エスニック

酸素争奪戦

  たばこを止めて1年半ほどになる。止めるに至っては大した理由も無く、「そんなに禁煙は大変なのかな」と試してみたら、なんとなく成功したといった程度だ。もともと、軽いものを1日1箱程度だったから、血の滲むような努力の必要も無く、吸いたくなるたび「お前には意志が無いのか?」と自分に言い聞かせているうち慣れてきたといった感じである。だから、とりたてて善かったことも無いが、結果的には止めてよかったと思う。
 世は禁煙運動真っ盛り。愛煙家の肩身は益々狭くなり、なぜか旧国鉄債務の返済まで負担することになってしまった。狭い喫煙席に押し込められ、反対側の壁が翳んで見えないような状態で吸っている姿もしばしば。「吸うのは勝手、けど出した煙は責任持って全部吸って」なんて意見も解るような解らないような…。

 確かにマナーの悪い人は多い。ポイ捨てや歩行喫煙は相変わらずだし、地下鉄の構内でもスパスパやってるのも見かける。煙を嫌いではない私から見ても、ちょっとねという場合は多い。吸い殻だけでなく煙も他人の迷惑になっているんだという認識はもっと必要だろう。空気はアンタだけのもんじゃないんだから。

 そう、所有権の存在しない空気は、一体どのあたりまで権利が主張できるものなのだろうか。嫌煙家でも車に乗る人は、乗らない人に対しての責任として排気ガスを全部管理できるのか、と問いてみたくもなる。勿論、たばこと自動車では社会的重要度が比較にもならないだろうが、原付バイクでも済むところを排気量の大きい高級車を使うのはどうなのか、大した用も無いのにドライブするのはどうなのか、と思いません?

 有色有臭のたばこの煙ばかりが悪者になり易いが、我々が常に行っている生活活動の中で一体どれだけ有毒物質を放出しているかは大方の人が意識もしていないだろう。もともと空気なんて何処からかやってきて何処かへ流れていくものだから、「空間」に対する所有権は主張できても中身に関してはどうしようもない。ヒトが呼吸する分に限っていえば、仮に袋で仕切って「これは私の分」と言えなくも無いが酸素を使いきってしまえば意味が無くなってしまうように、所有なんて出来ない方が良いのかもしれないけど。

 もう少し話を広げてみると、国家レベルではどうか。地球上の酸素の大半は南米のジャングルで作られると何かで見た記憶があるが、南米各国が「酸素を提供しているのに先進国で大気汚染をするのは困ります」なんて言ってきたらどうなるだろう。昨今、欧米では窒素酸化物(だったと思う)の排出権に関する議論が盛んになってきているが、平たく言えばこれは「空気を汚してよい権利」みたいなものだ。

 この権利、一体誰が売るのか知らないが、そのうち酸素使用権なんてのも出てくるかもしれない。酸素製造機を作って大儲けしてやろうと思うのも出てくるだろうが、製造過程で排気ガスが出てしまい「排出権」にコストがかかり過ぎで失敗するかもね。

 人間にとって大した使い道の無い干潟だが、水の浄化にかけては人工では不可能なほど処理能力があるのと同じように、空気清浄に関しても人間は植物にはかなわないらしい。こうなると大規模な熱帯雨林を保有する国は俄然有利になってくる。必要なのは面積だけ。後は森林が無公害でやってくれる。「自然保護」さえしていれば国家が成り立つ可能性も出てきたりして。

 一方、「使用権料」が払えず酸素の「自給自足」を目指す国も出てくるかもしれない。SF的発想だが、空気を管理する為に外気と生活空間は分断され、水道のようにパイプなどで酸素が供給されることも有り得るのかもしれない。切羽詰まったところはいっそのこと「森林立国」への侵攻を考えるのが、下手に戦争を仕掛ければ肝心の森林がダメになるというジレンマが出てくる。よって、石油と違い戦争が起りにくい。全世界がせっせと自然保護と「酸素作り」に勤しむことになるのである。

 空気も大切にしよう。酸素が供給過剰になるまでは「酸素は売りハナ」なのだから。


99年2月9日 ThinShin


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