まるで計ったかのような陣痛だった。5日の午前中の検診で「羊水の状態から考えても、今出てきておかしくない。遅くても9日を越えるなんて考えられない」と先生に言われており、内診の刺激も手伝ったのだろう、20時ごろには定期的な陣痛になり21時に産院入りした。 担当の助産婦さんが案内してくれた部屋は6畳弱の広さぐらいだろうか、フローリングの床に同系の壁。吹き抜けの天井には明り取りの窓と長く伸びた照明が一つ。床には敷布団の他に大小5つほどのクッション、イス1脚が並んでいた。横の小さな心音測定器とガーゼなどの入ったケースがなければ分娩室とは思えない普通の部屋である。 まず陣痛を進めるために隣のバスルームで入浴。リラックスできるよう数あるアロマオイルの中からラベンダーを選び、少し長めに湯に浸かる。その間私は布団に仰向けに寝転がりながら、男だったら名前どうしよう、とこの期に及んでまだそんなことを考えていた。ゆうたは一緒にフロに入りたいと言って服を脱ぎにかかったが却下され、渋々ドアから覗き込んではあれこれ助産婦さんに質問をぶつけていた。 風呂から上がり、しばらくぼんやりしているとカメラマンの方(♀)が到着。 最初は横たわるちゅまを囲んだ私たちの様子を何枚か撮ったが、これは長くなると読んだらしく待機しに喫茶室へ行ってしまった。22時をまわるとさすがにゆうたも眠気でグズり出したので、ちゅまと並んで横にさせ助産婦さんに私の秘技「お耳コショコショ」(*)を披露しつつ寝かせてしまった。 (*)小指で耳掃除のマネをしながら耳の穴を掻いてやる技。大抵数分で沈没させることが出来る。 ある程度の痛みは絶えずあるものの、それ以上がなかなか進まなかったため、助産婦さんが一生懸命色々刺激を与えたりマッサージをしてくれたが何の変化もないまま刻々と時間だけが過ぎていった。 23時を過ぎた頃だったと思うが、後からやってきた別の妊婦さんと部屋を入れ替わることになった。恐らく部屋にある機械の都合だと思うが、次に入ったのはほんの3畳しかない畳の部屋。 この部屋はちゅまがツワリがひどくてフラフラの時、点滴を受けていた部屋である。あの時は廊下で産んだ人もいたがちゅまはどこで産むことになるのかなぁ、と考えていると、なんと新たに産気づいた妊婦さんが運び込まれ、またもや部屋を移ることになった。 今度は最初と同じく6畳ほどの板張りの部屋。機械の類は一切なく布団の代わりにベッドが1台置かれているだけのシンプルな部屋である。 0時を過ぎて幾らか陣痛が強くなっていたちゅまが布団を希望したので床に敷いてもらい、ベッドはほとんど私が腰掛にしていた。 眠ったまま何度も移動していたゆうたを寝かせてやりたいところだったがエアコンの風が直に当たりすぎるため、結局ちゅまの足元に転がしておいた。 日付をまたいでの出産劇はゆうたの時と同じだが、今回何より助かったのは助産婦さんがずっとついていてくれたことである。付き添う側としてツライことは陣痛に苦しむ妊婦の腰などを絶えずさするなどしていないといけないのだが、ゆうたを産んだ病院はやや高めのベッドだったためこちらは立っても座っても中途半端な高さになり、助産婦(看護婦)さんは時折様子を見に来てくれるだけだったので、結局私は中腰のまま一晩中腰をさすることになった。 次の日はまともに立っていられないほど腰が痛かったのを憶えている。 最終的には明け方近くまで付きっきりで看てもらえたので、私はスキをみてはうたた寝をすることが出来た。 とはいえ、そろそろ明け方の4時が近づいていた。空はいくらか白み始めたが、未だ出てくる気配には程遠かった。 (つづく) |
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