考古学のおやつ たぬぼり探偵社

走馬燈

たぬぼりブックス

25/Jun/1999(Fri)登録

土器持寄会論集『突帯文と遠賀川』(1999年9月刊行予定)

この話は,お早いお帰りをご覧になった後,お読みくださいm(_ _)m。

先日,吉田広さんの論文(「武器形青銅器流入の一形態−高松田中遺跡出土青銅器から−」,古代吉備第21集,42-57)について,お早いお帰りで紹介したんですけど,最初の方のエピソードにばっかり気を取られて,大事なことを書き忘れてました。この論文を彩る重要な属性だというのに。

それがタイトルの走馬燈です。

実は,この論文のおしまいの方の部分を読んでいると,読者の脳裏に,下條信行先生と田崎博之さんと村上恭通さんの姿が走馬燈のように駆けめぐるんです。ほんとですよ。これまでの吉田さんの論文では,こんな感じはあまりしなかったと思うんですけどね。

この感じはもう,読んでみなければわかりません。ぜひ『古代吉備』を買って確かめてください(そういう私も買ってないけど(^^;)。
書名を忘れないように,始終「『古代吉備』『古代吉備』『古代吉備』……」と唱えるのもいいでしょう。ただし,途中で「どっこらしょ」などと言わないように。書名が『どっこらしょ』になってしまいます。

さて,そうしたところ,吉田さんご自身からメールが来まして,なぁんか巨大なファイル(しかも機種依存文字使いまくりだから,加工が大変)が届きました。本の宣伝をして欲しいんだそうです。

困ったなぁ,読んでない本の宣伝はしないことにしてたんだけど。でも,今回は特例で,走馬燈の件の補足も兼ねて,載せることにしましょう。今回だけですから,今度から宣伝の時は掲示板の方にお願いしますよ。>吉田さん

それにしてもこの本,すごそうですねぇ。この本読むと,ものすごい走馬燈で頭がパニックになるかも。

(ひとりごと)この情報って,すでに吉留さんのところに載ってるから,二番煎じの立場としては,差別化が大変(^^;。

ここから下は吉田さんからもらった資料の引用です。


論文集の頒布のご案内

時下、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
さて、1994年8月からあしかけ5年間、西日本各地の突帯文土器〜遠賀川式土器の検討を続けてきました土器持寄会では、この度、その検討・研究成果をまとめた論文集を刊行・頒布するはこびとなりましたので、ご案内いたします。部数に制限がありますので、是非とも予約をおすすめします。
[書題]
土器持寄会論文集『突帯文と遠賀川』
[内容]
下記の目次と論文要約を参照下さい。
[判型体裁]
B5判、執筆者40名、頁数1,200頁
[刊行]
1999年9月末
[頒価]
12,000円(ただし、刊行前に予約された場合に限り、10,000円です。)
[予約・申し込み]
郵便番号・住所・氏名・電話番号・購入部数を明記した葉書もしくはFax.で、下記の論文集刊行会宛に申し込み下さい。論文集が刊行され次第、発送いたしますので、郵便振替にて代金及び送料を送金下さい。
〒790-8577 松山市道後樋又10番13号 愛媛大学埋蔵文化財調査室内土器持寄会論文集刊行会
Tel.089-927-9127( Fax.兼用)
郵便振替口座01610−9−30480
※お問い合わせは、上記の愛媛大学埋蔵文化財調査室の田崎博之もしくは吉田広までお願いします。

土器持寄会論集『突帯文と遠賀川』目次

第I部 土器持寄会の記録 148頁

第1回 各地における最古の遠賀川式土器
第2回 東北部九州の突帯文土器と遠賀川式土器
第3回 河内潟周辺の突帯文土器と遠賀川式土器
第4回 愛媛の突帯文土器と遠賀川式土器
第5回 夜臼式土器と板付式土器
第6回 岡山の刻目突帯文土器〜遠賀川式土器
第7回 近江・山城の突帯文土器〜遠賀川式土器
遠賀川式土器って何だろう−問いかけと回答−
第8回 土佐の遠賀川式土器をめぐって
第9回 讃岐地域の突帯文土器〜遠賀川式土器
第10回 山陰の突帯文土器〜遠賀川式土器
第11回 大分の突帯文土器〜遠賀川式土器

第II部 突帯文土器と遠賀川式土器の諸相

早良平野の突帯文土器と板付式土器−福岡平野との比較を含めて−
池田祐司(コメント:前田義人)26頁
層位関係と出土状況が比較的良好な橋本一丁田遺跡の資料で甕と浅鉢の形態分類と変遷を明らかにし、早良平野の他の遺跡出土資料との比較を行うことで、夜臼式土器単純期を2期、板付式との共伴期を2期の、計4時期に区分する編年案を提示した。また、土器の形状や、刻目突帯の特徴、器面調整、そして土器組成の福岡平野との相違点を検討することで、早良平野の地域色を明らかにした。
東北部九州における突帯文土器と初期遠賀川式土器
前田義人(コメント:平井泰男)34頁
東北部九州の黒川式新段階〜板付IIa式段階の深鉢と浅鉢を基準とした編年を提示する。山ノ寺式期には、西から壷、東から方形浅鉢や有文浅鉢が導入され、夜臼式期には、浅鉢器種の限定、刻目突帯の小形化、調整具や施紋具の多様化、突帯の位置などが新たに展開する。板付I式期には、粗製深鉢(甕)に如意形口縁をもつ甕と突帯文装飾の甕が多く、板付IIa式期には、縄文系甕の残存の一方、刻目や浅鉢の消滅など縄文系の要素が姿を消す。この東北部九州の様相こそ、弥生早期の汎西日本的様相を具現し、以東の地域と共通する現象である。
東北部九州における弥生時代前期土器の変遷
梅崎惠司(コメント:坪根伸也)38頁
これまで北部九州の編年観に一括されてきた東北部九州の突帯文土器から弥生前期の土器の編年的な検討を試みた。その方法として、遺構出土資料を指標に主要器種・形式の諸特徴の推移や様相を把握することに努めた。その結果、縄文晩期終末の突帯文土器段階を1・2期に、弥生前期を3〜7期に細分し、土器相の変化を明らかにした。
東部九州における弥生前期土器の諸相−「口縁下端凸状甕」と下城式甕−
坪根伸也(コメント:田畑直彦)20頁
九州島内の弥生前期の突帯文系甕形土器の一つに「下城式」土器がある。九州東半部を分布エリアとするこの土器形式は、単純に在地の縄文晩期刻目突帯文からの成立・発展が想定されてきた。ところが、その成立契機を検討すると、西部瀬戸内の強い影響を指摘できる。東九州的展開を示す分布の偏在も、このような成立・醸成過程に基づくものと理解できる。
下城式土器の周辺−下志村式の紹介をかねて−
高橋徹(コメント:柴田昌児)34頁
「下城式」の学史的検討と新出資料の紹介を行ったうえで、「下城式」に先行する前期土器様式として「下志村」式を設定した。また、「下城式」は、当初規定されたとおりの様式としては成立し難く、甕形土器に限っても在地の縄文晩期突帯文土器から直接的に系譜を追える可能性は少ないことを指摘した。
「中山B式土器」について
妹尾周三(コメント:伊藤実)32頁
「中山B式土器」は広島市中山貝塚の縄文晩期と考えられた第1貝層出土土器の総称である。本稿では、第1貝層の土器中に岩田第四類土器の深鉢と浅鉢が含まれていることを示し、残る突帯文土器について型式分類を行い、周辺遺跡の資料と比較し遺跡間相互の土器型式を差し引きすることによって3つの型式群に整理し、これを基準として中山B式土器を再定義した。さらに、この突帯文土器の特徴である口縁部突帯に注目し、上限を沢田式土器の一部に併行関係を求め、下限を弥生前期前半に位置付けた。
削出突帯と貼付突帯−第I様式の3段階編年の再検討−
伊藤実(コメント:前田佳久)18頁
中部瀬戸内以東の第I様式土器の編年は、1960年代に段・削出突帯・貼付突帯という3段階編年案が提唱された。それは、さまざまな顔を見せる第I様式土器を一つの流れ(系統)の中に当てはめる型式学的にきわめて整った編年案であった。中部瀬戸内の第I様式土器を素材に削出突帯と貼付突帯に焦点をあて3段階編年案を再検討し、削出突帯と貼付突帯は系統を異にする技法であることを考察した。
因幡・伯耆地域の突帯文土器と遠賀川式土器
濱田竜彦(コメント:信里芳紀)30頁
山陰地方東部の因幡・伯耆地域の突帯文土器を検討してI〜III期の3期区分を提示した。その中でII期以降、2条突帯の非一般化、砲弾形器形の盛行、粗い擦痕の残るナデ調整の多用などに強い地域性を確認し、III期新段階は弥生前期前葉の出雲原山式と併行することを指摘した。また、弥生前期中葉の土器は、縄文土器から系譜が辿れる土器群と弥生前期土器の影響を強く受けた土器群に大別され、両者の出土傾向の違いから、晩期末から継続する集落と弥生主導型の新しい集落という2つの集落形態が同時期に存在したことを考えた。
西南四国型甕の成立と背景−弥生文化成立期の四国西南部−
柴田昌児(コメント:出原恵三)20頁
四国西南部における弥生中期の地域色の強い甕である西南四国型甕の祖形は、縄文晩期後半の2条刻目突帯文土器で、主な属性や製作技法を踏襲しつつ、遠賀川式土器の如意形口縁甕の調整技法を一部融合することで生成する。この生成過程は、四万十川流域を中心とした幡多地域で追跡できる。幡多地域では、全器種の中で壷の構成比が極端に低く、『煮炊きする壷』が確認でき、晩期系2条刻目突帯文土器と少量の遠賀川式土器が共伴し、突帯文系土器製作集団中心の土器作り体制に遠賀川式土器を作る人々が組み込まれたことを示す。
讃岐地域の突帯文系土器
森下英治(コメント:勝浦康守)30頁
讃岐地域の突帯文系土器の中で、屈曲型深鉢の類型分類を行い、遺跡・遺構単位での共伴関係を通して時間的関係を導き出した。その結果、突帯文期I期、II期、弥生前期I期、さらに突帯文期II期および弥生前期I期をそれぞれ3期に細分し土器相を概観した。そして、深鉢・壷・浅鉢の系譜別の消長を整理し、突帯文系土器を在地系と外来系にまとめ、外来系突帯文土器は突帯文期II期に壷をもたらし、弥代前期I期には遠賀川系土器とともに流入して讃岐地域特有の土器相が生成させるなどを明らかにした。
讃岐地域の初期遠賀川式土器
信里芳紀(コメント:渡邉恵里子)22頁
西日本における弥生前期前半の土器は、縄文晩期後半の突帯文土器の系譜を引く土器群が色濃く残存する初期遠賀川式土器の段階である。本稿では、讃岐地域における初期遠賀川式土器の壷の型式分類を行い、遺跡や遺構での出土状況の検討を通じて、2時期に区分することを提唱した。また、周辺地域との時間的な併行関係を考えるとともに、讃岐地域の初期遠賀川式土器の地域色と特性を明らかにした。
徳島の突帯文土器と遠賀川式土器−三谷遺跡・名東遺跡資料の検討−
勝浦康守(コメント:大野薫)18頁
徳島において「突帯文土器〜遠賀川式土器」に関する情報を的確に表現している資料として名東遺跡1987年調査と三谷遺跡1990〜1991年調査の土器群がある。とりわけ、三谷遺跡の資料では、時間的先後関係をもつ遺構単位の資料群がある。本稿では、三谷遺跡と名東遺跡の突帯文土器深鉢の口縁部刻目の有無と突帯の貼付位置という属性を取り上げ、資料群単位で計量的な検討を行い、時間的な変化を明らかにし、三谷遺跡で突帯文土器に伴って出土している遠賀川式土器の波及状況を検討した。
阿波における弥生時代前期の土器編年−庄・蔵本遺跡出土土器を中心として−
中村豊(コメント:木村早苗)28頁
阿波地域における弥生前期の土器編年の大枠として、徳島市庄・蔵本遺跡出土土器をもとにI-1様式からI-4様式を設定した。I-1様式に確立した弥生前期の土器は、I-2様式をへて、I-3様式で新たな要素を加え、前期と中期の特徴が混在するI-4様式へといたる。その過程で、壷はI-3様式以降新たな展開を示すのに対して、甕は最後まで伝統的な要素を残す。また、I-1様式の土器と突帯文土器との関係や、近畿地方の前期初頭に位置付けられる神戸市大開遺跡や東大阪市若江北遺跡の土器群と併行することなどを明らかにした。
四国における遠賀川式土器の成立
出原恵三(コメント:豆谷和之)42頁
弥生文化成立期前後の四国島は、西部(第I地帯)・中央部(第II地帯)・東部(第III地帯)の3つの特徴ある地域文化が展開し、遠賀川式土器の成立も、それぞれの地域で特徴的な展開を示す。第I地帯は縄文晩期土器と遠賀川式土器が共存する二重構造を呈し、第II地帯は遠賀川式土器が純粋に展開し、第III地帯は、二重構造という点で第I地帯と共通するが独自の地域性が濃厚に現わる。第II地帯でも高知平野では縄文晩期土器から遠賀川式土器への移行期の状態が典型的に現れ、これは本来広く環瀬戸内で生起した現象と考えられ、当該地域の縄文文化が朝鮮無文土器文化と接触し弥生文化を生成する過程として理解することができる。
中部瀬戸内地方における縄文時代後期末葉から晩期の土器編年試案
平井泰男(コメント:中村健二)36頁
中部瀬戸内の縄文後期末葉を、ヘラ描き沈線文と細い刻目が特徴の第1段階、巻貝による凹線文や押圧文が特徴の馬取式や福田III式とされてきた第2段階、未命名型式の存在が推定できる第3段階に区分。晩期前葉は、「岩田第四類」を基準とするI期、近畿の滋賀里IIIa式や北部九州の浅鉢との対比から設定できるII期に区分。晩期中葉は、舟津原段階をIII期、谷尻式併行をIV期とし、III期はさらにIIIa期とIIIb期に細分。晩期後葉の突帯文土器の段階はVa〜Vc期に区分。その上で、他地方との併行関係などの問題を検討した。
岡山県南部地域における遠賀川系土器の様相
渡邉恵里子(コメント:梅崎惠司)24頁
窪木遺跡竪穴住居-2出土資料の再検討によって津島遺跡南池地点出土土器の位置付けをはかり、岡山県南部地域における編年の再編を試みた。結果、段・沈線・削出突帯の変化と消長から前期前半をI〜III期の3期に区分し、周辺地域の位置付けをも行い、遠賀川系土器の展開を概観した。さらに、遺跡の動向や板付式土器との対比から、遠賀川系土器が一元的に成立したものではない可能性を指摘した。
播磨系突帯文深鉢について
中村健二(コメント:丹治康明)26頁
本稿では、「口縁部突帯が下方向に垂れ下がり、内面に強いナデ痕をもつ」播磨地域に特徴的な突帯文深鉢の成立と終焉の様相を素描した。この播磨系突帯文深鉢は、口縁端部が面取りから丸くなり、面取りと丸いものが併存するようになり、口縁部の突帯位置も端部から下がるものから接するものへ、最終段階には再び端部よりかなり下がって三角形突帯、という型式学的変遷を確認できる。これに器形を加味して6段階の変遷を提示し、第1・2段階は口酒井期を含む船橋式期に、第3〜6段階は長原式期に併行と考え、遠賀川式土器との関係を考えた。
大阪府西大井遺跡出土の突帯文土器と弥生土器
大野薫 14頁
未報告であった西大井遺跡1980年度第1次調査の突帯文土器と遠賀川式土器の共伴事例の報告を行う。
削出突帯の成立
前田佳久(コメント:口野博史)20頁
大開遺跡出土の壷にみられる粘土紐接合時の段差を利用し成形されるCタイプの削出突帯は、他地域ではあまり出土例がなく、近畿地方で一般的なA・Bタイプより時間的に先行して登場する。このCタイプから、段部分を肥厚させることでA・Bタイプの削出突帯が生み出されるのである。この契機をなすのは、壷の口縁部形状の変化である。また、Cタイプの削出突帯の成立は、縄文晩期系突帯文土器との相互交流によるもので、遠賀川式土器を受け入れた縄文晩期の近畿地方の社会状況の一側面をも反映している。
河内平野南部地域における弥生時代前期前半期土器の再検討
岩瀬透(コメント:田中清美)34頁
大阪府八尾市田井中遺跡では、弥生前期前半の遺構群が層位的に確認でき、いくつかの遺構に伴って大量の土器が出土した。本稿では、遺構を単位とした資料を整理し、河内平野南部地域における弥生前期前半を3期に区分する土器編年案を提示した。
大和的凸帯文土器
豆谷和之(コメント:永井宏幸)26頁
前栽遺跡と松之本遺跡の資料を用いた口縁部凸帯の分類から、凸帯文土器終末期の大和凸帯文3期の細分を摸索した。凸帯をA・B1・B2・C・Dの5型式に分類し、Aを船橋式的なもの、Cを長原式的なものとし、その形態差は時間的変遷を表していると考え、Bを大和の地域的な凸帯、DをCよりも型式的に新しいと想定した。これによって、縄文晩期終末と弥生前期初頭の時間的前後関係を詳細に論ずることが可能となり、大和では標高60mを境として凸帯文土器の終末と前期弥生土器の出現に段階差があることを指摘した。
突帯紋系土器から条痕紋系土器へ−壷形土器の系譜を考える−
永井宏幸(コメント:佐藤由紀男)20頁
伊勢湾周辺における壷形土器の成立に大きく影響した長原系壷形土器に焦点を絞り、条痕紋系土器の壷形土器の成立を検証した。具体的には、近畿の長原系壷形土器にみられる3要素を指摘し、その3要素が伊勢湾周辺でどのような形で見い出せるかを検討し、条痕紋系壷形土器の2系統を整理し、条痕紋系土器様式における壷形土器の成立・展開を考えた。
青森県出土の「遠賀川系土器」
木村早苗(コメント:石川日出志)36頁
これまで青森県で「遠賀川系土器」と呼称されてきた土器を集成し、器形・文様・調整などの特徴をもとにその様相の一端を明らかにした。とくに、全体器形の分かる壷形土器に関して器形の特徴を見出し、大型品であることを再確認した。また、甕の器形や文様、壷の文様などの微妙な相違をもとに、南部と津軽の両地域で土器様相に差異のあることを導き出し、その差異は地域による、「遠賀川系土器」の到達・成立時期の差による可能性を指摘した。

第III部 交流そして伝播と受容

壷形土器の伝播と受容−突帯文土器段階を中心として−
田崎博之(コメント:森下英治)32頁
弥生時代以降の土器様式を構成する基本的器種である壷形土器は、本格的農耕文化の一要素として、縄文晩期突帯文土器段階に、朝鮮半島南部からまず北部九州に導入され、さらに列島各地へ伝播し、弥生前期遠賀川式土器段階に基本器種として定着する。その過程では、地域ごとでの、受容時期のズレ、器形や製作手法等の要素の取捨や変形、土器がもつ意味の変質や読み替えなどの現象が認められる。突帯文土器〜遠賀川式土器の広域編年網を搬入・模倣土器で組み立て、壷形土器に象徴される当該期の文化伝播の様態を検討する。
突帯文期の地域間交流
丹治康明(コメント:設楽博己)14頁
本論では、東部瀬戸内から大阪湾沿岸の各地の突帯文土器の比較を行い、各地の地域性を明らかにした。この結果、「長原式土器」を限定的な分布の独創的なものであると評価した。また、遠賀川式土器の伝播の直前・直後には、縄文伝統を色濃く背負う「縄文ムラ」と新しい情報を積極的に受け入れる「弥生ムラ」が併存し、活発な地域間交流を通じ、弥生時代の畿内小地域社会を形成したと考えた。
遺跡動向からみた縄文時代から弥生時代への転換−神戸市域の遺跡の検討を通じて−
口野博史(コメント:岩瀬透)19頁
今から約2500年前、縄文文化と弥生文化という異質な文化が出会った。異質の文化をもつ弥生人が、先住の縄文人とどのように接触したのであろうか。小地域でありながらも、その地域固有の反応があったと考えられる。明石川流域の「受容」と六甲山南麓の「抵抗」の相違について述べてみたい。
河内潟周辺における弥生文化の着床過程
田中清美(コメント:若林邦彦)32頁
約2500年前、河内潟周辺には広大な沖積低地が形成されつつあった。ここに西方から水稲農耕と金属器や大陸系磨製石器および遠賀川式土器を携えて弥生人集団がやって来た。そして、当地の縄文人集団が新来の生活様式や文化を吸収しながら弥生時代へ移行する。本稿では、河内地域の突帯文土器と遠賀川式土器の共伴関係や土器の分析を通して、縄文時代の終焉と弥生時代の始まりを検討する。
遠賀川系土器について
平井勝(コメント:高橋徹)10頁
小林行雄の言う遠賀川式土器と遠賀川系土器の違いを明確にし、西日本に広く分布する遠賀川系土器の母胎が北部九州にあることを述べた。北部九州では突帯文系統の土器の中に朝鮮半島無文土器の影響による異系統の土器が出現し、それが板付I式段階には遠賀川系土器の基本形の壷と甕となる。しかし、その成立と展開過程では、北部九州の動向と同時に、瀬戸内地域の動向も無視し得ないことを指摘。
西日本における初期遠賀川式土器の展開
田畑直彦(コメント:梅木謙一)44頁
本稿では、まず最古の遠賀川式土器単純組成を示す今川遺跡V字溝出土土器が板付I式の範疇で捉えられることを提示し、板付IIa式甕の1条沈線を周防灘沿岸地域の影響によるものと考えた。そして、中・四国の初期遠賀川式土器は、今川遺跡V字溝中層併行で、周防灘沿岸地域から高知県までの地域と、中部瀬戸内を中心とする地域に2分できることを明らかにした。さらに中部瀬戸内まで遠賀川式土器の分布圏が広がる一方で、周防灘沿岸地域と玄界灘沿岸地域が交流を深めることにより板付IIa式が成立したことなどを明らかにした。
遠賀川系土器の壷にみる伝播とその変容
梅木謙一(コメント:深澤芳樹)24頁
古式の遠賀川系土器の壷は、内傾する頸部に、短く外反する口縁部をもち、口頸部境と頸胴部境に段がつく有段壷に表象される。ところが、この有段壷に対する認識は個人や地域で様々である。本稿では、この認識の違いを明確にするために型式分類を行い、古式の遠賀川系土器の壷がもつ時間的・空間的特徴を抽出し、遠賀川系土器の伝播形態について言及する。
刻目段甕のゆくえ−前期弥生土器における広域編年の試み−
深澤芳樹(コメント:秋山浩三)18頁
第3回土器持寄会の席上、刻目段甕→直線紋刻目段甕→両直線紋間刻目甕の型式変遷案を提示し、続く第4回土器持寄会でそれにかかわる西日本の資料をお配りした。そして本会は第12回をもって終結する。再び荒涼とした原野に帰る心持ちである。だが、沢山の方々と同じ土器をみ、考える時間を共有し、試案に対し、本会において私は多くのご教示を得た。本稿は基本的にこれにまつわる議論である。
遠賀川式土器の様式構造−土器のサイズからみた遠賀川式土器−
濱田延充(コメント:中村豊)21頁
様式概念そのものが曖昧になりつつある遠賀川式土器について、土器様式として認定できるかを検討する。とくに、土器の使用という観点から土器様式を考えてみたく、北部九州・中部瀬戸内・畿内の3地域で土器の大きさを加味した様式構造の検討を行なった。また、3地域での突帯文土器との比較(主に煮沸用土器について)を行ない、遠賀川式土器に近い法量組成をもつ北部九州地域と縄文的組成を維持する中部瀬戸内・畿内両地域の突帯文深鉢の相違を明らかにし、後者での遠賀川式土器の成立の意義について考察を加えた。
甕・深鉢形土器の容量変化からみた縄文/弥生
佐藤由紀男(コメント:濱田延充)36頁
煮沸用土器である甕・深鉢の容量組成の変化は、食生活の変化を現していると考えられる。北部九州では過渡的な段階をへて遠賀川期の容量組成が完成するが、瀬戸内以東では突帯文期と遠賀川期との間には大きな画期がある。遠賀川系の甕の形は北部九州において突帯文期の無文土器系深鉢から板付祖形甕をへて完成するが、半島の無文土器の容量組成は遠賀川系がもっとも類似する。
弥生前期土器の製作技法−平等坊・岩室遺跡の資料を素材として−
松本洋明(コメント:吉田広)24頁
天理市平等坊・岩室遺跡から出土した資料を素材として、弥生時代中期土器と比較を行いながら、弥生時代前期の土器作りにかかる技法の観察から遠賀川式土器から弥生時代中期への変化をどのように捉えるかを考えた。
瀬戸内地域における遠賀川式土器の解体
吉田広(コメント:妹尾周三)22頁
西日本の前期に広く共通する土器様式を遠賀川式として捉え、その解体を考察することによって、逆に遠賀川式の再定義を試みた。さらに、瀬戸内における遠賀川式解体を端的に示す瀬戸内型甕の出現系譜について、遠賀川式に伴う第II種突帯文系を、弥生土器である壷へ、縄文深鉢の突帯文という要素を導入した「弥生系変容壷」とも呼び得るものと評価し、瀬戸内型甕の「飾る甕」としての系譜を求めた。
遠賀川系土器様式の終焉−近畿とその隣接地域を中心として−
若林邦彦(コメント:松本洋明)20頁
「遠賀川系土器」と呼び得る土器様式がどのようにして無くなっていくのかについて考察を行った。方法としては、弥生時代前期〜中期初頭土器群に関して共通の時間軸を近畿地方とその隣接地域に設定して、それをもとに中期前葉の土器属性がどのように現れて遠賀川土器の広域「斉一性」消失が進行するのかを検討する手法を用いた。結果として、中期土器属性の発現は様相4の時期に認められ、この時期を「斉一性」の消失=遠賀川系土器様式の崩壊の時期とみなし、弥生時代前〜中期土器様式の境界として認識するべきである。
近畿における無文土器系土器の評価
秋山浩三(コメント:田崎博之)32頁
口縁部形状の類似性から近畿無文土器系資料との関連性が想起されることがあった突帯文土器と弥生前期瀬戸内型甕の口縁部の成形技法が、(朝鮮系)無文土器の技法とはまったく異質な原理によっている点をまず提示した。この視点を援用し、近畿無文土器系資料を再検討した結果、無文土器との関連性を否定すべき資料と強調すべき資料とを部分的ではあるが峻別できた。その結果、畿内第I様式新段階〜第II様式の時期にも、朝鮮半島南部の無文土器文化の影響が間接的にせよおよんでいる蓋然性が指摘できた。
縄文晩期の東西交渉
設楽博己(コメント:佐藤由紀男)26頁
九州の縄文後期に端を発する土器の粗雑化は、関東の晩期前半の土器にも影響を与えた。一方、東北系の土器は関西にも波及する。ところが、晩期終末には東日本の土器はほとんど西日本にみられなくなる。突帯文土器の成立期に、再び東日本系の土器が西日本にみられるが、今度はかつてないほど広域に土器が移動する。ちょうど水田稲作の開始期にあたり、東日本の社会も新たな社会情勢に敏感に反応したと思われる。縄文晩期における列島の東西の土器の動態を描きつつ、それが社会現象をいかに反映しているか探る手掛かりを得たい。
東日本系土器からみた縄文・弥生広域交流序論
小林青樹(コメント:濱田竜彦)30頁
西日本の弥生文化成立期における東日本系土器の展開を検討した。弥生文化成立前夜の大洞C1式期には活発な相互交流が見られるが、水田耕作が開始される早期1段階に緊密な関係が突然断絶し、逆に板付I式が成立する前期1段階に再び関係が緊密化する。この段階の土器には特殊なものが多く、文様などに選択的受容が認められる。東日本の縄文系弥生人の対応はきわめて積極的で、弥生土器をはじめとする新文化の成立は、東日本縄文系文化を含めた広範囲の相互交流を背景に、予想以上の複雑性をもちつつ成し遂げられた。
突帯文期・遠賀川期の東日本系土器
石川日出志(コメント:平井勝)18頁
近年、西日本各地で突帯文土器や遠賀川式土器に伴って東日本に出自が求められる土器が検出されている。本稿では、これら東日本系土器の特徴やその搬出・受容について、工字文系土器と浮線文土器に大別して検討した。両者は西日本での分布状況に顕著な違いがあり、異なる背景が考えられる。また、後者は搬入品がほとんどなのに対して、前者は中・四国や九州で模倣・改変が認められ、畿内の流水文形成過程と一部併行する現象であることを示した。

白井克也 Copyright © SHIRAI Katsuya 1999. All rights reserved.