人の眼が気になることって有りますね。一体他の人たちは自分のことをどう思っているのだろう、という疑問。まして会社のような組織に属しているなら、客に気に入られたいとか上司の覚えも良くしておきたいとか、随分と気苦労を重ねることも多いでしょう。 一日の大半を一緒に過ごす職場の仲間とは仲良くしていたいし、当然家庭内も平和であって欲しい。こんなことは誰でも考えることなのに、なかなか思うようにならないのもみんな同じではないでしょうか。 明るい人、元気な人、頑固な人、ケチな人とか、冷静沈着型、義理人情型、さらに親分肌、天才肌などなど、人を表現する言葉は実に様々です。一人の人に対しても、こうした言葉が複数組み合わさるのだから、ドえらい数の「タイプ」が存在するわけですね。 とかく厄介なのは、自分は自分のことをこう思ってるのに、他人はそうは思っていなかったり、というズレ。まあ自分が考えていることは100%自分は知っているのだから、自分のことは自分が一番よく知っているという理屈も成り立ちそうなものだけど、意外とこれがあてにならなかったりしますよね。「あの人は私のことをちっとも判っていない」ってな不満はみんな少なからずあるんでしょうが、「私はこういう人間である」ということを思い通りに他人に感じてもらうことは簡単なことでは有りません。そのように思ってもらいたいという努力はある程度有効でしょうが、人間の評価というものは最終的には周囲が作り上げるもので、結局本人の意思とは関係の無い部分が多分にあるのではないでしょうか。 誤解されそうですが、自己啓発が無駄だとか、逆にどんなわがまま勝手をやろうと同じだと言っているわけでなく、「自分はこうありたい」ということと「周囲が自分をどう捉えるか」ということは一線を画すべきだと言ってるんです。 つまらない仕事には耐えられるが、人間関係がうまく行かない職場で働くことは耐えられない、という調査結果があるように、われわれの精神衛生は周囲と極めて密接なところ有ります。私の友人にストレスから胃腸を壊し入院までした人がいますが、彼の場合、周りとの比較で自分の悪いところばかりを気にし過ぎていたようで、みんなが彼のことを「ダメなやつ」と思っているんじゃないかとビクビクしていたと言います。「自意識過剰」だったというのかどうか判りませんが、彼は自分が思っているほど他人は自分に目を向けているわけではないと思うことで一気に気持ちが楽になったと言います。 悪口を言われるのは嫌だし、誉められれば嬉しいのは素直な気持ちでしょう。しかし、周囲の自分に対する評価というものを気にするあまり、返って自分を見失ってしまっては元も子もありませんよね。 ちなみに、私は家族から「そーゆーことに極めて鈍感」と言われ、自己評価と思い切り一致してます。難しいもんですな。 98年10月21日 ThinShin |