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九州大学考古学研究室所蔵古新羅土器

−陶質土器の成形・調整技法とその原理−

出典:『古文化談叢』第34集(1995)

用語に苦しんだ挙句,土器生産を法則的に理解できないかと思い始めたころの資料紹介。1994年の後半以来,いくつもの資料紹介を同時並行で準備しており,資料紹介を逸脱した試論を展開した場合もある。(18/Apr/2002)

目次


1.はじめに

九州大学考古学研究室に,由来不明の古新羅土器数点が所蔵されている。出土地・出土状況・出土時期等は全く伝わっておらず,入手経路さえ不詳である。考古遺物としては2等資料であるが,新資料を提示しつつ陶質土器製作技法の考察を試みている筆者としては,本資料も実測図・拓本・写真等を公表して資料に即した観察を公にしておくべきと考えた。また,これまで紹介してきた遺物との比較に基づき,若干の考察も加えることとした。

紹介に当たって,本稿で用いる用語と記号の一部を定義しておく。一部はこれまでの筆者の資料紹介において用いたこともある。

粘土部品 成品の一部を成形(あるいは調整・施紋も)し終えた状態の粘土である。成形後であるという点で,「粘土紐」等と区別される。粘土部品どうしを接着してより大きな粘土部品もしくは成品に近い状態にすることを,特に「接合」と呼びたい。巻上成形において粘土紐を添加していくことも,従来「接合」と呼ばれているが,粘土部品の接合とは呼び分けが必要と考える。

連続ヘラケズリ 非回転ヘラケズリの一種であり,あるヘラケズリ単位の終点を次のヘラケズリ単位の始点とするように,工具を器面からほとんど離さず次々にヘラケズリをおこなっていく技法である。隣接するヘラケズリ単位の継目が工具で強く押されることなく,むしろ少し工具を浮かせる(工具の持ち替えか)点で,「オシビキ」とは異なる。

回転ヘラオシ 粘土部品を接合するとき,接合部分に沿って細い粘土紐を当てがい,ヘラで押さえて接合を確実にすることがあるが,回転を利用するものを特に「回転ヘラオシ」と呼ぶことにする。一見すると強い回転ナデのような外観だが,粘土部品の接合箇所にみられること,粘土を補っていること,周辺の他の行為から逸脱した調整であること等により認識される。また,接着すべき小部品に可塑性が充分残っていたり,未成形の粘土塊や粘土紐を接着する場合,接着すべき小部品(粘土塊・紐)自体に与圧して大部品に接着することがあり,これを「ナデツケ」と呼んで区別する。ヘラオシ技法を使用していると認識される場合,複数の粘土部品を接合したと想定できる。

接合沈線 粘土部品の接合を確実にするため,一方あるいは双方の部品に施す沈線を指す。

乾燥段階 陶質土器製作の過程で,土器は刻々と乾燥していく。乾燥目的で土器を静置する作業を特に「乾燥段階」と呼び,通常の乾燥現象と区別する(補註1)。

また,技法の手順は[ナデ→ケズリ],同一技法の順序は{時計回り},施紋・調整の方向は(上→下)のように,それぞれ記号を用いて表現する場合がある。


2.資料紹介

蓋1 高杯2に伴うと思われるが,注記・ラベル等はない。完形で欠損がなく,器高54mm,口径107mm,稜径114mm,つまみ基部径19mm,つまみ最大径36mm,たちあがり高7mm,つまみ高15mm。精良な胎土で硬質に焼成しているが,自然釉等はみられない。外面灰青色,内面黄灰色,つまみ上端のみ灰白色を呈す。

天井部外面は{上→下}回転ナデ後,中央部のみ{上→下}時計回り回転ヘラケズリを施す。たちあがりと内面全体は回転ナデ調整されており,シッタ痕等は観察されない。外面中央近くのケズリ部分に圏線2条をヘラガキして施紋帯とし,下の圏線を三角形の下辺として,平行圏線間に[(1)右辺(上→下)→(2)平行斜線6〜8本{右→左}(上→下)→(3)左辺(上→下)]で1単位が構成される,右上がり平行線充填の上向鋸歯紋を,時計回り順に14単位施紋している。関川尚功による鋸歯紋IBa類である〔1984:45-47〕。

つまみは内外面回転ナデ調整するが,基部には粘土紐を当てて回転ヘラオシしており,ヘラオシの困難な上側に粘土がはみ出している。基部ヘラオシ後(つまみ接合後),3方向方形透窓を穿つが,左辺・右辺を切ったヘラ痕跡が天井部外面で施紋帯を区画する上圏線を切っている。

高杯2 蓋1に伴うと思われる。脚部内面にラベル貼付痕跡がある。完形だが,たちあがりに欠損,杯部にヒビがある。器高85mm,口径95mm,稜径110mm,脚基部径35mm,脚最大径85mm,たちあがり高7mm,脚高53mm。精良な胎土で硬質に焼成しているが,自然釉等は観察されない。外面青灰色,杯部内面は底部のみ暗褐色,他は灰青色,脚部内面灰白色,断口灰青色を呈す。

杯部外面は上半回転ナデ調整,下半回転ヘラケズリ調整されているが,ケズリは柔らかい感じである。ケズリの後に,指紋等,指先の触れた痕跡がみられることから,成形後あまり乾燥の進まぬうち,即ちヘラキリ時かその直後のヘラケズリと考えたい。内面は全体に回転ナデ調整されているが,粘土巻上痕も観察され,巻上成形であることがわかる。紋様等は施されていない。

脚部は脚端一部がやや跳ね上げたように歪んでいる。内外面回転ナデ調整されているが,脚内面下半にラセン状の巻上痕が残り,巻上成形であることがわかる。また,脚基部外面でも粘土の継目が観察されるが,基部への粘土の補填や回転ヘラオシ技法は観察されず,製作工程上対応するはずの蓋1のつまみ基部とは好対照をなしている。

脚部外面は突帯2条で区切られ,上下交互3方向方形透窓を穿つ。透窓は右上がりで,右下頂点でヘラの行き過ぎが認められる。上辺・下辺のヘラのなす面は,外側では杯部外面ぎりぎりを通るものがあり,内側では脚部の反対側内面にぶつかるものもある。杯部と脚部が備わった状態で,外側から切り開けたとみられる。上段透窓上辺を切るヘラが杯底部に当たった痕跡も認められ((1)(2)(3)),ヘラに弾性があったことも窺われる。また,下段上辺cと下段下辺dのヘラ平面がほぼ平行(口縁部平面rとなす角約57°)であり,この角度が高杯2における透窓穿孔の適正角と考えられる。かかる適正角の存在は,穿孔時における工人と土器との位置関係〔大塚1990:23〕に関わるかも知れない。図に一案を示しておいたが,さらに検討が必要であろう。

脚端の跳ね上げたような歪みの原因は,(1)成形段階での押圧,(2)乾燥段階で倒置された乾燥未了土器の自重,(3)土器の倒置焼成時の高温の3通りが考えられる。しかし,(1)成形段階ならば,より細かい器形の乱れがあってしかるべきである。また,杯部内面灰青色,脚部内面灰白色という色調からは(3)倒置焼成は考え難いし,焼成中に歪むほどの高温ではなかったようだ。したがって,(2)乾燥段階で倒置していたため脚端が自重で垂れ下がったと解すべきである。

倒置乾燥の動機としては,杯部乾燥度より脚部乾燥度が低く,正置すると脚部のつぶれる虞があったと考えられ,実際,乾燥時に脚端が歪んでいる。さすれば,脚基部に粘土部品接合の指標でもある回転ヘラオシ技法が採用されていないことと考え合わせて,杯部と脚部を別個の粘土部品として作成し接合するのではなく,完成した杯部を回転台上に倒置し,粘土紐を巻き上げて脚部を成形したとみられる。その場合,脚部乾燥度は当然極めて低く,対して杯部は脚部用の湿った粘土紐の重さに耐えるほど乾燥していたに違いなく,脚部成形後そのまま倒置乾燥に移行したのであろう。

即ち,回転台上の粘土円盤に粘土紐を巻き上げて杯部を成形し,回転ナデ調整後切り離す。回転台上に倒置した杯部の上に脚部を巻き上げ,透窓穿孔後,脚部を上にしたまま倒置乾燥している。

平底壺3 注記・ラベル等は一切ない。完形で欠損が全くなく,器高155mm,口径114mm,頸基部径87mm,最大径178mm,底径93mm,器厚3〜7mm。精良な胎土で硬質に焼成しているが,自然釉等は観察されず,吸水性がやや高い。外面上半・内面青灰色,外面下半灰白色を呈す。内底面に煤状の黒い付着物がある。

頸部は直立してから緩やかな屈曲を描いた後,外折して口縁部をなす。器壁が底部付近で厚く,口縁部付近で薄い。内面は全体に回転ナデ調整が観察される。底部付近を除く外面には{上→下}順に回転ナデを行うが,肩部では回転ナデ以前に行われた斜方向の粗い平行タタキによる微かな凹凸を残す。底部付近の内面は回転痕が明瞭であり,内底面は中央が高く周辺が低い。胴部外面下端近くはヨコ方向の非回転ヘラケズリを,1単位の終点を次の単位の始点とするように,工具を離さず連続的に行っている(連続ヘラケズリ)。9分の1周程度を1単位とし,2周程度行っているが,2周目(ケズリii)は1周目(ケズリi)よりも下端近くを狙っているようである。底部はイタ起こし未調整であり,底部外面は平坦である。外側面下端の連続ヘラケズリは回転台からの切り離しに先立って,回転台上で工具を差し込んで行っていることが観察される。また,外側面下端付近に指紋が数カ所みられる他,肩部にも数カ所に器面の乱れがあり,回転台からの切り離し時に手で持った痕跡と思われる。

回転台上で成形し,タタキ技法で胴部に丸みをつける。全体に回転ナデを行ってタタキメを消した後,回転台上に土器を載せたままヘラを差し入れて連続ヘラケズリをしているが,ケズリiでは胴部最下端の調整が不充分であったらしく,最下端のみはケズリiiを行っている。連続ヘラケズリ後,土器を回転台からイタ起こしによって切り離している。

平底壺3の類例としては,蔚州華山里35号墳出土例がある〔釜山大學校博物館1983〕。特徴的な胴部外面下端に類似する例としては,慶州月城路Ka−13−1号墳,同Ka−15号墳〔國立慶州博物館・慶北大學校博物館1990〕,慶州新院里6号墳〔尹容鎭・朴淳發1991〕,金海禮安里78号墳〔釜山大學校博物館1993〕の各出土例がある。出土地域や共伴遺物より,古新羅土器とすべきであろう(補註2)。

有脚壺4 破損を修理しているが,完存する。器高195mm,口径100mm,頸基部径84mm,胴部最大径149mm,脚基部径74mm,脚端径99mm,口頸部高52mm,脚高40mm。黒色粒子をわずかに含む精良な胎土で硬質に焼成し,自然釉が肩部に斑点状にかかっている。外面黝黒色,内面灰褐色を呈す。

胴部は,最大径が中央よりやや高いが,ほぼ球形をなす。底部に焼け膨れがある。肩部に1周と3分の2程度の沈線をめぐらす他は,外面全体にカキメを施すが,底部付近のカキメは脚部外面にまで及んでいる。[胴部カキメ→底部付近・脚部カキメ]である。底部付近から脚部にかけてのカキメは,土器を倒置して施したものと思われる。内面は最大径部付近に回転痕が観察され,肩部は頸基部付近が厚くなっている。

口頸部はほぼ直立し,2条の突帯を経て,断面四角形状の口縁部に至る。基部付近の内外面に粘土紐巻上痕がラセン状にめぐる。肩部の厚みから考えて,胴部成形後に口頸部を巻き上げたものとみられる。2条突帯より上までカキメがめぐらされている。カキメ原体は胴部カキメや底部付近・脚部カキメのそれより細かい。

脚部は直線的に開き,中位に粘土紐巻上痕が観察される。倒置状態で胴部上に粘土紐を巻き上げたものとみられる。底部外面に連なるカキメを倒置状態で施した後,1段5方向方形透窓(時計回りに透窓(1)から透窓(5)の名称を与える)を穿つ。透窓(2)と透窓(5)の上辺に,脚部成形以前のカキメ状の調整痕が窺われるが,脚部成形以前の胴部カキメが底部近くのこの位置にまで及んでいたとみるよりも,倒置後,脚部となるべき粘土紐を底部に貼りつけやすくするため,特別の調整を施しておいたと考えたい。

透窓(1)は幅が狭く,4辺がしっかりして整った縦長方形をしている。透窓(2)はやや幅が広がり,形が崩れる。透窓(3)は右上頂点の内面側の角がとれ,透窓(4)は右上頂点の外面側の角も甘くなって,上辺が少し波打ってくる。透窓(5)に至って上辺の乱れはさらに甚だしくなり,下辺も波打つようになる。

こうした透窓形状の違いは,[透窓(1)→透窓(2)→透窓(3)→透窓(4)→透窓(5)]の順で透窓が穿孔されて,順次動作が精密さを欠いていったことを示すとみられる。この想定が正しいならば,有脚壺4の透窓を穿孔した工人は,大量の同一器種に次々に透窓を穿つような,単一作業を専門的に受け持つ工人ではなく,有脚壺4の製作工程のうち,透窓穿孔を前後するある程度の作業を任されていた工人と考えられる。とはいえ,工房の風景を復元するには,あまりにささやかな情報でしかない。

以上より,有脚壺4は胴部成形・調整後,口頸部と脚部をそれぞれ巻上成形し,調整しているが,[胴部→口頸部→脚部]または[胴部→脚部→口頸部]の2様の工程が想定できる。一度倒置した土器を再び回転台上に正置しなければならない後者の工程よりも,前者の方が妥当であろう。


3.若干の考察−陶質土器の成形・調整技法−

前章で紹介した4点について,参考資料を引きつつ考察する。本来は新羅土器の製作技法上の特徴をより明確化していくべきであろうが,類例の検索が不充分であるので,以前紹介した百済土器と対比して,陶質土器の共通的な成形・調整技法上の特徴を見出し,須恵器と対比することとした。

1) 粘土部品の接合技法(蓋1・高杯2)

参考資料5(扶余錦城山) 百済土器有脚盤である。鏡山猛が採集し,九州大学考古学研究室に所蔵されている〔白井1994〕。破片であるために,かえって脚部部品上端の接合沈線や接合部分の粘土紐補填,回転ヘラオシ技法が観察できるという好例である。粘土部品と粘土部品とを接合する際,成形を終えた粘土部品はかなり乾燥が進んでいるため,部品間の結合力が弱く,接合に際して部品の接合面に刻みをいれて表面積を増し,接合部分に内外から粘土紐を当てがって回転ヘラオシするという方法をとったのであろう。

蓋1のつまみは,粘土紐の補填と回転ヘラオシが行われている点から粘土部品の接合と判断し,高杯2はそれらが行われていない点等から粘土部品接合ではないと判断した。

また,粘土部品のナデツケ技法について,三足杯の例を挙げて述べたことがある〔白井1993〕。三足とする粘土部品の乾燥度の違いから,曲線技法と折線技法の2様のナデツケが行われているというものである。参照されたい。

2) 回転台上のヘラケズリ(平底壺3)

参考資料6(公州) 百済土器平底壺である。軽部慈恩が採集し,現在は東京大学考古学研究室に所蔵されている〔白井1993〕。カキメ調整後,回転台上で胴部下端に回転ヘラケズリを行った後,回転台から土器を取り外している。

平底壺3ではヘラケズリが非回転の連続ヘラケズリではあるが,回転台からの取り外し前の胴部下端ヘラケズリという点で共通する。

須恵器等にみられるような,回転台より切り離した後の再調整としてのヘラケズリとは,工程上の意義が異なる。また,切り離し以前と以後では土器の乾燥度も異なっていたはずである。陶質土器のケズリが須恵器のそれよりも甘い感じに見えたり,ケズリ後についた指紋の存在からも,陶質土器のケズリは須恵器の場合よりも土器の湿った状態で施されるのが通例であったと推察できる。

3) カキメ(有脚壺4)

参考資料7(扶余) 百済土器広口壺である。東京大学考古学研究室に所蔵されている〔白井1993〕。参考資料7のカキメは有脚壺4・参考資料6のカキメと同様,かなり柔らかい感じであるが,それでもカキメ以前の調整を見事に消し去っている(補註3)。

こうしたカキメの特徴について,参考資料6・7を紹介した時点では成案を得ておらず,私見を述べることは控えていたが〔白井1993〕,これも土器乾燥度の差に由来するものとして理解できる。即ち,ヘラケズリの場合と同様に,陶質土器である有脚壺4・参考資料6・7では土器乾燥度の比較的低い状態で,須恵器では土器乾燥度の比較的高い状態で,それぞれカキメが施されたと考える。


4.陶質土器製作工程における乾燥の意義

陶質土器製作における行為・技法の諸特徴を,いたずらに列挙し,観察の精度を競うだけならば,陶質土器製作工程の研究はその意義を問われるであろう。むしろ,工人の行為・技法の諸特徴から,何らかの原理や法則のようなものを見出し,その原理・法則を軸として行為・技法の諸特徴を意味づけることを通じて,工程を復元し,さらに工房の風景を復元することはできないだろうか。そうした問題意識は前稿〔白井1993〕に際しても持っていたが,その時点では筆者なりの解答を得ていなかったので,中途半端な考察に止めざるを得なかった。本章では,前稿と本稿前章で行った考察に対し,現時点での総括を試みる。

前章までにみたように,九州大学考古学研究室所蔵古新羅土器をはじめとする陶質土器の製作技法上の諸問題は,土器の乾燥という視点から再考できそうである。

陶質土器製作工程のうち,成形段階において,土器は刻々と乾燥していく。その乾燥度は,工人の土器に対する働きかけのあり方に,多くの制約を与えているはずである〔大塚1991:177-178〕。換言すれば,土器の成形・調整・施紋の各行為について認識されている多くの技法は,土器乾燥度との関わりで,理解することができるかも知れない。即ち,ナデに適した乾燥度,ケズリに適した乾燥度,回転ヘラオシによる接合を要する乾燥度,等々が存在し,乾燥度の変化(乾きかけた器面を湿らせて乾燥度を補正する,といった制御は可能であったにせよ)を基軸として,一連の製作工程が形づくられていたであろう。

乾燥度の変化が陶質土器製作工程の基軸としてよいなら,土器乾燥度を物差しの目盛りとして対応する行為・技法を配列することにより,陶質土器製作工程を復元することも可能であろう。

土器乾燥度の目盛りは,さまざまな行為・技法との関係で,相対的に定めることが可能である。筆者は次のような土器乾燥度数(D0〜D5)を考えている〔欧文術語は Hodges 1964による〕。

本稿で問題とした陶質土器と須恵器の対比について言えば,須恵器ではD3で行うような調整を,陶質土器ではD2のうちに行ってしまい,D3では土器に対して大した行為は加えられていないということになる。

高杯2の倒置乾燥については,杯部部品をD2までで完成させ,D3程度に至って,倒置してD0の粘土を巻き上げ,脚部としたため,倒置したまま乾燥せざるを得なかった,ということになる。


5.おわりに

九州大学考古学研究室所蔵土器を紹介するとともに,つたない考察を試みてきたが,筆者の手に余る難問にあえて取り組もうとしたため,論じたらぬ点が多く,論じすぎた点も多い。しかし,編年論などのかなり進展している新羅土器についても,陶質土器製作工程の研究はまだまだ未開拓であると考え,由来未詳の資料ではあるが,あえて爼上に載せた。1点の陶質土器に施された工人の行為や工房の風景の復元を通じた社会復元のための習作としてご理解いただければ光栄である。土器の理化学的分析や実験考古学の進展によって,土器乾燥度についての筆者の試みが検証され,改善されていくことを期待したい。

(1994年10月17日)

1993年12月から1994年5月に及んだ九州大学考古学研究室所蔵古新羅土器の実測・手拓・撮影に当たって,西谷正,岡村秀典,宮本一夫の各先生,中園聡氏のご配慮を賜り,田中良之先生,金宰賢,重藤輝行,松本直子,李タウン,井上繭子,寺井誠,宮田剛,俵寛司,崔鐘赫,大塚宜紀,松藤邦暢,岸本圭,樋口公美子各氏のご協力を頂いた。特に学生諸氏との盛んな討議から,多くの知見を得ることができた。

さらに,紹介・考察に当たっては,大塚達朗,小田富士雄,長家伸,宮井善朗,宮代栄一,藤本強の諸先生,諸氏のご教示に負うところが大きかった。

以上,記して感謝いたします。

なお,学史に関わる記述を含むため,本文中の敬称は略した。


【参考文献】


【写真・図の目次と出典】


【初校時の補註】(1995年2月5日)

補註1) 段階について

筆者は,土器製作工程上の不可逆的な大別単位で,器種・地域・時代を越えて共通しうるものを「段階」と呼んでいる。土器製作工程は,「粘土の入手」・「粘土の準備」・「成形段階」・「乾燥段階」・「焼成段階」の5段階からなり,「成形段階」は成形・調整・施紋に関わる各種の行為で構成されている。これらの用語法については別稿に譲る。

補註2) 平底壺3の類例

脱稿後,岩橋千塚出土という平底壺の紹介に接した〔松下1994〕。全体の形状が平底壺3とよく似ている。紹介者はこれを「百済系陶質土器」としているが,本稿で述べたように,類例は少数ではあるが慶尚道東半に偏るので,新羅土器とみたい。岩橋千塚での例は花山古墳群出土と推定されているが,新羅土器を多く出土するこの古墳群での出土が伝えられることも,この種の平底壺が新羅土器であることの蓋然性を高めると考えたい。

ただし,平底の壺一般について言えば,百済に例が多いことは否定できない。

松井彰 1994「岩橋千塚古墳群における舶載陶質土器について」韓式系土器研究V,96-101頁

補註3) 参考資料7(広口壺)のカキメに関する補足

参考資料7のカキメが,それ以前の調整を見事に消し去っていると記したが,その後,カキメ下に細い平行タタキが微かに残っている由を指摘され,筆者も再観察の機会を得てこれを確認した。しかし,参考資料7のカキメが器面に可塑性の多く残る状況で施された(これを「軟性カキメ」と呼びたい)という所見に変わりない。これまで,参考資料7はタタキを利用して成形されたと推測していたが,観察により追認されたといえよう。

この点,東京大学埋蔵文化財調査室鮫島和大氏に再観察の便宜を図って頂き,タタキメ遺存のご指摘も賜った。謝意を表したい。

この補註は参考資料7の紹介文〔白井1993〕への補足を兼ねる。


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