また、話が逸れるところでした…。 私たちが子どもの頃、正義の味方は悪者を殺すことが常識でした。しかし、正確には「殺す=命を絶つ」という概念で観てはいなかったと思います。単に「やっつける」イメージでしかありませんでした。 子どもは残酷なことが平気で出来ます。カエルや虫に対するイタズラも、大人がギョッとするようなことを平気でやってのけるのは、あらゆる経験が足りないためであって、決してサディスティックな思惑があってのことではありません。 子どもは、散々悪さを働き誰もかなわなかった相手をやっつける強いヒーローの姿に歓喜していたのです。勧善懲悪のスタイルで悪者が死ぬか否かの差は全くと言っていいほどないのではないでしょうか。 先月、前編を書いて間もなく米同時多発テロがおきました。 特に2機目がビルに激突する瞬間やビルが崩壊していく瞬間は多数のカメラの目前で起こりました。それらの映像は事件当日から何十回、何百回と繰り返し流され、世界中の人の目に焼き付くことになったはずです。 私は放映が自粛されたいまでも、ビルの谷間から青空を見上げると、そびえ建つビルの壁面に旅客機が吸い込まれる映像が頭をよぎります。 放映された映像には、一部に立ち昇る煙の間から脱出を試みる姿が映し出されたものもありましたが、被害者の生身の姿はほとんど出てきません。 しかし、激突から崩壊までの映像は間違いなく6000人以上の「死の瞬間」を捉えたものです。 これ以上の「死の瞬間」を捉えた映像は原爆投下の映像ぐらいしか有り得ないのではないでしょうか。 規制されるような残虐な映画のシーンよりもはるかに酷い映像が世界中で、一日中、繰り返し、無制限に流されていたというのもなんだか皮肉な話です。 やはり最後は話が逸れてしまいました…。 (10月5日記) |