考古学のおやつ

2004年1-2月の発言

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児島宮〜〜Link(19 Feb 2004 13:50:57)
神様と日本人はどんな繋がりがあるんだろうか? 遠い祖先の倭人とまだ呼ばれていた頃
倭国未知の世界へご案内しましょう。倭族は中国春秋時代末越国が滅ぼされて秦の始皇帝が統冶したがわずか25年で魏国に滅ぼされる、この頃起源前250年くらい前の時期
に北部九州に渡来した民族(秦民族モンゴル系)はこれまでよく知られていなかった。
これを弥生初期といままで呼んでいました、倭人と呼ばれた民族は広がりだして国と名前がついていた、ここに部族の酋長の始まりである。部族が独立しても食生活は狩や海
の恵み等採って環濠集落に住んだが、国は荒れて夜須の阿智王の後裔は出雲へ移り土着
したりもして或いは宇佐にも土地を求めて行くが国に残って生活する者も居る。
弥生中期と呼ばれる時期朝鮮に住んでいた会稽の王系民族は、倭国目指して伊都地方に
定着するかに見えたが、国々では戦乱の最中で明け暮れた。この項は夜須町掲示板で
上げていますので、倭国の渡来はこの辺まで。

筑紫野市津古駅裏の八龍神社に祀られている八龍神こと豊玉姫の由来書によるとこの土地は現在も三笠郡内とある夜須町との堺に位置している。三笠と云えば奴国の事であり
古代この土地に王が居た、夜須と堺は馬市といふ、津古も近いここは遺跡で有名である
、大きな国だとされています。(みくにの小郡歴史資料館で見れる)
話は津古の神に戻そう、豊玉姫とは由来書ではすべての水を司る神様でヒコホホデミ命
は護国豊穣を司る神様、山幸彦は山を司る神様としるしてある。
児島宮の神様をついでに紹介するとよく似た神様である事が解る、天照大神は太陽を司る神様でスサノオは牛を司る神様と云う具合である。
これが古代史の視点である神様とはになる。これまでは解読した人はいない、謎めいていた、今回これが『ホツマタエ伝』と『三笠紀』の作者にこの視点がある。
どちらも原本は同じ処から見えホツマ文字(出雲文字である、児島宮)で書かれており
文字の内容は津古の八龍神の由来と同じ記とである、作者は阿智臣と書かれ、一方三笠
記は三笠臣である、どちらも同じ阿智王の後裔である事に気づいた、出身地は何処かは
もう一目であろうそう奴国に居たである。阿智王の後裔に思い兼命があり、出雲文字を
考えた人と『上記、大友能直編纂』にも書かれている。
これでもうお解かりであろう、そう奴国とは現在の筑紫野市であり、隣が夜須でここに
国譲りの後神々が集い話し合ったと『古事記』は載せる。ここが邪馬台国なのだ・・・
八龍は伊都平原遺跡近辺にもたしかある、これは何の伝承かもう賢い方なら検討がつこう、それは会稽王の風習(古代中国夏王朝のもの)から来ていたのである。
これで倭人の意味もお解かりになっただろう。

児島〜〜Link(18 Feb 2004 20:24:22)
日本の古代史が遂に解け始めたので、ここでは日本の歴史の謎を解く
方法から始めよう。
考古学協会でも邪馬台国に至らなかったのは、発掘による探索の記録に
国民が文化財報告書を元に翻弄され過ぎていたから、これが正しい解読の
仕方と勘違いしてしまい、結果捏造疑惑は考古学協会の否定で結末しましたが、
これらは迷路に立たされていた、それを現実として受け止めて、今まではという見解でいいでしょう。
拘る理由がありません、歴史民族博物館の名誉教授ともなるともう神様以上の信頼が
そなう、そこに落とし穴が待ち構えていたのであろう。この記事に反論、信用が無いと
思われる方は、ヤフー夜須町掲示板の記事に目を通してから反論しましょう。
これまでの感覚では何も進展はありません。
『記紀の解き方』は神様或いは全国神社のご祭神巡り、社の由来時期と神様巡りから
始めよう。 こういいましても土台無理があり、ここでは謎解き関りの中から語ろう。
神社は全国に広がっており、ここでは社について、社にはその神の名称が由来書きしてある。 ここでも神様の事態は『記紀』と同様謎につつまれている、これが日本の古代史の謎の部分である。最近夜須町が邪馬台国と児島宮が発表したが、まだ一部の関係者
しか理解していないのも謎の解説にモノ足りぬ神の天照大神等の何か文献でもあればで
あった、これが根本でありこの世の実情である。 では本題に移る

神々と社、日本の文明は常に関心事であるから是非聞いていただこう。
日本の起こりについて、日本人はいつ頃渡来したかこれは昨年の歴博発表起源前1000年前と指摘、ここでは年代に警笛を鳴らすつもりで日本の原点、歴史の基本、神様とは何、を総合して先ず神様の真実とはを児島宮の託宣として披露しよう。
渡来人は起源前1000年前殷の滅亡に伴い、北陸に上陸した、ここから下り獲物を求めて
狩猟民の生活が営まれた。そして民族達は故郷中国の夢を倭国(倭人と呼ばれていたので倭国といふ)の時は500年間生活に変化はなかった。
時代は起源前500年前古代中国春秋時代に至り秦の始皇帝に滅ぼされた会稽の王達は一先ず朝鮮に住んだ、25年後に秦も魏に滅ぼされて落延びた先が朝鮮である。ここの王の会稽の末は王のまま北部九州に起源前450年前頃伊都に渡来したが、定着したのにも関らず戦乱は続き奴国では先に酋長が中国皇帝に貢献したとある。ここまでは記録に見る。
『焦点』
記紀に記された国の生い立ちは起源260年頃伊都の王から始まる。
天照大神とスサノオ神の戦いは仮の会稽風習がもたらした心の教科書である、伊都では
ウガヤが王の時家臣の秦系統(天津族、高御産日神、思い兼命)が夜須に集い会話して国譲りの後は戦乱で荒れた国の復興
建て直しに王からさずけられた稲作を始めた。ここでは皆さんも信じられないので、風習は伊都からについて鬼道の始まりも後日述べよう、皆さんはここまでは『記紀』で理解されるとし、
神の登場は長くなり次に述べる。

児島〜〜Link(18 Feb 2004 17:51:28)
2月18日ヤフージオプラスに次のように述べたページがある。リンクで見れる
福岡県朝倉郡夜須町が邪馬台国であると安本美典、奥野正男、両氏が発表と載せる。
児島宮刊行会と夜須考古学はこれを支持する。両氏の説の告示は事実か否か。

豊玉姫とヒコホホデ命・ 夜須考古学発表 2月18日

豊玉姫(とよたまひめ)とヒコホホデ命は『記紀』の中に出てくる神様で、
邪馬台国を語る人なら知らぬ人はない。
この神様は仮の人物か、或いは実在の人なのか、その姿がはっきりしていない。
それが現段階では、実態の知られていないのに架空の討論が行われている。
児島宮の神々を頂点に試行錯誤の上、この謎が浮き出し神の謎が判明した事を報告する
ここに『記紀』『上記』や文献の他『秀真伝』と『三笠紀』を追加して古文献に
採用したと述べる。これには「二紀」の採用文献の中に事実の神々が現れたと語る。
この両文献は贋書と今まで扱われていた、これを採用した社の祭主は夜須町の広域から
出土した古代文字、出雲文字が宮の紋章として受け継がれている事と、遺跡から出土
土器のシルシが出雲文字と発表していた。これらを総合して調査を行ってきたが、その中で神名の謎が秀真伝と筑紫野市津古に存在している八龍神社の神名から判明したと
語る、八龍に謎が秘められていたのは宮に関る風習に込められた古代の人達の文明の
伝承なのかも知れない。
長くなるのでここでひとまず休憩する。

東海考古学フォーラム三重大会こうこ(14 Feb 2004 21:36:51)
白井様
たびたびの不手際申し訳ありません。会場がぬけていました。
津駅前アスト津4楷アストホールです。改めて、展覧会・研究会掲示板に投稿するように連絡をしました。明日、再投稿してくれるそうです。毎月の研究会の方にもupしていただきありがとうございました。
                   実行委員会 上村

白井〜〜Link(14 Feb 2004 10:03:46)
「東海考古学フォーラム三重大会こうこ (14 Feb 2004 00:21:34)」さん
先日の書き込みには,開催場所が書かれていませんでした。
そこで提案なのですが,開催場所も盛り込んで展覧会・研究会掲示板のほうに再投稿なさいませんか?

東海考古学フォーラム三重大会こうこ(14 Feb 2004 00:21:34)
白井(管理人)様、皆様。
このたびは投稿先を間違えましてご迷惑をおかけしました。
どうもすみません。今後は気をつけます。
3月6日・7日よろしくお願いします。

水の子(11 Feb 2004 21:00:56)
白井様 お手間をかけてすみませんでした。今後は、十分に確認してから投稿し、それでも誤りがあった場合は御教示された方法で対処します(閲覧者にとってもその方がよいですね)。

白井(管理人)(11 Feb 2004 18:45:01)
「水の子 (11 Feb 2004 13:37:33)」さん
> 間違いがありましたのでご修正をお願いできないでしょうか
後ほどご指摘のとおり修正いたします。
なお,この場合,改訂文を再投稿の上,ご連絡を頂ければ,誤っている方を当方で削除いたします(このやり方の方が何かと便利です)。今後はそのようにお願いいたします。

「東海考古古学三重大会 (11 Feb 2004 14:00:09)」さん
投稿先を誤っています。
今後は研究会用の掲示板にご記入ください。

ニュース掲示板で「(財)大阪府文化財センター」名義等の投稿をされている方
指摘が遅れましたが,投稿先を間違ったり,無駄な改行で水増しされた投稿を4回も重複したまま書き逃げしたり,何をなさりたいのでしょうか。あなたのせいでほかの方の投稿がはるか彼方に追いやられています。ご自分の宣伝したい内容のために,ほかの方の情報発信を妨害し,掲示板の機能分担を損なうなど,目に余ります。
投稿先がいかなる場か,また,投稿フォームにいかなる注意書きがあるか,もう少し前後をよくご覧いただけないでしょうか。
特に,適切な投稿によって当サイトや他サイトを活性化してくださる一般閲覧者の皆さんの投稿をよく読んで,それらを模範にされたらいかがでしょうか。
ご配慮をお願い申し上げます。

東海考古古学三重大会(11 Feb 2004 14:00:09)
伊勢湾岸における
弥生時代後期を巡る諸問題
              山中式の成立と解体
 趣旨
 伊勢湾岸を代表する弥生時代後期の山中式の成立は中期段階の伊勢湾岸の地域的なあり方を大きく変化し、伊勢湾岸としての地域的な大きなまとまりとなった。こうした土器様式の成立と解体を、土器・墓ムラ・青銅器などの諸要素を検討することで、弥生社会の解体と古墳時代への過渡期について検証するものである。
平成16年3月6日(土)
12時30分〜12時35分 挨拶
12時35分〜12時40分 趣旨説明
12時40分〜13時10分「濃尾地域における山中式の成立」 宮腰健司
13時10分〜13時40分「伊勢湾西岸域の山中式の地域区分」上村安生
13時40分〜14時10分「美濃周辺地域における山中式の実相」高木宏和
14時10分〜14時40分「三河湾周辺の山中式の実相」川崎みどり
14時40分〜15時10分「天竜川以北における山中式併行期の実相」直井雅尚
15時10分〜15時40分「近江から見た伊勢湾岸地域の弥生後期」
15時40分〜16時10分「丹後から見た山中式成立の諸問題」高野陽子
16時15分〜17時15分 記念講演1 広瀬和雄
平成16年3月7日(日)
(ムラの分析については集落の実態がわかる遺跡で、入り口、建物配置、外部施設などの分析を中心とする、墓については複数棺、単棺の墓の差などを中心に)
9時10分〜9時40分 尾張地域の墓ムラ 蔭山誠一
9時40分〜10時10分美濃地域の墓ムラ 恩田知美
10時10分〜10時40分伊勢地域の墓ムラ 田中秀和
10時40分〜11時10分遠江地域の墓ムラ 小泉祐紀
青銅器
12時30分〜13時15分 三遠式銅鐸の成立と解体 進藤武
13時15分〜14時00分 西日本における青銅器の受容と実相 森岡秀人
14時00分〜14時45分 東日本における青銅器の実相    赤塚次郎
15時00分〜16時00分 記念講演2水野正好

水の子(11 Feb 2004 13:37:33)
さきほどイベント掲示板に投稿したものですが、間違いがありましたのでご修正をお願いできないでしょうか

誤>3月2日(火)〜5日(金)の間、資料館を臨時休館

正 2月27日(金)〜3月5日(金)の間、資料館を臨時休館

児島〜〜Link( 6 Feb 2004 17:39:20)
キトラ古墳の盗掘に焦点をあてて何故この時期盗掘されたのか、
これについてつい最近ヤフー邪馬台国で探索し夜須町掲示板にて
公表した承久の乱以後北条氏により大江氏が編纂して
古代史が改竄された

chica〜〜Link(24 Jan 2004 20:16:10)
Hi,土器を作っているちかです。吉田明著の「縄文室内陶芸」双葉社が、面白かったのでコメント入れます。
24ページの糊砂について:土器片を見るとこんなに砂が入っていては成型が出来ないと思うくらい砂が入っていて、でんぷん質の糊や、動物の脂や血など粘性のものを混ぜていたのでないだろうかと吉田氏は考え、砂に小麦粉の糊をたして糊砂を作り土と混ぜて作ってみた。
ちかは土器ねんどの搾り出しによる土器装飾があると確信して実験中、私のアイデアは縄文時代にあったであろう植物性の糊を加えたもので昨年12月の野焼きにて基礎的には成功。その後、飴の様にうねうねと巻き付けた装飾も真似れました。(まだ焼いていません次回水子貝塚にての野焼きは3/28(日)だから、彼の糊を入れたのでは?のアイデアに賛成いたします。ただし血糊を混ぜたのはうまくいきません、実験初期にレバーの血でやってみました(苦笑)
64p仮説、ロクロと尖底土器の歴史:吉田の疑問は”縄文の形はロクロがないと絶対に出来ない”からはじまった。こわれた尖底土器先端または先だけ作ったサックを囲炉裏の灰にさして、内側に粘土を貼ったあとロクロのようにサックごと回して積み上げていく。
ちかは、なるほどなあと思いました。逆さの形で以前に作ってみた事がありますが、形は作れたのですが火にかけて目止めをするときに、とんがりの部分の粘土のしまりが少ないのでは?と思ったのでした。とんがりの部分に作っている時から重力を受けてないと長く使える実用的土器にならないのでは?でもどうやったらば作れるのかな?何故初期の土器は円錐形?この謎を吉田氏は解いたのではないかな(笑)やってみてないけど賛成します。

ねこ(22 Jan 2004 19:38:27)
どなたか本ノ木論争について詳しく分かる方
いらっしゃいませんか?
双方の論者、主張について具体的に教えてください。
宜しくお願いします。

切れ味世界一(16 Jan 2004 00:11:40)
ヤスキハガネは切れ味抜群。

切れ味世界一(16 Jan 2004 00:10:51)
ヤスキハガネは切れ味抜群。

椎名ハガネ( 4 Jan 2004 18:39:40)
はがねのうた

私の名前を
御知りに成り度いのでせう
でも今思ひ出せ無くて
哀しいのです
働く私に名附けて下さい
御呼びになつてだうぞ御好きな樣に
鉄で鉄さえも切る
私に 似合ひの名を

赤白い炎は
焼入れの合圖でせう
雪ふる山奥で生まれます
汗を拭ひて顏を上げて下さい
ほらもうじき私もニエをつくります
変わらない切れ味を
貴方に 御屆けします

私が憧れて居るのは
人間なのです
泣いたり笑つたり出來る事が素敵
たつた今私の名が判りました
貴方が仰る通りの「鋼」です
美しい切れ味を
職人さんへ御屆けします
働きます
何も語らず

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