考古学のおやつ

2004年3-5月の発言

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白井〜〜Link(29 May 2004 22:51:01)
DTI側の事情により,この掲示板を8月31日以前に廃止することになりました。
上のリンクから,準備中の新掲示板(実験中)に行けます。できれば試用して感想などお聞かせください。
新・自由書式掲示板

chica〜〜Link(28 May 2004 12:40:20)
RE ヤマゴボウ
首さん、良くご存知のようですね。私はヤマゴボウについてずいぶんと調べました。
>ウチの周りではヨウシュヤマゴボウしか見つからない。
あはぁ、私が採ってきたのは舶来種のヤマゴボウかもしれません、葉っぱだけではわからない(苦笑)。インターネットで秋山郷の民宿がヤマゴボウの写真を載せています。なあんだ、子供の頃に遊んだ丈のある雑草だとわかったのでした。(*^_^*)(山ごぼうではありません)
そば粉を葉を生のまますり鉢ですって布巾でこし水で薄めてこねたのと、生葉を刻んでからすってそのまま加え,こねる為加える水を通常より減らしたものと2種作ってみました。葉をすると抹茶の様な色が出てそばも緑色のが出来ました(匂いがきつい)。ラップの芯にラップを巻いた物がのし棒の代用になるよー。味の方はというと、期待したほどの変わりはない?みたいでした。味覚音痴がばれた、ちかより。
PS,ヤマゴボウは毒を持ち、食べ過ぎると顔色が青くなるそうです。ご注意。

(24 May 2004 21:45:58)
chicaさんのヤマゴボウって、どんなのですか?
ウチの周りではヨウシュヤマゴボウしか見つからない。
ソバのつなぎにしたり、よく売っている「ヤマゴボウ」の漬け物はアザミの仲間なのでしょう?
ほんとうのヤマゴボウってまだ見たことがない・・

田舎学徒(24 May 2004 20:50:11)
白井さん〜

怪しいのが、いっぱい入ってるよ〜。
管理お願いしますね。

chica〜〜Link(20 May 2004 13:36:04)
若葉の季節となり近くの空き地で取ってきたヤマゴボウの若葉を茹でて食べて見ました。食べられる葉というよりか美味では?と思いました。本によると漢方では毒でもあり薬(避妊薬他)でもあるそうです。縄文の里の別名のある新潟県の秋山郷では「ヤマゴボウ入りそば」が地元の名物となっていますね。遠くて食べにいけないから教わって作ってみようと思います(笑)。縄文時代にヤマゴボウを利用していたとの文を本で見た事がありますが、遺跡から種が出たのでしょうか?紫色の実が毒である事を知らないで戦前は広く食品を染めるのに使われたいたそうです。
また、桑の葉が植物繊維とビタミンEが豊富なんだそうです、若葉をそのままもぐもぐすると、タラの芽に似た味で、ちょっと粘り気もあり、かいこになった気分(笑)。山桑は縄文人食べてたと思う。

職人( 9 May 2004 13:04:37)
和鉄は鍋釜、日本刀は和鋼。

chica〜〜Link( 5 May 2004 22:33:31)
昔は金物を修理する「いかけやさん」という職業があったし加治屋さんもあった。鉄クワを修理したりする時の鉄と鉄との接着剤がホウ砂(かな?)とか聞いた事があるんだけども、どうゆうわけで、それが接着剤になるって言う事に気が付いたのだろう? ここに書き込まれているハガネに詳しそうな方に質問でーす。(=^・^=)

曲学の徒〜〜Link( 5 May 2004 19:40:41)
この人が卑弥呼?

 京都府の日本海側、『天の橋立』で知られる宮津市の『籠(この)神社』に、海部(あまべ)氏の古い系図がある。
平安初期貞観年中に書写された略称『祝部(はふりべ)系図』(本系図)と、江戸初期に書写されたより詳しい『勘注系図』(かんちゅうけいず)である。
現存する最古の系図として国宝に指定される。

『勘注系図』は初代彦火明から数えて七代目、すなわち六世孫建田勢命(たけだせのみこと)と並べて、とてつもない尊大な名を持つ一人の女性を記す。

宇那比姫命(うなびひめのみこと)、天造日女命(あめつくるひめみこと)、大倭姫(おおやまとひめ)、竹野姫(たけのひめ)、大海靈姫命(おおあまのひるめひめのみこと)、日女命(ひめみこと)である。何れも一人の女性の別名である。

先ず最初に注目されるのは『大倭姫』である。大倭姫と言うのは地方豪族の姫の名ではない。
『日本書紀』を見ても、皇女に倭姫というのはあるが、大倭(おおやまと)と大の尊称のつく姫や皇女はいない。
大倭という尊称がつくのは天皇名くらいのものである。この人は天皇と同格の尊称を持つのである。

もう少し詳しく見てみよう。
宇那比姫というのは、建田勢命の、またの名を大宇那比(おおうなび)と云うから、兄弟かもしれない。幼名または本名であろう。
天造日女命は天下を造った姫という意味であろう。
竹野姫はこの一族が『竹』あるいは『建』とよばれることによる。
大海靈姫(おおあまひるめひめ)命の『大海』はこの一族が『海部(あまべ)氏』と名のるように『海(あま)』に尊称の大がついたものである。興味深いのは靈(ひるめ)である。巫女(みこ)の意味を持つ。
ご存知のように『魏志倭人伝』は卑弥呼が『鬼道を事とし』とする。
『後漢書倭伝』は『鬼神道』であるが、いづれにしても、巫女の要素を連想させる。この名もまた靈姫(ひるめひめ)すなわち巫女姫(みこひめ)なのである。
最後極めつけは日女命である。読みは『ひめみこと』であろう。
魏の使者がこの音を『卑弥呼』と書き表しても不思議はない。

この国宝は真っ赤な偽系図、それとも史実の一端を伝える。あなたのご意見をお聞かせください。

http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/6-7himiko.htm

岡安( 2 May 2004 22:14:32)
連絡がとれました。お騒がせ致しました。

岡安光彦〜〜Link( 1 May 2004 09:35:50)
島根県出身の大谷祐司氏の連絡先を御存知の方がおられましたらご教示ください(北海道にいる?)。本人から至急連絡をもらえたらなお嬉しい。

ラーメン和鉄(19 Apr 2004 18:27:11)
 金屋子さんにとっては和鉄も和鋼も一緒。
しかし、日本刀はやっぱり和鋼だよね。

児島〜〜Link(16 Apr 2004 19:45:59)
ホームページ「豊葦原国から邪馬台国夜須へ」も今月で終了します。
次のホーム名はまだ決まってなく、「児島宮とウガヤ王朝」あたりを
検討していますので其の節まよろしくお願いまおす。
ホームページのアドレスはそのままですので、探索の文字は変ります。
予定のホームではウガヤとお宮の関係から始めようかなと思っております。
ウガヤの祖先は古代中国炎帝と神農ですので、越王勾践から魏国系へと
遍路を辿り倭国と共立し、伊都王のウガヤは国譲りがなされ、邪馬台国
として統治した。これには裏書きがあり「神仙伝」の元となった夏王朝
頃から獣と人がまじわり架空の獣がいましめとして神に姿を変えて、記され
或いは描かれました。『山海経』に出てくる元は夏王祖ウなのです。
日本のあまてらす神話が謎なのはここに原点がありました。(児島宮発表)
炎帝と炎尊ハ同じ原点なのです、卑弥呼とあまてらすは違います、卑弥呼は
人であまてらすは太陽ですから、『山海経』と同じ原理なのです。
ウガヤの母は豊玉姫で母は神でして水を司る神様なのですから、ウガヤ以前
はすべて何かに化身しているのです、炎は火を司る意味ですからやけど、
しますね、悪い事をすれば祟るの原理と云う具合にホームで絵画を交えながら
解説して神様の恩恵を私達が受けて文明に生きているのに、近年は神も何やら
不穏な風に思われており、日本人に誇りを取り戻していただきたいの思いで
紹介しながら邪馬台国もこの中に生きていたなあと思われるよう心がけされん
よう、ご挨拶に替えさせていただきます。

児島〜〜Link(10 Apr 2004 14:00:23)
考古学が叫ばれる中、考古学にたよるから間違いがおこると提言する。
邪馬台国が解決しているのに、学者が認めないと真実にはならないのか?
これが実に可笑しい、学者が全てではなかろう、実際系統の自らがいるのだから
、これが邪馬台国を知る児島高徳家一員である鷲が居るから。
歴史はこれらの秘密を探し出すのは到底無理であろう。
邪馬台国の実情は熊野神社や家紋により判別出来、古代書『梁書』は阿部仲麻呂が
伝えた大和政権から桓武に至る記録なのである。
先ずこれを理解しないと、日本の歴史の承認は得られないだろう。
むりやり学者だからとした、これまでの古代史はもう古くなりつつある。

中村( 6 Apr 2004 02:53:10)
おかねかしてーーー

きらきら( 4 Apr 2004 22:01:47)
 島根県安来市にある足立美術館が米国「ザ・ジャーナル・
オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」誌のコンテストで、桂
離宮を抜いて日本庭園世界一に選ばれました。
 同美術館には横山大観の名作「白砂青松」の持つ雰囲気を
表現した白砂青松庭、枯山水、苔(こけ)庭、池庭が美術館
を囲むように造られている。床の間の壁をくりぬき、庭をあ
たかも絵画のように見せる仕掛けも。広さ四・三ヘクタール
の庭園を常駐の庭師七人がきめ細かくメンテナンスしている
とのこと。
また、同市は刃物鋼出荷量日本一で、安来鋼(ヤスキハガネ)
というブランド名で知られている。それは日本刀の原料で、
古代製鉄法たたら吹きによりできる和鋼の技術を基盤として
生産していることによる。この和鋼に関する日本一の総合
博物館である和鋼博物館や、山陰最大の天台宗の古刹、清水
寺など和のもつ美しさを堪能できる場所になっている。
 西日本にお住まいの方などは、ゴールデンウィークあたり
に、ちょっとした小旅行を楽しまれてはいかがでしょうか。

chica〜〜Link(18 Mar 2004 21:57:18)
もののけ姫は数々のおとぎ話を混ぜ合わせた様なストーリーだった。魔女がグツグツ煮ている魔法薬の鍋にヤドリギが入っている。漢方では「筋骨の折傷を治す。婦人産前産後の一切の病に効く」(枝と葉)。北欧神話では再生のシンボル。子供向けの「やどりぎのひみつ」岩崎書店によると..冬で黄や赤に色づいた果実は日の光に輝いてたいへんきれいです..山の鳥達はよく果実にむらがる..とありました。
縄文時代には、そんなヤドリギの木の下では男の子が女の子とキスが出来る特典がありました。なんて、見てきたような嘘を言い(笑)。日本にも西洋の古い風習(クリスマスヤドリギリース)が、あったら良かったのにねぇ。いろいろ調べてみてモチーフとした可能性はあると思いました。

中野康則(15 Mar 2004 22:44:27)
最近「砂の器」が好評みたいですね。
亀嵩というズーズー弁が東北弁でなく
出雲弁であるというのが、なぞを解く
鍵になるのですが、正確には雲伯方言
というんだそうです。ハンセン氏病の
社会的差別が原因の悲劇を、美しい
山陰の風景を背景に描くお気に入り
の映画です。
 ところで、この雲伯と聞くと日本刀
愛好家もある私は「童子斬りの安綱」
で有名な刀工安綱や、安来鋼、和鋼、
たたら吹きなどの刀に関することな
どが思い出されます。そういえば、金
属加工の神様、金屋子神の総本山も
この地にあります。
 若いかたなどには「もののけ姫」の
舞台になったところとでも説明すれ
ばよいのでしょうか。

chica〜〜Link(14 Mar 2004 22:19:39)
訂正 L4..berried..ー>The berries are burned in love incenses.

chica〜〜Link(14 Mar 2004 21:54:13)
ICU湯浅記念館の素敵な縄文土器を真似て作ってみて、ヤドリギが描いてあるのでは?と思いました。インターネットや本で調べてみると、西洋では古代から悪魔祓いの護身のお守りとされクリスマスの飾りつけに使われるそうです。
魔法薬でもあって The berried are burned in love incenses.とありましたが、これは実を焼くとほれぐすりになるという意味だろうかなあ? 効能書きの中の Hunting というのはヤドリギの実がトリモチになるかららしい。日本では万葉集の大伴家持の歌により”髪に挿し長寿を祈る習俗があった”事がわかると百科事典にありました。日本でのヤドリギについて民俗学的に何かご存知の方、教えてください。ちか。

児島〜〜Link(13 Mar 2004 17:54:34)
古代の倭国を知るための秘策をお教えいたしましょう。
邪馬台国に行き着くまでにはこれなくしては解読不可能
といえるくらい大切な事柄なのです。
考古学協会もこれを解読出来なければ、年代測定も
正確だとはなりません。すべてが解決されてこそ
始めて見える古代の日本へいざ.....
古代中国夏王朝の都を安邑(やすむら、夜須村もこれが由来で
   今まで誰も気がつかず、これから倭国が始まっていた)
この鍵は夜須の児島宮とその祭神がかかわり、ウガヤと天満神
から始まり桓武から後鳥羽、児島へと続く流れは誰も関れない
秘密に覆われていました。ここでは土地名から来ていた、古代
項について語ろう。
中国先史時代王朝は黄河文明から春秋戦国と魏へと続き秦により
滅ぼされ魏が又取り戻し三国時代を迎える。日本の北部民族は
ここから起源前210年以降渡来し、ここからが倭国の始まりである
が、歴博の行過ぎた年代の測定は矛盾をきたしたが、誰もこの
事に気がついていない。人がいないのに稲作があったと発表した
のは遺憾であると指摘する。 ここでは少しこれについて触れて
おきたい事がある。始皇帝は会稽山に夏王兎を祀らせ天満神とした
が、日本の天満宮の成り立ちである。ではいつ頃始まっていたのか
思い起こせば、古代中国が判る人ならば容易に見えるであろう。
秦が滅んでから倭人は渡来しているのに、その以前に倭人が居たと
解説した歴博は思い違いであり、訂正せねば疑惑失態の連続で信用も
落ちるであろう。
稲作はどうして始まったのか、戦乱の中稲作等出来る訳はない、戦乱は
何故起こったのか? これを検討しなければならないし、本質の古代へは
たどれないのは必死である。戦乱は秦が滅んで、渡来したにはいいのだが
食べ物がない、これが主な原因であった。
『古事記』の編纂者は思い兼命といい秦の始皇帝後裔でありました、それで
詳しかったのだ、これを参考に神の世界は正統王朝後継者ウガヤが国を
統治していて、諸々の神々が登場しているのは、兎を先とするウガヤが
これを倭国に広め今日に至っている。それが夜須である」

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