なんだか流行本のタイトルのようだが、近頃やけにこの「知識」と「知恵」の違いを考えさせられる。辞典によればそれぞれ定義があろうが、ここで言う定義は次の通り。 「知識」とは頭の中にある散在する点のようなもの。 「知恵」とは散在する点を繋いだ線のようなもの。 簡単な例を紹介すると、A氏は知識が豊富な人物で分野を問わず実に様々なことを知っている。「これは何」「ここは何処」「いつ頃なにがあって、誰がどうした」といった問いと得意とする。 一方、B氏は知恵の働く人物で人の話を聞くのが上手く「一を聞いて十を知る」タイプ。「どう思うか」「どうすれば良いか」といった問いを得意とする。つまり、A氏は点を沢山持っている人で、B氏は点を繋げるのが上手い人である。 マスメディアの発達から、我々は溢れんばかりの情報を手に入れることが出来るようになった。しかし、情報の善し悪しや必要か否かの判断をする力、さらにどう解釈して自分の考えとするかといった力が欠如しているといった指摘も多い。 そうした力をつけるには頭ではなく「心」を鍛えなさい、と教えてくれた方がいる。 まだ私が高校生の頃の話。あるクラスメイトの親父さんが学校に招かれ、化学の実験室みたいな小さな教室で講演会らしきものが催された。タイトルやテーマも碌に憶えていないが、「知識というものは木の葉のように点で存在しており、これらに心を加えると枝、幹、根と繋がり知恵という果実が実る、という話だけはよく憶えている。自分なりの解釈として、根っこの深さは洞察力の深さ、幹の太さは心の広さを、葉の数や枝の量は見識の広さを現していると捉えたが考え過ぎだったろうか。 今から思えば、その親父さんは経営コンサルタントだったようで、内容も随分ためになる話しだったにも関らず、大方右から左へ素通りさせてしまい勿体無いことをしたと後悔している。 マーケットに携わる者として、如何に自分の見解が重要かということを痛感させられることは多い。自分で出した結論だからこそ失敗しても反省が出来るのであって、余所で見聞きしてきたことをさもありなんと他に伝えたところで残るものは何も無い。今後、さらに熾烈になるであろう生存競争に勝ち残って行く為には「太くて強い幹」「広く深い根」が不可欠なんだと信じている。 98年9月28日 ThinShin |