エスニック

貧乏性

  先日、キャンパー18人が濁流に飲まれ、行方不明の末に多くが死亡するという痛ましい事故がおきたが、実は私も子どもの頃、事故が起きた丹沢湖付近でキャンプをしていて、川の増水によって身動きが取れなくなり、助けられたことがある。
 事故が起きたような中州にいたわけではないが、やはり川を挟んだ向こう岸でテントを張っており、川に何かあれば戻れない状況ではあった。川といっても幅2M、深さ4、50CM程度だったと思うが、これがちょっとした雨で川幅は何倍にもなり、深さは大人の胸あたりまで増水したのである。
 詳しい経緯を私は知らないが、夜寝ていたところを親に起され、横に立っていた見知らぬおじさんについていけと言う。訳も分からずついていくと、昼間とはすっかり様変りした川の手前で私を抱きかかえ、いつの間にやら引かれていたロープを伝って川を渡っていったのである。その晩は車で寝ることになったが、幸い事故にもならず、テントサイトも幾分高所にあったので荷物も流されずに済んだらしい。おまけに寝起きで半分ボーッとしていたので恐怖を感じる間も無かった…。

 父親が好きだった影響で、子どもの頃から家族旅行といえばキャンプだった。当時としては何処に行ったかはあまり関心が無かったが、アルバムをめくると随分いろいろなところに行ったかが判る。今のようなブームでなかったため、設備・道具は極めて原始的な状態だったが、テントが重なるほどの混雑ぶりとは程遠く、予約も必要無いくらいだった。
 アウトドア慣れが長じてか、高校生時分のボランティア活動でも、小学生達を引き連れてキャンプ生活に勤しんでいたのである。山を走り、川で泳ぎ、ヘトヘトに疲れた後は黒コゲのゴハンと焼き肉を食べてハイテンションな一日を終えるのである。それこそバタンキュー状態で、寝床の快適さなんて考える必要はまるで無いのである。

 自慢にもならないが、こうして育ってきた私が、寝る場所の確保や高級な雰囲気に浸るために、高い金を払うという感覚に乏しいのは当然のことと考える。学生時代、ゼミで一泊2万円を超えるホテルに行った時は、衝撃のあまりホテル代と近くの砂浜が空いていたこと以外一切記憶が無い。
 私なりの旅行の宿泊先を振り返ると、バイクでウロウロしていた頃は、民宿の飛び込み素泊まりで大抵2・3千円だったし、電車で旅行した時は周遊券をフル活用して夜間走行している列車を寝床にした。上海では15人程の相部屋ながら、一泊朝食付きで300円ナリというとこもあった(まあ、ここは一部屋で国連並みの人種が集まったかのようだったし、シャワーは水道の蛇口がそのまま頭の上にあっただけだったけれど)。要するに最低限の安全が確保された場所ならなんだっていいのである。
 だから、一般的に女性に人気があるが、高級ホテルの「平日宿泊割引パック」なる企画が流行るのは一向に理解できない。よって、こうした企画が大好きで、キャンプに行ってもネグリジェを持ってくるようなタイプの妻と旅行に行く時は、宿泊先の妥協点を探すのが難しい。あまり安っぽい所だと妻が不機嫌になるし、私は私でいつまでも「いいとこ」の場慣れが出来ない。
 以前、「一回でいいから泊ってみたい」と妻の念願だった恵比寿のウェスティンホテルに宿泊したことがあるが、歯ブラシとシャンプーを持参した客は恐らく私だけだったろう。悲しいことに、このことで妻にウケまくったくらいで雰囲気も碌に満喫できない私としては、気分的にも「モトを取った」という気には到底なれず、なんとも損な性格だとつくずく考えてしまう。貧乏性に幸あれ。


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