跡ガイド(書名は失念しましたが編者は岡村氏です)の中で、鎌田理事長が石器発見の様子を生々しく語っています。東京新聞の記事は、本人の告白というわけではないので、特にスクープというものではないように思います。

masami(20 Nov 2000 01:50:19)
83年にも藤村氏がねつ造疑惑だそうです。

東京新聞サイト 総合
http://www.tokyo-np.co.jp/news/index2.html

藤村氏ねつ造 83年の宮城中峰C遺跡 1人の時だけ石器
 宮城県・上高森遺跡などで出土品ねつ造問題を起こした東北旧石器文化研究所の藤村新一前副理事長(50)が、前・中期旧石器時代の調査研究が本格化したばかりの一九八三年、宮城県大和町の中峰C遺跡で一人のときだけ重要な石器発見を繰り返し、遺跡の時代をさかのぼらせる端緒をつくっていたことが十八日、関係者の話などで分かった。
 最近発掘された遺跡だけでなく初期の遺跡でも不審点が浮かんだことで、文化庁や宮城県、考古学関係者は当時の発掘調査の抜本的見直しと各遺跡の再調査をさらに迫られそうだ。

今度は東京新聞のスクープです。
呆れ返るだけです、私は。

tak(20 Nov 2000 01:46:07)
藤村さん、東北旧石器文化研の鎌田さんとは連絡はとっているようですが、
家にはまだ帰っていないんじゃないかな。多分、宮城県内にはいると思いますが。

あの2つ以上に本当にねつ造がないかどうかは、一緒に発掘した研究者でも
本当に確信を持って「ない」とは言えない状況ではあるようです。

ただ、もし、もう一つ、二つとねつ造が出てきたとしても、
それでも、全てがうそとは言い切れない。

ここがこの話の決定的に難しいところですね。

もこりん(20 Nov 2000 00:26:48)
下で送信二度打ちしてしまいましたすみません。
koyugunさん、れすありがとう。
11/19 産経・東京新聞によれば、83年の宮城県中峰C遺跡でも藤村氏のかかわった時だけ石器が出ているという。
当時の発掘に関係した宮城県の人の発言が記事になっているが、「証拠」のある話ではなさそう。
巷では、「まだまだ出てくるに違いない」とのうわさが当然あると思うが、かつて一緒に現場をやった人の談話を大きく扱うというのは、当然マスコミも「余罪あり」とふんでいるのだろう。
文化庁も県も協会も、再調査だ補助金だと、いろんな考えもあるし、短期的にも長期的にも考古学への信頼回復その他のために、いろんな手を打つのはわかる。
しかし、ここで「余罪」が出てきたりしたら、いったいどうなっちゃうんでしょう?
遺跡はとりあえず無くなったり、どこか行っちゃったりしないからいいけど、
藤村さんはどうしてるんでしょう?
もし、ほんとに「実は・・・」なんてことになったら、今やってる対応のほとんどが茶番になっちゃいますよ。
もう少して落ち着いたら、彼の釈明(?)というか、話でも出てくるんでしょうか?
行方不明なんて記事も見ましたが、研究所や、国、県の人はコンタクトとれてるんですかね?
知ってる方いません?
まいにち気分がモヤモヤします。

koyugun(17 Nov 2000 07:00:02)
もこりんさん、了解です、「内部(上部)」とありましたので、ちょっとニュアンスを
取り違えたようですね、すみません。

「指導する」ところがそんなんじゃどうしようもないですね。「何を考えとんねん」という
状態ですね。それと似たようなこともありましたが。保存協議がほぼ成立してるのにご破算
にしてしまう人とか(もう一度保存の方向に修正するのに苦労しましたが)、「何とかして
くれ」と協議を申し入れても「お前の言ってることは解らない」と言って逃げた人もいます
よ。念のために言っておきますが、さすがに今はそんなんじゃないんですが。
話が違う方向に行きそうなので、こちらもこの件はやめますね。

発掘調査に関する取り扱いの件については、了解です。盛土の件などは入ってきてるんです
が。やっぱ、地方分権とやらで都道府県単位で扱いが変わってしまうんでしょうね。このま
まじゃ畿内あたりとの差がますます広がりそうな気がしています。地方分権もいいかもしれ
ませんが、同じ遺跡の取り扱いを「県が違うから扱いも違う」じゃあお話にならないんです
けどね。
今はそれほどでも無くても(実際はえらい差がありますけど)、将来もっと差が開いてしま
うことになれば、「A県は旧石器が良く出るが、B県は全然出ない」なんてことになってしま
うような気もします。

もこりん(17 Nov 2000 02:12:39)
koyugunさん、レスありがとうございます。
ところで、私が「上部」としたのは、上部機関のことです。
本来私たちを「指導する」というところです。
埋蔵文化財はお荷物と思っているような、上司や首長のことを指しているのではないのです。
そんな相手なら、私はいくらでも抵抗するし、やってきた。

「やらないでくれ」といわれます。もめるから。
そこには遺跡に対する愛着というか、こだわりや情熱などは微塵も感じられず、「あるかもしれない」
という推論など、なんの価値も説得力もない。
同じ「考古学」という学問によって1人の人間として生きている仲間のはずなのに、人は立場によって、大事なはずの自分の足元さえ揺るがすこと平気でやれるのです。
みてみぬふりして目をつぶることができるのですよ。目をつぶれと「指導」できるのです。
他人がやる調査にはむちゃくちゃな条件突きつけて、あとは「とにかく早く無事に終えてくれ」と祈っている。
一方で、自分たちはきちんとやっているというフリをしている。
これは充分「捏造」なのです。

ぼやけた書き方しかできませんが、行政発掘されてる方にはわかってもらえると思います。
自分で書いててむなしくなってきたのでもうやめます。
不快に思う方がいたらすみません。

話はかわりますが、文化庁による発掘調査に関する取り扱いの件は、2、3年ほどまえにかわりました。
遺構・遺物への影響範囲の解釈は、盛土が2M以上が要発掘調査だっだのが3M以上と改悪です。
個人住宅は盛り土などで30Cm以上の保護層が確保されれば、従来の、恒久的建築物との解釈から除外し、発掘調査の対象からはずしています。
この他にもありますが、こうした取り扱いは都道府県により微妙に異なるはずですから、ご自分の所でご確認を。
私の友人のところでは、ゴルフ場の調査で、コースの多くを盛り土で作る計画だったところが、
取り扱いの変更で、調査範囲が大幅にかわったりして難儀しているそうですよ。

夢 鳥(16 Nov 2000 23:48:29)
 岡安さん、takさん>レスありがとうございます。

>学問の基本はフィールドワークにあると言うことは
>言いたかったのですが。

 まったく同感です!藤村氏を含めてアマチュア考古学者と呼ばれる方々のフットワークの軽さは、情熱の表現の一つなんだろうと常に手本にしているところです。

 あの..先生とか様は、つけないでくださいね。よろしくお願いします。(^^;)
 取り急ぎ、失礼します。

tak(16 Nov 2000 22:14:36)
夢島さま

原人の石器にこだわりすぎて発掘がずさんになったと言うのは、
確かにそうかもしれません。

あまり詳しくは書けませんが、
昔の旧石器研究は境界領域の学者とのきちんとした共同研究があったのに、
いつのまにか古さを判定する地質学者がいればいいという感じになってしまったと
ある大家が嘆いていました。

特に藤村氏のは、そうしたグループの中でも何しろ石を出すことが仕事ですから、
年に何回もと言う異常なペースの発掘に飲まれてしまったと
言うことなんじゃないかと思っています。
あの人ってプライドは高くて、「見つからない」ってなかなか言えない人だと思います。

ただ、そうした問題とはまた別に、学問の基本はフィールドワークにあると言うことは
言いたかったのですが。
フィールドサイエンスを論評するには自分もまたフィールドに入って、
より深い研究成果を元に行うほうが、少なくとも学問の発展にはより大きな果実を
与えることが出来るのではないでしょうか。

素人向けの掲示板と言うお話ですが、ここの人たちは素人的な質問をしても
丁寧に答えてくれると思いますよ。

僕なんかはマスコミ人で、時々無礼なことやピントの外れたことを言うので
ときどき、無視されたりもしますけど。

丁寧に、学生さんに参考書を教えてあげてた人もいましたね >さかいさん

岡安光彦〜〜Link(16 Nov 2000 21:45:49)
夢島先生、青森遺跡探訪掲示板におけるご指摘、胸に染みました。ご指摘の通りです。
つい、むきになってしまいました。お恥ずかしい限りです。
子供達に見てもらえるか---、これを自分の基準にします。
ところで、
>夢島先生 素人の素朴な疑問にも、ある程度対応してくれるような勇気ある
>夢島先生 掲示板(あるいはQ&Aページ)が出てくるといいんですけれど。
>夢島先生 (..今は無理ですかね
実現に向けて努力します。

夢 鳥(16 Nov 2000 20:42:36)
 ボクなんかが異論を挟むのは、おこがましいとは承知しつつも..
 takさんのご意見
>実際にご自分の発掘したもので明かしていかなければ、(15 Nov 2000 12:26:33)
>発掘成果に対する本質的な批判をしようと思ったら、相手のフィールド
>で自分も実際に発掘をやって、その成果を元に「おかしい」と言ってい
>くのが王道だ(16 Nov 2000 10:05:10)
 この考え方の捉え方が、今回の件の根っこにあるような気がするんです。藤村氏に直接会ったことのある人なら、きっかけとなった動機を考えると思うのですが、「原人文化の存在を証明するためには、どうしても発掘によって石器を発見したい」という意識があったんではないでしょうか?さらにエスカレートして「石器群」「遺構」というように..。もちろん、現時点では全くの憶測にしか過ぎません。言わんとすることは..(学問上)未知の世界の発掘調査であるがゆえに「眼に見えないミクロ単位の資料」の集積が必要条件だったのではないか、と思うのです。(具体的にはピュアな土壌サンプルや覆土の篩いかけ・分析等です)
 もこりん。さんやkyoyugunさんの発言でも十分伝わってくるのですが、現状の枠組みの中でギリギリの余地を見つけ深掘りを行い資料を残していく調査が大半なのですから、学術調査の場合、考えられる様々な方法論、資料価値を検討してから調査すべきだったのではないかと思うのです。しかし、残念なことに氏を中心とする調査には再検証できるような資料がほとんど残されていないようにも伝わっています。「ねつ造がバレないように」というよりは、「原人の石器を発見する」ことにこだわりすぎた結果ではないか?と考えますが、やはり素人考えでしょうか。

 ところで、岡安さんの『考古学情報広場』提案(12 Nov 2000 22:18:06) に期待しています。掲示板の特質上、議論が目的で設置したわけではないでしょうから、なかなか難しい面もありそうですが、論点が整理されながら建設的に進められることを切に願っています。
 素人の素朴な疑問にも、ある程度対応してくれるような勇気ある掲示板(あるいはQ&Aページ)が出てくるといいんですけれど。(..今は無理ですかね<(_ _)>)

koyugun(16 Nov 2000 16:02:45)
もこりんさんのおっしゃること、理解するに余りあるものがあります。
しかし、かなり難しいことではあるのですが、台地を切り通して道路などが造られる場合は、
掘削面まで、無いなら無いということがわかるまで、何らかの方法で調査はしなくてはなら
ないと思います。遺物が確認されるまでは、全面調査は難しいでしょうが。

私自身、AT下位から信じられない量の遺物が出土したときは、喜びどころか目の前が真っ暗
になったというのが実感です。AT下位でこれほど出たら、いったいどこまで出るかわからない。
そうすると調査期間はあとどれくらい必要か?費用の捻出は?事業課との調整は?などなど。
(幸い公共事業でしたので、何とか調査を続けることができたのですが)
実際、それからしょっちゅう首長には呼ばれ、いつまで調査するのか?費用はどうするつもり
か?いったい何のためにそこまで調査するのか?などなど。投げ出してしまったほうが、精神
的にも体力的にも、楽なのはわかっているのですが、一度壊したら無くなってしまうので二度
と調査はできないという意識で踏みとどまるしかなかったという状況です。
調査レベルは、学術調査に及ぶべくも無く、「石器拾い」に毛の生えたような程度の調査しか
できなくなりました。その点については、今もかなり悔やまれますが。

しかしそれ以降、AT下位にも旧石器の遺物が眠っているということが県レベルで認識されるよ
うになり、AT下位の石器群が次々と調査されることになりました。最近では、AT下位までぶ
ち抜くのが当たり前になりつつあります。

ところで、文化庁は開発行為との調整に当たって最近はどのような考え方になっているのでし
ょうか?4年程前、文化庁&都道府県教委が主催する研修会(名前忘れました)に参加したと
きに、文化庁からは「21世紀には、事業者との調整を円滑に進めるために、試掘・確認調査で
は、行くところまで行くようにするが、例えば道路工事の場合、掘削面が遺構・遺物に影響の
無い範囲の場合は本調査は行わなくても良い方向に変わっていくだろう。」といわれていたの
ですが。

ちなみに、今日は休暇です。

もこりん(16 Nov 2000 13:04:34)
行政の発掘では、旧石器の調査は、「あるはずだ」というなんらかの根拠(隣接地で過去に見つかってるとか、別時代の遺構の調査中に石器がたまたま出たとか)が事前、あるいは調査中にでもないと、実施は難しいですね。
ただ、千葉の県センターではほとんどすべての調査で、兆候の有無に関わらず上層調査面積の4%をローム層以下の調査に当てています。
このため、千葉の旧石器遺跡の数はかなり高密度のはずです。
ある旧石器研究者が「やりすぎ」と呟いていたのを記憶しています。
一方、千葉県内の市町村では最初に書いたとおりの調査状況で、めったなことでは調査できません。
さまざまな理由で兆候を探ることすら「許されない」場合がほとんどです。
やったとしても、いわゆるAT層をぬいたら終わりですね。
もっとも、似たような問題は中・近世や近代の遺跡についてもあります。
どこまでやるのか?というね。ずいぶんもめたことありますよ。
低地の調査も明らかな場合以外まずやらない。試掘からやらない。
台地のうえと比べて莫大な金がかかるから、特に民間事業者に負担を求める今の制度では、調整担当側は弱腰になる。旧石器のことも同じ理由。
やろうとしても、内部(上部)から止められるのがパターンです。
ほとんどの自治体職員はそういう状況に慣れてしまっているし、あきらめている。
マスコミは今回のことをきっかけに、官僚化した埋蔵文化財行政の暗部もよく見て欲しい。
いまや、「考古学」と「埋蔵文化財」は乖離する一方で、似て非なるものへと確実に突き進んでいるのだから。

tak(16 Nov 2000 10:05:10)
>さかいさん

なるほどね。
藤村さんの石器を細かく分類してみると、わかることってあるかもしれませんね。
古いものとみょうに新しいもので2〜3群に分かれるとか。

ただ、発掘成果に対する本質的な批判をしようと思ったら、
相手のフィールドで自分も実際に発掘をやって、
その成果を元に「おかしい」と言っていくのが王道だと僕は思っています。

指摘としては重要なことでも研究者が行う以上、
文献や海外発掘の成果とだけの比較では弱いのではないかなと思います。
それならマスコミの論説とあまり変わりがないのじゃないかな。

これまで、彼の批判は無視されたと言われているけれど、
藤村氏と同じ、東北地方で豊富な発掘成果をあげた上での批判であったら、
やはり無視されたかどうか、と思うのですね。
これは、東北で藤村グループにかんだ多くの研究者の思いでもあるのじゃないかな。
実際に取材をしていても「発掘してから批判せよ」言う声を何度も聞きましたよ。
まあ、「ない」と言うことを証明するのは「ある」と言うことを証明するより
絶対難しいわけですが。

行政発掘で旧石器まで掘れないというのはその通りのようですね。
縄文の現場に行くと、最後は火山灰土まできっちり下がっていて
いかにもこれで終わりと言う感じですが、旧石器はさらにその下にあるわけですね。
でも、それまでの発掘と同じくらい金をかけて掘っても
見つかるのは石器がチョボチョボと言うことであれば、
掘ると言う決断をするのは尋常ではないと言うことのようです。
人によってはこっそり掘って始末書を取られた人もいるとか。

旧石器研究の裾野が広がらない背景には、
このように、職業的な発掘になじまないと言うことが大きな理由としてあるんですよね。

さかいひろこ(16 Nov 2000 03:07:50)
takさんのコメントを読んでおもいついたこと。変なこと書いちゃうかもしれないけど。

日本各地で発掘調査が行われていますが
関東地方のふつうの行政の発掘調査だと遺構の確認面(関東ローム層)まで掘って終了すると思うのですが、旧石器の調査は遺構確認面を下げて行うので、行政発掘でどれほどロームより下の調査が(時間的に・予算的に)できていたのかなあ…と、ふと思いました。

どこでもきちっとやっているのかな?(できるのかな?)
(この場合 後期旧石器をイメージして書いています)

行政発掘で前期旧石器が対象になるとすると
その層は本来ならずっと下の層なわけで、ふつうよっぽど
(かなり確実な地層が出ていて、遺物が出ることが予想できる)
のことがないと調査にはならないと思うのです。
また、調査担当者のほうで問題意識を持っていないと…。

旧石器の調査研究というのは、旧石器を追い求めるひとびとがひとつひとつ積み重ねながら切り開いてきたものだと思います。

縄文〜近代の調査をするのとくらべていろいろな制約があり、調査するにも困難を伴う時代ですが、視野は世界に広がっていて、それだけロマンがあるようなイメージを持っていました。

「藤村氏の発掘した石器がヨーロッパの同時代のものと違う。それはそうなんですね。
ただ、例えば竹岡さんが国内で発掘をしてヨーロッパ型の石器を見つけていて、
「俺の見つけた奴と違う」と言う議論はないように思います。」

う〜ん、「俺の見つけたやつと違う」という議論はあんまり必要に感じません。
竹岡さんもヨーロッパがルーツとは言っていないのでは?(すみません、まだ竹岡論文を読んでいませんが)記事等を読むとヨーロッパと比べてあまりにおかしいと言っているのは読み取れるんですが。
また毎日の記事(13日付けの座談会)で竹岡氏は
藤村さんの見つけたなかにもあきらかに古いものが入っているので
全資料をまずチェックするべき…というような発言をされていますので、竹岡さんが出した資料ではなくても どれが前期旧石器の遺物として認められそうかいうことは
研究者同志でチェックしていけばいいのではないかと思います。

これまでも旧石器研究は「有志」の地道な努力によって切り開かれてきたような感があるだけに、はたからみていて費用の面からいってもハードな道のりだなあ…という気がします。

koyugun(16 Nov 2000 00:37:52)
うんと前のログを見たら、面白いことを書いていました。()内は付け加えています。

>koyugun〜〜Link(23 Feb 2000 17:43:45)
>小鹿坂の住居については、証拠はないのですけれども、おそらくは柱の上部先端は
>ひとまとまりになっていたのでは?と思っています。貫や桁のような(あくまでも、
>〜のような・・・です。当時ほぞ等があるはずはありませんので。)材料の使い方
>をすると、上部構造が複雑になってしまい、仮設のものでは少し難しいのではない
>かと・・・
>それにしても、テレビや新聞で見る限りでは、かなり精巧な作りの石器もあるよう
>ですから、原人の器用さを侮れないですね。最低でも木材をどこかでくくっていた
>はずですから。くくるという行為はかなり難しいと思いますが、どうでしょう?
>それにしても、小さいのが興味を引きますね。本当に寒さ凌ぎのためのものだった
>のか?(現代では)バードウォッチングの時などに使う身を隠すための施設(要す
>るに、この時点では狩のために身を隠すものと思っていました。)だったのか?
>
>周辺に笹類のプラントオパールでも集積していたら、その類を壁らしきものの材料
>にしていたといえるかも知れませんが、古過ぎるため、なんともいえませんですね

今一度読み返してみると、ちょっと考え込んでしまいます。

tak(15 Nov 2000 12:26:33)
藤村氏の発掘した石器がヨーロッパの同時代のものと違う。それはそうなんですね。
ただ、例えば竹岡さんが国内で発掘をしてヨーロッパ型の石器を見つけていて、
「俺の見つけた奴と違う」と言う議論はないように思います。
また、「関東の石器の出方と違う」と言う意見もエリアの概念を
ちょっと無視しているなと言う気がする。

例えば、縄文時代の三内丸山遺跡は集落が環状配置を取っていなくて、
関東なんかの集落配置と比べれば変な配置でありますが、
関東と違うから、あれはまやかしだという議論は単純には成立しませんよね。

事実、東北の現場で藤村氏が取り上げたもの以外にも
そうしたものが出て来ていると言う状況もある。
ところが、そうした現場のほとんどに氏が足を踏み入れたり発掘に参加したと言う事実もある。

東北大や明治大系の人たちはやはり氏に近い所にいた訳で
「身内じゃないか」と言う指摘もあります。

結局、灰色の遺跡を救うためには新しく発掘をして同じ時代の石器を見つけるしかないですね。
特に、藤村氏も見つけていない全くクリーンな遺跡を見つけて発掘をするしかない。

長い時間はかかるでしょうが、学問を封印せずに、育ててゆくためにはやらざるを得ませんね。
また、竹岡さんたちもこれからどんどん東北のフィールドに入って、
やはり日本の石器のルーツはヨーロッパにあったと言うことを形式学的に、
実際にご自分の発掘したもので明かしていかなければ、
いつか「あの反論は何だったの?」と言うことになるでしょうね。

う〜〜〜Link(14 Nov 2000 22:59:11)
白井様、レスありがとうございます
#時間がたっていたのでログが流れたかと思ってたら、まだ残ってました

考古は素人ですので、変な認識かと思われるかもしれませんが、ご容赦くださいませ
学術的な検証の方法って
1 発見(発掘)が行われる
2 それに対して仮説が立てられる
3 それを追認するような発見、追加検証がある
4 定説として認められる
って認識を持ってるのです。
白井様の思われている「グレーゾーン」がどこを指しているのかわかりませんが(この点に関しては、拙者の言葉足らずでした)
私の認識では2までです。少なくとも追認されるような発見や、時代の流れに合うかの検証は行われてないですから。
今回の藤村氏の発掘で「時代様式の流れに合わない」って事で闇に葬られ、
今後1をクリアした同様の発見が行われても「またか」ってことで抹殺されないのかな?と思ったわけです。

夢 鳥(14 Nov 2000 21:41:12)
 白井さん、takさん、早速のレプライをありがとうございました。
>この件は刑事事件ではないので,藤村氏の意思に反して強制はできません。ですから,
>藤村氏に親しい人と第三者が立ち会って……というあたりかと思います(白井さん)
 確かに前例はないのですが、スポーツの世界でも「仲裁裁判所」なるシステムがあるぐらいですから、言葉は語弊を招くかもしれませんが事情聴取(聴聞)や証拠(資料)保全を行う機関が必要のように思います。白井さんのおっしゃる「第3者」が文化庁が率先するべきなのか、事の成り行きから報道関係者が責任を持つべきなのか、ちょっと考えに詰まってしまいました。
 「国会で証人喚問も..」などという話を聞くと、寒気すら覚えてしまいます。

>宮城県ではすでに…調査をはじめています。(takさん)
 調査の検証という側面では、もはや県レベルで行う自体ではないのではないか、と思います。
 協会で調査委員会が設置されたといっても、まだ本人の聴聞すら行われていないと聞きます。報告書の刊行といっても、大変な労力と時間がかかることがわかっているだけに、世論が果たして待ってくれるのだろうか?と大変不安です。
 ネットの普及の利点(もちろん弊害も多いのですが..)を生かして、学会の公式見解を待つ前に、どこまでの成果に確信が持てるのか旧石器文化研究者諸氏の活発かつ建設的な意見交換を是非期待しています!(白井さん、takさんのご意見に異論をはさむものではありません。)

 ちょっと頭を冷やした時点で、今回の件に対しての素人なりの感想です。(笑止ですね^^;)
◇発掘調査の大部分が、規模や期間の限定されたいわゆる緊急調査であるというのが現状でしょうが、氏の一連の調査は数少ない学術調査ですよね。だからこそ、現状では不要ではないかと思われるようなデータや方法でも時間をかけて採用して欲しかったです。
◇石器とか土器とか遺構という絶対的な成果にとらわれすぎていた風潮はなかったでしょうか?ねつ造とは全く別次元のことですが、かつて塩野半十郎氏が推測で作った蛇把手の縄文土器が、重要文化財の指定を受けてしまったことがありますが、このことがふと脳裏をよぎりました。
◇山内丸山遺跡の巨大木柱をめぐって、ネットで国や分野を越えて意見を求めたことがありましたよね。前・中期旧石器の技法や遺物分布、遺構を巡ってあのような情報交換ができるといいと思いますが..。

tak(14 Nov 2000 01:49:55)
宮城県ではすでに行政が発掘に関わった馬場壇Aなどの遺跡について調査をはじめています。

この調査の中では発掘の当日に書かれた日誌なども含め、チェックはしています。
しかし、こうした日誌類を見せてもらっても、書面の調査だけでねつ造の痕跡を見つけるのはきわめて難しいと言う印象を受けます。

日誌には各グリッドの土層の変化やいつ誰が石器を見つけたかと言うことから、
昼食のメニューまで細かく書かれてはいます。
しかし、偽造を見破ろうと思えば、土がやわらかかった、固かったとか、
ほんの十数センチの範囲で、かく乱とも取れるかすかな土色の変化があったとか言うことを記録していなければならないわけでしょうが、
そうした極めて微妙な違いは”ねつ造があるかも”と言う問題意識をもって、当日、
土の色が変わらないうちに複数で検討しなければならない事柄だと思うわけで、
当時ねつ造などと言う意識がなかった以上、ここから客観的にそれを見抜くのは困難と思われます。

結局は藤村氏以外の人が石器を見つけたとか、そのときは氏が現場にいなかったと言った状況証拠的なものを見て行く検証にしかならない訳です。
当時の調査員への聞き取り調査もやっていますが、
そもそも、今回の上高森でも他の人たちが藤村氏の埋めたものと
知らずに石器を掘り出していた状況もあるわけで、
完全にねつ造の有無を断定するものにはならないでしょう。

結局は、遺跡全体の状況に矛盾がないことを確認して、調査の信頼性を検証し、
さらに、掘れる所は改めて掘って、前の現場と矛盾しないことを
おさえてゆくと言うことにしかならないのではないでしょうか。

調査日誌類については、公開が特に拒まれていると言うことはないと思います。
ただ、不特定多数の人にネットで公開できるような作業をする余裕がないということなんじゃないでしょうか。

そもそもあのグループの現場は常に公開されていたので、
例えば彼らに批判的な人たちも、現場に日参して各石器の出土状況を問いただす事は
少なくとも物理的には可能であったと思うのですがね。

白井〜〜Link(14 Nov 2000 00:33:08)
夢 鳥@東 京さん,こんばんは
NIEという言葉は知っていましたが,今回の事件を通じてその意味を再確認いたしました。また,簡潔な解説,ありがとうございました。なるほど,当サイトでの報道に関する議論も,ムダではなかったようです。
藤村氏個人の採集記録は存在した可能性があると思いますし,この件の解決に有益なものなら公開された方がいいと思います。ただ,この件は刑事事件ではない(憶測に基づく「可能性」はひとまず排除)ので,藤村氏の意思に反して強制はできません。ですから,藤村氏に親しい人(例えば鎌田理事長など)と第三者が立ち会って……というあたりかと思います(推測)。
研究所が行った発掘は,当然報告・公開されるべきものです(一般論)。自治体からの助成や一般のカンパも使われているようですから,なおさらです。考古学協会の委員会では,研究所に「事件の総括、資料の公開、学術調査報告書の刊行」を求めるそうです(11/13朝日)。群馬県も県内の未報告遺跡について報告書刊行を求める方針です(11/10毎日)し,域内に未報告遺跡を抱える自治体は,同じ方針を取るものと思われます。「速やかに公開」されないのは,当面の対応(おわびや取材)で手一杯であることと,記録類が膨大であるからと考えておくのが,現時点では妥当と思われます。
報道の関わり,という点についてはお答えになっていませんが,ひとまず。

夢 鳥@東 京(13 Nov 2000 21:52:35)
 はじめまして。小学校の教員をやっています。考古学の現場からは20年近く離れており、その意味では全くの素人の立場です。うささぎ。さんのご意見(11 Nov 2000 02:13:49)
>今回の事件によって私のように従来疎かった考古学という学問について
>図らずも逆に関心を深め、…ほんの少しずつ理解できるようになってき
>た人間はほかにも確実にいるはずです。
 という言葉に誘い出されるように出てきてしまいました。いわば野次馬です。

 ニュースのとりまとめの中で、今回の事件の波紋として神奈川のNIE(新聞を教育へ)研究会全国集会での反響が報告されていましたね。考古学の場合、新聞報道の教育活用という側面では切っても切れないつながりがあります。一つは学問成果として反映するのに時間のかかる「歴史教育」の性格上、先端学問に触れやすい(教材化しやすい)分野であること。もう一つは、情報の取捨選択を学習者自身が行う教育効果があるからです。その意味では、報道記事自体を教材と考えてきたわけですから、そのショックははかりしれないものがあります。
 様々な意見、感想が出される中で、今回の報道のあり方が話題になるのは当然のことでもありますが、うささぎ。さんの意見同様、告発以後の報道の方向性が大変気になるところでもあります。藤村氏個人の行動の検証としては、全ての事情聴取やねつ造に使われた石器の採集記録(在野の研究者の場合、必ずや残しているのではないかと確信しています)の調査は、いったいどこが行うべきなのでしょうか?また、チームとして行われた発掘調査である限り、当然、出土遺物以外の様々な記録資料があると思うのですが、なぜ、速やかに公開されないのでしょうか?
 もちろん、これらは報道の問題というより学会の対処の仕方であると言えるのでしょうが、告発者が新聞社であっただけに、今後どのように関わっていくのか(真実を追究するのか)、方針が見えてこないことにいらだちすら感じます。

 この数年のネットの爆発的な普及はいうまでもありませんが、分野によっては、いまや小学生でもMLに参加して専門家と意見交換している現状をご存知でしょうか?決して、誇張ではなく、昨年あたりから小学生でも掲示板に参加してみる指導を進めています。たとえ参加はできなくても、教員を通さず(交通整理はします)、自らROMを通して興味を深め、学習し、判断しようとしています。
 今回の件の影響があまりにも大きかったゆえに「ダメかもしれない。静観したい。」というスタンスも察してあまりあるものがありますが、どうか時が来るまで「口を噤んでしまう」ことがないように心から願っております。初投稿で、長々と済みませんでした。

白井〜〜Link(13 Nov 2000 01:40:00)
みなさん,この週末もありがとうございますm(_ _)m。参加者の方同士でお話がうまく進んでいる部分以外で,今日も少しだけコメントを。

たね (10 Nov 2000 18:43:40) さん
気の塞ぐ話ですね。一時の野次馬はいずれほかのターゲットを見つけ,消え去るでしょうが,ご指摘のような暗い展望は確かに……。
艮櫓が3期の石垣の上に「復元」されそうなのも,今回の影響か……などと憶測しています。

おぐり (10 Nov 2000 03:19:57) さん
> 近代国家の枠組の「自国」と境界の曖昧な「地元」では、
> 少々次元が異なると思うのです。
「近代国家」が天然自然に存在したと思っておられるわけではありませんよね。
戦前の人が抱いた「日本」も,もとは境界の曖昧な「地元」の一種ではないですか?ただ,それが近代的(人工的)な「国民国家」としての「日本」にすり替えられ・集約され・過去に投影されていった,という点が違うだけでは?この違いを大きくみるか小さくみるか,見解は分かれるでしょうが,発端としての心理はやはり共通だと思うのです。
高句麗帝国やら百済帝国やら古朝鮮帝国やらがアジアを支配していたなどというトンデモ本が書店に並ぶ(もちろん,プロの学者はそんな主張はしない)韓国もねぇ……という気はしますが。

岡安光彦〜〜Link(12 Nov 2000 22:18:06)
何かできないかと、『考古学情報広場』を復活させました。
http://www.momoso.net

koyugun(11 Nov 2000 07:54:02)
なるほど、そういうことでしたか。takさん、ありがとうございますm(__)m。
それにしても、繰り返しになりますが、際どい部分であるがゆえに、ぼかしたような
言い回しはしてはいけないと思います。解らないことは解らないとはっきり言った方
がいいでしょう。

それなら、「道内最古の遺跡で原人の遺跡であることは間違い無い。」といった事は、
やはり拙速と言わざるを得ないと思います。「原人の遺跡であることも視野に入れて
検討したい。」とするのがせいぜいでしょう。

ついでに・・・下の私の文の訂正。
依存状態(誤)→遺存状態(正)。ほかに誤字があったらご容赦ください。

tak(11 Nov 2000 07:51:20)
長崎さんは助教授でしたね。失礼しました。

藤村氏関連以外の旧石器の現場でも東北では比較的古い段階からへら状石器は出るし、
石器が平面に並ぶ傾向も観察されるようです。

ただ、メディアの中では今、ねつ造の表面現象を追うことで精一杯で、
そうしたことを記事にしたいと提案しても「何言ってるの、お前」と言われております。

各研究者も取りあえずは教育委員会への弁明に追われていて、
発言を大にできる状況にはまだありません。

tak(11 Nov 2000 03:09:54)
下美蔓西(しもびまんにし)遺跡の地層は現地の専門家も精密な調査は行っていなかったようです。

当時報道関係者に配られた資料では、
まとめとして
道内最古の遺跡で原人の遺跡であることは間違い無い。50万年前の遺跡は国内でも数遺跡しか確認されていない。
とした上で

調査地域の地質として
70万年前から堆積した地層の上にあり、石器の直下には白色の粘土層があるがこの層の年代は特定されていない、とあります。

この記述はいずれも2枚綴りのペーパーの2枚目の終わりのほうにさらりと書かれています。

長崎教授は今回は露頭の調査であって、地層の正確な年代はきちんと発掘した時に調査する。
年代が特定されていないことは発表の時にことわっていると話しています。
しかし、一方では測定値がないから何万年前とは言えないと言う事は
記者に言えないと考えたと話しているそうです。

確かにそうした話し方をされれば、記者は欲求不満になるし、
ニュースバリューも低くなりますが、
この発表のやり方では50万年という年代に誘導されたと記者が言うのも
故なしとはしないなと言うのが私の感想です。

BUKOTA(11 Nov 2000 02:16:36)
上高森に関しては、事が発覚した翌日の同僚の反応はどんなものかと思って、期待して出勤したのですが、私が近づくと話を止めてしまったようでした。(思い過ごしか)
Net上ではどんな風になっているのか気になりつつ、小さな街の行政マンである私は、埋文以外の仕事に埋もれつつ、このままこの話も風化してしまうのだろうかと。しかし、建設部局の担当者さん達もこの話題に触れないことが、かえって不気味で、これから発掘の少ないこの町で、調査をしなければならなくなった時に揺り返しが相当あるんじゃないかと不安になっているこのごろです。
事件に関しては、2つ疑問を持っています。すごく素人っぽくなってしまいますが、捏造なんてできるのかということ。捏造であることを私達は、検証できないのだろうかということ。
毎回発掘のたびに、自分の調査方法を、間違っていないのか、どうなのか、心配しながら掘ってる私としては、今回のような事件が起こる以前に、正直なところ、調査結果は常に灰色です。勉強不足の私が言う事は、説得力はなく、単に愚痴のようになってしまうのが悔しいですが。

うささぎ(11 Nov 2000 02:13:49)
どなたか事情に通じている方にどうしても説明していただきたく、初めて投稿しました。私は大学文学部で教鞭をとる身ですが考古学に関する造詣は深くなく、完全な門外漢といってよいレベルです。下美蔓西遺跡で発掘された石器群の年代判定に関して、長崎潤一教授が地層年代学の専門家の見解表明を待たずに記者会見をして「約50万年前」と発表していた、という昨日の報道に接して、人文科学の中では、自然科学との協力関係の密接さの点などから、「領域の限界は当然ながらあるものの最も信頼性の高い学問」だという認識に基づいて、羨望の念すら抱いていただけに、実は以前からかなり多くの考古学者たちから疑念の眼差しを受けていたらしいことが今になって判明した藤村氏の自作自演劇の暴露の際にも劣らぬほどのショックを受けています。総進不動坂遺跡の場合は第1次調査では古環境研究所の早田勉氏が、第2次調査では長友恒人奈良教育大教授が地層の年代判定の担当者としてスタッフに加わっていたようですが、下美蔓西遺跡ではどちらかの方が調査を進めている段階で団長が先走りしてしまったのでしょうか、それとも、これは考えるだに恐ろしいことですが、そもそも地質年代学の専門家が一人も加わっていない、あるいは途中で脱退してしまった状況で調査が進められていたのでしょうか。藤村氏一人が突然「魔が差して」許されざる行為に及んだ、という釈明にはどうも説得力が欠けているように感じていましたが、今回の下美蔓西遺跡の件は報道内容から判断する限り、少なくとも日本の一部の考古学のあり方に対してあらぬ疑いがかけられても仕方のないずさんなものであって、これでは真面目に地道に脚光を浴びぬ可能性の高い発掘調査に取り組みつづけてきた大部分の考古学者たちや、そういういいかげんな発掘調査に青春の貴重な時間を捧げてきたヴォランティアの学生さんたちがあまりにも気の毒で、慰める言葉も見つかりません(私も大学の教師ですので、なおさら)。詳しい事情をご存知の方からご教示いただければ幸いです。それと、今回の事件によって私のように従来疎かった考古学という学問について図らずも逆に関心を深め、ごく低レベルではあってもいろいろな専門知識の断片だけでもほんの少しずつ理解できるようになってきた人間はほかにも確実にいるはずです。考古学関係者の方々が受けた信用に関するダメージを埋め合わせるには程遠い成果かもしれませんが、ミーハー受けしない地味な考古学に対する関心と評価がこれを機に高まる可能性もあると思うので、打ちひしがれることなく自己の信念を貫いた研究を続けて成果をあげてほしいものだと心から願っています。

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