一昔前「オヤジギャル」なる言葉が流行ったが、今ではすっかり「オヤジ」と「ギャル」のすることは同一化し、女性達が何をしてもあまり驚く事が無くなってきた。 同一化してきたと言ってもオヤジ達のだらしないところばかりマネされているようで、家族にもなかなか届かないオヤジ達の「苦労」はすっかり無視されているかのようである。 とはいえ、男社会の続いてきた日本において女性の社会進出が進んだと言っては見ても、まだまだ男女対等でない状況は多く残っており、今でも一般的な会社員でもOLと言ったり、女医・女教師・婦人警官・女流作家などわざわざ冠に性別を載せられる事が多いのは象徴的な例といえるだろう。 だからというか反動というかはともかく、消費活動においてあらゆる所に女性が進出する事に関しては、たとえオヤジ化しようとも概ね歓迎ムードが強いのは間違いない。 様々なブームに象徴されるように、一度女性のハートを掴むとふんだんに金をつぎ込んでもらえるので各業界では女性客取り込みに躍起である。 そこで登場するのが「レディースデー」。街を歩けば至る所に「女性半額」等の文字が掲げられ、ある居酒屋では「女性を同伴された場合は30%OFF」という特典があったり、「男性だけの来店はご遠慮願います」なんてパーラーも新宿にある。ここまでやられると少々腹も立つが、その方が流行るというなら仕方ないか。 ともかく、このレディースデーに対するメンズデーがどこかにあってもいいように思うがどうだろう。女性客を取込む有利さは先に挙げた通りだが、今まで女性の寡占状態で最近男性が増えている領域はないだろうか。 私の頭で浮かんだのは美容院くらいなもの。聞けば化粧品業界でも最近男性向け商品や男性アドバイザーが増えているらしい。と言っても、他人に聞いてもこの程度。もともと男は保守的な生き物らしいが、新たな領域に飛び込んでいく向きは少ないようで、こんな不況下でも元気なのは女性ばかりに見えるのは曲がった根性のせいだろうか。 思うに、男性は優遇されるどころか、その場に存在すること自体が様にならないケースも多い。例えば遊園地・映画・水族館など、デートや子ども連れで遊びに行くような場所はほとんどペケ。喫茶店でフルーツパフェを食べることすら男2人だと憚られる。 「今度の日曜日に2人でディズニーランドに行こう」と男から誘われたら、私は間違いなくギョッとするはずだ。 ところが、女性は2・3人集まれば無敵である。前述のシチュエーションはもちろん、立食いソバや競馬・パチンコ・居酒屋等々何でもござれの状態で、マスコミの取り上げ方を見ていると「日本の流行と消費は女性が作っている」かのようだ。ついには「世間知らず」な女子高生の間で流行っている事を知らないと「世間知らず」扱いされる始末である。 ここでまたまた疑問なのだが、なぜ女子高生ばかりが取り沙汰されるのだろうか。確かに、中身も外見も白黒ひっくり返ったような彼女たちの生態はいい「見せ物」ではある。が、男子にしてもかなり「キワモノ」に近いのもいるではないか。まあ、いずれにせよ、それらはマイノリティーではあるが。 閑話休題。ここで暴論を吐かせてもらえば、政府の至上命題になっている景気回復政策の一貫として、援助交際を合法にするというのはどうだろう。公的にモラルを取り壊せば、数多のオジサン達から彼女らに金がふんだんに回るに違いない。 収入=支出の世代なだけに、貿易黒字の減少に貢献するほど海外ブランドを買い漁ってくれるかもしれない。政府がこれだけ無節操に金をバラ撒いても消費に結びつかないのは、銀行の貸し渋りばかりではなく、親から子への「資金提供」が細っているだろうことは想像できる。そこで余所の大人からダイレクトに金が回るようにするのである。 なんでもアリの小渕政権だけに、新聞紙でも挟んで適当にブ厚くした政策提言のレポートを出せば、かなりの確率で採用される気がするのだが… ところで、時代の最先端を直走る彼女らの情報伝達は、口コミが圧倒的ウェイトを占めるらしい。ある実験で、街中の女子高生何人かに「××って○○なんだって」と彼女らに関心の高いことについて適当な噂を流すと、数日後には周囲の4割の女子高生がそれを耳にしたという調査結果が出た。この浸透力に目を付けたある広告代理業者は、広告媒体を一切使わず、街中の若い女性の中から発信元に向いている存在を抽出し、クライアントの商品に好印象の噂を付けて流す方法を採っている。この場合の成果は街中の浸透具合で計るらしい。 先端を走っているようでいて、実は利用されているという虚構な世界。大人の方が一枚も二枚も上手でなければ、この世は成り立つはずが無いのである。 |