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陸奥国府で出土した新羅型硯

―郡山遺跡II期官衙における出土資料の紹介―

“東アジア古代史・考古学研究会”第16回交流会2004(2004年12月4日口頭発表)資料集掲載文
口頭発表原稿

直前まで「百済緑釉陶器の再検討(仮)」の予定だったが,10日前に決断して急遽変更。

資料は短期間に作ったので,用語の不統一や,年代に甘い部分がある。(5/Dec/2002)

目次


1.資料(図1)

硯1は仙台市太白区に所在する郡山遺跡の第35次調査において,SI390住居跡の炭化物上面から出土したものである。仙台市教育委員会が所蔵する。

同住居跡で出土した須恵器は,郡山遺跡のII期官衙(7世紀末〜8世紀前葉)の標式資料として知られている(これらの須恵器は大阪歴史博物館で展示中である)。

郡山遺跡のII期官衙とは,陸奥国府の機能が多賀城に移転する以前,陸奥国府が置かれていたと考えられている。

したがって,硯1は陸奥国府に赴任した官人の持ちものであると考えられる。


2.参考資料(図2)

硯1は新羅の硯に似ている。新羅の硯も,陸の外端部から内方に傾斜するように海に落ちるのが特徴である。海の特徴により3類に分ける。

新羅a類:海の断面形が全体に角張っている。海底は平坦で,外堤は外傾して延びる。金海亀山洞窯跡(3),金海大成洞焼成遺構(2)で出土している。いずれも圏脚硯である。硯3は6世紀後葉(新羅IIIC期),硯2の時期は決めがたいが7世紀以降か?

新羅b類:海の断面形が丸みを帯びる。海底から外堤まで屈曲し,端部で外反する。鎮海亀山城(4),慶州岬山寺(5)で出土している。いずれも獣脚硯である。硯4は6世紀後葉から7世紀中葉(新羅IIIC期〜V期),硯5は多弁花紋スタンプを使用しているので7世紀末〜8世紀であろう。

新羅c類:海底は裏面に平坦部を持ち,外堤は内傾する。慶州仁容寺(6,7),雁鴨池(9〜12),城東洞生活遺跡(8)で出土している。脚部により無脚硯(6,9?),圏脚硯(10,11),獣脚硯(8),蹄脚硯(7,12)があり,細分できる。7世紀末〜8世紀ごろであろう。

調査出土品以外の例として,釜山博物館所蔵品(13)は新羅c類無脚硯に,国立中央博物館所蔵品(14,伝慶州出土)は新羅c類獣脚硯に,東京国立博物館所蔵品(15,伝慶州出土)は新羅c類圏脚硯に該当する。


3.中国,百済との関係

新羅の硯a類・b類・c類は,陸の外端が張り出すという共通点を除けば,相互間の型式学的関係は不明である。

新羅の硯のうち,百済の縁台獣脚硯(図3-21〜26)にもっとも似ているものはa類である。しかし,百済の硯では陸の外端は張り出さず,縁台が断面四角形で突出する。新羅a類が百済に由来するとしても,相互間には未発見型式が多数介在するであろう。

新羅b類には,今のところ適当な由来がたどりにくい。

新羅c類は,中国河南省洛陽で出土した灰陶蹄脚硯(図4-16)と共通性が多い。灰陶蹄脚硯の装飾技法を受け継いで新羅c類蹄脚硯が作られ,さらに獣脚硯,圏脚硯,無脚硯に応用されたのだろうか。


4.郡山遺跡出土品の解釈

硯1は,新羅c類の硯に最も似ている。しかし,いくつか相違点がある。

口縁部の仕上げが独特である。

脚が断面台形で,両側面をヘラで整えている。

白色針状物質を含む。

特に,白色針状物質の存在は,生産地の重要な手がかりと考える。

以上より,硯1は,新羅の硯に関する知見に基づき,陸奥国府近辺で生産されたものである。

郡山遺跡で新羅型の硯が登場する過程を図4に整理するとともに,百済型硯の日本(主に西日本)における展開を図3に示した。


【文献】

白井克也 Copyright © SHIRAI Katsuya 2004-2005. All rights reserved.