エスニック

ばっかりオバケ

 我が家は最近オバケ屋敷と化してる。オバケの名は、ゆうたと一緒にいると10分に1度は出現する「ばっかりオバケ」。

「**ばっかり食べてるとばっかりオバケに連れて行かれちゃうよ」
「(食事中に)遊んでばっかりいると・・(以下同文)」
 「ジュースばっかり欲しがると・・(同)」
「ワガママばっかり言ってると・・」等々、例を挙げればきりがない。

 最初の出現はひょんなことからだった。
 ある晩のこと。夕食時、いたずらばかりしてちっとも食べようとしないゆうたに業を煮やしていると、隣の部屋から「カタリ」と音がした。恐らく詰め込んだおもちゃ箱から何か落ちたのだと思うが、それにビクリと反応したゆうたが「今の音ナニ?」と怯えながら問うので咄嗟に、

「あ、来ちゃったかなぁ・・」
「なに?」

「ばっかりオバケだよ。遊んでばっかりいてゴハン食べなかったり、マヨネーズばっかり舐めてたり、グズグズ言ってばかりの子のところに来て、連れて行っちゃうんだ。」
「やだーっ!」

「仕方ないよ。ゆうたちっとも言うこと聞かないで、いつまでも遊んでるんだから。」
「やーだーっ!パパやっつけてっ!」
(半泣)
「遊んでないでちゃんと食べるか?」
「食べる食べる食べるたーべーるーかーらっ!」
「全部食べるか?あ、もうそこまで来てる・・」
「やーっ!全部食べるから、やっつけてーっ!」
(号泣)
「よし、まかしとけっ!」
と、おもむろに隣室に行き、迫真の演技で外に向って拳を振り上げ叫ぶ。
「やい!ウチのゆうたは遊んでばっかりいないでちゃんと食べるぞ!ばっかりの子なんていなんだから帰れ!帰れ!」
(↑2002年日本アカデミー助演男優賞ノミネート)
「ふう、危ないとこだったな。」
と、ヒーロー然とした顔で戻る。
「もういない?」
「うん、もう別のばっかりの子を探しにいったよ。さ、食べなさい。」
「うん」


 結局助演男優賞を逃しはしたが、脅しの効果はテキメンで、ゆうたが言うことを聞かない時、私が「あ・・」と何かに気づいたように在らぬほうを見るだけでビビッて言うことを聞くようになった。
 酷い親である。

 子どもに物ゴコロがついたら、子どもの要求にはまず「はい」と言ってやろう、気持ちを受け入れてやろう、叱る時は心配しているからだと諭してやろう、ワガママはお前のためにならないということを諭してやろう、こう心に誓っていたのではなかったか。
 ところが今や脅迫、恫喝、交換条件ばかりである。

 先日、ちゅまが育児に関する講習会に参加してきた。講師曰く「子どもが3歳になるとお母さんは変声期をむかえる」のだそうだ。それまで「可愛い可愛い」で済んでいたが、3歳過ぎると「教育せねば」という意識が急速に芽生え、「ああしろ、こうしろ」と口やかましくなり、にもかかわらず子どもはちっとも言う事をきかず、母親は始終ヒステリックに怒り続けることになるらしい。
 さすがプロ。うまいことを言う。

 もちろんこれは母親だけに限らない。
 私にしても、この頃のゆうたに対する会話のトーンを視覚的に表現するなら、

ほら、ゆうたそれはやっちゃいけないって何度も言ってるでしょっ、聞いてんのかオラッ!

となる。
 普通に話しかけても語尾は大概怒号に変わる。
 「母親の変声期」と同じようなものだ。

 子どもというのは聞き分けのないものだと頭では分かっている。そう、頭では。
 世の中「ああしたらいい、こうしたらいい」が溢れかえっていて、良かれと思って頭に詰め込んではみたものの、結局子どもはちっともマニュアルどおりになんて反応せず、最後は「なんで思ったとおりにならないんだ」ということに腹を立てることになっている。
 それは単に、言うことを聞かないことに対して「怒り」をぶつけているだけで、肝心の「なぜ、それがいけないことなのか」を伝えてはいない。

 怒鳴るだけ怒鳴った後冷静に考えると、別に怒るほどのことでもなかったな、と反省することは多い。
 もしかすると、子どもの聞き分けが悪いのは、親の小言は実のところ大したことを言っていないから、それほど真剣に聞かなくて済むように出来ているのではあるまいか。
 そんなことも考えたりする。
 なのに1時間後、やはり全く同じことで怒鳴っていたりするのだから我ながら始末に悪い。

 「怒ってばっかりオバケ」が来るのも時間の問題である。


降りられないのに登るだけ登る




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