相 原町の郷土芸能と神輿
友原健二(2010/01/26UP、2018/02/12リニューアル)

1.相原郷土芸能連 合会
町田市相原町には、大戸囃子 保存会中相原囃子連陽田囃子保存会坂下囃子 連という4つの囃 子団体と、丸山獅子舞保存会があり、この5団体で相原郷土芸能連合会を組織している。
相原郷土芸能連合会は、会員相互の親睦と祭囃子、獅子 舞の発展と技術向上及び後継者の育成を目的に活動している。
各団体は、各自の町内祭は勿論の事、相原町としての大 きなイベントである、相原ふれあいフェスティバル・大地沢センターまつり・諏訪神社例大祭などは協力して参加している。
大戸囃子保存会については、大戸地区の八雲神社例大祭 が主体ではあるが、諏訪神社例大祭にも特別参加で、毎年お囃子を披露している。

大戸囃子保存会と中相原囃子連のお囃子は、神田囃子下 町流で、陽田囃子保存会と坂下囃子連のお囃子 は、神田囃子山の手流で若干異なるお囃子である。
神田囃子下町流と神田囃子山の手流の違いは、曲調や太 鼓のたたき方も勿論違いがあるが、演目に「国堅め」が有るか無いかが大きな違いのようである。
山の手流のお囃子には、「国堅め」があるが、下町流に は無いというのが一般的である。
大戸囃子保存会は、150年位の歴史を持ち、町田市無 形文化財に指定されている。
演目は
屋台(やたい)、昇殿(しょうで ん)、鎌倉(かまくら)、神田丸(かんだまる)、印幡(いんば)、子守唄 (こもりうた)、四丁目(しちょうめ)、車切(しゃぎり)の八曲である。
陽田囃子保存会と坂下囃子連のお囃子は、町田市小山町の三ツ目囃子振興会より手ほどきを受けたお囃子である。
三ツ目囃子は、幕末の頃、柚木村鑓水に伝えられたお囃子が若者の内に盛んになり、やがて三ッ目に伝えられて現在まで受け継がれているお囃子で、大戸囃子保 存会同様、町田市無形文化財に指定されている。
三ツ目囃子保存会の演目は、屋台(やたい)、昇殿(しょうでん)、鎌倉(かまくら)、神田丸(かんだまる)、印幡(いんば)、子守唄 (こもりうた)、四丁目(しちょうめ)、車切(しゃぎり)、間延昇殿(まのびしょうでん)、国堅め(くにがため)の10曲である。

丸山獅子舞は、元和3年(1617年)長巌法院が相原の諏訪神社を図ったとき、村人が五穀豊穣・氏子安泰を祈って奉納したのが始まりとされていて、
町田市無形民俗文化財に指定され、現在まで脈々と受け継がれている。
諏訪神社例大祭には、境内で丸山獅子舞奉納され、獅子 舞が終わったあとに、中相原町会の山車と下相原連合町会(境・坂下・元橋・仲町・陽田・中村)の山車が、諏訪神社境内に入って来る。
中相原町会の山車は、中相原町会単独で有しており、諏 訪神社例大祭当日は、午後6時10分の宮入の時間に合わせて、中相原会館を出発する。
下相原連合町会の山車は、午後1時30分に元橋会館を 出発し、各6町会を巡行して、諏訪神社参道入り口で中相原町会の山車と合流し、中相原町会の山車に続いて宮入する。
境内では、両山車の上でケンカ囃子が2時間繰り広げら れる。

大戸囃子保存会(2003年大地沢夏まつり) 大戸囃子保存会(2018年大地沢夏まつり)

中相原囃子連(2003年大地沢夏まつり) 中相原囃子連(2018年大地沢夏まつり)

陽田囃子保存会(2003年大地沢夏まつり) 陽田囃子保存会(2018年大地沢夏まつり)

坂下囃子連(2003年大地沢夏まつり) 坂下囃子連(2018年大地沢夏まつり)


丸山獅子舞保存会(2005年諏訪神社例大祭) 丸山獅子舞400周年記念(2017/05/03)

2. 祭り囃子
祭囃子は、かつての名人 たちは神楽師だったという事でもわかるとおり、里神楽が基になっていたと思われる。
また、祭囃子伝承団体の多くが、「獅子舞」「天狐(白 狐)」「おかめ」「よっとこ」「もどき」などの里神楽風の手踊りを付属芸能として伝えていることもそのあらわれである。

江戸祭囃子の系統と伝承地域については、葛西囃子系統 は、葛西囃子・葛西流・葛西系箕輪囃子・箕濃が谷囃子・葛西流切り囃子などがあり、主な伝承地は、江戸川区・足立区である。
神田囃子系統は、神田囃子(神田流)・佃囃子・神田下 町囃子・山の手囃子などがあり、主な伝承地は、千代田区・中央区・足立区・板橋区・町田市・五日市町・檜原村などである。
目黒囃子系統は、目黒囃子(目黒流)・目黒系台町流が あり、主な伝承地は、目黒区・狛江市である。
目黒系船橋流は、船橋流(船橋流早間)・田淵流(田淵 /田淵流中間)・田無流・鈴木流・大場流などがあり、伝承地は、世田谷区・調布市・中野区・   東久留米市・小平市などである。
重松囃子系の主な伝承地は、青梅市・東村山市・日の出 町・五日市町・秋川市・羽村市・瑞穂町・東久留米市・檜原村などである。

町田市内にも、28団体の囃子連(保存会)、3団体の 獅子舞、2団体の和太鼓、その他5団体の計38団体が町田市郷土芸能協会を組織して、親睦と後進の育成に努めている。

祭囃子は、鉦(かね)<別名:よすけ、チャンチキ>、 付太鼓(つけだいこ)<締太鼓>[向かって左が親で右が子]、大太鼓(おおだいこ)<別名:おおど>、笛(ふえ)<別名:とんび>の5人で構成されてい る。

屋台(やたい)は、強烈なリズムで祭りを盛り上げ、山 車の引き手を元気づけさせるのに欠くことの出来ない曲である。
手法としては、延・地・一つ刻み・諸刻み・四つ上が り・八つ上がり・掛け・かわちがいなどがあり、笛の主導によって、それらを組み合わせて演奏する。

鎌倉(かまくら)は、静かな曲で篠笛の音色が引き立 ち、祭りの儀式の前に演奏される事が多い。

国堅め(くにがため)は、テンポが徐々に速くなり、四 丁目(しちょうめ)まで続けて演奏される事が多い。

四丁目(しちょうめ)は、付太鼓(つけだいこ)の親と 子の掛け合いが特徴で、笛の大甲(だいかん)[最高音域で甲高く鋭い音色]も聞かせ処である。

子守唄 (こもりうた)は、おかめが獅子頭(子供)をあやし、寝かし付けるのに演奏する。

印幡(いんば)は、[仁羽]とも呼ばれ、里神楽をはじ め多くの地域で演奏されている。曲調が単調なので、付太鼓を習う時には、初めに叩く事が多いが、単調なるが故につい速くなりがちである。笛は、他の曲に比 べパターンが多く、高い技術が求められ、難しい曲である。

間延昇殿(まのびしょうでん)は、祭礼の時、神官が御 霊を神輿に移すときになどに演奏する。

昇殿(しょうでん)・神田丸(かんだまる)は、御霊移 しの後、神前で初めて演奏する曲で、繰り返しのない長い曲で、難しい曲でもある。

車切(しゃぎり)は、演奏の一番最後に行い、終了の合 図的な曲である。
【参考資料:江戸の祭囃子現状調査報告書(平成9年)・第9回火祭薪囃子(主催:三ツ目囃子振興会)パンフレッ ト】
3.囃子で演奏する道具
祭囃子の演奏は、鉦(かね)<別名:よすけ、チャ ンチキ>、附太鼓(つけだいこ)<締太鼓×2>[向かって左が親で右が子]、大太鼓(おおだいこ)<別名:おおど>、笛(ふえ)<別名:とんび>の5 人で構成されている。

【笛】 (篠笛)
篠笛には、お囃子などで用いられる「古典調」と、長唄などで用いられる「唄用」がある。
古典調の笛は、指孔の大きさがほぼ同じで、音階的にはさほど正確には出来ていない。
唄用の笛は、指孔の大きさがまちまちで、調律された笛である。


笛には、「獅子田」、「朗童」、「山(丸山)」、「蘭情」といった焼印のあるものを使用している人が多い。
「獅子田」は、江戸時代に篠笛を作り普及させた笛師「獅子田三四郎」又は「獅子田太郎」の流れを汲む笛師の系統名称であり、複数の笛師によって使用されている。
「獅子田の流れを汲む笛師」は、「丸山」の他、「柴水」、「柴山」、「光和」、「北原唯幸」など数多く存在する。
獅子田の流れを汲まない著名な笛師としては、「朗童」、「蘭情(蘭照)」、「鳳声」等が存在する。
また、笛には素竹のものや、「籐皮」や「籐芯」で巻いたもの「天地巻、半重巻、総巻」などがあり、また、黒や柄の入った塗り物もある。【一部参考資料:商標審決データーベース】


篠笛は、一般的に1本調子から12本調子まであり(13本調子もある)、数字の若い1本調子の物が一番長く低い音が出る。
数字が上がるごとに笛が短くなり、高い音になる。

「獅子田の流れを汲む笛師」によって作製される篠笛の調子は天賦流に比べて約1本(笨)調子分短く、半音高いというように、本(笨)の定義は、笛師の系統によって異なる。

相原地域のお囃子は、おおむね5本調子か4本調子の笛が多く用いられている。

篠笛の指孔は、6穴と7穴があり、坂下囃子連では7穴を使用している。

篠笛には、数字譜というものがあるが、地囃子にはそのようなものは無く、先輩方の運指を見て覚えるといったいわゆる「口伝」である。


私は、獅子田・竹峰(大塚竹管楽器3代目印号)・7穴・四本調子・総巻を長く使用していたが、2016年に運よく先代五世天賦流笛師久保井朗童師の半重巻 四本調子が入手でき、使用 していた。しかし、指孔の間隔が少し広く感じていたところ、2021年にまた運よく六世朗童師の総巻き五本調子が入手でき、現在はこの五本調子を使用している。

(朗童管五本調子は、獅子田管四本調子と同じ)
先代五世朗童師は、1979年に他界されているので、かなり年数の経つ笛ということに なるが、無傷で使用感が無いので、長く保管されていた笛のようだ。また、六世朗童師も現在では製作されていないようなので、貴重な笛ということになる。朗童管は、鳴りが良く、吹きやすい笛だと思う。

【鉦 とバチ】
鉦は、真ちゅう製で、鏡(底)寸法は9㎝(4号)、10.3㎝(4.5号)、11㎝(5号)、13㎝(5.5 号)、14.3㎝(6号)がある。

バチ「撞木(しゅもく)」は、竹製の柄の上に鹿の角が付いているのが一般的。
鹿の角の大きさは、大・中・小があるが、小さめの方が音は軽めだが扱いやすい。

竹の柄の部分が、鯨のヒゲを貼り合わせて作ってあるものもあり、竹よりも弾力性がある。

【附 太鼓】
附太鼓は締太鼓とも呼ばれ、胴の両側に皮が取り付けてあるが、その皮を締め付けるのに「ひも締め」と「ボルト 締め」がある。
囃子で使用されるのは、ボルト締めが多い。
1つの附太鼓の表側に10本、裏側に10本、合計20本のボルトで締め付ける。

親太鼓の方を子太鼓よりも若干高い音になるように調整して締める。
稽古前に締めて、稽古が終わればまた緩める。(皮の保護のため)

皮の厚さや金輪の太さなどによって5段階に分けられ、薄いものから並附、二丁掛、三丁掛と数え、数が増えるに従って厚くなり、
 五丁掛が一番厚い。
それぞれの囃子連や地域によって伝統的に使い分けれれているようだ。

坂下囃子連は、四丁掛で径は1尺2 寸5分(約38㎝)のものを使用している。

【大 太鼓】
囃子で使用する大太鼓の径は、33㎝(1尺1寸)、36㎝(1尺2寸)、39㎝(1尺3寸)のものが多く使用 される。
胴の材種も高価な「欅」から「栓」、「松」などがある。

坂下囃子連は、36㎝(1尺2寸)の本欅くり抜きの ものを使用している。

太鼓の皮のへりの部分を「縁(えん)」や「耳」と呼ばれているが、縁の部分を残して仕上げるのを縁付き、切り落として仕上げるのを縁切りという。
囃子の場合は縁切りが多く、和太鼓奏の場合は締め直しができるため、縁付きが多いようだ。

大太鼓の皮は、牛皮と馬皮があり、馬皮の方が若干 厚い。
坂下囃子連は馬皮を使用している。

朗童(先代五世)管 半重巻 四本調子(51.0㎝)

先代管は、歌口裏に名が彫ってあります
先代は1979年に他界されているので、現在では入手 困難



朗童(六世)管 本重巻(総巻) 五本調子(50㎝)
朗童(六世)の管頭は、調子の焼印が押されています


上から①朗童(先代五世)四本調子、②朗童(六世)五本調子、③獅子田(竹峰)四本調子、
④丸山四本調子、⑤獅子田(竹水)五本調子、⑥蘭情五本調子の順です
②朗童五本調子と③獅子田四本調子の歌口と指孔の位置がほぼ同じで、
朗童管は、獅子田管より、一本調子分長いことが分かります

蘭情管 拭漆総巻 五本調子(45.6㎝) 歌口裏に作製年が記載されています
(巳年らしいのですが、何年かは分かりません)

獅子田管 総巻
上:四本調子(46.5㎝)  下:五本調子 (44.0㎝)
左:大塚竹管楽器三代目印号
右:大塚竹管楽器二代目印号

鉦(かね):外径12.0㎝~14.5㎝ 撞木(しゅもく)
長さ32.5㎝~38.0㎝  左の黒は鯨のヒゲ

附太鼓:向って左が「親」、右が「子」 20本のボルトで締めてある
宮本卯之助商店製

大胴:本欅くり抜 1尺2寸(36㎝)
大胴皮の張替 え作業(2018/11/30)
台東区浅草の老舗 宮本卯之助商店製

獅子頭:宇津(雄)
頭の形状が凸が宇津(雄)、丸いのが権九郎(雌)
獅子頭の内側

おかめ おかめの内側

ひょっとこ ひょっとこの内側

木目生かしの面 内側

狐(小) 狐(小)の内側



狐(大)
狐(大)の内側



狐大振り 馬の毛
狐大振り(内側)


4.囃子の衣装
囃子の奏者としての衣装は、下から順にあげると一 般的には、「雪駄」、「足袋」、「股引」、「鯉口シャツ」、「腹掛」(付けない人もいる)、「法被」(半纏)、「帯」、「鉢巻」となる。

【雪駄】(せった)
雪駄は草履の一種で、元々は竹皮草履の裏面に皮を貼り、皮底のカカト部分に金物を付けたものである。
現在では、底が皮製の高級な雪駄を使用している人もいるが、水に濡れるとは皮の部分がカビてしまうので、底は硬質スポンジ、台はビニール製の雪駄
を使用している人が多いようである。
山車や舞台に上がる時は、もちろん雪駄は脱ぐ。

【足 袋】
足袋には、一般的な「岡足袋」と底がゴムになっている「地下足袋」とがある。
囃子の場合は、通常は「岡足袋」だが、獅子舞や狐の踊りの場合は「地下足袋」を履く人もいる。
また、岡足袋の色は、「白」、「黒」、「紺」等があるが、地域によっても異なるようだが、相原地域では「黒」または「紺」が多い。
「白足袋」は主として改まった服装の際や、慶弔等の行事の際に用いられるようである。
「白足袋」は、汚れが等が目立つので、囃子の場合(相原地域)は、「黒」や「紺」の足袋を履いているものと思われる。

【股 引】(ももひき)
股引は日本の伝統的なボトムスであり、下着としても使われたようである。
初めて着用する時、「三角形の筒が二つあり」前後もわからず、連長に教えてもらった。
太ももから足首までは密着していて、腰の部分は紐で締めるようになっている。
江戸時代には鯉口シャツやダボシャツ等と共に職人の作業服となり、農作業や山仕事などにも広く使われたようである。

【鯉 口シャツ】(こいくちしゃつ)
鯉口というのは袖口が鯉の口のように少しすぼまっている所から名前が付いたとされているトップスであり、江戸 時代中期に町火消し・博徒・駕篭かき
等の荒っぽい職人衆が着用していたようだ。

ダボシャツとは基本的に形状が違う。
厳密には袖口の形(ダボシャツは幅広)、袖ぐりの形(ダボシャツは袖ぐりが閉じている)などが異なる。
女性の場合は、法被の下は「晒巻」という人もいる。

【腹 掛】
腹掛は「どんぶり」とも呼ばれ、形状はエプロンのようだが、江戸時代の職人達の防寒用の胸当が、汚れ防止用に 変わり、火消し装束の影響を受け、現
在の形になったのは江戸後期のようである。
着用の際はエプロンのように襟が下がり過ぎないように、鯉口シャツが腹掛から見えないぐらい、首元がきっちりしている方が「粋」であるようだ。

【法被】(半纏)
武士が家紋を大きく染 め抜いた法被を着用したのに始まり、それを職人や町火消なども着用するようになった。
本来の法被は胸紐つきの単(ひとえ)であるのに対し、 半纏は袷(あわせ)だが、江戸時代末期に区別がなくなったようである。
襟から胸元にかけて縦に文字(襟文字)を入れる事で、 その人の所属などを表したりする事が出来る。

江戸文字と呼ばれる太い文字にはいくつかの種類があ り、法被で多く使われるいるのが「籠文字」、「勘亭」、「寄席文字」などのようであるが、坂
下囃子連は珍しく「草書体」だ。
また、文字の書き方で、生地の色を濃い色にして、文字を白くぬくことを「日向」(ひなた)と言い、濃い生地に文字の輪郭の線だけを白くしたものを
「影」 (かげ)と言う。

【帯】
帯は、「角帯」(8~10㎝巾)、「平ぐけ」(6㎝巾)、「巻き帯」(兵児帯)などがある。
素材は綿・ポリエステル・絹・麻・レーヨン等さまざまで、長さも1m~数m位まで子供用から大人用まである。

角帯は、芯が入れてあり硬い仕上がりになり、平ぐけ帯は、芯がなく柔らかい帯で、巻き帯はおしゃれで華かな感じの帯である。
帯の結び方は「貝の口」、「片ばさみ」、「神田結び」などがあるが、角帯の場合は「貝の口」が一般的である。

平ぐけ帯は、角帯と同じ「貝の口」と、結び目が前で四枚羽の「神田結び」も人気である。

【鉢 巻】
手拭を鉢巻きにするが、結び方は「ねじり鉢巻」、「くわがた鉢巻」、「千代結び」、「向こう鉢巻」、「喧嘩か ぶり」などがある。
女性の場合は、色とりどりで鮮やかな「結上鉢巻」が一般的であり、「粋」に感じる。

坂下囃子連の男性は「くわがた鉢巻」で、女性は「結上鉢巻」又 は、「細身のくわがた鉢巻」である。


5.相原町の神輿
2005年4月16日に 開催された、フェスタ相原100で、相原町の3基の神輿が揃いました
手前から大戸町会、中相原町会、丸山町会の各神輿

大戸町会の神輿 大戸町会の神輿

中相原町会の神輿 中相原町会の神輿

丸山町会の神輿 丸山町会の神輿

諏訪神社例大祭 (2017年)
神社参道を、丸山町会の神輿が山車を迎えに来ます
辻合わせをしている2台 の山車の前まで来ます

山車の前で差し上げ 方向転換して、山車を神 社まで先導します

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