考古学のおやつ 著作一覧

九州大学考古学研究室所蔵新羅土器・緑釉陶器

−九州帝國大學國史研究室の慶州における採集資料(1)−

出典:『九州考古学』第70号(1995)

新羅印花紋土器を中心に据えた資料紹介。技法の法則的理解という指向に加え,技法の関係を記号化して示そうという試みをしている。考察ではそれらを踏まえつつ,器面の離れた場所や表裏などにあって切り合い関係のない器面操作についても,その前後関係を捉えようとしている。こうした指向は,必然的に,個別技法の観察・解釈では不足とし全工程の推定復元を目指すことになるが,実際の資料には全属性が揃っているはずもない。

蓋の製作技法に関する考察は,このころから取り組み始めた新羅土器の編年と生産組織の想定につながっていく。(18/Apr/2002)

目次


1.はじめに

九州大学考古学研究室に,旧制・九州帝國大學國史研究室の関係者が1933年に慶尚北道慶州・南山で採集した新羅土器・陶磁器などが所蔵されている。破片資料ばかりで,出土状況も詳かでないが,筆者が先年紹介の機会を得た忠清南道扶余における採集資料〔白井1994〕と同時期に,恐らくは同じく鏡山猛によって採集された資料と思われる上,製作技法・工程にも興味深い点がある。周知の如く,慶州は新羅の都した処であり,南山には新羅時代の仏跡もある。総督府治下の南山には,日本人学者が多く訪れていた。そこから出土した新羅土器は,統一新羅土器の地域性を考える上で,首都慶州での土器の実例を知りうる資料である。そこで,これまでの一連の資料紹介の方針に従い,実測図・拓本・写真を提示しつつ論じてみることとした。


2.資料紹介

1) 資料の来歴

鏡山猛の採集資料を含む,旧制・九州帝國大學(現・九州大学)國史研究室の採集資料は,「九州帝國大學法文學部國史研究室」と印刷されたカードとともに標本箱に分け納められており,カードには採集日時・場所,さらに採集者名の欄があり,記載さえ整っていれば,資料の由来を容易に知ることができる〔白井1994〕。

慶州・南山で採集された新羅土器12点,緑釉陶器1点,そのほかの陶磁器8点は,とともに1個の標本箱に納められており,「土器破片」「慶州南山」「昭和八年八月 日」と記したカードが添えられている。採集者名は空欄のままである。筆跡が鏡山猛の扶余における採集資料に添えられたカードと同一である。当時,國史研究室の副手であった鏡山は,1933年8月と10月に扶余を訪れている(10月は長沼賢海に同行しての訪問)が,8月には扶余とともに慶州も訪れたと見做したい。こうした踏査の経緯については,今後も調査を継続し,再論したい。

本稿では新羅土器と緑釉陶器を紹介の対象とした。そのほかの陶磁器も興味深いが,当面の対象としないので割愛した。

2) 用語と記号

資料の提示に当たって,本文中と図中の番号を対応させ,実測図・拓本の縮尺は2分の1,印花紋土器のスタンプ紋は実大で提示した。

土器製作工程の不可逆的な大別単位で,器種・地域・時代を越え共通しうるものを「段階」とし,粘土の調整を終えた素地が造形され始めて以後,焼成に備えて意図的な乾燥を始める以前を,「成形段階」とする。成形段階には成形・整面(本稿では「器面調整」や「整形」を「整面」とする)・施紋に関わる各種の行為が行われるが,これらは研究者の観察と解釈により分類されているのであり,[成形→整面→施紋]のように截然と分節化されるのではない。

成形段階に,工人が意図して行った整面行為の結果,その意図とは別に器形・器表に起こった変化を「反整面」とする。反整面の痕跡を消し去るための整面を「再整面」とする。反整面を防ぐため,主たる与圧の反対面に,それ自体整面を意図せず与圧した痕跡を,「擬整面」とする。反整面や擬整面に対応する,工人が主として意図した行為は「主整面」とする。

ある整面と,ある擬整面が,同一の与圧行為の異なる器面でのあらわれであるとき,この関係を「対整面」とする。また,同時に複数の整面が行われ,双方が工人の意図する主整面である場合もあり,これも「対整面」とする。

技法の順は[ナデ→ケズリ],並行する行為(対整面)は[内面回転ナデ‖外面カキメ],同一技法どうしの間の順序は{右回り},時間的変化は〈A式→B式〉のように,それぞれ記号を用いて表現する場合がある。

土器の使用時の置き方を「正置」,その逆を「倒置」とする。土器における上下左右は,正置された土器に相対して見た位置関係をいう。時計回りを「右回り」,逆を「左回り」とし,正置した土器を上からみた回転方向をいう。

このほかの用語は旧稿による〔白井1995〕。

印花紋土器に関する用語は,原則として宮川禎一による〔1988・1993〕。

3) 陶質土器

蓋1 つまみと天井部のみ遺存する。つまみ最大径45mm,つまみ高8mm。

小礫を若干混ずるが精良な胎土で硬質に焼成している。つまみ内面に繊維状のものの付着痕がある。外面濃青色,天井部内面灰青色,つまみ内面は頂部と中央が断口と同じ小豆色,そのほかは繊維状付着物により黒褐色を呈する。

丸みを帯びた天井部は中央が厚く,環状つまみを付している。つまみ内面中央がやや突出している。口縁部付近は欠損により窺い知れない。

外面は回転ナデの後,スタンプ紋2段以上を上から順に押捺する。第i段は円の上下に馬蹄形をつなげたスタンプ紋を左回り順に押捺する。第ii段は松葉形の下に丸括弧を3単位以上連ねた縦長連続紋を左回り順にA手法で押捺する。[第i段{左回り}→第ii段{左回り}]。

天井部内面は平坦部から傾斜部への変換点に素地の継目がある。継目の内側(平坦部)に,幅広で弱い非回転ナデ,幅狭で強い非回転ナデ,つまみ位置に対応する弧状凹線が観察され,弧状凹線は弱いナデの部分ではわかりにくい。[凹線→ナデ(広・弱)→ナデ(狭・強)]。継目の外側(傾斜部)では回転ナデが観察される。また,内面平坦部中央にヒビが入っており,外面近くに達する深さであるが,ヒビの面は天井部内面と同じ灰青色を呈し,いわゆる「生きた」(焼成時空気に触れていた)状態にある。

環状つまみは紐状素地を接着し,内面を回転によりナデツケ,外面は接着部にヘラを差し込み,天井部にナデツケている。接着時に素地は補填していない。断面は,つまみの紐状素地が天井部に食い込んだ様相を呈する。つまみ上端にはへこんだ部分がある。

天井部内面中央を横断するヒビは,平坦部を中央から巻上成形した場合には生じにくいだろう。また,平坦部と傾斜部の変換点にのみ素地の継目が残ることからも,円板状素地に紐状素地を巻き上げた後に回転整面したとみるべきであろう。

天井部内面のヒビに沿った強いナデは,ヒビを意識した再整面とみられる。ヒビを消すためには直交方向にナデる方が確実だが,ヒビに沿って強くナデているのは,器面の可塑性が失われかけていたことを示す。したがって,このヒビは土器に可塑性がわずかに残る成形段階のおわり頃に生じたのであろう。ヒビの原因としては,つまみの紐状素地が天井部に食い込んだ様相からみて,つまみ接着時に上から圧迫したための反整面とみられる。ヒビが外面に及んでいないのも,つまみ接着時の回転ナデのためと考えられる。ヒビの原因となった整面が,かえって外面にヒビが及ぶのを防いでいたのである。

つまみ内面には,天井部内外面のような,焼成時に空気に触れていたことを示す色調の部分がない。つまみ頂部に幅1mm以下の細い範囲で小豆色部分がめぐることは,つまみ頂部が何かに接していたことを示す。また,つまみ内面にのみ繊維付着痕が残ることも,焼成時の何かの行為に関わるとみられる。天井部内外面の色調からみて,この蓋は伏せた状態で焼成されたと考えられ(正置焼成),その際つまみ上に植物質のものか何かを挟んで,その上にもの(おそらく別個体の土器)を置き,焼成したところ,植物質のものは完全燃焼したが,上下の土器に閉じこめられた部分だけ不完全燃焼して繊維付着状の痕跡として残ったのだろう。

回転台上で円板状素地の上に紐状素地を巻き上げ,傾斜部を回転整面して天井部とした。回転台上に伏せ置いて紐状素地によるつまみをナデツケ,縦長連続紋をA手法で2段以上押捺した。さらにつまみ接着の際に生じた内面のヒビをナデによって再整面した。焼成時にはつまみ上に植物質のものか何かを載せ,その上に別の土器を置くという窯詰めが行われた。

蓋2 つまみと天井部中央付近のみ遺存する。つまみ最大径59mm,つまみ高10mm。

小礫と黒色粒子をわずかに含む精良な胎土で硬質に焼成され,つまみ内面に濃緑色自然釉も観察される。内外面灰青色,断口暗紫色を呈する。

平坦な天井部に環状つまみを付している。口縁部付近は欠損により形状を窺い知れない。

天井部外面は,つまみ内側中央にヘラ切りによると思われる円形の痕跡がみられる。つまみより外側は縦長連続紋を押捺している。紋様の主要部分は失われているが,紋様の上端がつぶれたようなあり方は,上端を支点に原体をずらしたためとみられ,縦長連続紋のB手法かC手法による押捺であろう。内面は不定方向のナデが施されているが,巻上痕を残している。

環状つまみは損傷が甚だしいが,旧状は窺える。外端部をつまみ出していたようである。外側面が凹状となり,それより下はやや膨らんだ形状を示す。上面には明瞭な凹線がめぐるようであり,素地の継目を反映していると思われる。欠損部の断面にも素地の継目と隙間が観察される。つまみの内側には強いナデによる渦巻状の段差がみられる。ナデの方向は,整面自体の観察からは決しがたいが,つまみ接着にかかわるとすれば,左回りと考えられる。

つまみの接着に当たっては,成形したつまみを接着した後,内面に紐状素地を補って回転ヘラオシをしたか,接着した紐状素地自体を2周以上させたか,両様の可能性がある。回転ヘラオシは部品接合に用いる技法であり,部品がある程度乾燥して可塑性を失ったとき行われる。然るに,スタンプ紋の押捺がつまみの存在を意識して行われたとみられ,そのためにはスタンプ紋が押捺可能な程度か,それより柔らかい器面につまみが接着されたはずである。また,成形を終えた素地部品を接合するための補填素地がつまみの造形自体に関わるというのも解せない。よって,つまみは紐状素地を渦巻状に2周以上巻いて接着し,回転によってナデツケたとみられる。

つまみの接着もスタンプ紋の押捺も,回転台上に土器を伏せ置いて行われたと考えられ,想定される器面の柔らかさから,これらの行為のために土器がつぶれるのを防ぐ必要がある。乾燥による器面の可塑性の変化を的確に捉えたのはもちろんだが,シッタなどの利用を想定すべきである。

内面の不定方向ナデは,内面において観察しうる最終整面である。ところで,つまみの接着や印花紋の押捺に当たっては,内側にシッタなどを当てがった可能性があるし,与圧での器形の乱れも考えられ,それらの痕跡がみられないことからみて,直接の重複関係はないが,つまみ接着やスタンプ紋押捺よりも後に,それらによる内面の反整面を修正するため(あるいは単に習慣として),内面に不定方向ナデを行ったとみられる。即ち,内面不定方向ナデは,内面のみならずこの土器の成形段階における観察可能な最終整面である。

円板状素地の上に紐状素地を巻き上げ,ヘラ切り後回転台上に伏せ置き,紐状素地を外から内に左回りに2周以上させてナデツケ,上外端をつまみ出して環状つまみとした。天井部外面に縦長連続紋をB手法またはC手法で押捺し,その後,内面反整面を非回転ナデで消した。

蓋3 約4分の1遺存し,天井部中央は欠失している。推定口径140mm,残高44mm。

黒色粒子をわずかに含む精良な胎土で硬質に焼成しており,外面,特に口縁外折部分に自然釉が散見される。外面暗灰色,内面灰白色,断口は外面際のみ暗灰色,ほかは灰色を呈する。

天井部は丸く,口縁部で外折し,内面にかえりを有する。口縁端部外面は幅6mmの平坦面をなす。

外面は回転ナデの後,11単位からなる縦長連続紋を左回り順にA手法で1段押捺する。単位紋は上開きのU字形の中に点を配する。原体の全形は,上が狭く下が広いことから,蓋天井部への押捺を意識しての造形と思われる。縦長連続紋押捺後の傷がみられ,施紋時の器面に可塑性がかなり残っていたと推定される。また,縦長連続紋の上端から器形の軸まで10mm程度距離があり,宝珠形つまみの存在が推量される。口縁部外面に素地の継目らしき痕跡がある。

内面は外側が回転ナデ,中央近くが非回転ナデ整面され,非回転ナデは中央寄りのものが遅れて施されている。非回転ナデ部分に素地の継目が2カ所観察され,外側の継目は非回転ナデが回転ナデを切る位置にほぼ一致する。かえりは原口縁を内方に折り返し,回転を利用しつつ器体にナデツケたらしく,口縁部断面に隙間が観察される。

回転台上で巻き上げた後,回転ナデ整面し,原口縁を内側に折り返して器体にナデツケ,かえりとした。これを回転台上に伏せ置き,宝珠形つまみを付し,縦長連続紋を押捺した後,内面中央のみ非回転ナデを行った。

蓋4 天井部の傾斜部のみ遺存する。

黒色粒子を含むが精良な胎土で硬質に焼成している。外面灰青色,内面暗青色,断口暗紫色を呈する。

全形は窺えないが,斜めに下りて横に延び,急激に下に折れて口縁部をなす。かえりはなく,つまみの有無も確認できない。

外面は4段のスタンプ紋が確認される。第i段は下端の半円形のみ確認できる。縦長連続紋だろうか。第ii段は4単位からなる縦長連続紋を左回り順にA手法で押捺する。単位紋は奇妙な像をなすが,2重円を意識したものと思われる。第iii段は単体スタンプ紋を左回り順に施し,第iv段を切る。第iv段は5単位からなる縦長連続紋を右回り順にA手法で押捺し,下端は口縁部への変換点に一致させている。スタンプ紋は2重円のモチーフで,スタンプ原体を通常とは逆さまに用いているようである。倒立させると第ii段のそれと似ているが,一致はしない。

紋様についてまとめると,第ii段・第iii段は原体正位で左回り順に,第iv段は原体逆位で右回り順に押捺されている。

土器に相対して外面に右手で施紋するとき,右回り順{右→左}では直前の押捺痕跡が見えにくい。また,原体を逆さに持ち直すことも,不可能ではないが不可解である。第iv段の押捺は,第ii段・第iii段とは様相が異なる。

しかし,第iv段を異例とみるよりも,ある一貫した原理で第ii段・第iii段・第iv段が律せられていて,何らかの意図ないし理由から第iv段のような異例な現象が生じたとみることはできないだろうか。

第iv段下端が器形を意識して決められていることと,第iv段下端が縦長連続紋の閉端側(通常は上端になる)であることからみて,第iv段は工人が回転台上に覆いかぶさるような姿勢で,工人からもっとも遠い位置に,原体上端と器形の変換点を合わせるように押捺したとみられる。そうすると,第iv段の蓋4に対する施紋順序は右回り順でも,工人からみた施紋順序は,第ii段・第iii段と同じく{左→右}である。

第iii段と第iv段との切り合いから,施紋順序には次の可能性がある。

蓋への印花紋押捺は器形の軸から遠心的に,上から下へと行いそうなものであり(蓋1),後者を取りたい。すなわち第ii段を施した後,回転台上に覆いかぶさるような姿勢で,工人からもっとも遠い位置に第iv段を押捺し,その後,第ii段と第iv段の間の空間に第iii段を押捺したと考えられる。図に示す(Fig.6)。

内面は回転ナデ,特に口縁部に移行する部分に強い回転ナデが観察される。上端で稜をなして内折し,ここから平坦部に移行するらしい。

蓋5 中央を除く天井部6分の1程度が遺存する。推定口径200mm,残高23mm。

小礫と黒色粒子を含む胎土で硬質に焼成している。内外面灰青色,断口青灰色を呈する。

平坦な蓋で,口縁部は下方に直角に折れる。環状つまみが想定される。

外面は回転ナデの後,縦長連続紋が簡化した紋様を右回り順にC手法で押捺する。口縁部のみに回転ヘラケズリがみられる。天井部中央近くに深い沈線がめぐり,この付近の器面が荒れている。環状つまみを付着していたとすると,焼成時につまみが外れていたことになる。環状つまみの場合,端部径は70mm程度と推定される。

内面は回転ナデを行うが,中央付近のみ非回転ナデがなされ,内面最終整面である。

壺6 口縁部・肩部4分の1周程度が遺存する。推定口径130mm,残高53mm。

黒色粒子が噴出した様子の胎土で硬質に焼成しており,外面に濃緑色の自然釉が散見される。外面暗青灰色,内面灰褐色,断口暗灰色を呈する。

口縁部がほぼ直立する短頸壺である。

外面は口縁部に回転ナデが観察され,口縁部と肩部の変換点に突線と段をなす。肩部を2条沈線(おそらく回転によるラセン状沈線)2組(上から「沈線a」,「沈線b」)で区画し,各段にスタンプ紋を1段押捺する。第i段は4単位からなる縦長連続紋を左回り順にA手法で押捺し,沈線aを切る。角張った上開きのU字形を2重にした単位紋である。第ii段は8弁花紋を左回り順に押捺し,沈線bを切る。第iii段は2単位以上からなる縦長連続紋をA手法で押捺する。同一スタンプ紋どうしの切り合いは明確でないが,沈線bを切る。第i段と同一原体の可能性を残す。全体に[沈線による紋様帯区画→スタンプ紋]であろう。

内面は回転ナデが観察される。

壺7 肩部のみ遺存する。

黒色粒子をわずかに含む胎土で硬質に焼成している。外面灰褐色,内面暗青色,断口暗紫色を呈する。

外面は回転ナデの後,肩部に沈線をめぐらし,頸基部から横走沈線の間に複歯具で沈線を引く。

横走沈線の下にも3歯具で波状紋を施す。内面は回転ナデ整面されている。

壺8 胴部上位のみが遺存する。

黒色粒子が噴出した様相だが,精良な胎土で硬質に焼成しており,外面最大径近くに自然釉らしい光沢がある。外面淡灰褐色,内面青灰色,断口淡紫色を呈する。

外面は回転ナデ後,スタンプ紋を3段施す。第i段は点12個からなる縦長連続紋を左回り順にA手法で押捺する。第ii段は円8個からなる縦長連続紋をA手法で施す。スタンプ紋の左上と右下が強く押捺されている。第iii段は実態が不明だが,単体スタンプ紋とみられる。

第ii段にスタンプ紋上端の高さのずれたところがある(A点)。スタンプ紋どうしの切り合いも1カ所あり(B点),{右→左}である。すると,第ii段の施紋順序は3つの可能性がある。

スタンプ紋間の距離がある程度保たれているのに,B点でのみ重複していることは,B点が始点・終点であることを示唆するし,A点を始点・終点とすると,スタンプ紋間の距離は保ちつつも高さの食い違ったまま第ii段の押捺を終えたことになる。また,壺の最大径近くの外面は,右回り順の押捺がやりやすい器面ではなく,第i段の左回り順の押捺を変更するのは奇妙である。スタンプ紋の左上と右下が強く押捺されていることも,右手による左回り順の押捺を示唆する。(2)案は,B点でスタンプ紋間の距離が離れすぎたのを修正したためスタンプ紋が切り合ったとするものだが,急に間隔が開くものだろうか。憶測にはなるが,筆者は(3)案を採り,B点から左回り順{左→右}に押捺し,第i段下端が低くなったところを過ぎて,始点が再び見えてきたとき(A点),第ii段の施紋位置を上げたとみたい。

内面は回転ナデ整面されているが,上半では当て具のような痕跡で消されている。内外面の回転ナデが対整面の関係にあるとすると,内面の当て具痕は,タタキ成形ではなく,外面のスタンプ紋押捺と対整面をなす擬整面であろう。

壺9 胴部一部のみ遺存する。

黒色粒子が噴き出した様相を示すが,精良な胎土で硬質に焼成し,外面に濃緑色自然釉がかかっている。内面灰青色,断口淡灰褐色を呈する。

外面上端の膨らみが把手か何かに関わるとみられ,蔵骨器(骨壺)と推定される。

外面はスタンプ紋2段と沈線がみられる。第i段は波状の縦長連続紋を左回り順にC手法で押捺し,沈線を切る。第ii段は2弁が観察され,4弁花紋と思われる。内面は回転ナデ整面されている。

甕10 口縁部7分の1周程度遺存する。推定口径210mm。

黒色粒子を含む胎土で硬質に焼成し口縁部内面の平坦な部分に自然釉がみられる。内外面灰青色,断口暗紫色を呈する。

外反口縁で,端部をやや内湾させ肥厚させる。頸部から肩部へ段をなして移行する。

内外面とも回転ナデ。外面は回転ナデの後,単歯具による波状沈線を2条めぐらす。

土器片11 部位や傾きは不明である。

精良な胎土で硬質に焼成している。外面・断口灰褐色,内面灰白色を呈する。

外面で格子タタキを回転ナデが,内面で平行当て具痕を左回り回転ナデが切るので,対整面関係を想定して,[外面格子タタキ‖内面平行当て具→内外面回転ナデ]と考えられる。

土器片12 部位や傾きは不明である。

白色粒子を若干含む精良な胎土で硬質に焼成している。内外面灰白色,断口青灰色を呈する。

内外面回転ナデ整面されている。

4) 緑釉陶器

緑釉陶器13 口縁部の一部が遺存し,口径150mmと推定したが,小片ゆえ不明確である。

泥質の胎土で焼成はやや甘い。軟質で吸水性が高く,器表は脆い。釉薬は剥離し,外面淡黄緑色,内面灰褐色,断口は淡いピンク色を呈する。

内外面に回転ナデ整面が確認されるが,頸部内面には斜方向のナデも確認される。


3.若干の考察

1) 新羅土器蓋の製作工程

九州帝國大學が採集した新羅土器のうち,崔秉鉉のいう新羅後期様式に属する蓋が5点を占めており,その製作工程は大筋で共通している。そして,前代の新羅前期様式土器と比較することによって,いくつかの仮説を導き出せる。今回紹介した土器が提起する問題を次に略記する。

用語の定義 既に述べたように,筆者は,土器製作工程上の不可逆的な大別単位で,器種・地域・時代を越えて共通しうるものを「段階」と呼んでいる。これに対し,段階のうち,限られた器種・型式において共通にみられる不可逆的な工程上の単位を「亜段階」とする。段階が材料の化学的状態に即して決定されるのに対し,亜段階は工房において繰り返される工人の作業のまとまりを,成品観察によって認識したものである。新羅土器の蓋は,成形段階における亜段階の存在を明確に指摘できる。蓋は成形工程の初期において杯と同様の工程を経,然る後に蓋として完成させるので,口縁部を上に向けて杯としての作り方をする亜段階と,口縁部を下に向けて蓋として完成させる亜段階に分離できる。蓋が杯のように形づくられる成形当初の状態を「原形杯」とし,成形段階のうち,分離された前半を「原形杯亜段階」,後半を「蓋亜段階」と呼ぶことにする。

また,新羅前期様式土器,後期様式土器の用語・分期は崔秉鉉によった〔1987〕。

このうち,原形杯亜段階の(1)b〜(1)gは,完成された蓋からみると回転台上に倒置された状態であり,蓋亜段階の(2)a〜(2)eは,蓋が回転台上に正置された状態である。筆者の印象では,新羅土器は成形段階において回転台上に設置されている時間が長いように感じられるが,蓋の亜段階の明確さは,回転台への依存の深さと関連するのであろう。

なお,原形杯亜段階で(1)aの円板状素地の上に(1)cの紐状素地が巻き上げられていることは,器形や素地の継目に反映される。最初の円板状素地に由来する部分を「平坦部」,巻き上げた紐状素地に由来する部分を「傾斜部」とする。この用語は既に前節でも用いている。

新羅前期様式蓋との比較 前期様式にみられる蓋の成形段階も,細部にかなりの違いはあるものの,やはり原形杯亜段階と蓋亜段階からなる。注意すべきは,前期様式の有蓋高杯の成形段階も,原形杯亜段階と高杯亜段階に分離され,しかも,蓋の原形杯亜段階と高杯の原形杯亜段階は,土器の器形や工程がほぼ一致するという点である。このことから筆者は,前期様式においては,原形杯を蓋・高杯の区別なく作成し(原形杯亜段階),その後,蓋・高杯の選別が行われた上で,それぞれ蓋・高杯として完成させる(蓋亜段階,高杯亜段階)という工房の風景を想定している。詳しくは別稿で触れる予定である。

しかるに,後期様式蓋の原形杯亜段階は,同時代の杯・椀の類の成形工程と一致しない。というのも,後期様式の蓋に特徴的な,横に延びる口縁部形態やかえりは,原形杯亜段階において形づくられるのだが,同時代の杯・椀は,かかる口縁部形態を有していないからである。これは,原形杯が将来蓋として完成されるという決定が,原形杯亜段階の中途(後期様式(1)e)には既に下されていることを示す。おそらくは原形杯亜段階の当初(成形段階の当初)から,蓋と決まっていたのであろう。これは,前期様式と後期様式とで,蓋と杯の型式学的関係性や,それを生み出した工房の風景が異なることを意味している。

成形工程の細部でも,前期様式の蓋と後期様式の蓋は異なっている。後期様式の蓋成形工程に絡めて,「平坦部」と「傾斜部」を定義したが,前期様式の蓋や高杯では,平坦部・傾斜部の区分が明瞭でない個体があり,原形杯の基本的な成形技法がかなり異なっていたことを窺わせる。また,成形段階の最終整面である内面再整面(後期様式(2)f)も,前期様式では明確でないようである。これは成形技法の相違とも関連する問題であろう。

画期 こうした工房の風景の変化が,生産体制の変動に起因するならば,その画期はどの時点に求められるであろうか。筆者には実例を挙げて論ずる準備はないが,蓋の型式学的変化が急激である6世紀後半に着目したい。この時期,それまでの口縁部が後退・短縮してかえりに,受部が突出して口縁部になるという変化が急速に進むが,これは蓋と高杯が原形杯亜段階を共有するという制約が失われ,型式が安定性を失ったことを意味する。共通の原形杯亜段階の終了後に原形杯を吟味して蓋・高杯を選別するという生産体制が終わると,蓋と工程を一部共有していた高杯も,その機能を高台付きの椀に譲る。ただし,後期様式の蓋が前期様式の蓋を型式学的に継承しているか否かも,検討を要する。

崔秉鉉の編年に従えば,後期様式I段階にはスタンプ紋は使用されているものの,土器の器形は以前と変わらず,有蓋高杯も存在しているが,横に延びる口縁部と内面かえりを有する蓋も登場する。崔秉鉉はI段階を新羅土器の施紋技法において「過渡期」と評価したが,工房の風景においても同様の評価ができるかも知れない〔1987:574〕。後期様式II段階には有蓋高杯が衰退するようである。I段階のある時期が,新羅土器の工房の風景が大きく変容し,蓋と高杯の型式学的関係が解かれた画期であろう。

新羅前期様式から後期様式への変化の原因は,土器による金属容器の模倣をきっかけに,従来の蓋・高杯の器形へのこだわりが失われていったためと憶測されるが,そうした原因を生産体制や工房の風景の根本的な変動にまでいたらしめた社会経済史的な変化の実態を明らかにするのは,今後の課題である。

2) 印花紋土器のスタンプと押捺技法

次に,今回の紹介資料の多くを占める印花紋土器について,気づいた点を略記する。

スタンプ紋の提示 南山で採集された印花紋土器のスタンプ紋の1つ1つを,表に示した(Tab.2)。縦長連続紋と単体スタンプ紋に大別し,さらに細分したが,もとより分類自体を目的としたものではない。個々のスタンプ紋には,それが押捺された個体と,紋様中に占める位置によって,名称を与えた。土器を正置して上から順に第i段,第ii段……と命名し,1段しか認識されないものも,第i段とした。もちろん,現状での命名であるので,破片の第i段が完形品の最上段とは限らない。また,蓋2第i段と壺8第iii段は,紋様の形状が不明確なので,表示しなかった。図示する際,土器の上下を紋様の上下と仮定したが,既述のように,蓋4第iv段のスタンプは倒立させることにより同第ii段と対比しうると考えられる。

A・Cは押捺手法である。

逆位の縦長連続紋 蓋4の類例として挙げられるのが,古家実三による「慶州南山付近採集」新羅印花紋土器である〔宮川1994〕。

宮川の示した写真を見ると,口縁端部際の縦長連続紋(第ii段とする)は円弧4単位からなるが,円弧を連ねる場合は通常上が切れる形で連ねるのに対し,この例では下が切れている。宮川はこの点を詳述していないが,各個体のスタンプ紋をまとめて図示した際には,第ii段の縦長連続紋を,開端を上にするように(土器を正立させた状態で観察されるのとは上下逆に)図示している〔1994:図3〕。

さらに写真を通じて観察すると,天井部中心近くの菱形紋(第i段とする)が,口縁端部際の第ii段を切っている。また,第ii段のスタンプ紋どうしが{右→左}と切り合うように見える。こうした特徴は,九州帝國大學が採集した蓋4の第iv段・第iii段のあり方に類似している。蓋4も古家実三採集土器も,工人が回転台上に身を乗り出して遠端にA手法で縦長連続紋を押捺したと考えられる(Fig.6)。

スタンプ紋の当て具 壺8では,内面にスタンプ紋押捺時の当て具と思われる痕跡を確認した。しかし,スタンプ紋のすべてではなく,肩部に相当する第i段に対応する内面にのみみられる。1カ所に当てた当て具に対し,スタンプ紋を複数回押捺しているようであり,外面でのスタンプ紋の疎密が当て具さばきと関連するかも知れないが,小破片ゆえ,決しがたい。

第ii段に対応する当て具痕は観察されないが,胴部の最大径に近い第ii段や,それより低い位置のスタンプ紋押捺に際して当て具を用いようとすると,工人の作業の姿勢が苦しくなることや,肩部より胴部の方が,成形行為から施紋行為までの乾燥時間が長く,壊れにくかった,などの要因が考えられる。

また,5点の蓋には当て具痕がみられないが,器形からして壺用の当て具はふさわしくなく,シッタなどの使用が考えられる。


4.おわりに

以上,慶州・南山採集の新羅土器・緑釉陶器を紹介し,若干の考察を記した。図版の準備自体は早くから進んでいたが,遅筆と怠慢から,予定よりも貧弱な内容となってしまった。

新羅土器の研究に資するところがあれば幸いである。

(1995年9月5日)

1994年4月から10月に及んだ九州大学考古学研究室所蔵新羅土器・緑釉陶器の実測・手拓・撮影・紹介に当たって,西谷正,宮本一夫の両先生,中園聡氏のご配慮を賜り,重藤輝行,松本直子,井上繭子,大塚紀宜,松藤暢邦,岸本圭,石川健の各氏のご協力を頂いた。

また,新羅印花紋土器については宮川禎一氏のご教示に負うところが大きかった。

さらに,池田祐司,小田富士雄,加藤隆也,佐藤一郎,渋谷格,高久健二,長家伸,宮井善朗,吉留秀敏の諸先生,諸氏のご教示を得た。

以上,記して感謝いたします。

なお,学史に関わる記述を含むため,本文中の敬称は略した。


【引用・参考文献】


【図表・写真の目次】〔すべて筆者作成〕


【付記】前稿の大甕106をめぐる問題

1) 山崎純男氏の指摘

昨年筆者は,鏡山猛が忠清南道・扶余において採集した陶質土器を本誌上に紹介した〔白井1994〕。このうち大甕106について,山崎純男氏から,天地逆に図示されているのではないかという指摘が寄せられた。鴻臚館跡の調査を通じて新羅土器にも造詣が深く,大甕106に似た,肩部に突帯をめぐらす土器に触れ,類例にも通じた山崎氏は,批判を公にする旨を確約されたが,筆者の怠慢により,いまだ山崎氏の批判文を入手していない。しかし,本誌上で紹介した遺物に対する重要な指摘であるし,陶質土器に対する理解が論争を通じて深まれば,紹介の筆を執った筆者として望外の幸せといえる。そこで,山崎氏の批判を筆者が把握している限りにおいて,できるだけ忠実に再現し,次に大甕106についての筆者の見解を改めて確認することによって論点を明らかにし,今後の議論に備えるとともに,第3者の判断の手がかりとしたい。

山崎氏の批判は,筆者の知りえた限りでは,次のようにまとめられる。

以上(1)〜(3)に対し,後に述べるような内面回転痕に関する所見を筆者が説明したところ,山崎氏はさらに次のように続けられた。

各項目のうち,(1)から(3)はこの器種に関する問題,(4)から(5)は土器に関する一般的な問題,そして(6)は大甕106という特定個体に関する問題,(7)は筆者の資質の問題である。

(1)について,筆者は前稿に「上下をナデて突帯とする」と記しており〔白井1994:102〕,再観察し確認した。(2)は山崎氏の実物観察の成果であるので,類例の調査を怠っている筆者に論ずる資格はないが,突帯上下をナデている以上,(3)を導き出すのは困難ではなかろうか。

(4)について,成形段階のうち装飾的な行為についてであれば筆者は完全に山崎氏の見解に同意できるが,そのほかの行為についてはその限りではあるまいと考える。工人が体裁を取り繕わない内面の方が,製作工程や技法が窺い知れることが多く,工人が知らず知らず行う習慣的な行為を捉えることもできよう。また,工人の意思の直接反映されやすい外面の方が,個体差が発現されやすいとみられる。したがって,(5)についても,注釈付きで同意できる。

(6)の内面回転ナデ痕跡は,大甕肩部に格子タタキを施した後,さらに当て具痕を消し去るように整面しているものである。回転体である土器の軸と矛盾した置き方で回転台上に土器を設置したと考えるのであれば別だが,土器の器形の軸と回転台の回転軸が一致していると考える限り,回転痕跡の湾曲方向は器壁の傾きを反映しているはずであり,器壁の傾きが大まかに捉えられれば,上下も定まると考えられる。

(7)について,筆者は客観的に判断しうる立場にはないので,第3者の判断に委ねよう。

次に,大甕106の上下に関する筆者の判断について改めて述べる。

大甕106は,実測調査の時点から上下の判断に悩まされた。昨年の紹介時点では,上に述べたように,内面の回転ナデ整面を上下判断の手がかりとしていた。内面は,図示下端を除く全面が回転ナデ整面されている。回転痕は細く平行なスジとして観察されるが,時折沈線状の目立った痕跡がみられ,中には緩い湾曲を示すものがある。大甕106が肩部片,すなわち器壁内傾部であるとする限り,回転痕は下に凸の様相を示すはずである。

さらに,1995年8月31日に大甕106の再観察の機会を得た。このとき前稿の「自然釉等はみられない」という記述が誤っていると判明した〔白井1994:101〕。実際には図示最上段などに灰白色の疎らな自然釉が観察できる。図示最上段のみ白っぽくなった様相は,ここが頸部に近いことを示唆している。突帯も,図示上面では灰白色の自然釉がわずかにみられ,図示前面では灰白色のままである。これは,図示上面が焼成時にも上に向いていたことを示している。

2) 高久健二氏の指摘

高久健二氏は,大甕106を観察され,筆者がこれを新羅土器とする判断に疑義を示された。新羅・加耶遺跡の調査にも参加され,遺物にも触れられた高久氏は,次のように述べられた。

このうち(1)・(2)について,高久氏の指摘に同意できる部分はあるが,(3)の結論には躊躇する。

大甕106のような調整・器形は,新羅の山城からの出土品に目立つように思われる。扶余・扶蘇山城出土とされる大甕106は,旧・百済王城であるこの地点に新羅軍が駐屯していた限定された期間の新羅土器と考えたい。

百済土器で突帯をいくつかめぐらすものは,器台,壺の一部にみられるが,幾分様相が異なるようである。

高久氏の疑義に充分に答えることはできなかったが,この点は今後も検討していきたい。

重要な指摘を寄せられ,再考の機会を与えてくださった山崎純男氏,高久健二氏に謝意を表します。


"Silla Stoneware and Green-grazed Pottery in the Custody of the Department of Archaeology , Kyushu University :a Consideration of the Manufacturing Techniques"


白井克也 Copyright © SHIRAI Katsuya 1998. All rights reserved.