エスニック

ワークシェア(保育園の文集に投稿)

  この頃、不景気と高齢化の問題から「ワークシェアリング」なる発想があちらこちらで議論されていますが、我が家では従来の「夫」と「妻」の役割をワークシェアすべく、日々苦労を重ねています。
 といってもつまりはただの「共働き」ってことなんですが。

 一昔前は「DINKs」と呼ばれる子どもを持たない共稼ぎ夫婦が取り沙汰されましたが、女性の社会進出がもはや常識になってくると、さらに「子ども」がプラスされたスタイルがぼちぼちと市民権を得て来たように感じます。
 ただ母親が社会に進出した場合、もう一方に存在する父親にも影響は大きい訳ですから、意識の変革は夫婦ともに同時に行わないと非常に面倒なことになります。我が家もたいてい揉め事のきっかけはそこにあったりしますし。

 子どもが生まれるまで、あまり家に腰を落ち着けているのが得意でなかった私ですが、家事や育児にいくらか手を貸すようになって、今まで気付かなかったことに随分と目が向くようになりました。
 特に「夫」と「妻」、「父親」と「母親」の役割には何処に違いがあるのか、ということには色々と考えを廻らしましたが、今でも答えが出せずにいます。
我が家のように妻もフルタイムで働いている場合、従来のような経済的責任は父親だけのものでは無くなります。
統計的には男女で得意不得意なものがハッキリ分かれるとも言われていますが、基本的には家事はもちろん、子育てに関しても出産・授乳以外は男でも出来るはずだと考える私にとって、代わりに従来の「母親の役割」に「進出」することにはそれほど抵抗はありませんでした。
 しかし、いざそれを実行していくと面白い反応に突き当たります。

 保育園への送り迎えの道中、私がスーツ姿で子どもを連れているとモノ珍しそうな視線を向けてくる人が多くいます。周囲の人に私が洗濯や掃除なども手伝っているというと驚く人が多く、中でも女性は「良いダンナさんね」と言ってくれます。すぐに木に登る性格の私としてはこう言われて悪い気がするはずもありませんが、妻からすれば「やっていることは同じなのに、いい奥さんね、とは絶対に言われない」ということになります。
 一方、妻の職場などでは妻が子持ちだと判ると「大変ですね」と言われます。言葉の裏には「仕事を抱えている上に、家事や子育ても妻がすべてやっているであろう」という前提が隠されているわけです。ですから、これは逆に私がそんなことを言われたことは一度もありません。「やっていることは同じなのに…」ですね。

 私のようにその役割をろくに果たしていなくても夫が「主人」と呼ばれ、公文書では子どもの「保護者」になります。なのに学校などの行事連絡は「お母さん方へ」なんて確り書いてあったりします。
 メディアで盛んに取り上げられる「専業主婦VSワーキングマザー」という構図もこうした無意識に近い前提が崩されない限り解決することはないような気もします。

 いずれにせよ、当の私達が大変なことをしているのかと言えばそんなことは全く無りません。私においてはむしろ「妻子を養うためにも身を粉にして頑張らねば」というプレッシャーから開放され、万が一リストラの憂き目にあっても「じゃ、俺が家庭にでも入るかなぁ」と無責任に構えていられるため実に気楽です。

もちろんデメリットもあります。仕事も家事も分担するわけですから、仮に「家も家族も忘れて仕事に没頭したい!」ということがあってもままならないことになります。当然現在の企業風土からすれば、そうした時に全力が注げないというのは将来の昇給や昇進にも影響をするでしょう。これは別に将来私が出世できなかった時の言い訳を今からしているわけではありませんよ、いやホントに。

要するに何を切り捨て、何を優先させるかは個々によるわけですから、私がここで述べていることもあくまで「ひとつのケース」にすぎません。
各家庭にはそれぞれの事情があり、理想があるはずですから、それぞれのスタイルがあっていいはずです。

私が望むのは、そうした様々なスタイルの家庭が当たり前に受け入れられる社会になって欲しいということです。
 少なくとも、子どもの急な発熱で私がお迎えに行かなくてはならない時や看病で仕事を休まなくてはならない時、「いやぁ、妻が出張でいないもので・・」といちいち頭をポリポリしなくてもいいような職場にはなって欲しいものです。

あ、これは会社で言うことですね…。



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