エスニック

食文化

 サッカーのワールドカップ開催をうけ、国際サッカー連盟は開催国韓国に犬を食べることを止めるよう要請したようです。
理由は例のごとく、「あんな可愛いワンちゃんを食べるなんて」、「犬を食べるなんて文化的にも野蛮だ」ということのようです。
捕鯨禁止をめぐる日本批判の時も感じましたが、その国独自の食文化にあれこれ口を挟むのは正直大きなお世話と言う気がします。

人間は大昔から他の生物を食べて生き残ってきたわけだし、これからも食べつづけるのでしょうから、絶滅の恐れがあるような稀少動物でも無い限り、私は原則「何を食べてもいい」派といえます。
ベジタリアンでもなく、自分でも豚や鶏を食べているにも関わらず動物愛護を理由に食用禁止を唱えるのはどういった理屈なのでしょう。確かに犬のように喜怒哀楽がハッキリしていて表情豊かな動物は可愛いですし、犬を食べる習慣の無い私にも犬が「気の毒」に見えます。
しかし、だからといって韓国人が残酷という訳ではなく、韓国でも犬をペットにすることは一般的なことですし、犬を可愛いと感じることに何ら違いはないと思います。それに食べると言ってもレトリバーやチワワなど手当たり次第に食べるわけではなく、食用に養殖された品種のみ食されるそうです。

立場を変えれば、私たちが日頃口にする鶏、豚、牛、馬、魚を様々な理由で食べない人たちも多くいますし、その人たちから「食べるなんて野蛮」と言われてもどうにもなるものではありません。
とかく犬などは人間の都合で交配を繰り返し、手のひらサイズから子牛並みの大きさまで、「これが同じ犬なのか」というほど様々な品種が作られてきたため、「犬を食べる」と聞けば身の周りのペットを想像しがちで、特に感情移入されやすい素地があるかもしれません(もちろん食用の犬も可愛いのですが・・)。
しかし、人間というのも勝手なものですから、養殖可能で経済的に見合う動物であればいくらでも食用家畜として生産していくのではないでしょうか。例えば品種改良された食用のダチョウやカンガルーなどが牧場に放されるのも、そう遠い未来ではないかも知れません。

命をつなぐために他の生物の命を奪って食するという仕組みになっている以上、そこに可愛いか否かという視点を織り交ぜるのはどうしても私には理解できないのです。
(11月16日記)

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