エスニック

偶然の導き(前編)

  人は毎日、何百という決断を下して生きているそうだ。今日はどんな服を着ようか、何を食べようか、などはもちろんのこと、ジュースを買うのに札で払うか小銭で払うか、といった類まで含めてのことである。つまり、我々の生活は、こうした細かな決断の連続なのである。
 もちろん、当の我々はこうした決断をいちいち意識しているわけではなく、ほとんど無意識のうちに捌いてしまっているものだが、決断を下すための選択肢がある以上、その結果の差が先々大きな差となって表れる可能性は決して小さくない。いや、むしろ人生を大きく左右するほどの事象のほとんどが、もとを辿ればこうした些細な決断から始まっているのではないだろうか。

 ピンと来なければ逆から考えてみてもらいたい。

 例えば結婚。結婚相手との出会いから遡ってみる。初めて出会ったのはあるコンパだった。そのコンパに出席したのは友人の代理出席だった。なぜ代わりに出席したかといえば、ヒマだったのが自分だけだったから。なぜヒマだったのかといえば、予定していた野球の試合が雨で中止になったから。ヒマなので映画に行くつもりだったが、その前にかかってきた別の友人との電話が長引いたので上映開始に間にず、次回にするつもりだった…などなど。

 こんな調子で延々と遡っていくと、どんなライフイベントも実に些細な偶然が積み重なって導かれたと感じる方も多いはずである。こうした些細な偶然を重ねる度に、自分でも気付かないほど微かに角度を変えながら人生は進んで行くのだと思う。その中で様々な人との接点が生まれ、お互いに影響しあっているのである。

 何の気無しに言った一言、言われた一言が後にどれほど大きな結果に結びつくのかなど知る術は無いのである。

 無論、私は日ごろからこんな理屈っぽいことを考えながら生活しているわけではない。
 昨年亡くなった古い友人との思い出を辿るうち、こうした思いが殊更強くなってきたのである。(前編終わり)

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