考古学のおやつ

套餐の戒律・後篇−韓国屋vs日本亭

萬維網考古夜話 第86話 23/Jun/2003

馬具研究の進展と玉田古墳群

日本の初期馬具の年代論を取り上げたのに馬具の研究史にほとんど触れていない尾野善裕氏は,千賀久氏の業績とはまったく無縁の議論を展開しています。しかし千賀氏は,前回お話した福泉洞古墳群が報告されるより以前から,馬装やそこに使われた文様を高句麗・百済・新羅・加耶と比較していました〔1979〕。

福泉洞古墳群を初めとして,日韓で重要な馬具が多く知られるようになると,千賀氏は日本の初期馬具の各部品を改めて朝鮮半島各地と比較しました〔1988〕。資料が増加しているので,分類をもとに,日韓の編年対比が試みられています。尾野氏の1998年論文は,10年前に時代遅れになっていたというわけです。

日韓の馬具を対比する重要な論点は,千賀氏が1988年の時点で多くを提示してしまっていました。

さらに,日本の馬具を理解する上で欠けていた情報を補ったのが慶尚南道陜川郡の玉田古墳群の調査でした。玉田M3号墳では,日本の馬具セットの由来を考える上で重要なf字形鏡板付轡剣菱形杏葉木心鉄板張輪鐙(別のセットではあるものの)出土した〔趙栄済・朴升圭1990〕ので,千賀氏は1988年論文の続篇を発表して玉田M3号墳の意義を論じました〔1994〕。

中篇でも少し言い訳をしたんですが,実は,馬具の話がなかなか進まない事情がもうひとつあります。それは,千賀氏の業績を紹介しすぎると,すべてカタがついてしまい,このコラムの存在意義がなくなってしまうということ。今回も苦心してます(^^;。

玉田古墳群の調査に参加した柳昌煥氏は,数多く出土した木心鉄板張輪鐙に着目し,分類・編年・考察を試みました〔1995〕。属性分析の結果,大別3型式・細別9型式を設定しているのですが,柳昌煥が導き出した大別3型式(IA式・IB式・IIB式)は,千賀氏が日本の木心鉄板張輪鐙を分類した3型式(IA式・IB式・II式)〔1988〕と,よく似ています。日本の初期馬具が,韓国から輸入されたり模倣したものである以上,この類似は,両氏の分類が編年に有効だということを示しています。

気の早い定食屋と呑気な定食屋

画像も使わないのに細かい話をしてもしかたがないので,先を急ぎます。

柳昌煥氏が考えたように,5世紀の韓国の木心鉄板張輪鐙は,

の順で登場しています。これを思い切って,朝・昼・夕方に喩えることにします。この鐙の変化は,鐙とセットになるほかの馬具の変化にも対応しています。鐙だけでなく馬具全体に,朝のセット昼のセット夕方のセットという具合に,かなりはっきりした違いがあります。

さて,これを日本と比べてみます。日本の馬具は,韓国から輸入するか,韓国のお手本を模倣して,時には日本独自の発展もさせています。基本的には,「韓国→日本」という流れで考えていいでしょう。そうすると,韓国の馬具セットと日本の馬具セットは,気の早い定食屋(韓国屋)と呑気な定食屋(日本亭)のような関係になります。

,気の早い韓国屋は,早くから開店して朝食セットをお客に出していますが,呑気な日本亭は寝坊していて,少し遅れて朝食セットを出します。どちらの店も一部の食材を同じところから入手しているので,似たような朝食セットですが,肝腎の食材が入手できなければ日本亭は朝食セットが出せません。日本亭はどうにかこうにか韓国屋の朝食セットが終わる前くらいには開店します。

木心鉄板張輪鐙IA式は,韓国ではほぼ一斉にIB式に移行してしまうので,日本の木心鉄板張輪鐙IA式は,韓国での存続期間中に登場していなければ話が合いません。これは,前回触れたとおりです。
古くから指摘されていたように,「朝食セット」の鐙は日本でも韓国でもほとんど杏葉を伴っていません。稀に杏葉があっても,形や大きさが昼以降とは違っています。

になると,気の早い韓国屋はすぱっと朝食セットを止めて,店中が昼食セットに切り替えます。ところが呑気な日本亭には時報が聞こえないらしく,朝食セットに似たメニューを出しつづけています。どうも,昼食用の食材もたまには使っているようですが,すぱっと切り替わっているわけではありません。しかし,日本亭のお客も,韓国屋の昼食セットに似た食材が混じっているのを見て,「時報は聞こえないけど,昼ごろだな」と,これまた呑気に時刻を知るのでした。

この時期,韓国ではいきなり鐙の柄が長くなり(IB式),全体をキンキラキンにしてしまうような新羅の鐙が登場したり,杏葉をさかんにぶら下げるようになったり,馬装にいろいろと変化があります。最近ソウルに来た高句麗の地境洞1号墳の馬具と共通したところがあって,どうやら昼の馬具は高句麗の影響を受けているようです。高句麗の影響による変化は新羅・百済・加耶の馬具に及びますが,この変化は直接には日本まで届きません。しかし,福岡県筑後市・瑞王寺古墳では,「韓国屋の昼食セット」に当たる馬具が出土しています〔川述昭人(編)1984〕。

ところが夕方,気の早い韓国屋が夕食セットを出すころには,呑気な日本亭もさすがに慌てたのか,すぐさま同じ食材を揃えて,こちらも夕食セットで対抗します。

この時点のメカニズムには未解明の部分が残りますが,加耶・百済と日本で,馬具に関する情報がやり取りされたようです。このとき日本ではIIB式(II式)の木心鉄板張輪鐙が登場し,日本で好まれるf字形鏡板付轡や剣菱形杏葉も現れますが,特に「f字+剣菱」は韓国では存続期間がとても短いので,日本亭の「夕食セット」の始まりの時期は限られています。

そんなわけで,日本亭も結局のところは韓国屋と大してタイムラグのないメニューを出している……,え?この話,ご不満ですか?なになに,韓国屋より日本亭の方が遅いのはわかったけど,時間差がないとは言えないって?あ,そうそう,例の食材のことを忘れてました。

逆輸入される食材

韓国屋では,時々目新しい食材に出会うことがあります。日本亭で使っている食材で,「これはいける」と思ったものがあると,自分でも少し仕入れて,お客に試食させているのです。よくよく調べて見ると,韓国屋の朝食セットに,日本亭の朝食セットの食材が混ざっていることがあります。夕方になると,韓国屋の夕食セットには,日本亭の夕食セットの食材も……。実は,気が早いとか呑気とか言っていたのは,特定の食材の話で,別の食材では,逆の関係が成り立っていたのです。

日本の古墳時代中期には,帯金式甲冑と呼ばれる,日本で独自に発達した鉄製の武具が古墳に副葬されます。帯金式甲冑は,数は少ないものの韓国でも出土していて,日本製か,または日本の影響を受けたものです。このほか,韓国屋の「夕食セット」には,日本の須恵器が入っていることもあります。

尾野氏がお得意とする年代の上方硬直性は,情報の流れを「中国や韓国→日本」と決めつけてこそ機能するものでした。しかし,逆の流れを見つけ出せば,日本の考古資料の年代を下限底なしにする必要などなくなります。

馬具研究者のこわさ

朝鮮半島の考古学が(一応)専門ということになっている私から見ると,尾野氏の論理は高層ビルの間を綱渡りするようなトンデモない冒険です。なにしろ,尾野氏は一方で朝鮮半島の資料の重視するそぶりを見せながら,日本の馬具研究者が実際に展開している議論には無頓着だからです。

馬具研究者ほど,朝鮮半島や中国の最新資料に配慮している人たちが,ほかにどれだけいるというのでしょうか。馬具研究者の皆さんときたら,朝鮮語は読めないから……などといいつつ,けっこう的を射た読解をしていて,しかも,「自分が知っている資料なら当然白井もとっくに知っているだろう」というスタンスで話し掛けてくるので,私の方は不勉強がバレないように,それはもう冷や汗ものの対応をしているのですよ,いつも(でも,バレてるよ,多分(^^;)

結局,尾野氏は朝鮮考古学も馬具研究も実情をご存知でない……知識としてではなく,かすかな皮膚感覚としてさえ,生きた研究を体感したことがないまま,無茶な批判の筆を執ってしまったのでしょうか。


今回登場した文献


[第85話 套餐の戒律・中篇−初期馬具vs福泉洞古墳群|第87話 静止摩擦係数|編年表]
白井克也 Copyright © SHIRAI Katsuya 2003. All rights reserved.