これだけ世の中が豊かになると、人々の関心はますます自分に目が向くようで、今や至る所で「**健康法」など「カラダにいいこと」がズラリと紹介されている。果たして、これらは一体どの程度あてにしてよいものなのだろうか。本当にこれらを実践すると、健康で長生きが出来るというのだろうか…。 いつからか定かでないが、私は朝食をほとんど食べない。せいぜい牛乳と果物を口にするくらいである。高校生の頃はちゃんと食べていたはずだが、やはり生活が不規則になった学生時分にそうなったと思う。「朝食抜きはカラダに悪い」とは言われるものの、大抵寝起きは胃が重く、食欲を感じたことが無いので食べる気がしないのである。 私としては、食べたくもない物を流し込むよりは、食欲のある時に食べたいものを食べる方が余程健康的だと思っている。勿論、夕食を食べ過ぎて毎朝胃が重いなんて、とても健康だとはいえないだろうが。 ともあれ、誰しも病気などしたくはない。「健康は毎日の小さな努力から」、という考えも解らないでもないが、「これさえすれば大丈夫」というものでもないだけに努力に見合った成果があるのかは疑問である。 言訳がてら自分を引き合いにするが、朝食の意味とはそんなに大きいものなのだろうか。 「朝食有意説」については諸説紛々としてはいるが、結局は寿命にはほとんど影響は無いと考えている。 考えても見て欲しい。現在、世界最高の長寿を誇る日本のお年寄りたちの若い頃は、朝食をちゃんと摂るどころか、まともな食事にありつくことすら出来ない時代を経験しているのである。にもかかわらず、世界一の長寿国になれたのは、朝食のおかげではないはずだ。戦後の世代は、食生活の改善で肉体的には平均身長が伸びたりもしたが、まさか寿命がさらに10年20年と伸びていくとは考えてはいまい。 50年前と比べて豊富になったのは食料ばかりではない。汚染物質や電波なども以前とは比較にならないほど増えている。感情論ではあるが、人体への影響がほとんど議論されないまま野ざらしにされている数々の電磁波は、とても人体に無害だとは考えられない。 根本的に生活習慣は大きく変った。社会システムも複雑化し、人々の精神的疲労も従来とは違った種類になってきている。そんな中、様々な形で進歩してきたものが、全て人間にとってプラスになるものばかりではないのは、疑問の余地がない。 閑話休題。 先日、半永久的にデータが保存できるとされていたCDは、実は20年ほどで読み取りが出来なくなるというニュースが流れ、話題になっている。このように戦後登場した新技術の中には、これから寿命を迎えるものが幾つもあるが、なかでも美容に関する技術が振れ込み通りの耐久性があるのか気になるところである。 例えば整形分野。あまり早くに形が崩れるのも問題なら、いつまでもその部分だけ老化が訪れないというのも不格好である。 また松田聖子さんがやったように、自前の歯を半分削り、歯並びのいい形の歯に差し替えるという矯正方法も、全ての歯の神経を抜いてしまうだけに、総入歯へ近道を辿っているような気がしてならない。 また日焼けサロンに行ってまでも黒くした肌の行く末も、決して明るいものではないだろう。 我々の世代は、かつて無いほどバラエティーに富んだ老人が出現しそうで、今から老後が楽しみである。 話しを戻すが、人間の健康は食物だけに左右されるものではない。「病は気から」と言われるように精神衛生状態は極めて重要であるし、汚染物質に取り囲まれた生活環境も無視できない。 では、個人の努力で改善できる一番効果的な方法は何なのだろうか。 私は精神衛生、つまり心の持ちようだと思う。明るく前向きに日々を過ごせる術を身につけること。かの金さん銀さんを見ていてつくずく感じたことである。 だが、長生きするいぜんに、あれほど明るく前向きに生きられる人たちは、何歳まで生きるかということにあまり関心が無いようにも思える。例え何歳で生涯を閉じようとも、最後まで笑っていられたらそれ以上の幸せはないのだから。 「いつまで生きるか」より「どうやって生きるか」が重要ということだろう。 やはり、心も持ちようが一番大切なようである。 |