エスニック

偶然の導き(後編)

  昨年の夏、小学校から高校まで共にした友人Sが亡くなった。原因不明の急死である。独り暮らしのため、連絡が取れないことを心配した母親が訪ねて発見されたが、すでに死後数日が経っており、細胞分析までしたがとうとう死因は判らずじまいとなった。
 Sとは家も近く親同士も交友があったため、クラスが違っていても顔を合わせる機会が多かった。小柄で色白、おまけに童顔だったので正反対の私と並んでいると何歳も年下に見られたが、議論が好きで負けず嫌い、生徒会や文化祭の活動をともにした高校生の頃は、議論が白熱すると夜中近くまで道端で議論したものである。

 昨年末、Sの実家に挨拶に行った折、亡くなる直前の話しをして頂いた。無類のワイン好きだったSは、もともとワインの流通に携わる仕事をしていたが、どうしても就きたい職種があったらしく、ようやく念願の仕事ができる企業に転職が決まっていたらしい。その転職先へ移るまでの間、1ヶ月ほどワインの本場フランスへ飛び、そのままアフリカのリマの方まで足を伸ばしていたようだ。
 見せてもらった写真には、決して一般の観光客では足を踏み入れないであろう原住民の集落で、現地の子供たちに囲まれて笑顔を見せるSが写っていた。
 どこに行くにも単身。持ち前の行動力でどこでも身軽に飛び回る。「しばらく連絡が無いと思ったら、いきなりヨーロッパから絵葉書が届くなんてしょっちゅうだった」と困ったような誇らしいような顔をしながら話す御両親の顔が印象的だった。

 そんな話しをしながら、話題が5年10年と遡っていく。10年以上遡り、まだ高校生の時分にSがワインに取りつかれた日に辿り着いた。その時飲みに行こうと誘ったのが悪友の私である。
 今まで気にも留めたことはなかったが、その後のSの人生に大きは影響をもたらしたワインとの出会いに自分が登場したことは、私にとって大きな驚きであった。

 Sとワインとの出会いが私の誘いから始まったからといって、私はなんら呵責を感じているわけでない。いくらかルートが変わったかもしれないが、その時にワインを飲まなくてもどの道どこかでそうした機会は訪れたであろうし、恐らく「私の誘い」から「Sの死」を結び付け、私の責任を問うものはいないと思う。
 理屈で言えば、車で事故を起こした責任を免許を取るよう勧めた人間に押付けるようなものだからだ。それに更に溯ってしまえば、「なぜ私と出会ったのか」等々際限のない話になってしまう。
 しかし、そのように全てが「偶然の産物」としてしまっては人生は実に儚く、無常感に包まれてしまうことにもなる。
 だからこそ、「偶然」を「神」に置換えることによって、「運命」や「宿命」が誕生するようにも思う。私には、宗教観の多くはこうしたことが発端になっているような気がしてならない。
 クリスチャンのように、今ある状況を「与えられし運命」と謙虚に受け止め、感謝する姿勢も美しいと思うが、だからといって、私はここで神について語りたいわけではない。もちろん、宿命の有無を問う気もないし、偶然で成り立つ人生の無常を諭したいわけでもない。
 私が信じたいのは、例え偶然や神に導かれたものであったとしても、人間には「こうしたい」、「こう在りたい」という意志が有るはずで、それに従って行動するからこそ「自分の人生」と言えるものに変わるのではないかということ。
 自分の意志とそれとは無関係のような些細な出来事が絡み合いながら、自分は歩いているのだということ肝に銘じてさえいれば、「なんでもアリ」のこの世でもあたふたせずに生きていけるのではないか、そんな気がするのだ。

次へ

もどる

エスニック