エスニック

0.9のヒト

  一昔前は「せっかん」と言われたものが今はほとんど「虐待」と呼ばれるようになった。
 「子どもは親のもの」という常識が崩れ、子どもの人権は親権に妨げられないという認識が強まり、法の整備も進んで来たこともあって以前は「せっかん」で片付けられてきたことが虐待として次々と明らかになってきているわけだが、それにしても連日陰惨な事件が続いている。

 今度は曾祖父も含めた大人5人による3歳児虐待死である。「イタズラの過ぎる行動が虐待を受ける切っ掛けとなった」とあるが、年端のいかぬ一人の子どもが、5人の大人の手にかかって死に至らしめられなくてはならないイタズラとは一体なんなのか。そして、残された子どもたちにとって、親も祖父母も「殺人者」となったことにどういった思いを抱くのか、問いたい。

 学級崩壊や未成年の凶悪事件等で子どものモラルハザードがとやかく騒がれているが、諸々の虐待事件を見聞きするにつけ、「親」を含めた「大人」の方がよほど危機的状況なのではないかと思うのである。

 先日、中学校で教師をしている友人と飲んだ時、最近おかしな教師も多いがおかしな親も劣らず多いという話しをしていたのだが、その際彼からこんな言葉を聞いた。

「未熟な大人の子どもはさらに一人前には遠くなる。両親が0.9なら0.9×0.9=0.81だ。」

 これは彼が職場にいる先輩教師から言われた言葉らしいが、なんとも言い得て妙な言葉ではある。
 もちろん彼等教師もこんな単純な数値で人を判断している訳ではないが、懇親会やPTAで問題を抱える子どもの親を見ているとつくずく実感すると言う。

 「大人」でいること、または「1」以上の人間でいることが具体的にどうあることなのか、というのは難しい。単純計算でいえば、過半数が1以上でないと数値は大きくならないことになるが、少なくとも文明の進化と人間の進化は全く一致しないのは間違い無いだろう。

 「世相が暗い」ということは不景気ばかりが原因でなく、社会全体がどこか大きく歪んでしまっているからではないか。
 そしてその歪みを修正するということは、景気の回復させるよりはるかに難しく、はるかに重要なのではないだろうか・・・。


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