小説「破線のマリス」(野沢尚著)をご存知でしょうか?
何年か前の江戸川乱歩賞受賞作で映画にもなりましたが、このタイトルは「悪意を込めた映像」(破線=走査線、マリス=悪意)と言う意味です。 悪意と言うには大げさですが、私たちが日ごろ目にするメディアの報道には恣意的な作り方をしているものが多分にあり、それを報道する側の姿勢とするのか作為的な情報操作とするのか判断に迷います。 例えば、先日イラクへの核査察をめぐる問題で、強硬姿勢を続ける米国のパウエル国務長官が発言をしました。 その要約はあるTV番組では「即武力行使という米国の姿勢に反発しているヨーロッパ各国には、武力行使を急がない、と配慮しつつも、状況次第では米国の単独行使も辞さない構えを示しました」とまとめられ、 別の番組では「米国の単独行使もあり得るとしながらも、強硬姿勢を崩さない米国の姿勢に反発を強めているヨーロッパ各国に配慮し、交渉の機会がなくなったわけではない、と柔軟に対応する道も残しました」とまとめられました。 テレビのコメントを思い起こしたものですから、一字一句同じと言うわけではありませんが、このようにセンテンスの上下が入れ替わって報道されたので受ける印象が全く違ったことをよく憶えています。 物語にもあるように、実際の映像でも組み合わせ方によればある一定の意志を織り込ませることは十分可能ですし、またそう感じさせる報道はいたるところに存在し、見かけない日はありません。 「彼は頭は悪いが、性格がいい」 言っていることが真実でも、与える印象は180度反対です。 |