エスニック

会話か手紙か

  今やeメールは我々の生活に欠かすことの出来ない伝達手段になって来ました。手紙ほどラグがなく、電話ほど図々しくないあたりも重宝される要因ではないかと思います。
 もちろん私も毎日使用していますが、このeメール、逆にいえばどっちつかずの状態でもありますので、送り手と受け手の感覚の差で微妙にコミュニケーションがずれてくるなんてこともあるようです。

 手紙などでは「お元気ですか」などの文句は挨拶代わりで、いちいちそれに答えて返事を出すことはありませんが、会話なら「最近どうしてる?」の問いには簡単でも返事をするものです。
 メールではこの両者が混在していて、期待していたのに返事が来ないでやきもきしたり、逆に逐一返事が返ってきて鬱陶しい、といったズレが出るようです。

 私の場合、メールは会話に近い感覚で使用しており、返事はなるべく早くマメに返信するようにしてますが、何度かやり取りをしているうちに相手の感覚が手紙に近いことが判ると相応の使い方に変えるようにしています。
 特に会社などで専用線を使っている場合、ほとんどチャットに近い状態で使用できるので、そうした人には会話感覚の人が多いようです。

 とはいえ、よく知った相手でも文字だけで意思を伝えるというのは難しいものです。実際の会話と違って、文字だけでは無感情というか無機質な感じになり易く、感情を上手く表現するということは実に骨の折れる作業だな、と感じます。

 我々の世代ではすっかり苦手なものとなってしまいましたが、昔の日本には「察し」の文化があって、言葉には出さないけれど相手が何を思っているか理解してあげる、ということが美徳とされてきました。
 ですから、俳句や短歌のように17文字ないし31文字という極めて短い文章の中に様々な思いを込めたり、その真意を読み取ることが得意な民族であったわけです。

 その名残なのでしょうか、現代の高校生や学生がひっきりなしにケータイのメールでやり取りしているのを見て呆れる反面、コミュニケーションの多くをそれに依存しているのにちゃんと意思の疎通が出来ている(?)ことに感心もします。

 彼らのそうしたコミュニケーションにどういった「常識」が存在するのか皆目見当もつきませんが、時折それほど親しい間柄でもない人から挨拶一つ入っていない不躾なメールをもらうことがあったりすると、これで真意は伝わるのだろうかと心配になります。
 また、そんなことがいちいち気になるなんてもう若いとは言えないね、と言われてしまうのか。
 それもまた心配だったりします。

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