エスニック

信号待ち

 半年ほど前から、園の送り迎えには自転車を使っている。朝などは園まで送ったあとわざわざマンションまで自転車を置きに戻り、それから駅に向かっている。面倒だと思われるだろうが、自分で歩きたがってあっちウロウロこっちウロウロされた挙句に「やっぱりダッコ」「やっぱり歩く」を繰り返されては、会社は毎日遅刻するハメになる。
 せめてもの慰みに、ロングコートをはためかせ、2ケツでママチャリをぶっ飛ばす姿は我ながらイケてるはずだと信じ切っている。

 しかし、そろそろゆうたにも信号の存在を教えてやらねばてはならない時期だと思い、小さな交差点で、「青は渡ってヨシ、黄色は急いで渡れ(?)、赤は待て」と教えてやるようにしているのだが、赤で待っているはしから大人どもは信号無視してスタスタと渡ってしまい説得力ゼロの毎日である。
 ただ、私も他の人が小さな子供を連れて信号というルールを教えているであろう場面で、いつもならとっとと無視して渡っているであろうところを、付き合ってジッと待つようになったのは自分が親になってからである。恥ずかしながら、それ以前は交差点にどんな人達がいるかということすら目に入っていなかった気がする。
 こんな人間が親になっているのだから世の中段々おかしくなって来るのも当たり前か。

 ところが、ある時ミニカーで遊んでいたゆうたが、赤い車を持って「赤はダメヨー」、青い車を持って「青はイイヨー」とやっているではないか。黄色だとどうだろうと見ていると「黄色もダメヨ」とのこと。恐らく園で教わっているのだと思うが、この時期はこれが正解なのだと思う。
 園の生活がありがたいのは、こうした基本的なルールを「同じ基準で」多数の園児に教えることが出来る点である。大人の世界では「他の人もやっているから」というのは主体性が無いと言われるが、子供に原則というものを教えるのはこれが一番有効だと思う。

 「黄色は全速力で駆け抜けろ」というのは親のせいに出来ない歳になってからアレンジすればよろしい。

 そんなこんなでゆうたもすっかり信号というものを理解したかと思っていたのだが、先日信号待ちしていたとき、赤から青に変わり「もう渡ってもいいかな?」とゆうたに聞くと「ダメ」という、「でも青だよ」と言うと「緑だから」と切り返された。

 果たして、健気にも「青」になるのを延々と待ち続ける息子の横で、どうやって青色発光ダイオードの説明をしたものかと考えあぐねている父なのであった。


ようやく歯ブラシが嫌いでなくなった


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